普通から逃げるのは間違いなのだろうか。去年の誕生日に浮かんだそんな疑問に、ようやく答えを返せる日がやってきた。
去年の春が過ぎ去ってから今年の春がやってくるまでの間、様々な経験を積み上げてきた私が導き出した答えは“逃げることは正解でなくても、間違いではない”ということだ。
だけど、実際に普通から逃げていいのかは私にも分からない。きっとその人が置かれている状況や境遇によっても違うから。
でも私は、自分たちにとっての普通から逃げて正解だったように思う。あのまま普通に囚われ続けていたら、本当に死んでしまっていたかもしれないのだ。普通の人生、普通の生活という概念は誰にでも適用される普遍的なものだからこそ、多くの人が苦しむ永遠のテーマなのだろう。
その例に漏れず、“普通”に心を蝕まれていた私は、そこから逃げ出すことで何とか今も生き延びられている。普通という名の鎖に殺されてしまうくらいならそこから逃げてしまえ、それがこれまでの経験を通して構築されていった今の私の考えだ。
でもこれは結局一人一人の違いが一番滲み出る部分で、私のように普通を生きるだけでキャパオーバーになってしまう人もいれば、周囲から求められる普通を難なくこなして上手く生きていく人もいるのだろう。
皆が最低限生きるべきとされる“普通”から逃げるのは間違いなのか。きっと、この答えは人によっても違っていて正解がないものなのだと思う。“その行動によって困るのは自分だから逃げるのは間違いだ”と断言する人もいるだろうし、私と似た考えを持っていれば“疲弊しているなら普通から逃げるのは罪じゃない”と感じる人もいるはずだ。
どれが正解でどれが間違いなんてことはなくて、できる限りそれぞれの異なる考え方が尊重されるべきだと私は思う。他人に強制さえしなければ、その考えを持つこと自体は否定されるべきではないから。
普通から逃げたのは、あくまで私にとって正解だっただけだ。逃げない方が幸せになれる場合もあるし、逃げた方が最終的に不幸にならずに済む場合も存在するだろう。
少なくとも、普通から逃げることが間違いとされる世界ではあって欲しくないと思う。しっかり将来を見据えて普通を生きるのも、自分の限界を悟って普通から逃げるのも立派な一つの選択だから。
逃げることを選択した私は今、不幸じゃない。幸せになれたわけじゃないけど、どん底からは抜け出せた。
白む気配の見えない夜も、いつかは東の空から朝日の光が差して明けるものだと誰かが言っていた。その言葉の通り、長い長い時を経てようやく私たちの夜は明けたのだ。
去年の春が過ぎ去ってから今年の春がやってくるまでの間、様々な経験を積み上げてきた私が導き出した答えは“逃げることは正解でなくても、間違いではない”ということだ。
だけど、実際に普通から逃げていいのかは私にも分からない。きっとその人が置かれている状況や境遇によっても違うから。
でも私は、自分たちにとっての普通から逃げて正解だったように思う。あのまま普通に囚われ続けていたら、本当に死んでしまっていたかもしれないのだ。普通の人生、普通の生活という概念は誰にでも適用される普遍的なものだからこそ、多くの人が苦しむ永遠のテーマなのだろう。
その例に漏れず、“普通”に心を蝕まれていた私は、そこから逃げ出すことで何とか今も生き延びられている。普通という名の鎖に殺されてしまうくらいならそこから逃げてしまえ、それがこれまでの経験を通して構築されていった今の私の考えだ。
でもこれは結局一人一人の違いが一番滲み出る部分で、私のように普通を生きるだけでキャパオーバーになってしまう人もいれば、周囲から求められる普通を難なくこなして上手く生きていく人もいるのだろう。
皆が最低限生きるべきとされる“普通”から逃げるのは間違いなのか。きっと、この答えは人によっても違っていて正解がないものなのだと思う。“その行動によって困るのは自分だから逃げるのは間違いだ”と断言する人もいるだろうし、私と似た考えを持っていれば“疲弊しているなら普通から逃げるのは罪じゃない”と感じる人もいるはずだ。
どれが正解でどれが間違いなんてことはなくて、できる限りそれぞれの異なる考え方が尊重されるべきだと私は思う。他人に強制さえしなければ、その考えを持つこと自体は否定されるべきではないから。
普通から逃げたのは、あくまで私にとって正解だっただけだ。逃げない方が幸せになれる場合もあるし、逃げた方が最終的に不幸にならずに済む場合も存在するだろう。
少なくとも、普通から逃げることが間違いとされる世界ではあって欲しくないと思う。しっかり将来を見据えて普通を生きるのも、自分の限界を悟って普通から逃げるのも立派な一つの選択だから。
逃げることを選択した私は今、不幸じゃない。幸せになれたわけじゃないけど、どん底からは抜け出せた。
白む気配の見えない夜も、いつかは東の空から朝日の光が差して明けるものだと誰かが言っていた。その言葉の通り、長い長い時を経てようやく私たちの夜は明けたのだ。
