死霊術師(ネクロ)ちゃんピンチ!

登場人物

・レナータ・ハーカー
女死霊術師。倫理観に問題がある。
死体細工を作っている。

・アネモネ・リターナー
女勇者。倫理観がふわっとしている。
死体細工にされた。

・アナスタシア・カンバック
女魔法使い。倫理観は商売でよく使っている。
死体細工にされた。

・グレナデン・ド・レジュレクシオン
女騎士。倫理観は状況判断による。
死体細工になった。

・ルネー・ルネサンス
女神官。倫理観に自信がある。
最後の説得対象。





 私自身が妹になることだなどと正気を疑う発言をした後、生きたまま死体細工処置を受けたとても正気ではないグレナデン。
 いくら外見を変えられるとはいえそんなにすぐにはできないし、そもそも周囲から疑われるかもしれないのでそんな処置やる気は全然ないことをひた隠しにしたまま、レナータは見事筋肉ゴリラの脳を掌握することに成功する。
 できるとは言ったがやるとは言っていないので、契約違反などではない。
 いよいよ倫理観をおざなりにし始めた一行は果たしてどこへ向かうのだろうか。というところ。

 夕方を少し過ぎて帰ってきたルネーは、自室に戻っても相部屋のグレナデンがいないことに気づいた。
 順番で言えば、レナータ勧誘は彼女の番であるから、おそらくはそういうことなのだろう。

 隣室に赴けば、入り口では狼の魔物の死体細工であるガブが寝そべって番をしている。近づけば顔をあげるが、愛想はない。おもむろにわ(・)し(・)ゃ(・)わ(・)し(・)ゃ(・)してやっても、顔色一つ変えやしない。
 かわいくはないが、しかしもふもふはいいものだ。

 やがてシグナルを受けたレナータが指示を出すと、ガブはのっそりと道をあけた。

 四人というべきか、一人と死体細工三体がたむろする部屋に入るや否や、ルネーは顔をしかめた。
 すわバレたかとレナータが身をすくめれば、ルネーは、あまい、という。

「うわ、なんなのです。滅茶苦茶甘ったるい匂いなのです」
「え? 甘い?」
「ああ……なるほど。閉め切っていたからな」
「またゾ(・)ン(・)ビ(・)ィ(・)いじりなのですか? ほどほどにしてほしいのです」

 あ、とそれで気づいた。
 すでに感覚が麻痺しているし、何しろ常にその香りの中にあるのでレナータは忘れていたが、疑似体液は甘い花の香りがするのである。
 死体細工加工処置を済ませたばかりの部屋の中にはその香りが立ち込めていたし、それだけでなく死体細工が三人も一所に集まっているのだから、その香りはすっかり充満していた。

 もとは死体は臭い≒死霊術師も臭いという偏見に対抗すべく香り付けしたのだが、いくら良い香りでも密室に充満すればそれはきつくも感じる。
 浸透した細胞によって、つまり個人の体質によって香りは微妙に異なるのだが、それもまた香りの層を厚くしてしまっていた。

 なりたてのグレナデンでも、甘い香りを十分に感じるほどだから、清貧質素を好み、香水の類など身につけないルネーには、とくに強く感じられたのだろう。

「香りを身にまとうのは身だしなみの範囲といえど、強すぎなのです。しっかり換気するのですよ」

 窓を開け放つと、成程、風は清々しく、さわやかに感じられた。
 部屋を占めていた甘い香りは、いっそ重たいほどだったことにようやく気付くほどだ。

「まるで娼館みたいだね」
「お前以外わかんねーあるあるネタは止めるのです」

 アネモネ人形がシチュエーションに合わせて反射的に呟く。
 自然な振舞いの一環として、場に応じた発言をさせるようにしているのだが、そもそもアネモネの中の常識自体がおかしいので精度はお察しだ。ある意味本人らしいと言えばらしいのだが。

 ルネーも合流していい時間になったので一行は一階で夕食を摂った。
 安宿のように、酔っぱらいどもが大騒ぎするようなことはないが、それでも賑やかで繁盛しているようだった。

 名物だという偽仔牛のスープを堪能しながら、ルネーは胡乱気に一行を見渡した。

 アネモネは微笑みのまま反応しない。
 アナスタシアはしれっとしたものだ。
 グレナデンは粥の鍋を抱え込んでいる。
 そしてレナータは、露骨に目をそらして縮こまった。むう。
 レナータの挙動不審はいつものことではあるが、怪しくはある。

 ルネーは蜂蜜酒を舐めながら、たわいもない雑談に興じる一行を観察する。
 恐らくは、アナスタシアの交渉は失敗に終わるか、保留。グレナデンが今日しかけたはずだ。
 四人仲良く、部屋に香りが満ちるまでこもっていたのだ。話は長引いたことだろう。
 いや、そもそも四人仲良くというのがおかしい。毒にも薬にもならないアネモネは員数外としても、アナスタシアが話し合いに参加するのは不思議だ。

 ふわりと柔らかい白パンをむしって頬張る。
 スープに浸さなければならないような硬いパンではない、久しぶりに顎に優しい甘みが嬉しい。

 アナスタシアの目的はレナータを商会に囲い込むこと。それは聞いた。
 グレナデンの目的はレナータを妹にすること。それは聞いたが意味は分からなかった。

 二人の求めるところは、別にわかれるものではない。同時に叶えられるものだ。
 アナスタシアの商会で軟き……働いてもらい、グレナデンは妹としてそれを見守ればいい。

 奇妙な話だが、グレナデンは妹を求める割に、妹の傍にいることはない。そもそも旅がらすなのだから、彼女の実家のある領地にでも寄らなければ会うことはない。矛盾している。

 季節の山菜を湯がいて甘酢をかけたものを一口。
 ほろ苦い味わいはまだ少し苦手だが、甘酢のさわやかさがよい具合に調整してくれる。

 しかしレナータは勇者隊に残りたいのだ。多分。と言うよりは他にあてがないのだろうと思う。
 アネモネが拾ってきて以来、懐いているという風にも見えないが、しかし頼りにはしていた。アネモネの陰に隠れている、という印象だ。
 養父が亡くなって一人になり、その上、死霊術師という風聞の悪い身の上では、それは行くあてなどないだろう。だから拾ってくれたアネモネに盲従している。

 偽仔牛のスープとやらは、どろりととろみのある肉入りのスープで、香りも良いが、何より味が濃い。
 料理の下手なルネーにとって、味が濃いというと、塩気があるとか香辛料がきついという印象だが、これは味自体に深みがある。スープ自体が、どっしりとした味わいを持っている。

 人見知りのレナータが、見ず知らずの商会に閉じ込められることを望むとは思えない。
 妹になるというのも、まあ、どうなのだろうか。ルネーは生理的に無理だった。

 しかし彼女たちは交渉のわだかまりを感じさせることなく談笑し、なんならレナータの態度は以前より柔らかくさえ感じる。話し合いの中で距離を縮めたというのだろうか。

 何かしらの価値を示したのだ、とルネーは考えた。脱退するよりも在籍する方が商品価値を上げるという、そう言う何かを示したのだ。そうでなければ銭ゲバ守銭奴のドケチ魔女が厄ネタを放置するわけがない。

 いったい何があったのだろうか。
 疑わし気に眉をひそめるルネーに対して、レナータはと言うとぼんやりしたものだった

 目をそらすのはいつもの反射で、縮こまって猫背なのもいつもの癖だ。
 頭の中にはややこしい交渉のことなど欠片も残っていないし、ルネーの視線にだって気づいてもいなかった。
 レナータの頭の中はいま、グレナデンのすらりとした裸体でいっぱいだった。

 正確に言えば、その美しい肢体に施した術式と予後についてであった。
 術後間もなく目を覚ましたグレナデンは、手足にしびれもなく、舌がもつれることもなく、まっすぐ歩けるし、振舞いはいたって自然だ。気分が特に盛り上がったり盛り下がったりすることもなく安定しており、会話の内容も普段通り。なんなら食欲もいつも通り健啖きわまる。

 異常なし。
 というのが不安なのだった。
 アネモネやアナスタシアが異常なく運用できているのは喜ばしい。
 しかしグレナデンの場合は事情が違う。彼女は健康体のまま、生体を死体細工に作り替えようとしている。

 疑似体液は細胞に浸透し、これを消化吸収しながら模倣し、元の細胞と置き換わる形で侵食していく。その侵食は他の細胞とつながりを保ったまま行われていき、連続性を絶たない。つまり理論上は、生きている細胞であっても問題なく生きたまま置き換わっていける。
 これは死にたてほやほやのアネモネの体でも、アナスタシアのまだ生きていた脳でも実証できている。

 しかしアネモネの場合は死後いくらかが経過しており、アナスタシアもそのままであれば死につつある状態だった。
 グレナデンはそうではない。もとより健康過ぎる異常に強靭な肉体に、生きたまま疑似体液を投与しているのだ。

 アナスタシアは自分が内側から貪り食われる想像にいたって、疑似体液をおぞましい、恐ろしいものだと感じている。
 しかし開発者であるレナータからすると、疑似体液はか(・)弱(・)い(・)生き物なのだ。
 手に触れても、なんならうっかり飲み込んでしまっても、疑似体液は体を侵食したりしない。できない。胃の中で消化されるだけだ。
 ちょっとした傷口から体内に入ってしまっても、影響はない。健全な細胞に異物として排除されるだけだ。
 本来死体にしか使用する前提ではないのだから、事故が起こらないように弱くしてあるのだ。

 生体に対しては、事故ではまず紛れ込まないような十分な量の疑似体液を、複数の必要な個所に投与しなければ、満足に作用しない。その必要な個所に骨が含まれるのは、骨髄の造血器官を流用して疑似体液に自身を増殖させるためだ。

 また、疑似体液は速やかに浸透するが、この際に人体の免疫機能が異物と判断し、排除しようとしてしまうことが実験段階で判明していた。死体相手であれば気にしなくていいこの問題が、生体相手では大問題となる。
 レナータは寄生虫の免疫抑制能力に注目して、疑似体液に免疫機能をだまくらかす方法をいくつか組み込んでいた。免疫機能をまるまる麻痺させてはちょっとした風邪でも命とりだし、かといって侵食する細胞の種類ごとに異なる免疫抑制能を全て付与するのは無理がある。

 このあたりの苦労は長くなるので割愛するが、とにかく生きている人体に対しては、疑似体液はめ(・)ち(・)ゃ(・)く(・)ち(・)ゃ(・)頑張らないと侵食できないのだ。

 アナスタシアは細胞が死につつあったのでうまくいったが、健康体で、そして異様に強靭なグレナデンの体は、下手をすると疑似体液が負けかねないと不安になっていたのである。
 もしかしたらグレナデンが平然としているのは、問題なく疑似体液が浸透しているからではなく、とっくに異様な免疫によって疑似体液が駆逐されたからかもしれないのだ。
 この辺りは馴染んでいくまで時間をかけて観察しなければならない。

 とはいえ。

『聞こえますか……聞こえますか……』
『む、脳内に直接……これが念話という奴だな』
『はい。聞こえづらかったり、違和感があったりしませんか?』
『不思議な感覚ではあるが、不快ではないな。むしろ君の声が脳に響いて興ふ』
『問題ないですね』

 念話は通じているので、一応脳に定着はできたようだ。
 いまはまだレナータの念を受けた疑似体液が脳に感覚を伝えている、間接的なものにすぎないが、そのうち馴染めばよりスムーズになるだろう。

 グレナデンの好調は、戦闘でも明らかになった。
 翌日も朝から元気に殺戮行脚を開始した一行は、グレナデンの明るく元気な暴力を目の当たりにする。

 猪や熊など、大型の魔物が多くみられるので気を付けてくれ、という忠告を受けていたのだが、その危険な魔物たちはむしろ的がでかいだけの哀れな犠牲者でしかなかった。

 先行するガブからの情報をもとに、グレナデンは元気に突っ込み、そして猪だろうと熊だろうと、構うことなくただ一太刀に、脳天を真っ二つにしてしまうのである。
 籠手による殴打というジャブも用いない、初手必殺のこんにちは、死ね!(ハロー・サプライズ)である。

 汚染を受けていない普通の猪や熊の頭蓋骨でさえ、分厚い鉈でもそうそう割れるものではない。
 それをグレナデンは軽快にパッカーンと断ち割っていくのである。
 時には頭蓋骨どころか胸まで刃が食い込むし、小さな相手であれば二枚に卸してしまう。

「グレナデン、はしゃぎすぎなのですよ。ばてる前にメートル落とすのです」
「ふははははははっ! 今日の私は絶好調だ! 問題はない!」
「お前がとちったらルネーが迷惑なのです!」

 森を切り拓く勢いで魔物を斬殺していくグレナデンのあとについていくだけでも、レナータは息も絶え絶えだ。
 そんなレナータの手を引いてくれるアネモネ人形はけろりとしたものだし、小さな体のルネーもぷんすこしながら小走りについていって、疲労を回復する奇跡を定期的に面々にかけるほどの余裕がある。
 魔法でブーストのかかるアナスタシアも遅れてはいないが、さすがに攻撃に参加するほどの余裕はない。

『ちょっと、あれって、死体細工になったからなの?』

 無尽蔵とも思えるスタミナと圧倒的な破壊力を見せつけるグレナデンの姿に、アナスタシアがげんなりとしたように念話を飛ばしてくる。
 確かに人間離れしたその所業にはそう思わずにいられないものなのだが、レナータは引きつった笑いを浮かべた。

『いえ、疑似体液の浸透率はアナスタシアさん以下です。全然です。馴染んですらいないですあれ』
『えっ』
『プラシーボ効果(おもいこみ)はあるかもしれないですけど、あれ、素のグレナデンさんです』
『は? バケモンやん……』

 思わずお国言葉が漏れるアナスタシアである。

 疑似体液に置き換えられたアネモネなどは、痛みや疲労を無視できるし、それぞれの細胞が自ら考えて連携する「思考する筋肉」であるから、神経反応など及びもつかない超反応を可能とする。構造を作り替えることで人体では不可能な怪力も発揮できるようになっている。
 しかしグレナデンのこれはそういった疑似体液の恩恵とは全く無関係な、純粋に本人の筋力と反射、鍛え上げられた剣術だけによって成し遂げられているのである。

 これは全く人間業ではない、と恐れおののく二人だったが、さすがにそんな強行軍はいつまでも続かなかった。

「ぬうん……ふ、不覚……」
「まったく、無駄にはしゃぐからなのですよ。大人しく待ってるのです」

 昼を前にして、グレナデンは唐突に倒れた。
 文字通り、そのままばたんと前のめりに倒れたのである。
 慌てて駆け寄った一行を待っていたのは、地の底から鳴り響くような盛大な腹の音であった。

 テンションが振り切れれば、一時知的に疲労や苦痛は麻痺させられる。
 暴れまわって大虐殺祭りを繰り広げられる。
 しかしグレナデンがどれほど暴力に適応し、暴力を磨き上げてきたとはいえ、どうしようもないことはある。

 それが「足りない」という一点だった。
 いくら常人より優れた肉体を持っているとはいえ、常人より優れた肉体だからこそ、常人以上にエネルギーを必要とするのである。
 常人の数倍の密度の筋肉は、ただ生きているだけでも常人の数倍のカロリーを求めるのだ。
 それが金属の塊を身にまとい、金属の塊を振り回したとなれば、消費は跳ね上がる。

 要するに、腹が減って倒れたのである。

 常人の数倍の体重を誇る上に金属の塊までまとっているグレナデンを引きずって運ぶのも難しい話で、仕方なく一行はグレナデンを転がしたまま、そこで昼飯の支度を整えるしかなかった。
 普段の軽(・)い(・)弁当ではまるで足りないから、鍋を取り出して火をおこし、本格的に調理にかかる。
 アナスタシアの魔法でも、ルネーの奇跡でも、極めて原始的でシンプルな「空腹」という不足はどうにもできないのである。

 グレナデンが背負ったままのリュックサックからオートミールの袋を取り出すと、ルネーは鍋にそれをぶちまける。そこにアナスタシアが魔法で水を注ぎこみ、火にかける。
 言葉で言えば簡単だが、持ち運ばなくていい水に、薪を必要としない火というものは、それだけで旅の難易度を一段も二段も下げる。
 資格を持つ魔法使いが重宝されるのも頷ける話である。

 こうして仕上がった鍋一杯の粥は、グレナデン一人の分である。
 何かの手品のように鍋一杯の粥が消えていくのを眺めながら、一行は硬いパンと硬いチーズ、硬い干し肉のいつもの硬い飯である。
 レナータはわびしい食事をしながら、しかし欠片ほどもうらやむ気持ちがなかった。むしろ見ているだけで胸焼けしそうである。
 ルネーなどはもはやこのある種凄まじい食事風景を、動物にエサをやるような気持ちでさえいる。山羊が無尽蔵に草を食んでいるようなものだと思えば、ぎりぎり癒し系だ。フィルターが強い。

「いや、すまない。ぜんぜんヨシ! ではなかったな」

 鍋一杯の粥を平らげたグレナデンは、人心地ついたといった様子でどっかりと胡坐をかいた。
 空腹による低血糖で倒れたのだから食ったばかりですぐすぐ回復するものではないはずなのだが、普段の食事ペースを考えると平然と消化吸収していてもおかしくはないのがこのおかしい女である。

『さすがに疑似体液のおかげよね?』
『いえ、全然です。素のグレナデンさんです』
『内臓までバケモンなのね……』

 疑似体液が馴染んでいけば、食物の消化吸収効率は非常に高くなる。日が浅いアナスタシアも心なし便通がよくなっている気がするほどだ。
 これがさらに馴染んでいるアネモネなどは、そもそもの排泄量さえ低減している。人体が通常消化できない成分まで効率よく解体してエネルギーと身体材料に加工できるからだ。しかも花のにおいがする。ゾンビと言って人が想像するものとは全く異なるのだ。
 最終的には微量のどうしようもない成分をほんのわずかに排出するだけで済むようになるだろう。

 まあグレナデンの場合はほぼほぼ素の身体性能で脅威の消化吸収能力を持っているので、毎日快食快便で死体細工より元気に暴力を振るうのだが。

「まったく……バカが暴れるのであれば危険予知も意味がないのです」

 予定外に魔物除けの結界を張る羽目になったルネーは硬い干し肉をぐにぐにといつまでも噛みながらブチブチと文句を垂れ流した。
 ゴリラ戦法で突き進むゴリラ隊もといアネモネ隊で行軍に問題が発生すると、調整に奔走するのはいつもルネーの役目なのだ。リーダーであるはずの勇者アネモネはそのあたり役に立たない。
 アタッカーもできて、ヒーラーもできて、バッファーにもなり、多少であればタンクとしてしのげないこともない。他の面子が欠けたときにサポートできるといえば聞こえはいいが、どうにかならなければ次に潰れるのはルネーだという意味でもある。

 ルネー自身、備えがあること、己がその備えになることに否やはない。
 備えなしに蛮勇のままに突き進むのは愚の骨頂だ。
 けれど備えというものは使われずに済むのが最良であり、アネモネ隊はその最良とは程遠いのである。

 今回盛大にガス欠に陥ったグレナデンであるが、これも初めてというわけではない。初期のころはペース配分を間違ってしばしば動けなくなった。だから対応にも慣れているのだ。
 最近はレナータの参入によって余裕ができたためこのようなことは少なくなったが、それでも消費が大きいのは変わらない弱点だ。

 なんでもそつなくこなしそうなアナスタシアとて、しばしば問題は起こす。魔法は便利なツールであり、アナスタシアはかなり幅広く、強力な魔法を扱える。だが実際に戦闘で用いるのは限られた術だけである。咄嗟に使えるものが限定されるからだ。強力な分、制御がシビアである。
 制御が難しいから、突発的なアクシデントに弱い。後方から敵が忍び寄ってきた場合、アナスタシアはほとんど対応できない。
 狙いが大雑把なのでしばしばフレンドリーファイアの危険もある。あくまで砲兵のような後方火力支援と思った方がいい。
 こちらもレナータが参入したことで大きくカバーされた。

 このようになんだかんだサポートとして役立ってくれているレナータだが、彼女にも問題がないわけではない。
 まず体力がなく、行軍についていくのがやっとであり、それとて全員が気遣って心なし速度を落としている上でだ。
 個人としての暴力も有していないため、前線に出るどころか後方で待機するのも危うい。強力な狼の死体細工を索敵にばかり用いるのも、戦闘中は護衛として後方に配置しなければならないからである。せっかくの誤射してもいい戦力なのに。

 しかも彼女の死体細工とやらは甘やかな花の香りがして、レナータの傍ではどうにもその香りが気になってしまう。普段であれば心地よい香りとも思うのだが、戦闘中にはなんとも気が抜ける。
 なんだか民間人を無理やり連れ回しているようで気も引ける。

 そのレナータを引き込んだアネモネに関しては、実はルネーは特に低評価はしていない。
 もちろんリーダーとしてもっと頼りがいが欲しいとか、指示が雑だとか、私生活がクソだと、スカウトするにしても相談しろとかかいろいろ言えることはあるが、戦闘中の振る舞いに関してはもう好きにするのですと放り投げている。

 なぜならアネモネは被弾しないからである。

 回避ゴリラとしてふらふら動き回って気づけば敵に裂傷を負わせているといったアネモネのスタイルは、信じられないことにルネーが入隊してから今まで、ただの一度も被弾を許していない。アナスタシアのフレンドリーファイアですらだ。

 ルネーが支援しなくても一人で切り抜けるし、回復する必要もないし、なんなら意識の外に置いておいても何ら問題なく戦闘が進行する。こうなるともう仲間の一人というより敵に継続ダメージを与えるなんかのデバフみたいなものとさえ思っている。呪いみたいだ。

 恐らく勇者としてのなにかしらの加護によるものだとは思うのだが、太陽神の神官であるルネーにもその加護はわかっていない。なんの神の加護かまでは神殿で見極めることもできるが、勇者個人に与えられた加護は本人の申告でしかわからないのだ。
 そしてアネモネはどの神の加護かも口にしないし、なんの加護かも公表していない。

 仮にも仲間である自分たちにさえ伝えていないということに思うところがないわけではないが、しかし強制もできない。するべきでもない。
 加護は勇者の大きな武器であると同時に、弱点でもあるからだ。

 すべて勇者はいずれかの神または神々の加護を有する。というより加護を有するものを勇者と呼ぶ。加護を得たものはその証たる聖紋が体のどこかに浮かび上がり、その瞬間から彼または彼女は勇者として扱われる。
 多くは生まれつきだが、後天的に宿る場合もあり、はっきりとはしていない。

 偽の聖紋で勇者を偽称することは大罪だが、真の聖紋を隠すこともまた大罪である。神に仕え神のために魔物狩りに臨むルネーには同意まではできぬことではあるが、勇者とは栄誉であると同時に、ひとによっては逃れることを許されぬ枷でもあるのだ。
 その生涯を未踏領域で魔物と魔王現象との戦いに費やす……市井のものにとってそれは嬉しいものではないのだろう。

 しかし勇者はその宿命を背負う代わりに、多くの特権が与えられる。
 アネモネ隊のようにスポンサーを付けて金銭面ではあくせくとしなければならなくはあるが、例えば公共施設の類いに関してはほとんど無料で利用できる。医療費も免除だ。
 一般の商店なども多くは勇者割引などをしてくれる。これは法律や純粋な好意ではなく勇者が利用したという箔付けと宣伝のためだが、それでも悪く扱われることなどまずあるものではない。
 関税もかからず、橋や関所でも基本的にフリーパス。老後は専用の施設で至れり尽くせりの介護を受けられるという話もある。老後を穏やかに過ごせる勇者であればの話だが。

 さらには、あまり大っぴらに言われていることではないが、ある程度は犯罪に関しても目こぼしされる。噂によれば連続殺人鬼の勇者もいるとのことだ。
 彼の場合は宿した加護の戒律が殺人を要するものだったとか言う話はあるが……すくなくとも、殺(・)人(・)程(・)度(・)ならば許されるのだ。

 その特権は勇者個人だけでなく、勇者隊に所属するメンバーにも適用される。

 だ(・)か(・)ら(・)弱点にもなりうる加護の情報を隠すことはしかたのないことだ。

 というのは、善良な読者諸君にはいささか飛躍にも感じるかもしれない。
 しかし悪辣なる一部の読者諸君はおおいに頷くところであろう。

 なにしろ、勇者を一匹捕まえて勇者隊に潜り込めば、これらの特権がすべて手に入るのである。

 勇者の加護は強力なものばかりではない。
 そして加護と戒律の強さは必ずしも一致しない。

 勇者にとっての戒律とは、一般信徒が戒められている、人を殺してはならないとか盗んではならないとか、そういう一般社会のルールの事ではない。
 厳密に神によって定められた、破ること能わぬ制限である。

 勇者はこの戒律を破ることを生理的に忌避するし、あえて破ろうとしても心理的に強く抵抗がある。そして破れば耐えがたい苦痛が苛むとか、全身から血を噴き出して死ぬとか、見えざる嘴についばまれて消えるとか、まことしやかに語られている。

 なぜはっきりしないかといえば、それだけ勇者が戒律を破ることが珍しいからだ。
 数ある勇者の誰もが、戒律破りを忌避してきた。ゆえにそもそも事例が少なすぎるのだ。

 同じ神の加護を授かった勇者でも加護の内容が異なるように、戒律も異なってくる。神の司る権能からある程度は推測もできるが、やはり詳細は神のみぞ知るといったところだ。

 たとえば高名な《嵐の勇者》は天候さえ操るが戒律により屋根の下にとどまることができないとされる。その一方、あらゆるものを両断するという《剣の勇者》には厳しい戒律の話がない。
 世の中には、ひとを傷つける力を持たない勇者が、しかし厳しい戒律によって日常的な行動を縛られていることもあるだろう。
 そういうものにとって、加護や戒律を明かすことは身の危険に通じるのだ。

 アネモネの場合がどういう理由や事情で加護や戒律を隠しているのか、ルネーは詮索するつもりはない。ルネーにとって大事なのはアネモネが勇者であり、勇者の務めを果たしており、そしてその務めの範囲においては手間がかからないということである。
 太陽神に仕えるルネーにとって、未踏領域をあまねく照らし人界を守ることこそが本懐であり、勇者アネモネはその勤行を務めるための便利な職場環境に過ぎないのである。

 その職場環境に紛れ込んだレナータという存在は……。

 ルネーはちらとこの少女を見やった。ルネーより二つ年上であるはずのレナータはしかし、年相応とは思えないほどにあどけない。いっそ幼い。本当に幼いといっていい年齢のルネーよりも幼く見える。
 背は一応レナータの方が高いはずであるが、猫背でふらふらと姿勢も定まらない上に、いつも誰かの影に隠れようとするので、とてもそのようには見えない。吹けば飛ぶようでさえある。

 もしょもしょと硬いパンをかじっている姿は小動物めいているが、その顎は無力で、パンは永遠に削られていくように見えない。弱すぎる。精神も弱い。弱くないところがない。鼠の方がまだ食事速度が速かろう。

 この哀れで情けない少女が、世間に邪悪と恐れられている死霊術師であるという。
 なにかの冗談のようだが、事実として彼女は魔物の死体を加工して操り、夜毎に宿の部屋で死体をいじくりまわして笑っている。
 聞けば死霊術師の養父に技術を叩きこまれ、幼い頃か死霊術師として生きてきたのだという。

 な(・)ん(・)と(・)か(・)わ(・)い(・)そ(・)う(・)な(・)子(・)な(・)ん(・)だ(・)ろ(・)う(・)。

 誰(・)が(・)好(・)き(・)好(・)ん(・)で(・)死(・)霊(・)術(・)な(・)ど(・)と(・)い(・)う(・)不(・)衛(・)生(・)で(・)お(・)ぞ(・)ま(・)し(・)い(・)邪(・)法(・)に(・)手(・)を(・)染(・)め(・)る(・)と(・)い(・)う(・)の(・)か(・)。

 ルネーがおおいにあわれんで、折に触れて太陽神の教えを懇々と説いてやると、この少女もこうべをたれて聞き入ってくれる。
 この子には救いが必要なのだ。

 ルネーはますます熱心に教えを説いた。暗くて気持ち悪くて邪悪な死霊術などからは足を洗うべきなのだと。
 レナータは深く首をたれてその教えに聞き入ってくれたようだった。

 なんと素直で謙虚な姿勢なのだろうか。やはり邪法の使徒によこしまな教えを吹き込まれてしまっただけで、根は善良で心優しい娘なのだろう。
 いや、誰もがそうなのだ。
 ひとはみな善良であり善く生きることができるのに、世に蔓延る悪徳がそれを邪魔しているのだ。

 邪悪を祓い、太陽神の教えのもとに生きていけば、レナータもいずれ善良さを正しく示し、胸を張って顔を上げ、元気溌剌に健康的な生活を取(・)り(・)戻(・)せ(・)る(・)だろう。

 これならば更生の日も遠くはないだろう。優秀な子なのだから、明るい道に戻してあげなければ。そして太陽神の照らす道を歩く友になろうと。

 これが相互不理解の見本のようなルネーの視点であった。

 レナータの視点から見れば、なんかクソ生意気な秀才のガキが上から目線で人の家業を貶しながら宗教勧誘してくるという地獄絵図だった。でも言い返せる気力とか口先とかもなかったので、もうなんでもいいから早くやめてくれという気持ちでじっと爪先とかを眺めているほかになかった。
 レナータがルネーを嫌いだと思っていないのは、そもそもルネーを個人として認識していないからである。なんかしらのなにかの現象的なものと思って、頭を下げて耐えていればそのうち去ってくれると思っているからである。

 そのため、レナータは正直このクソガキを説得するより、なあなあでごまかしてずるずると除隊を引き延ばしてなんかうまいことイカサマできないかなとひっそり思っているのだった。