一人になりたいのに、田舎の陽キャと訳あり年上男子が二人がかりで迫ってくるんですけど。

樹が彼女と見る予定だった映画を、三人で見に来た。怜はてっきり彼女の方が映画を見たがっているのだと思っていたが、もしかしたら樹の方だったのかもしれない。なぜなら言い出しっぺが彼だというだけでなく、一番高いポップコーンまで二人に奢ってくれたからだ。一人では絶対に食べ切れない量だったが、隣には陽平がいる。早弁と称して一時間目後の休み時間にバナナだの魚肉ソーセージだのヨーグルトだの納豆だのを食べる強者だ。納豆だけはまじでやめてほしいんだけど。普通に臭いし、あれは携帯するために個包装されているわけではない。
 涼しくなれそうだと陽平と樹は張り切っているが、怜はホラー映画はあまり得意ではない。怖いからではなく、どんな気持ちで見るのが正解なのかがよく分からないからだ。聴覚的、または視覚的に意表をつかれることが少し不快だ。それに心霊現象を信じていない怜にとって、この手の映画の一番の醍醐味であろう心理的恐怖を感じられないということも、ストレス要因である。誰かの恨みや妬み、あるいは未練。そういうものが分からないわけではないが、だからって現実世界でそうはならないだろうと反論してしまう場面がちょくちょくあって、全然入り込めない。でもまあ、三人で行くならおもしろいかもなんて思ったんだけど。
「怜、黙っとけや」
 スクリーンのはじ。誰だよ、と窓に映り込んでいる髪の長い女性に思ってしまったのが、声に出ていたのかもしれない。陽平がいらついた調子で、怜の口にポップコーンをねじ込んできた。ひとつふたつなら受けとめられるが、てのひらいっぱいのそれをどんどん押し込んでくるので、こぼさないように怜は上を向く。入れすぎ入れすぎ。でもおいしい。まんまと黙らされてしまった。
「こぼすなよ、赤ちゃんか」
 反対隣から長い手が伸びてきて、怜の膝に転がったポップコーンをつまむ。てっきり自分の口に入れてもらえるのだと思っていたのに、樹のその手は怜の目の前で軌道修正し、樹の口へと運ばれた。
「僕のだよっ」
 僕の口からこぼれたんだから、と怜は反抗したが、樹はしーっと指の腹で怜の唇を押さえた。キャラメルの甘い匂い。その指に噛みついてやろうと口を開けた途端、斜め前に座っていた人がこちらを振り返ったので、慌てて姿勢を正した。陽平じゃなくて僕が注意されるなんてと恥入りながら、スクリーンに視線を戻す。
 きゅっ、きゅっ、と耳の内側を引っ掻くような不協和音と共に現れる、ずぶ濡れの影。バイオリンの高音がよくホラー映画に使われるのは人の神経を逆撫でする周波数だからかな、と怜が分析していると、がさっと反対隣で音がする。陽平のぎゅっと閉じられた両膝。不安げな薄目。そんなに強くポップコーンの入れ物を抱きしめたらつぶれてしまうんじゃないかと、怜は陽平の硬い腕をぽんぽんと叩く。と、すぐに、その手をつかまれた。
 え、なに。
 あっけに取られている間に、陽平の節高の指が指の間にからんで、もう逃げられない。しっとりとした温度が指先から伝わって、怜の真皮のさらに奥を、じんわりとあたためる。
 何やってんの、陽平。
 びびりすぎだって。
 そう言って笑い飛ばしたいが、また斜め前の人にらまれるかもしれない。だからといって無言でふりほどくほど不快ではないし、薄情でもない。真っ暗だし、誰に見られるわけでもない。
 ま、いいか。
 きゅっと手に力を込めた。一緒に風呂まで入った仲だ。
 それにしても。
 戦士みたいな身体を持っているくせに、こんな作り物が怖いのか、陽平は。いつでも前だけを向いて走る太陽のようなこの男が、ありもしない物語に震えている。細身で共感性の薄い自分が、この時ばかりは冷静で頼りがいがある大人になったような気分だ。初めてホラー映画が少し好きになった。
 一方の樹は、後半にさしかかると舟を漕ぎ始めた。何かある度に小さく跳ねて驚く陽平とは裏腹に、樹は微動だにしない。よっぽど集中しているのだろうかとそっと横顔を覗き見したら、目を閉じていた。密集したまつ毛は世界の雑音を拒むように、深い影を落としている。鼻筋、あごのライン、すっきりとした耳へと続く輪郭。それから四角いピアス。曲線のほとんどない樹の左半分が、ゆっくりと傾く。見た目より柔らかい髪がふわりと怜の首すじをかすめた瞬間の香りは、昨日とはまた違う香水だ。それでも眠りに抗う意思はあるらしく、樹の頭はまたまっすぐに戻される。しかしそれを四回繰り返されると流石に気の毒になって、樹の頭を抱き寄せた。
 右の肩で受けとめる樹の頭は重い。この中に何がつまっているのだろう、と怜は考える。僕も陽平も樹の事をよく知らない。樹が今までどこでどんなふうに生きてきたのかということ。陽平はきっと知りたがっている。でも僕は知りたくない。それは興味がないということではなく、過去なんて知ったってしょうがないと思うから。僕らの形は今のままで十分成立している。
 ていうか、樹は映画見たかったんじゃないのか。
 怜はくすりと笑ったが、それは誰にも気づかれなかった。
 エンドロールが終わって完全に明るくなると、立ちあがって伸びをしたりストレッチをしたりした。陽平が早口で感想をまくしたてる横で、樹があくびをする。ポップコーンはきれいになくなっていた。
「じゃあ、怜はまた明日な」
 自転車にまたがって、陽平がそう言った。
「お前ら俺抜きでデートかよ」
 樹が陽平の後ろの荷台に乗った。おかげで陽平はそう簡単には前へ進めない。
「陽平は先週から僕が行ってる塾に来始めたんだ。樹も入る?」
 三人一緒だと楽しいだろうと、条件反射のごとく誘ってしまった。だが樹に塾は必要ないだろう。
「いや、塾とかだりいからいいや。陽平は学校の宿題もろくにやんないのに、塾まで行ってキャパオーバーじゃね?」
 樹のからかいに、陽平は素直にうなだれる。
「そう。夏休みの宿題もやばいけん、宿題合宿しよや、俺んちで。二泊三日くらいで」
「しない。僕、もうほとんど終わってるし、合宿するなら遊びたい」
「俺も。じゃ、怜、二人でデートするか」
「えー、お前らひどない?」
 怜は樹に合わせて笑ったが、頭の中には別のことがよぎった。デート、と樹は言うが、樹にはちゃんと彼女がいる。そして陽平にもすぐに彼女ができるだろうと怜は思ったのだ。
 先週塾から帰る時、陽平は入れ違いで教室へ入っていく女子から声をかけられていた。丸顔で、背が低くて、胸の大きい子。陽平のタイプのど真ん中だ。彼があんなにやわらかい顔(だらしない顔と言ってやろうか)で微笑むところを初めて見て、怜は正直おもしろくなかった。陽平とほぼ毎日顔を合わせている自分が、まさかこんなに簡単に部外者にされてしまうなんて。
 友達と彼女は違う。違うからこその特別性をつきつけられた。そう、だいたい友達の彼女っていうのは、ある日突然現れるものだ(知らない間にできている)。そして決まって序盤は、友達よりも彼女が優先される。樹はともかく、陽平なんて簡単にそういう想像がつく。
 デレデレしやがって。
 僕は一体何に怒っているのだろうと思った怜は、ゆっくり進む二人乗り自転車を追い越して、振り返る。ぱっと足をついて止まった陽平の喉元を、汗の滴がつるりとつたう。
 まだだ。
 まだ夏休みは終わってない。
 怜は陽平のカゴに自分のボディバッグを入れながら「やっぱさ」と声をかける。
「合宿はしないけど、三人で陽平の宿題終わらせようよ」
 やったー、と喜ぶ陽平の声と、何の試練だよ、と叫ぶ樹の声が、雲ひとつない真っ青な空に吸い込まれていった。