怜、樹のお土産何にしよか?
東京へ向かう新幹線の中で陽平がそう聞いてきて、怜は返答に困った。樹が修学旅行に参加しなかった理由が本当にだるいだけなのかは、分からないではないか。それを真に受けて、これ見よがしに土産など持って行くのは、配慮に欠ける気がしたのだ。だいたい、樹が何を喜ぶのかすら知らない間柄なのだから、何を買っていっても迷惑なのではないか。
黙っている怜の横で、陽平は「食い物は残らんし、物にしよや」と言いながら携帯で検索を始めてしまった。
そうして選んだ(ほとんど陽平の独断で)土産はようやく、樹の薄いてのひらの上に着地した。本棚の置き時計は五時半を指している。一時間前に送迎バスで修学旅行から帰ってきたばかりで、一旦それぞれの家に荷物を置いてからすぐ樹の家へ来た。明日にしようという怜の言葉を、陽平が全く聞かなかったからだ。
「えーっ、何これ……」
樹の口が開いたまま静止し、いつも涼しげな目元から眼球がこぼれ落ちそうになっている。一応、陽平と二人で購入したのだ。怜も多少の責任は感じているので、その後の樹の表情を注意深く観察した。
「よかろ? アイスコーヒーじゃって」
「見たらわかる。そうじゃなくて……」
樹はナスカンの部分をつまみ上げ、ちいさなアイスコーヒー型のチャームを揺らした。どこにでもあるキーホルダー。でも、樹はよく自販機で買ったコーヒーを昼休みに飲んでいるから、飲み物としては好きなはずだ。グラスに入ったそれは何とも言えない深い色味を帯びていて、中の氷まで細かく再現されている。大量生産品だから、もらってもそんなに負担にもならない。
ありがと、と樹は堪えるように口元に手をやったが、満面の笑みは隠しきれていない。自分では決して引き出せなかったであろう表情を見て、怜は陽平の気配りに感心した。
陽平はいつもこうだ。怜みたいに、自分なんかが踏み込んで相手の気持ちを害したらどうしようなどという、自分にとっての不都合を計算しない。そもそも怜なら踏み込んでいこうなんて考えもしないようなところへだって、陽平は気の向くままに飛び込んでいく。そんな瞬発力は東京では求められていないからか、最初は怜の目には無粋に映った。だが徐々に、いつのまにか、考えなしのおせっかいだと思っていた陽平の行動に対する評価が変わっていることに、自分でも少し驚いている。
「そのキーホルダー、俺らおそろじゃけん」
ほら見てみ、と陽平が自分のスクールバッグにつけているそれを指差す。そこには真っ赤なさくらんぼの点がまぶしいメロンソーダのモチーフがぶら下がっている。
「怜は?」
そう聞かれてまだつけていない自分用のキーホルダーを鞄から取り出した。一見パフェみたいなバナナミルクのキーホルダーだ。
てっきり陽平は東京タワーとかスカイツリーなんかが全面に押し出されたベタな土産を選ぶと思っていたので、これにしようと言い出した時、怜の方がためらってしまった。
「好きな飲み物にしよや。怜はこれかこれ、俺はこれかなー。あ、樹は絶対これじゃ」
陽平が怜や樹の好みを知っていることにまず驚いたし、怜自身も彼らの好みに何となく察しがついたことに、困惑した。
いつの間に、こんなに。
その先を考えることは無意味な気がしてやめた。陽平に逆らう確固たる理由も思いつかず、流されるままに土産を手にして怜は今ここにいる。
「すげー嬉しい。俺もつけよっと」
樹が立ち上がってスクールバッグにキーホルダーをつけ始めたので、怜も自分の分を鞄のファスナーにとりつけた。高価ではないけれど東京で買ったブランド物のバッグなのに、そんな子どもっぽいものをぶら下げるなんて少し前の自分なら絶対にしない。けれどそれほど個性的な色でも形でもないバナナミルクは、思っていたほど邪魔にはならないし、それがかえってしっくりきた。
「それにしても樹の部屋って、樹っぽいな」
「確かに」
怜も陽平に同調してしまうほど、一歩足を踏み入れた瞬間から、この部屋の空気が樹そのものだと感じていた。
「何、俺っぽいって」
「チャラい」
ひど、と樹が笑う。その丸みのない横顔に間接照明の淡い光が差して、陰影をくっきりと浮かび上がらせた。
ぼんやりとした小さな照明が部屋のあちこちで、洒落た置きものや観葉植物を照らしている。無造作に壁にかけてあるように見えるスウェットも、床に転がしてあるスニーカーも、机の端に無数に並んでいる香水の瓶も、“樹に所属している”感じがする。おない年なのに、と怜が自分の子どもっぽい部屋のことを考えていた、その時。陽平が眉間に皺を寄せ、樹、と呼んだ。いつもよりずっと低い声で。
「お前、大人の階段登ったんか」
その手には0.01ミリと描かれたシンプルな箱が握られている。蓋は開いていた。
「陽平、人の部屋漁りとかゲスいな」
いやいやいやいや、と陽平の片手がぱたぱたと宙を切る。
「ベッドの下に転がしとる樹がゲスいんだろが。俺今手当たっただけじゃし。こっちがビビったわ。しまっとけ」
陽平が渡した箱を、樹はベッドサイドの引き出しにしまった。怜だったら恥ずかしくて顔を覆ってしまうだろうという状況を、二人はごく慣れた調子で笑い合っている。高校生同士が付き合えばそういう段階を踏むことだってあるとは分かっていても、いざクラスメイトの生々しい一面に不意打ちされると、どうしても怖気付いてしまう。口角を上げて弱気な自分を隠してはいるが、心の内ではここは田舎だもんな、中学生のころから異性とのお付き合いぐらいしか娯楽がないもん、しょうがない、と懸命に唱えている。こんなところにまで都会育ちのアイデンティティを引っ張ってきた自分が情けない。
その後、陽平は樹のベッドの上にさらなる土産を並べた。怜は知らなかったが、キーホルダー以外にも買ってきていたらしい。見た目に似合わずマメな性格だ。東京限定のスナック、要冷蔵と書かれているのにしばらくスクールバッグに入れっぱなしだったであろう生菓子、それから東京限定うまい棒。三人で食おうと思って、と陽平はどんどん開封していく。
「これ、アマゾンで買えるよ」
怜がそう指摘すると、陽平は「お前にはやらん」と袋いっぱいのうまい棒を抱え込んだ。
「そんなこと言わずに、ほら怜も食べな」
樹はまるで自分の物みたいに、怜に生菓子を差し出してくる。四角い石鹸みたいなそれは、口に入れるとチョコレートの味がする。改めて箱を見てみるが、怜の知らない銘菓だった。東京に住んでいたって、知らない食べ物なんてごまんとある。だから怜がその生菓子について知らなかったのは、別に何も不思議ではない。とても美味しいし。
でも。
こんなふうに、遠く離れた場所で東京で流行っているものを味わっている。それはどこか疎外感にも罪悪感にも似た薄暗い感情を、怜の心の隅に置いていった。
「めーーーーっちゃ楽しかったよ、東京」
口のはじにうまい棒の粉をつけた陽平が、東京に来なかった樹に堂々と感想を述べている。片手に持った携帯には、陽平のドアップ写真。スクロールするたびにひどくぶれた景色が現れ、何やってんだと笑いがおこる。まだ東京駅にたどり着いてもいない段階なのに、その下手な写真から陽平の高揚がまっすぐ伝わってきた。修学旅行そのものより、今ここで三人で追体験する方が面白いのは、一体どうしてだろう。
帰り際、玄関先でもなお、陽平は修学旅行について熱弁していた。怜が陽平の背中を押し、無理やり扉の外へ押し出してやらねばならなかった。
「じゃあまた学校で」
そう言って陽平と二人、樹の視線を背中に感じながら住宅街の薄暗がりに身を投じる。悲しげな犬の遠吠えが聞こえ、怜は今日の夕飯について考えていた。無意識に陽平の歩数を数えながら。
「どうしたの?」
きっちり七歩進んだところで、突然陽平が止まった。街灯の光の中、振り返ったその顔は、言葉を発する前から抱えきれないほどの期待と喜びで綻んでいた。
「夏休みに修学旅行やり直さん? 三人で」
東京へ向かう新幹線の中で陽平がそう聞いてきて、怜は返答に困った。樹が修学旅行に参加しなかった理由が本当にだるいだけなのかは、分からないではないか。それを真に受けて、これ見よがしに土産など持って行くのは、配慮に欠ける気がしたのだ。だいたい、樹が何を喜ぶのかすら知らない間柄なのだから、何を買っていっても迷惑なのではないか。
黙っている怜の横で、陽平は「食い物は残らんし、物にしよや」と言いながら携帯で検索を始めてしまった。
そうして選んだ(ほとんど陽平の独断で)土産はようやく、樹の薄いてのひらの上に着地した。本棚の置き時計は五時半を指している。一時間前に送迎バスで修学旅行から帰ってきたばかりで、一旦それぞれの家に荷物を置いてからすぐ樹の家へ来た。明日にしようという怜の言葉を、陽平が全く聞かなかったからだ。
「えーっ、何これ……」
樹の口が開いたまま静止し、いつも涼しげな目元から眼球がこぼれ落ちそうになっている。一応、陽平と二人で購入したのだ。怜も多少の責任は感じているので、その後の樹の表情を注意深く観察した。
「よかろ? アイスコーヒーじゃって」
「見たらわかる。そうじゃなくて……」
樹はナスカンの部分をつまみ上げ、ちいさなアイスコーヒー型のチャームを揺らした。どこにでもあるキーホルダー。でも、樹はよく自販機で買ったコーヒーを昼休みに飲んでいるから、飲み物としては好きなはずだ。グラスに入ったそれは何とも言えない深い色味を帯びていて、中の氷まで細かく再現されている。大量生産品だから、もらってもそんなに負担にもならない。
ありがと、と樹は堪えるように口元に手をやったが、満面の笑みは隠しきれていない。自分では決して引き出せなかったであろう表情を見て、怜は陽平の気配りに感心した。
陽平はいつもこうだ。怜みたいに、自分なんかが踏み込んで相手の気持ちを害したらどうしようなどという、自分にとっての不都合を計算しない。そもそも怜なら踏み込んでいこうなんて考えもしないようなところへだって、陽平は気の向くままに飛び込んでいく。そんな瞬発力は東京では求められていないからか、最初は怜の目には無粋に映った。だが徐々に、いつのまにか、考えなしのおせっかいだと思っていた陽平の行動に対する評価が変わっていることに、自分でも少し驚いている。
「そのキーホルダー、俺らおそろじゃけん」
ほら見てみ、と陽平が自分のスクールバッグにつけているそれを指差す。そこには真っ赤なさくらんぼの点がまぶしいメロンソーダのモチーフがぶら下がっている。
「怜は?」
そう聞かれてまだつけていない自分用のキーホルダーを鞄から取り出した。一見パフェみたいなバナナミルクのキーホルダーだ。
てっきり陽平は東京タワーとかスカイツリーなんかが全面に押し出されたベタな土産を選ぶと思っていたので、これにしようと言い出した時、怜の方がためらってしまった。
「好きな飲み物にしよや。怜はこれかこれ、俺はこれかなー。あ、樹は絶対これじゃ」
陽平が怜や樹の好みを知っていることにまず驚いたし、怜自身も彼らの好みに何となく察しがついたことに、困惑した。
いつの間に、こんなに。
その先を考えることは無意味な気がしてやめた。陽平に逆らう確固たる理由も思いつかず、流されるままに土産を手にして怜は今ここにいる。
「すげー嬉しい。俺もつけよっと」
樹が立ち上がってスクールバッグにキーホルダーをつけ始めたので、怜も自分の分を鞄のファスナーにとりつけた。高価ではないけれど東京で買ったブランド物のバッグなのに、そんな子どもっぽいものをぶら下げるなんて少し前の自分なら絶対にしない。けれどそれほど個性的な色でも形でもないバナナミルクは、思っていたほど邪魔にはならないし、それがかえってしっくりきた。
「それにしても樹の部屋って、樹っぽいな」
「確かに」
怜も陽平に同調してしまうほど、一歩足を踏み入れた瞬間から、この部屋の空気が樹そのものだと感じていた。
「何、俺っぽいって」
「チャラい」
ひど、と樹が笑う。その丸みのない横顔に間接照明の淡い光が差して、陰影をくっきりと浮かび上がらせた。
ぼんやりとした小さな照明が部屋のあちこちで、洒落た置きものや観葉植物を照らしている。無造作に壁にかけてあるように見えるスウェットも、床に転がしてあるスニーカーも、机の端に無数に並んでいる香水の瓶も、“樹に所属している”感じがする。おない年なのに、と怜が自分の子どもっぽい部屋のことを考えていた、その時。陽平が眉間に皺を寄せ、樹、と呼んだ。いつもよりずっと低い声で。
「お前、大人の階段登ったんか」
その手には0.01ミリと描かれたシンプルな箱が握られている。蓋は開いていた。
「陽平、人の部屋漁りとかゲスいな」
いやいやいやいや、と陽平の片手がぱたぱたと宙を切る。
「ベッドの下に転がしとる樹がゲスいんだろが。俺今手当たっただけじゃし。こっちがビビったわ。しまっとけ」
陽平が渡した箱を、樹はベッドサイドの引き出しにしまった。怜だったら恥ずかしくて顔を覆ってしまうだろうという状況を、二人はごく慣れた調子で笑い合っている。高校生同士が付き合えばそういう段階を踏むことだってあるとは分かっていても、いざクラスメイトの生々しい一面に不意打ちされると、どうしても怖気付いてしまう。口角を上げて弱気な自分を隠してはいるが、心の内ではここは田舎だもんな、中学生のころから異性とのお付き合いぐらいしか娯楽がないもん、しょうがない、と懸命に唱えている。こんなところにまで都会育ちのアイデンティティを引っ張ってきた自分が情けない。
その後、陽平は樹のベッドの上にさらなる土産を並べた。怜は知らなかったが、キーホルダー以外にも買ってきていたらしい。見た目に似合わずマメな性格だ。東京限定のスナック、要冷蔵と書かれているのにしばらくスクールバッグに入れっぱなしだったであろう生菓子、それから東京限定うまい棒。三人で食おうと思って、と陽平はどんどん開封していく。
「これ、アマゾンで買えるよ」
怜がそう指摘すると、陽平は「お前にはやらん」と袋いっぱいのうまい棒を抱え込んだ。
「そんなこと言わずに、ほら怜も食べな」
樹はまるで自分の物みたいに、怜に生菓子を差し出してくる。四角い石鹸みたいなそれは、口に入れるとチョコレートの味がする。改めて箱を見てみるが、怜の知らない銘菓だった。東京に住んでいたって、知らない食べ物なんてごまんとある。だから怜がその生菓子について知らなかったのは、別に何も不思議ではない。とても美味しいし。
でも。
こんなふうに、遠く離れた場所で東京で流行っているものを味わっている。それはどこか疎外感にも罪悪感にも似た薄暗い感情を、怜の心の隅に置いていった。
「めーーーーっちゃ楽しかったよ、東京」
口のはじにうまい棒の粉をつけた陽平が、東京に来なかった樹に堂々と感想を述べている。片手に持った携帯には、陽平のドアップ写真。スクロールするたびにひどくぶれた景色が現れ、何やってんだと笑いがおこる。まだ東京駅にたどり着いてもいない段階なのに、その下手な写真から陽平の高揚がまっすぐ伝わってきた。修学旅行そのものより、今ここで三人で追体験する方が面白いのは、一体どうしてだろう。
帰り際、玄関先でもなお、陽平は修学旅行について熱弁していた。怜が陽平の背中を押し、無理やり扉の外へ押し出してやらねばならなかった。
「じゃあまた学校で」
そう言って陽平と二人、樹の視線を背中に感じながら住宅街の薄暗がりに身を投じる。悲しげな犬の遠吠えが聞こえ、怜は今日の夕飯について考えていた。無意識に陽平の歩数を数えながら。
「どうしたの?」
きっちり七歩進んだところで、突然陽平が止まった。街灯の光の中、振り返ったその顔は、言葉を発する前から抱えきれないほどの期待と喜びで綻んでいた。
「夏休みに修学旅行やり直さん? 三人で」
