一人になりたいのに、田舎の陽キャと訳あり年上男子が二人がかりで迫ってくるんですけど。

校庭を囲んでいる桜の木々が、さわさわと揺れた。すがりついていた最後の花弁たちが、巻き上げられた砂埃とともにグラウンドへ消える。
 怜の前に座っている茶色い頭も、教壇から外へと視線を移す。それから持っていたシャーペンの先で、後頭部をかりかりと掻いた。そのがっちりとした手首には、三本の太いヘアゴムが巻き付いている。
 瀬戸内海に面したこの小さな街唯一の男子校にもSNSの波は当然届いており、男子校生が手首にヘアゴムをつけて彼女の有無を表明することが流行っている。それに加えてローカルルールもあり、この片田舎では三本つけていると彼女募集中という意味になる。つまり、仙波(せんば)陽平は彼女がほしいのだろう。二本だったらどうなのか、その辺は知らない。高見(たかみ)怜に、そんな他愛のないことを聞ける友達はいない。まあ、別に僕には関係ない。
「これ、パイセンに回して」
 振り返った陽平が、怜にルーズリーフの切れ端を渡してきた。そこには雑な字で「親愛なる樹パイセン、今度女子紹介して♡ 陽平より」と書いてある。パイセンとは、怜の後ろの席の知野(ちの)樹のことだ。標準語を話すあたり、怜と同じで彼もおそらくここが地元ではないのだろう。堂々としているが品があり、そこらの男子とは落ち着きのレベルが段違いなので、まるで先輩のように敬われている。さっきの休み時間にそのパイセンこと樹に彼女がいるということで周囲は盛り上がっていた。男子校生にとって女子とは、存在するのに滅多に出会えない夜行性の天然記念物みたいなものだ。積極的に探しにいかなければ向こうから姿を現すことはない。運よく見つけたところで、必ずしもつかまえられるとは限らない。男子校での彼女持ちは希少な勇者であり、情報提供者であり、媒介者である。怜はその紙をぐしゃりと潰してしまいたい衝動をこらえて、無言で後ろへ回した。だいたい怜は彼らの会話に参加していなかったし、樹と話したこともないのに。
 教壇の上、白髪混じりの教員がホワイトボードへ文字を書き始めるのと同時に肩を叩かれ、怜は受け取った紙を樹から陽平へ戻す。メモ用紙は二つに折られていて、何が書かれていたのかは分からない。
 すぐに陽平が振り返って新しい紙切れを渡してきた。怜はうんざりする。今度は苛立ちを隠さず、受け取りを拒んだ。陽平が驚いたので、内心ほくそ笑んだ。僕を顎で使うなんて百年早いんだよ、と思いながら。
 しかし陽平は怜の方を向いたままだ。「高見もやれや」とささやきながら、その紙を怜の教科書の上に置いた。
 やる? 何を?
 渡された紙きれに目をやると、絵しりとりと上に書かれていた。そのすぐ下に、奇妙な生き物が描かれている。いや、目と鼻らしきものがあるからとりあえず生き物だと認識したが、確証はない。
「終わったらパイセンに回して」
「はぁ?」
 自分の声の大きさに自分であわてているうちに、陽平は前を向いてしまう。仕方がないので適当な絵を描いて、後ろへ回した。それにしても、陽平の下手な絵を解読できたことを褒めてほしい。
 親の仕事の関係で、怜が東京から引っ越してきて半年以上が過ぎた。生まれ育った場所から離れることに多少の抵抗はあった。反抗期や大学受験を振りかざしてもっと派手に抵抗していればよかったと後悔したのは、住み始めてからだった。広い空、そびえる山脈、けっこう遠いコンビニ、初めて聞く方言、何より田舎者丸出しの高校生たち。あ、これは無理だな、と思った。僕はここに馴染めないし、馴染みたくない。そう思っているうちに二学期が終わり、三学期も終わり、二年生になったのに、怜が一部の学生からまだ転校生と呼ばれているのは、そういう理由だ。
 すぐに肩を叩かれて、樹から紙を受け取る。そこに描かれた絵は、三人の中で一番上手だった。陽平の絵に矢印がついていて「怜すごない? これの答えあとで教えて」と硬筆の先生みたいな字で書いてあり、怜はすこし見とれた。この地域で怜を怜と呼ぶのは親だけだ。それは怜にとっての地元、東京で使うべき本名という感じがしていて、ここでの自分の存在は名無しみたいなものだった。高見くん、高見、転校生、あの東京から来た子。記号みたいに呼ばれることにどこか安堵していたのに、話したこともない樹からいきなり名前呼びをされても、嫌な感じはしなかった。胸のうちがざわざわして、戸惑いはしたが。
 樹に比べると、陽平の属性は分かりやすい。学校指定のブレザーよりも体操着の方がかっこいいと思っていて、毎朝教室に着くなりブレザーからジャージに変えるような人間。まだ肌寒くても腕まくりをして、シャツの下に派手な色Tシャツを着て、ゴテゴテしたアクセサリーをつけて、全身で自己主張をする。そして新学期初日に何のためらいもなく「やっべ、俺筆箱忘れたわ。高見ペン貸してや」とろくに話したこともない怜のペンケースを勝手に漁ったりする気さくさ(図太さとも言う)を持っている。怜は逆に彼が何を鞄に入れてきたのかを知りたかったが、関わりたくない気持ちの方が大きく、黙っていた。その日貸したペンは当日には帰ってこず、翌日にうまい棒付きで帰ってはきたのだが、怜はペンだけを受け取った。
 それ以来、席が前後だという理由だけで陽平は友達のように振るまってくる。授業中にメントスを配ってきたり(おそらく共犯者が欲しいのだろう)、休み時間に次の移動教室はどこか聞いてきたり、SNSでつながろうとしてきたり。怜が無表情で応える度に、陽平は「高見はかわいげないわ」とあっさり引く。なのに次の瞬間には「高見宿題見せてや」とまるで怜の無言の拒絶など最初から受け取らなかったかのように笑いかけてくる。
 内心呆れを通り越して羨望の眼差しを向けている。こんなに冷たくあしらっているのに、伝わっていないのか、それとも伝わっているけれど怜の意図を無視しているのか。
 他人の心中など自分に分かるわけもない。分かる必要もない。そう思ったときに、再び肩を叩かれた。
 樹から回ってきた紙切れには、またよく描けた動物が増えている。線ひとつとっても、樹のものには強弱があり、緩急があり、呼吸がある。全体像を立体的にとらえることに長けているのかもしれない。彼自身も、どこか一歩引いた場所から物事を眺めているような節がある。
 隙を見て、前に紙を回す。それを受け取った陽平は見るやいなや振り返り、
「パイセンって漫画読まんのん?」
 と、怜を通り越して樹を見た。陽平の描く絵が流行りの少年漫画からの引用ばかりだから樹に伝わらないのだと思ったようだ。単純に自分の絵が下手だという可能性については考えもしない。その自信はどこから出てくるのだろう。
 怜の背後からは、何の応答もない。それもそのはず、樹は、というか、教室中の視線はいま、教師に注がれている。陽平をのぞいて。
「仙波くんは授業中におしゃべりするほど余裕があるんじゃね。ほな、問題二をやってもらおか。ちょっと前に行って板書して」
「えっ」
 すぐ側に立っている教師を見上げ、陽平はようやく自分の置かれている状況を理解したようだ。陽平が目でこちらへ助けを求めてくるのではないかと危惧した怜は、下を向いてノートを取るふりをする。連行される容疑者みたいなその背中をちらりと見やったとき、後ろかくすくすと樹の小さな笑い声がした。