一人になりたいのに、田舎の陽キャと訳あり年上男子が二人がかりで迫ってくるんですけど。

神様がいる。
 そんな馬鹿げたことも本気で信じられるくらい、僕らの心は透明だった。
 この世の全ての色をちりばめたような海にひざの上まで侵食を許すと、身体中を夏がかけめぐる。
「樹(いつき)、怜(れい)、写真撮ろや」
 教室だったら絶対に断っていただろう陽平(ようへい)の誘いに、誰ひとり迷いなくのる。両肩から伝わってくる、樹と陽平の体温。それぞれの制汗剤の匂いと、潮騒のささやき。重ねた肌の湿り気も全く気にならないほど他人に近づくのは、怜にとっては久しぶりだった。それを久しぶりだと感じさせないほど自然に、三人の親密さはそこにあった。
「いかんわ、俺のカメラしょぼすぎてみんな真っ黒なんじゃけど。お前ら携帯は?」
「充電やばくて、置いてきちゃった」
「俺も。どうせ電波ないし」
「ほんならこのいにしえのアイフォンで撮りまくるしかないな。奇跡の一枚出るまで」
 陽平の携帯では背後の夕日が明るすぎて、鮮明な写真が撮れない。何度試しても、誰かが見切れたり、ぶれて残像のように映ったり、フラッシュで目が赤くなったりしてしまう。それでも良かった。それらの写真の中では誰もが大口を開けて、笑っていた。顔を寄せ合って写りを確認し、そのクオリティの低さにまた笑う。
 強い波が陽平の足もとを狙う。発した奇声とは裏腹に、体幹の安定した身体はぐらつきこそすれ、転けることはない。「そこは思い切りこけるとこだろー、陽平っ」とがっかりした樹が投げた貝は、波間を抜けて二回跳ねた。怜は安心した。もし今水着も着ていない陽平が派手に波の上に転んだりしていたら、笑いすぎで腹がちぎれてしまうかもしれないと真面目に心配していたからだ。
「おいおい陽平、今水かかったんだけど?」
 モスグリーンのシャツにできた大きな染みを指差し、樹は陽平につっかかった。
「ごめんわざっと。昼間の恨みじゃ」
 だっせーな、と樹が陽平の肩を軽く叩いて怜を見やる。
「こいつ、お姉さんの誘い俺が断ったことまだ根に持ってんだよ」
「樹の断り方、すごい慣れてる感じしたよね。僕は何て言えばいいのか分かんなかったから、助かったよ」
 陽平が「俺はあのお姉さんたちにたこ焼きあーんとかされたかったんじゃ。くっそ」と波を蹴った。海外の彫刻作品みたいなふくらはぎが高く振り上げられ、コンマ三秒のうちに光の粒が降ってくる。
「陽平、ちょっと何するのっ。めっちゃ濡れたじゃん!」
「食べ物の恨みは恐ろしいんぞ!」
「あんときみんな昼飯で腹一杯だっただろうが。陽平だってもう食えないっつったじゃん」
「ていうかそれって食べ物の恨みじゃなくてお姉さんへの未練じゃないの」
「どっちでもええわ。俺はたこ焼きもお姉さんも好きなんじゃ」
「うわっ、もう!」
 とばっちりだと思った怜は樹の背後に隠れた。樹が怜をかばうように両手を広げたので、もうこれ以上服を濡らしたくなかった怜は、その広い背中に飛びついた。瞬間、樹の耳裏あたりから、爽やかな夏の残り香が漂う。おっと、とよろめいた樹はそれでも倒れない。怜を荷物のようにひょいとおぶり直したところで、陽平がにっこり笑った。あ、これは攻撃されると気づいたときには、バシャバシャと海水を喰らっていた。
「待って待って、俺だけハンデありすぎだろ。怜、降りて」
「やだよっ。僕だけ背が低いから、そっちの方がハンデだと思う」
「怜にハンデなんかいらん。お前みたいに海で真っ白のロングパンツなんか履いてかっこつけとる奴はずぶ濡れで泣いとれ」
「別にかっこつけてないっ」
「はははっ、昼間のお姉さんは怜狙いだったからな」
「俺もめっちゃ狙われとったし! 俺の筋肉が一番かっこええだろがっ」
 ざぶん、と波に合わせて陽平が蹴った海水が、再び頭から降り注いだ。
「こいつっ」
 怜が降りる決心をするより一歩早く、樹は陽平に突進していった。それを迎えうつ陽平が樹の腕をがっちりつかみ、波の上になぎ倒す。それぞれが弾けたポップコーンみたいに手や膝や尻もちをついたところを、無情な白波が洗い流していく。
「やば、携帯!」
 あっぶねー、と言う陽平の澄んだ声。教室の外にいてもはっきりと存在を知らせるその声も、ここでは波音にかき消されてしまいそうだ。だからかもしれない。いつもよりもずっと距離が近いのに、僕らは大きな声で話す。できるだけ、自分の声を届けたくて。
 目が合う。最初に吹き出したのは、陽平か、怜か、それとも樹か。海水で肌にシャツがはりついて、転げ回った身体のあちこちに砂がついて、そんなことがどうしようもなく愛しく、おかしかった。
 陽平の笑顔なんか、教室で毎日見ている。なのにこの時、確かに怜の胸は彼の笑顔にしめ付けられた。きゅうっと、音がなるように。陽平が楽しいと僕も楽しい、怜は心からそう思った。
 すぐ隣には樹がいて、同じように腹を抱えて転げ回っている。一日の終わりを告げるオレンジの光に、彼の耳のピアスがちいさくきらめく。この大人びたクラスメイトも、僕らと同じようにくだらないことで笑うのだ。それを知れたことに、言いようもない優越感を感じた。
 永遠に伸びる水平線。
 夕日は沈まない。
 夏は終わらない。
 そんな気がしたのはきっと、そう願ったからだ。三人の想いがひとつになって、波打ち際によせては返す。来年も再来年も、こうしてずっと。
 怜は知らなかった。知りたくなかった。
 陽平がここから旅立っていくこと。
 樹が後ろに隠しているもの。
 これが最初で最後の三人の夏になることを。