ショートカット・スウィートケーキ

「いつから、吹っ切れてたの? あいつへの気持ち」

 先輩の瞳に捕らえられた今になって分かる。ケーキを食べに行くことに誘ってもらえて、次があったんだって私は浮かれていて、忘れかけていたけれど。宵宮のときに先輩に伝えてから、一度も「いつから?」って聞かれていなかった。
 けれど、先輩からしたら、それは気になるに決まっているじゃないか……!

「えっと……。はっきりと、いつからかっていうのは、分かんないんですけど……。でも、いつの間にか薄れてて……」
「結構前って? 高校に入るときは?」
「……えっと。そのときは、たぶん、もう……」

 返す言葉が曖昧になる。

「はぁ?」
「ご、ごめんなさいっ」

 フォークはケーキを切り分けたきり動かせなくて、止まってしまった。なにをどう答えても、先輩への気持ちが溢れ出てしまいそうで、先輩の目を真っ直ぐに見ることができない。
 先輩は、しばらく黙り込んだあと、深い溜息を吐き出した。

「なんでもっと早く言わねぇんだよ」
「す、すみません」
「俺、すげぇいらない心配ばっかしてたってこと?」
「……そういうわけじゃ……」
「いや、そうだろ。まぁ、翠が今もしんどい思いしてないって分かったのは、良かったけど……」

 もう一度聞こえてくる溜息。ゆっくりと視線を戻すと、先輩は頬杖をついて私を見ていた。むすっと不機嫌そうな表情で。

「で? 俺にはそれを話せないくらい信用なかったってわけ?」

 じとっとした低い声に、私は肩を竦める。

「別にそれ聞いたからってからかったりもしねぇんだけど」
「それは、分かってます……!」
「あーあー。俺、翠の失恋を癒すために、結構頑張ったと思ってるんだけどなぁ」
「内海先輩、それは……」
「寂しいわぁ」と、大袈裟に拗ねたふりをする先輩の声を、
「だ、だからです……!」

 思わず遮ってしまう。先輩は頬杖をついていた手から、少しだけ頬を浮かせて私を見た。

「だって、そう言ったら、もう先輩に髪切ってもらう理由なくなっちゃうって思って……」

 急かすように鼓動を速めた心臓に、言葉が押し出されてしまった。私は両手で口元を隠す。ぐるぐると思考が巡る。

「え?」

 戸惑ったような先輩の声に、背筋に嫌な汗が伝った。
 中学二年のあの日。茹だるように、暑かった日。「ごめん」と謝った千昭の声が、頭の中で何度も何度も繰り返されて、震える息を吐き出した喉がひりひりと痛む。

「ち、違うんです」

 絞り出すように出した声は、少しだけ掠れてしまった。勢いをつけるために、両手を顔の前で振る。

「変な意味じゃなくって! 先輩、とっても髪切るの上手なので!」

 少しだけ大きくなってしまった声が、人のあまりいない店内にやけに響いた気がした。先輩が、まるで観察でもするように、じっと私を見つめている。私は、それ以上言葉を続けることができなくて、唇を引き結んだ。
 窓際の席。夏の日差しを浴びた、アイスティーの入ったグラスは汗をかいて、コースターをじんわりと濡らしていく。私は少し視線を下げて、それを見つめていた。長い時間……いや、もしかすると、たったの数秒だったのかもしれないけれど、会話がなくなって落ちる沈黙が、私にはとても長く感じた。

「……切るよ」

 先輩の声が聞こえて、私は顔を上げた。

「今、なんて……」
「だから、別に、髪くらい切るって言ってんの。そんな理由、なくなっても」

 心臓が、今度は違う音で鳴り始める。

「そんな理由でやめるくらいだったら、『可愛い』なんて言ってねぇよ、俺」

 溶けた氷がぶつかる音にさえかき消されてしまいそうなくらい、ぼそっと呟かれた声が、私の鼓膜を静かに揺らした。

「ごちそうさま」

 私が聞き返すよりも早く、先輩は、自分の目の前にあったケーキをパッと平らげると席を立つ。

「じゃあな」

 伝票を持ち、ひらりと手を振って、先輩は私の視界から外れた。
 テーブルには、食べかけのマスカットケーキと、先輩の姿を目で追うことすらできなかった私が取り残されていた。