ショートカット・スウィートケーキ

「翠、次、いつ暇?」

 カウンター越し。内海先輩からかけられた思いがけない言葉に、私はその場で数秒フリーズしてしまった。

「これ。俺、翠と行きたいんだけど」

 固まったままの私なんてお構いなしに、目の前にぴらりと差し出されたチラシ。それは、つい先日、先輩に髪を切ってもらったあとに一緒に行ったパティスリーのものだった。

「期間限定フルーツケーキ特集……」

 チラシに書かれていた文字をぽつりと読み上げる。マンゴーやマスカット、キウイなどの夏らしいフルーツで爽やかに彩られたケーキの写真。
 先輩が、好きそうなものばかり。

「……私と、行くんですか?」

 先輩の顔を窺い見る。先輩は「だからそう言ってんじゃん」とチラシをカウンターの上に戻して、トントンと指先で叩く。

「で。いつなら、一緒に行ける?」

 当たり前のように尋ねられる『次』。髪を切ったあとのお礼でも、失敗をしてしまったあとのお詫びでもない。ただの『なんでもない日』に食べるケーキの約束。
 心臓の音が大きくなる。指の先にまで熱が灯るような感覚。

「ら、来週の月曜日以外なら、いつでも!」

 返した声は、自分が思っていたよりも前のめりで、大きなものになってしまった。

◇

 週が明けて、月曜日。今日は実行委員の二回目の会議がある日で、私は学校に来ていた。先輩との約束は明後日の水曜日に決まって、少しだけ気持ちが浮ついている。それが顔に出ないように気をつけないと……。
 気持ちを切り替えるために、小さく息を吐いたそのとき、花壇が目に留まった。終業式の日、私が帰りに水をやった花壇。どの花も、あの日より元気がないように見える。茎が俯き加減で、少しだけしなしなとした花びら。土も乾いているような……。夏休みも緑化委員のメンバーで水やりの当番を割り振ったけれど……。
 花壇のすぐ傍に繋がれた蛇口と水やり用のホースを見る。そこに書かれている当番表を見ると、三日前からチェックがついていない。

「え? 三日間もお水もらってないってこと?」

 最後に雨が降ったのは、先輩の家に浴衣を返しに行ったときだったから、もう少し前だし……。

「どうしよう、お水……」

 今からあげたいけれど、もうあと十分くらいで会議の時間になってしまうし……。花壇から会議室までの距離、それから残り時間を脳内で算出する。水をやっていたらギリギリ間に合わないかもしれない。
 ごめんね、と花に謝りながら、足を校舎のほうへと進める。もしかしたら、まだ当番の人が来ていないだけかもしれないし……。
半袖の制服から露出した腕に、日光が当たる。じりじりと焼けるように熱くて、私は足を止めた。

 肩に掛けていたスクールバッグをその場に置いて、ホースのほうへと早足で戻る。ホースの先をしっかりと片手で握ってから、蛇口を全開までひねった。日に当たってお湯のようになっている水がホース越しに私の手に伝わってくる。それがようやく冷たくなったタイミングで、私はホースの先をぐっと親指で潰した。シャワーのように水が散って、花の上に降り注ぐ。水がかかって周囲の気温が少し下がったからだろうか。花の声とかそういうのが分かるわけではないけれど、花たちが一斉にホッとしたような気がして、私も胸を撫で下ろした。

「暑いから、いっぱい水を飲むんですよぉ」

 そう、花に小さく声をかけた瞬間。

「翠? 何してんの?」

 急に後ろから声をかけられて、びくっと跳ねるように振り返ってしまった。

「翠ちゃん、おはよぉ。お花の水やり?」

 振り返った先、千昭と九条さんが私を見て不思議そうに首を傾げている。

「あ、うん。私、緑化委員会で。ちょっと何日か、当番の人が忘れちゃってたみたいで。でも、夏休みに来るってなかなか大変――」

 そう言葉を返したとき。九条さんの「はぁ!?」と言う高い声に遮られた。

「えっ、え?」
「翠ちゃん、緑化委員会にも入ってるの!?」

 ツカツカツカと九条さんの可愛らしい顔が眼前に迫る。その鬼気迫る迫力に、私の喉が小さく「ひっ」と悲鳴を上げた。

「う、うん」
「学級委員もやってるんだよね!? 文化祭実行委員も!」
「そ、そうだね」
「働きすぎじゃない!?」
「そう、かな……」

「そうだよ!」と九条さんは、なぜか少しだけ怒っている様子で頬を膨らませる。

「翠って昔からこういうところあるよな」

 千昭も九条さんの隣で、溜息まじりに苦く笑った。

「こういうところ……?」

 私が首を傾げると、

「お人好しってこと」

 千昭と九条さんの声が綺麗に重なった。

「あー、もう会議始まっちゃうよ! 私も手伝うから、急ごう!」
「俺も手伝う」
「もう水やりは終わるから、ふたりは先に――」
「じゃあ、片付け手伝うから!」

 また千昭と九条さんが同時に私を振り返って言う。なんだか今日のふたりは息がぴったりだ。

「……ありがとう」

 ふたりに手伝ってもらってホースを片付けながら、私はもう一度花壇を振り返った。
 さっきまで俯いていた花びらから、ぽたぽたと水滴が落ちている。

「翠ちゃん、急ぐよ!」

 九条さんに腕を引かれ、校舎に向かって走り出す。私のスクールバッグは既に千昭が拾い上げてくれていたらしく、バッグをふたつ抱えた千昭が、私たちよりも少し前を走りながら、「早く」と手招いた。
 帰りには、花がもう少し元気になっていたらいいな。そう願いながら、私はもつれそうになる足で九条さんたちについていった。