うーん、ちょっと一人になりたいな。昨日今日と、ずっと大勢の人といたから、そろそろ一人の時間がほしい。今から休憩しに行ってもいいだろうか。人混みから少し離れて、のんびりできる場所があるといいんだけど。
三人とも、気づいてないよね?すぐ戻るから、本当に少しだけ。三人の様子をちらちら伺いながら、私はそっとその場を離れて、先に歩いていくことにした。少し歩くと、人が少なくなってきたので、私はその場にあった石の上に腰かける。リュックを下ろして、中に入っていたペットボトルの水でのどを潤した。
「はあ……」
きっとすぐにみんなも来るだろう。風が木々を通り抜ける音を聞きながら、なんとなく空を見上げる。
虚しくなるくらいの快晴だ。まるで存在しない何者かが私を見下ろしているような気さえしてきて、なんだか少し怖くなる。
不意に、柳瀬の顔が頭に浮かんだ。柳瀬は茂木とは全くちがう意味で、本当に不思議な人だ。今日だって、私は多分一言も柳瀬の声を聞いていない。もしかしたら、この間、修学旅行の班が決まったときに聞いた、「うん」の一言だけだったかもしれない。
それなのに、柳瀬はなにかを見透かしているような気がするのだ。とにかく、柳瀬は読めない。反対に、柳瀬はぜんぶ読んでいるのかもしれない。
「こんなとこでなにしてんの?」
「……えっ」
そんなことを考えていると、ふとだれかの影が私を覆い隠した。思わず顔を上げると、そこには先ほどまで私の頭を支配していた柳瀬の姿があった。
「……柳瀬?」
「そうだけど?」
「な、なんで?」
「なんでって、なにが?」
「なんでここにいるの?」
「結城がいなかったから」
え、いやいや、私がいないって気づいたとしても、わざわざここに来たりなんてしないでしょ。それより、そんなに柳瀬って話せる人だったっけ。なんか意外っていうか、でもこんなふうに淡々と話すのはイメージ通りだったかも。
場ちがいなことばかりが頭に浮かぶ。柳瀬は、表情一つ変えないまま、私を見下ろしていた。それになんだかいたたまれなくなって、自分の横の石をぽんぽんとたたく。
「柳瀬も座ったら?」
「じゃあ座るわ」
そう言って、柳瀬は私の隣に腰かけた。その距離は、人一人入るか入らないかくらい。特にためらう様子も見せない柳瀬に、逆に私がどぎまぎしてしまう。
「で、結城は?ここで何してんの?」
「……別に、ちょっと一人になりたかっただけ」
「ふーん」
そ、それだけ?もっと聞いてこないの?
柳瀬のあっさりした態度に拍子抜けしてしまう。いや、深堀りされても驚くと思うけど。柳瀬って本当に分からない人だ。それなのに、妙に覚えてきているこの安心感はなんなのだろう。
「結城ってさ、意外とつれないのな」
「え?」
「なんか、いつも人に気ばっか遣ってるような気がするから、結城ってなんでも笑い飛ばすんだと思ってた」
「……」
「いやちがう、悪い意味じゃなくて」
柳瀬の言葉に傷つくでもなく、ただ意外に感じた。
別に私のことを分かっていたわけじゃなかった?つれないって言われたのも初めてだし、そんなふうに思われていたのも初めてだ。
それと同じくらい、柳瀬が自分の考えを伝えてくれていることも意外に思った。
「ごめん、ちょっとびっくりしただけ」
「びっくり?」
「うん。私も柳瀬のイメージ、ちょっと変わった。柳瀬って、私に限らずだけど、ぜんぶ見透かしてるんだと思ってた」
「そんなわけないだろ」
「だって、そういう空気まとってる……」
分かんねえ、と柳瀬はつぶやいた。
久しぶりに、こんなに自分が思っていることを素直に伝えたかもしれない。ただなんとなく、柳瀬なら大丈夫だと思ってしまったのだ。
「そんなこと初めて言われた」
「私だって初めてだよ。そんなふうに言われたの」
「そう?」
柳瀬は背負っていたリュックを下ろして、地面に置いた。その一挙一動をなんとなく見つめる。
「他の二人は?」
「さあ」
柳瀬は首をかしげる。
「二人で回ってるんじゃない? それか俺たちがいないって慌ててるか」
「何も言わずに抜けてきたの?」
「それは結城も一緒だろ?」
「う、そうだけど……」
それとこれとは、少し話がちがうじゃん。だって、三人で回るのと二人で回るのとでは、全然違うはずだ。それに、桜木さんは茂木と関わるのは難しいと言っていた。今頃二人には、とてつもなく気まずい空気が流れている予感しかしない。
「戻らなきゃじゃない……?」
「まだいいでしょ。何とかなるよ」
「そういう問題じゃ……」
「人のことばっか気にしてて疲れない?だからここに来たんじゃないの?」
突然、柳瀬に厳しいことを言われて、ぴんっと背筋を伸ばす。柳瀬の言葉は図星で、だからこそ鋭く私に刺さった。
何も言えなくなって、思わず下を向く。柳瀬が、小さくため息をつくのが聞こえた。
「大丈夫だって思ってみたら?ちょっとは生きやすいかもよ」
……あれ、私のこと、励ましてるの?怒ってるんじゃなくて?
ぱっと顔をあげると、思いのほか優しい顔をしている柳瀬が目に映った。てっきり、私のことを非難してるんだと思ってた。ちがうの?だったら、どうしてそんなことを言ってくれるの?
「……うん」
「ん、だからもうちょっとここにいようよ」
強制じゃなくて、選択権は私にあるような言い方。それに安心して、私はもう一度うなずいた。
「でさ、結城にお願いがあるんだけど」
「お願い?」
うん、と柳瀬はうなずく。そちらを見やると、ぱちっと目が合って、そのままそらせなくなった。柳瀬はなぜか真剣そうな顔をしていて、不思議に思う。
「俺と付き合ってくれない?」
「いいよ」
ほぼ、無意識だった。お願い、と言われれば断れず、いつも適当にうなずいてきた結果だ。
「あ、ほんと?」
柳瀬の驚いたような顔を見て、はっと我に返った。
ん?待って、今なんて言った?付き合ってくれない?いやいや、なんで私に?
たくさんのはてなが、私の頭に一気に浮かぶ。あっけにとられて、柳瀬の顔をもう一度見た。
「なんでそんな顔してんの?」
「いやいや、え?ちょっと、もう一回言って」
「付き合ってくれない?」
「……」
柳瀬の表情は、どうしても嘘を言っているようには見えなかった。なにが言いたいのか、さっぱり理解できない。
「どういう意味?」
「そのままの意味。恋人になってほしいってこと」
「な、なんで私に?」
「結城がいいから」
ダメだ。柳瀬がこんなことを言う意味が分からない。私のどこに惹かれたのかだって、まったく想像がつかない。私がいいってなに?なんでそう思ったの?
「あ、別に俺のこと好きじゃなくていいよ。俺もそうじゃないし」
「……は?」
「でも、付き合うってことは決まりな。いいよって言ったの、結城の方だろ」
なんで、私が一方的に振られたみたいな感じになっているのだろう。
私は柳瀬のことが好きじゃないし、柳瀬も私のことが好きじゃない。それなのに、柳瀬は私と付き合いたいらしい。考えれば考えるほど、この状況が分からなくなってくる。
「な、なんでよ。理由が分からないと」
「理由なんかなくたっていいだろ。俺は結城と付き合いたいって、ただそれだけだし」
だから、なんで私と付き合いたいのかが知りたいんだよ。その感情にたどり着いたいきさつを教えてほしい。理由がないわけないでしょ。
言いたいことは山ほどあるのに、どれも言葉にならなくて、渋々うなずくしかなかった。仕方ない、私が適当にうなずいてしまったせいだ。
「付き合うって言っても、具体的になにすればいいの?そういうの、私全然分かんないんだけど」
「恋人らしいこと?」
「例えば?」
「うーん」
柳瀬は首をひねった。
「逆に、結城は恋人らしいことってなんだと思う?」
「……名前で呼び合うとか、一緒に帰ったりとか」
「じゃあ、それぜんぶしよ」
ぜ、ぜんぶって。これから、名前で呼び合ったり、一緒に帰ったりするってこと?
自分で言ったわりに、なかなかしっくりと来ない。世の恋人たちって、なにをしているんだろう。そもそも、恋人らしいとか意識したことすらないけど。
「名前呼びか。じゃ、結城じゃなくて千鶴な」
「わ、分かった。柳瀬って、下の名前……」
「祈里」
「へえ、祈里っていうんだ……」
異性に名前で呼ばれることなんてめったにないので、変に緊張してしまう。それなのに、柳瀬に千鶴と呼ばれることに、なぜか居心地よさを感じていた。
「じゃあ、これから祈里って呼べばいいの?」
「うん。それでいいんじゃない?」
「……祈里」
「なに?」
「ううん、呼んでみただけ」
祈里、か。どういう意味なんだろう。こてん、と首をかしげる祈里を見ながら、ふと思った。もちろん、口にしたりなんてしない。
「祈里って名前、綺麗だね」
「……そうか?」
「うん」
祈里は少しだけ目を見開く。そんなに意外だっただろうか、と不思議に思った。なんとなく、祈里がどこか寂しそうな顔をしているように思えて、ふっと目をそらす。祈里がどうしてそんな表情をするのか、私には分からない。
「なら、千鶴の方が綺麗じゃない?」
「え、な、なんで?」
「千の鶴って書くんだろ。千羽鶴みたいで、すげえ縁起よさそう」
「そうかな」
でも、たしかにまだ私が幼い頃、お母さんがそんなことを言っていたような気もする。千鶴の名前は、千羽鶴からとってるんだよ、って。祈里に名前をほめてもらえたことに、素直に嬉しく感じた。
「えっと、一緒に帰るっていうのは?」
「毎日じゃなくてもいいんじゃね?一人の時間ないと疲れるだろ、千鶴」
「えっ」
なんで分かるの?
思わず、祈里の方を見る。人の目があるときには一人になりたくない。繋がっている人がいなくて、一人ぼっちなのは寂しいし怖い。だけど、人の目もなくて一人でいてもおかしくないときに、一人でいられる時間は好きだし、私にとって必要なものだ。祈里はそれを分かっていたのだろうか。
祈里は、そんな私を見てふっと笑った。
「千鶴のこと見てれば分かるよ」
「……」
「さっきも言っただろ、人に気ばっか遣ってるって」
見透かしてるっていうよりも、人のことをよく見てる、の方が近い気がする。祈里は、人の弱いところもちゃんと分かっているんだ。
「……気遣ってるなんていい言い方するけど、そんな優しいことじゃないよ」
思わず、本音がこぼれる。
それは、祈里なら私のことを分かってくれるかもしれないと、ちょっとだけ期待しているからかもしれないし、聞き流してくれそうだと思っているからかもしれない。
「優しいことじゃない?」
「誰かのためじゃないから。結局全部自分のためなの。私からだれかが離れていっちゃうのが怖いから……」
なにを言っているんだろう、と心のどこかで感じた。こんなこと言ったって意味がないと分かっているはずなのに、勝手になにかがあふれてしまう。
「……なんか、ちょっと本当の千鶴が見えてきた気がする」
「本当の、私?」
「うん。千鶴はそっちの方がいいよ」
……そんなことまで言ってくれるとは、思わなかったな。
祈里の表情が柔らかくなったような気がした。なんて言ったらいいのか分からなくて、口を閉じる。
「自分のためって、誰でもそうなんじゃないの?」
「……え?」
「人に優しくする理由なんて、そんな綺麗なものじゃないんじゃない?見返りを求めて優しくする人がほとんどでしょ。仮に見返りなんて求めてないとしても、相手にプラスの感情を与えたくて優しくするじゃん。それって結局、自分がその感情を与えたい、っていう意思のもと行動してる」
まるで、ひとつひとつ言葉を選んで話すような言い方。その姿が、どこか私と重なってしまって、目が離せない。
……祈里って、こういう考え方もするんだ。なんか、ちょっと意外かも、なんて。先入観にとらわれすぎていただけかもしれない。
「ひどい言い方だけどさ、どうあがいったってぜんぶ自分のためなんだよ。だから、千鶴が自分のこと責める必要なんてない」
ぜんぶ、自分の、ため。
祈里の言葉を噛みしめるように頭の中で反芻する。まるで祈里が私の味方をしようとしてくれているような気がして、ぽっと胸に灯りがともる感覚がした。……でも、本当に祈里が私の味方だなんて、思ってしまっていいのだろうか。
「……そうなのかな」
「少なくとも、俺はそう思うよ」
「……ありがとう」
「……なんで?」
ただ、お礼が言いたくなっただけ。でも口には出さず、小さく息をついて、さっきより雲が多くなった空を見上げる。
そっか、祈里って優しいのか。
当たり障りのない言葉が浮かんだ。きちっと着こなした制服からも見て分かる。
「そろそろ戻る?」
しばらく時間が経ってから、祈里は私に聞いた。
「……もうちょっとだけ、ここにいたい」
「いいよ」
「……いいの?」
自分で言っておいて、なんで驚いているんだろう。祈里といると、まるで自分が分からなくなるような、経験したことのない感覚に陥ってしまう。
「千鶴が望むなら」
そう言って、祈里はふっと笑う。
たった今、そんな祈里の隣が心地いいなんて思ってしまったのは、きっと気のせいなんかじゃないのだろう。
