君の生きる理由になりたかった



次の日も、帰るのは少し名残惜しくて、どこに行くでもなく旅館でおしゃべりに興じたり、スマホで映画を見たりして過ごした。沈黙の時間さえ、愛おしいと思えた。
 
その一週間後、買い物に行くために家を出た。入院している間や泊まりに出かけていた間、お母さんたちにはずいぶん迷惑をかけたので、今日は自分で夕飯をつくろうと考えたから。ちょっとでも、恩返しになればいい。これからもっと、色々なことをしていくつもりだけど。
 
その帰り道のことだった。


「結城さん……?」
 

どこかで聞いたような声が、私の名前を呼んだ。不思議に思いながら、ゆっくり振り返る。


「……っ、立花さん」
 

心臓がひときわ大きく跳ねた。
 
あのころより少し大人っぽくなった見た目。だけど、前みたいな堂々とした感じとかはなくなっていて、なにかに怯えたような目をしていた。
 
なにも言えずに、その姿を見つめる。すると、立花さんは勢いよく頭を下げた。

「北条さんのこと、本当にごめんなさい……!」
 

今さら、都合のよすぎる話だと思った。
 
直接陽菜を傷つけたのは、紛れもなく立花さんだから。暴言を吐いて、物を隠して、陽菜の心をズタズタにした張本人を前にして、簡単に許せるわけがなかった。


「ちょっと、場所変えない?」
 

ここは、歩道の真ん中だ。幸い今は周りに人がいないけれど、普段は人の目がある場所だし。
 
立花さんは、泣きそうな目で私を見つめると、こくんとうなずいた。
 
それから、私たちは近くにあった公園に行き、ベンチに並んで腰かけた。私が声をかけるより先に、立花さんの方から口を開く。


「ずっと休んでるだけなんだと思ってた。それか、転校したのかなって。バカだよね、私」
 

棘のない、柔らかい話し方だった。それでいて自分を責めるような物言いに、過去の私を重ねてしまう。
 
陽菜が亡くなったのは二月だったし、それからすぐに卒業しちゃったから、そう思うのも当然だったのかもしれない。先生は陽菜の件について、公にはしなかったから。たしかに、あの学校で知っていたのは私だけだったのかもしれないな。


「この間、同じクラスの子から聞いたの。立花さんが通ってた中学校に、いじめで亡くなっちゃった人がいるらしいよって。私たちと同じ学年らしいんだけど、聞いたことある?って……」
 

そこまで言うと、立花さんはふっと下を向いた。なんて返したらいいかも分からないまま、次の言葉を待つ。


「中学生のとき、気も強かったし、北条さんのこともそうだけど、悪さばっかりしてたから、高校生になって私の悪い噂が広まっちゃって、全然友達いないんだ。仕方ないよね、こんな私だし。少なくとも、一人の人を殺した人間なんだから、もっと苦しめばいいって思う」

「……立花さん」
 

自嘲気味に、立花さんが笑う。
 
きっと、陽菜と似たような状況に置かれて、気づいたんだろう。
 
こそこそと自分の陰口を言われて、ありもしないような噂を流されて、ひとりぼっちになるあの恐怖と悲しみを、経験して。
 
だから、なんだと思う自分もいる。その反面、この人を守ってあげたいとも思う。
 
相反した感情に板挟みになって、どうしたらいいのか分からない。


「この間、北条さんの家にあやまりに行ったの。許してくれるかな、って甘い考えで行ったんだけど、そんなわけなかった。もう来ないでって……、許すことはできないって、それだけ言われたの」
 

そう言えば、陽彩ちゃんが言ってたな。立花さんのこと、許せなかったって。
 
立花さんは、どんな思いで陽菜の家を訪ねたのだろう。

あやまらずにはいられなかったんだろうな、と思う。
自分のしたことに気付いて、追い詰めていなくなっちゃった人がいることに耐えられなかったのかもしれない。罪滅ぼしのひとつだったのかもしれないな。


「私の好きだった人がね、夏休みが明けてすぐ北条さんに告白したの」
 

遠くを見るような目で、立花さんが言った。


「北条さん、彼のこと振ったんだ。私がなによりもほしかったものを手に入れたのに、そんな簡単に手放すんだと思うと、すごい悔しくて」
 

そんな話は、聞いたことがなかった。
 
立花さんは、苦い表情を浮かべる。


「北条さんはなにをやっても他の人より秀でてたから、なにか一つでも勝ちたいなんて、こっそり思ってたの。いつも少しの差で、北条さんに負けちゃうから。でも、恋愛においてまで北条さんに奪われちゃうのかって思うと……」
 

そっと、立花さんは自分の肩を抱いた。


「だからね、北条さんに全部言っちゃったんだ。『どうして私からぜんぶ奪っていくの……!?みんな陽菜陽菜って、私だって頑張ってるのに……っ!なんで、北条さんだけ……っ』って」
 

諦めたような声で、立花さんは小さく笑った。


「『私、立花さんからなにも奪ってなんかないよ。立花さんが勝手に引け目を感じているだけでしょう? 私に八つ当たりされても困るよ』って、北条さんは言ったんだ」

「……え」

「強いなって思った。でも、それ以上に傷ついて、嫉妬でいっぱいになっちゃって。次の日から、北条さんのことを悪く言い始めたの」
 

そういうことだったのか。
 
ダメなことはダメだと言う、陽菜らしいなと思った。まっすぐで強い陽菜だったから、そんなことを言ったのだろう。
 
そして、穢れていなくてまっすぐなそれは、時に人を傷つけることがある。
 
陽菜はそれを、まだ知らなかったのだろう。


「ごめんね、こんなこと言われても、今さらなにって感じだよね。あやまりたかっただけなの。私の自己満足だから、気にしないで……!」
 

早口でまくしたてるように立花さんはそう言うと、立ち上がって、歩いて行こうとした。衝動的に、立花さんの手首をつかむ。なんとなく、このままじゃいけない気がした。
 
そっと、もう一度立花さんをベンチに座らせる。驚いたような顔で、立花さんは私を見つめていた。


「立花さん、あのね」
 

もしも、立花さんが私たちと同じことで苦しんでいるのなら。自分を許せないのだとしたら。光が見えない、真っ暗闇のなかにいるのなら。
 
共有してあげたいと思う。私と祈里が、たどり着いた答えを。
 
簡単には許せることじゃないけど、それでも。


「陽菜が亡くなったのは、立花さんだけのせいじゃないんだ」

「……そんなわけ、ないよ」
 

地面の方を見つめて、投げやりに立花さんはつぶやく。ふるふると、私は首を横に振った。


「ううん。私たちだって、陽菜を裏切ったの。だから、私も一緒。そして、手を差し伸べられなかった人たちも、きっとそう」
 

立花さんの小さな手をゆっくりと取る。しっかりと、立花さんと目を合わせた。今にも泣きだしそうな、その瞳は救いを求めるように私を見つめていた。


「陽菜の死は、だれのせいでもなくて、いろんな人たちのせいなんだと思う。だからね、立花さん」
 

力を込めて、その手を握る。


「立花さんがしたことはなくなるわけではないし、簡単には許されることじゃない。これからもきっと、立花さんを責め続ける人もいると思う」

「……っ」

「でもね、その罪から解放されようとしてもいい。他のだれが立花さんのことを許さなくても、私が許す。そのことを、忘れないで」
 

大きな瞳から、涙があふれだす。私がそっとその手を離すと、立花さんは涙をぬぐい始めた。その様子を、ただなにも言わずに見ていた。
 

〝許されてもいい〟
 

私が祈里に与えた言葉。
 
祈里が私に与えてくれた言葉。
 
この一言で、私たちは救われた。
 
だから、私たちはこの言葉を受け継がなきゃいけないでしょう。過去の過ちを後悔し続け、自分を責め続けている人に。


「私たちが会うことは、もうないかもしれないけど……。でももし、また会えたら、今度はどこにでもいる普通の友達として話そう。罪意識なんか抱えないで」

「……うん、うんっ……」
 

立花さんがちょっとでも救われたのなら、それは私の本望だ。
 
またどこかで会えたらいいなって、ちゃんと思っているよ。