旅館でチェックインを済ませて、二人で部屋に上がった。部屋は少しだけ狭い和室で、でもこじんまりとしていて私たちにとってはちょうどいい。
それぞれ荷物を床に下ろす。スーツケースを置いて、でもまだ広げることはせず、私たちはそばの座布団に腰かけてどちらからともなく話を始めた。
「祈里、ジェットコースターのあと、すごい顔してたよね」
「千鶴は、コーヒーカップのあと、酔ってすげえ顔してた」
「うっ、あれはやめてって言ってるのに、祈里が回し続けるから……」
「それなら、千鶴が無理やりジェットコースターに乗らせたせいで、俺の顔色が悪くなったんだろ」
「だって乗りたかったんだもん」
あのときの祈里、おもしろかったな。あんな顔した祈里は初めて見た。
また今度、遊園地に行ったときは、絶対またジェットコースターに乗せてやろう。祈里にちょっと怒られても、でもそんな時間も変わらず好きだと思うはずだ。
「メリーゴーランドは平和だったね」
「だな。ゴーカートは……平和じゃなかったか」
「ごめんね、追突しちゃって……」
ゴーカートでは、祈里が前を走って、私がその後ろを走った。だけど、私の運転が絶望的に下手で、アクセルとブレーキを間違えて祈里に追突してしまったのだ。それ以外にも、何度もレールに追突して、ついには係の人に手伝ってもらったりして。
思い出すだけでも恥ずかしい。将来、車の免許を取ってみたいと思っているけれど、こんなんで取得できるのだろうか。
冬場で乾燥しているせいか、手の甲がカサついているのがふと気になった。カバンからハンドクリームを取り出しだすと、一緒にあのノートもカバンから落ちた。
「あっ……」
さっきまで二人でわいわいおしゃべりしていたのに、急にしんとなった。まるで、現実に引き戻されたような気分だった。
祈里と、話がしたくてきたんだ。今度は私が祈里を救うために、ここに来た。もう十分、いつもの私たちだった。
じゃあ、今度はちゃんと、祈里と向き合わなければならない。
「……あのね」
祈里が私の前から姿を消してからのことを、洗いざらい話すことにした。
まずは、私が思い切り心を開いて、今までのことを話したい。そうするべきだと思うし、なにより祈里にぜんぶ知ってほしい。
私がなにを思っていたか、なにを考えていたか。私の身になにがあって、どう思ったか。
陽彩ちゃんに会ったこと。そして、話をしたこと。陽菜にあやまらなきゃいけないと思って、衝動的に飛び降りようとしたこと。祈里が来てくれたとき、最低だけど実はちゃんとうれしかったことも、すべて。
「……陽彩が」
「うん。でも、陽彩ちゃんはな全然悪くないし、むしろ正しかったと思ってるよ」
なんで、と祈里はこぼす。
自然と浮かんだ笑みを、私は口元に描いた。
「陽彩ちゃんだって、陽菜を救いたかったって、ただそれだけなんだよ」
あのとき、陽彩ちゃんと陽菜、どっちを優先するべきだったか、私には分からない。答えなんてなかったのだと思う。たとえ私が陽彩ちゃんを優先していても、話したことを後悔していたかもしれないし、陽菜とは仲違いしてしまっていたかもしれない。
でも、ぜんぶ〝もしも〟の話なんだから、考えたって無駄なのかな。
「私、陽菜の願いをようやく思い出せたんだよ」
「陽菜の願い……?」
「『千鶴の幸せが、私の幸せだよ』って、陽菜はたしかにそう言ってたの。だから、私は」
祈里の唇がかすかに震えた気がした。
驚いた顔で、救いを待つかのように私を見つめ続ける祈里から、絶対に目はそらさない。そらしたくない。
「私が生きて幸せになることが……いちばんの償いなのかなって思った」
「……」
「でも、私が幸せになるためには、祈里がいないとダメなんだよ。私のためだけじゃなくて、陽菜のためにも、お願い、もういなくなったりしないで……」
我ながらずるい言い方だと思った。
だって、こんな言い方されたら、絶対に首を横に振ったりなどできない。だってそれは、自分が助けられなかったと思う人を、また裏切ることになってしまうから。
「千鶴、俺……」
震える声で、祈里が口を開く。その言葉の続きを促すように、私は小さく首を傾げた。数回、深呼吸を繰り返す祈里をそっと見つめる。
この人が愛おしいと思った。本当は繊細でか弱くて、儚い人だったとしても、そのぜんぶが愛おしい。だから、そばにいてほしい。消えないでほしい。
祈里の傷に触れるのが、前まではあんなに怖かった。でも今はちがう。どうしても、その傷に触れたいと思ってしまう。
「このノート、読んだんだよな?」
「……うん。最初の一ページだけだけど。ごめん」
「ううん、そっちの方が話が早い」
祈里は、床に落ちているノートを拾い上げて、ぺらぺらとめくって軽く目を通し始めた。その手がわずかに震えていて、思わずその手に私の右手を重ねた。
祈里は一瞬だけ驚いた表情を見せたあと、私の瞳をじっと見つめた。覚悟を決めたような表情に応えるように、私も小さくうなずく。
「俺の話も、聞いてほしい」
今から私は、弱くてもろいその傷跡に触れる。
