一週間後、私の入院も長引くことがなく無事に退院した。あのあと私が病室に戻ってすぐ、お母さんとお父さんはそろって病室に飛び込んできた。目にいっぱい涙をためて、よかったと繰り返す二人の姿に、愛されていることを実感した。
心配をかけてしまって申し訳なかった。私が海に落ちたのはあくまで〝転落〟ということになっているらしく、私が自ら身を放り投げたなんてことは、両親からは言われなかった。
「行ってくるね」
「本当に、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ、全然痛くもないし」
「なにかあったら、絶対に連絡してね」
「うん、分かった」
行ってらっしゃい、と玄関先でお母さんが手を振ってくれた。私も胸の前で小さく手を振り返しながら、スーツケースと小さなカバンを持って家を出る。
病室で、すでに遠出することをお母さんには伝えてあった。心配そうな表情を見せていたけれど、私が懇願し続けると、私の意思を尊重してくれたのか、うなずいてくれたのだ。
待ち合わせは、この間と同じ駅前だ。このカバンのなかに、あのノートが大切にしまわれている。この旅で、祈里を救えるように。祈里の傷が、少しでも癒えるように。私は今日、祈里の傷痕とまっすぐに向き合うのだ。
私が幸せになるためには、祈里がいなくちゃダメだ。祈里がいて初めて、私は本当に幸せだと感じられる。陽菜にちゃんと、胸を張って幸せだと言える。
駅に着いたとき、祈里の姿はまだなかった。それもそのはずで、今は集合時間の三十分前。居ても立ってもいられず、早く家を出てしまったのだ。近くの柱に寄りかかって、なにをするでもなく祈里が来るのを待つ。十分ほどしたのち、私と同じようにスーツケースとリュックを持った祈里が現れた。
「おはよう」
「……おはよ」
私から目をそらして、少し気まずそうに祈里はつぶやいた。
……分かりきっていたことだけど、空気はかなりぎこちない。
「えっと、行こっか。ここからね、電車とバスで一時間くらいなんだけど」
改札を通って、ホームに向かう。電車やバスに乗っている間も、私たちの間に会話はほとんど生まれなかった。
多分、祈里はなにから話したらいいのか、どんな顔をしたらいいのかとか、色々考えているんだろう。そんな祈里を考えると、私もなんて声をかけたらいいのか分からなくなってしまって、結局大したことを言うことができなかった。
旅館の最寄り駅に着いたのは二時前だった。ここから徒歩で、だいたい十分くらい。だけど、旅館のチェックインは五時からなので、今から旅館に行ったとしても、やることがない。
どうしようか、と首をひねったときだった。近くに、観覧車が見えた。そうだ、といいアイディアが思いつく。今のままのぎこちなさでは、きっと話は切り出せない。
それなら、いっそのこと楽しいことをして、まずは空気を変えたらいいのでは?いつもみたいに、話すことができるようになれば。
「せっかくだから、時間もあるしそこの遊園地でも行かない?」
「遊園地?」
「うん。楽しそうでしょ」
祈里は驚いた、というより呆れたような顔を見せた。こんなときに?とでも言いたげだ。でもちがう、こんなときだからこそ、遊園地に行きたいの。
風がひときわ、強く吹いた。
「私、ジェットコースター乗りたい」
「はあ? 最初に?」
入場券を買い、園内に入ってすぐに、私は祈里にそう告げた。ありえない、と祈里はつぶやく。理解できない、とその顔が言っていた。
でも、見る感じはそんなに激しいものじゃないようだ。落下する瞬間、乗客の叫び声が聞こえてきて、わくわくする私とは反対に、祈里はげんなりした顔を見せた。
「分かってないなあ、祈里。遊園地と言えばジェットコースターでしょ」
「分かんねえ。俺は乗りたくない」
「えー、でも私は乗りたいの。ほら、行こ」
「わがまま……」
祈里の言葉を待たずに歩き出した私に、祈里はまたため息をつく。でも、なんだかんだ祈里はついてくるのだから、ちょっとだけ嬉しくなってしまうのだ。
思えば、こんなに自分のわがままを通したのも久しぶりだな。祈里を引っ張りたいからとか、ここに行こうと提案したのは私だからとか、色々な理由があるけれど、いちばんは相手が祈里だからだと思う。
あまり混んでいなかったので、私たちはその次のジェットコースターに乗ることができた。落ちる瞬間、手をあげて風を切るのがすごく心地よかった。あっという間に、ジェットコースターはもとの位置に戻ってきてしまった。
「楽しかったね」
「……どこが」
「えっ、大丈夫? 顔色悪いよ」
「だれのせいだと思ってんだ」
一瞬だけ、祈里が私をにらんだ。だけど、それも束の間で祈里は声をあげて笑いだした。胸がじんわり温かくなるのを感じる。
……その顔。その顔が、見たかった。
祈里の笑った顔が見たかった。
それから、メリーゴーランドやコーヒーカップにも乗った。私はもちろん、祈里も終始楽しそうな表情をしていて、安心と喜びが同時に来た。
気がつけばぎこちなさなんて消えていて、普段の私たちに戻っていたような気がする。
