君の生きる理由になりたかった

 

その一週間は、祈里と一緒に帰ることをしなくなった。普段、祈里が「一緒に帰ろう」と誘ってくれるのだけれど、あれから私を誘わなくなったのだ。私もあんな姿を見せてしまったあとだから、なんとなく誘いにくくて、きちんと話すらできていない。
 
あの日、家に帰ったら、珍しくお父さんもお母さんも家に帰ってきていた。今朝の喧嘩が嘘みたいに、和解したのかいつもの穏やかな二人だった。もとに戻れなくなったのは、どうやら私だけらしい。
 
教室で過ごす時間は、少しだけ苦痛だった。クラスメイトとは必要最低限の会話しかしていないし、もちろん実来たちとも話はしていない。話をするどころか、目すら合わない。
 
あの丘に行ってみようかと思った。もちろん、ただの思い付きだ。
 
放課後になって、私はそそくさと教室を出た。丘に着いたときには、先客はだれもおらず私だけで、すごく広々とした空間に思えた。


「わあ……っ」
 

祈里と初めてこの丘に来た日のことを思い出す。あのときは九月で残暑が残る季節だった。今はもう冬だから、日が沈むのが早くなった。もちろん、夕焼けが見られる時間もあのときより早い。
 
祈里に、会いたいと思った。
 
この間、取り乱しちゃったことを謝りたい。今度はちゃんと伝えるから、祈里に話を聞いてほしい。
 
大切なことは、できるときにしないといけない。陽菜になにもかも伝えられなかったあのときみたいな後悔は、もう二度としたくない。


「千鶴……」
 

大好きな人の声が、私の名前を呼んだ。
 
驚いて、後ろを振り返る。そこには、呆けたような様子の祈里が立っていた。
 
会いたかった人が、今そばにいる。
 
ぽんぽんと、自分のすぐそばの芝を手で軽くたたいた。


「ここ、座ってよ」
 

祈里はぶっきらぼうにうなずいて、私の隣にそっと腰かけた。
 
私と一緒じゃなくても、やっぱり祈里はこの丘に来るんだな。この間もそうだった。実来たちとの関係に悩んで、ここに来た日も、先に祈里がここにいた。


「忘れたいこと、あった?」
 

いつも祈里が私に聞いてくれる言葉。なんとなく、今日は私から聞いてみたいと思った。
 
すると、困ったような顔で祈里が笑った。


「千鶴は?」

「えっ、私?」
 

ま、まさか質問に質問で返されるとは。想定外だったな。
 
思い付きだ、とはなんとなく口にしたくはなかった。もっと、ちゃんとした答えを伝えたかった。


「うーん、そうだな。見ての通り、教室に友達と呼べる人はもういないし……って感じかな」
 

ちゃんとした答えを、なんて思ったわりには、ぐちゃぐちゃな言葉だ。あれ、そもそも、これって答えになってる?なんか不安になってきた。
 
でも、心地いい不安だった。
 
たった一週間祈里と話せなかっただけなのに、祈里と話せてこんなに満たされてしまっている。小さな幸せを、感じてしまっている。
 
……そんなのダメだって、思い知ったばっかりなのに。


「じゃあ、祈里は?」

「俺は……」
 

そっと、祈里が口を開く。かと思えば、すぐにその唇は閉ざされてしまった。
 
そして、祈里は私から視線を外して、そっと下を向く。祈里らしくない、自信なさげな仕草を不思議に思った。
 
……なにかあったのだろうか。
 
そんな疑問が浮かんだのも束の間、祈里はすぐに顔を上げて、真剣な顔で私と目を合わせた。思わず、小さく首をかしげる。


「ごめん。俺、もう千鶴とは会えない」
 

と、たしかにそう告げた。


「え、な、なんで……?」
 

突然のことに理解が追い付かない。
 
嘘だよね?嘘だって言って。私とはもう会えない?そんなに私、悪いことしちゃった?
 
頭のなかが真っ白になる。でも、祈里の顔はどうしても嘘を言っているようには見えない。
 
さっき、今度こそ私のことをちゃんと伝えようって決めたのに。ちゃんとあやまって、もう一回向き合うって決めたのに。
 
……これもまた、繰り返すの?


「……ごめん」
 

きまり悪そうに、祈里が小さくつぶやいた。
 
なんで、どうしてあやまるの?
 
でも、祈里はもうその信念を曲げる気はないのだということは、十分に伝わった。その表情と仕草から、痛いくらいに分かる。


「ごめんじゃ分からないよ、祈里。教えてほしい。私が悪くても、ちゃんと受け止めるから……!」
 

そっか、私、祈里と一緒にいたいんだ。祈里に離れて行ってほしくなかったんだ。
 
でも、それを伝えてしまっていいのだろうか。だって、祈里は私と離れたがっているのに。こんなわがままを通していいんだろうか。
 
でも、だったら説明がつかないのだ。
 
祈里が何度も何度も、私を励ますような言葉をくれたことも、優しくしてくれたことも、これまで一緒にいてくれたことも。
 
私と離れたいって、それだけじゃ分からない。


「……千鶴は何も悪くない。ぜんぶ、俺が悪いんだ、だから」

「それじゃ分からないってば……!ちゃんと、教えてよ……」
 

どうして、祈里は自分が悪いと思うの?なにがそんなに祈里を苦しめているの?泣きそうな顔をしている理由は?今、なにを考えているの?
 
今の私じゃ、祈里のこと、なにもかも分からないよ。
 
どうして急に、そんなことを言いだすの。もう会えないなんて、残酷なことを言いだすの。陽菜と二度と会えなくなったあの日を、また繰り返してしまうのだろうか。
 
そばで、祈里が大きく息を吸い込むのが聞こえる。そして、祈里は聞き間違いかと思うほど、衝撃的な言葉を口にした。


「千鶴を壊したのは、俺だからだよ……っ!」

「え……?」
 

初めて聞いた、感情任せの祈里の声。
 
また下を向いてしまって、祈里の顔はよく見えない。ただ、唇をぎゅっとかんで、なにかをこらえているのだけが分かった。
 
……どういうこと?


「……ぜんぶ、千鶴のせいじゃない」
 

投げやりに言葉を紡ぐ祈里をまじまじと見つめる。


「陽菜を殺したのは、俺だ」
 

間違いなく、祈里はそう言った。
 
すぐには、なにも言葉にならなかった。
 
祈里の言葉が、頭のなかで何回も何回も反芻される。そうやって、私はようやく言葉の音だけを理解した。


「な、なに言って……」
 

祈里は、陽彩ちゃんのことを知っていた。
 
陽菜のことも、ずっと前から知っていた?陽菜が死んだことも、ぜんぶ知っていた?
 
だとしても、だ。この間、あんな話を聞いて、どうして私のせいじゃないと言えるの?祈里のせいって、そんなはずないでしょう。陽菜を追い詰めたのも殺したのも、ぜんぶ私だと思っていた。そう思わずにはいられなかった。
 
だって、祈里が陽菜へのいじめに関与していたわけがない。
 
陽菜は、ちがうところでも追い詰められていたの?
 
……じゃあ、陽菜が自殺をした理由は、なんだったの?


「陽菜は、俺のいとこだ」

「祈里、の……?」

「だから、ごめん……」
 

それだけ言って、祈里は立ち上がって、丘から去ってしまった。
 
あっけにとられて、なにも言えないまま、私はその背中を見つめることしかできなかった。
 
次の日から、祈里が学校に来ることもなければ、丘に来ることもなかった。

 

祈里は本当に、私の前から姿を消した。