陽菜の周りには、人が集まらなくなった。クラスの人たちも、陽菜と立花さんの関係については極力関わらないようにしていたけれど、だれもが立花さん側についているのが口にしなくても伝わった。影響力の強い立花さんだから、他クラスにも陽菜の悪い噂は広まっていく。
私も、そうだった。心のなかでは陽菜をかばい続け、でも言葉にすることはできず、表面上はみんなと同じように立花さん側についていた。
自然と陽菜と一緒に登下校することもなくなれば、教室内でしゃべることもなくなった。それでも、ときどき放課後はお互いの家で時間をつぶした。いじめのことなんて口にせず、ただいつも通りに宿題をこなし、陽彩ちゃんも交えてゲームをしたりする。
この時間だけは、いじめのことなんて忘れて、元通りとまでは行かないけれど、普段通りの穏やかに過ごせていた。
だから、私は陽菜の味方だと、言葉にしなくても陽菜に伝わっていると思っていた。
「あっ、北条さん登場ー!」
「きゃははっ、今日もぼっちじゃん」
「ちょっと前まで友達たくさんいたはずなのに、かわいそー」
陽菜と登校しなくなってから、私は少しだけ早く家を出るようになった。
お母さんがたまたま陽菜が一人で登校しているところを見つけたらしく、「一緒に行ってないの?」と聞かれたことがあるが、「陽菜には友達がいっぱいいるから」と笑ってごまかせば、納得した様子を見せてくれた。
一緒に登校していないのは私の弱さゆえなのに、陽菜のせいにしたことに胸がズキズキと痛んだ。陽菜に知られたらどうしよう、と不安になっていたけれど、幸い知られることはなかった。
相手はお母さんだとはいえ、立花さんたちと同じように、陽菜を傷つけるようなことを言えてしまった自分に吐き気がした。
陽菜が教室に入ってきたとき、地獄の時間は本格的にスタートする。陽菜がやってくる前には、心底楽しそうに笑いながら立花さんたちは、陽菜のロッカーを漁って、物をどこかに持って行ったり、ぐちゃぐちゃに落書きをしたりしていた。
止めなきゃ、ダメだって言わなきゃ、と思いながら、怖くて声をかけることはできなかった。
どれだけの罵詈雑言を浴びせられても、陽菜は姿勢よく前を向いて席につく。その表情は変わることなく、そんなの気にもとめていないとでもいうような、真面目な表情のままだった。
「ねね、この間隣町で高校生の男の人と北条さんがいたのを見た人がいるって!」
「なにそれ、やばっ」
悪意で満ちた言葉の数々。あの日から、教室の空気はがらりと一変した。いつものように簡単に教室では談笑をすることができなくなり、廊下や他クラスに行く人が増えたので、教室には人が少なくなった。
私はと言うと、できることもなくこの教室で静かに耐える。本当に耐えているのは、どっちだったか。
「まさか、年上の男まで利用してるとかやばいよね!」
陽菜が、高校生の男の人と会った?そんなの嘘に決まってる。だって、あれほど恋愛には興味がないと言い張っていた陽菜だ。
……そんなこと、なかった?私に言わなかっただけで、本当は興味があった?じゃあ、その男の人ってだれ?
そんな疑念が浮かび上がってから、はっとした。
──私、今陽菜を疑った?
陽菜を信じられなくなっている自分がいることに気付いて、心底自分に失望した。陽菜に非はないのに。それなのに、陽菜が変わっていくような感じがする。同じくらい、自分が変わっていくような感じもする。
「で、どうなのー、北条さん?聞こえてるんでしょ?」
遠くから、陽菜がちらりと立花さんたちを一瞥する。でもそれは一瞬だけで、すぐにカバンから教科書を取り出そうとして、ないことに気が付いたのかロッカーに足を運んでいた。すぐに目当ての教科書を見つけて、席に戻った陽菜はそれを広げる。
そのとき、陽菜が一瞬息をのんだのに気が付いた。それがみるみる、引きつった表情へと変わっていく。
「あははっ、気づいちゃったー?」
気味悪く感じられる笑い声をあげながら、立花さんは陽菜のもとへ歩いて行った。そして、机に置いてある教科書を手に取って、ひらひらと揺らしながらそれを陽菜の顔に近づける。
「私たちが丁寧に飾り付けしてあげたんだよ?大切にしてよね?」
視界の端に映った教科書を見て、思わず絶句した。
何ページにもわたって、黒いマジックでいたるところに暴言が書かれている。
『ナルシスト』
『ブス』
『役立たず』
『消えろ』
『死ね』
陽菜がぎゅっと強く唇をかむ。
気持ち悪い。どうしてこんな簡単に、人を傷つけられるのだろう。暴言を吐いて、汚して、侮って、それをどうして笑顔でできる?
でも、なにも言えない私だって、同じだった。ここではなにもできないくせに、立花さんたちの目が離れた放課後だけ、陽菜に笑顔を向けている私は、それ以上に最低だった。ずきん、ずきん、と頭が強く痛んだ。
「……早く消えろよ」
陽菜の耳のそばまで顔を寄せ、低く重たい声で立花さんはそう告げた。
そのとき、大きく息を吸い込むような音がした。はっとして顔をあげると、浅い呼吸を繰り返しながら、陽菜が教室の外へ飛び出していくのが見えた。苦しみや恐怖を隠せていない陽菜の表情に、ぶるぶると手が大きく震えて、両手を強く絡める。
「ははっ、逃げたよあの女」
それでも満足げに笑う立花さんに、言葉を失った。すっと体温が奪われていく感覚がする。自分が傷つけて追い詰められている人を見て、なんで笑顔でいられるの?
本当は、今すぐにでも陽菜のところに行きたかった。なのに、私はそれができなかった。立花さんに標的にされるのを恐れて、ただその場でじっとしていることしか。
そんな恐怖を振り払って、陽菜を追いかけることができていればと、いまだに強く思う。
