そのとき、少し遠くの方でだれかが立ち上がる音が聞こえた。音がした方を見るところで、初めて教室の様子が目に入った。
好奇の目と軽蔑するような目、同情の目、怯えたような目。数々の私に向けられた目に、背筋が凍った。
立ち上がったのは、祈里だった。私の方をじっと見て、すたすたとこちらに向かって歩いてくる。その様子を、まるで他人事のように私はぼうっと眺めていた。
「行くぞ」
私のそばに来て、静寂のなか祈里はぶっきらぼうに言った。そっと私の腕をつかみ、強引に私を立ち上がらせ、教室の外へと連れ出す。実来と梨紗が、息をのんだのが伝わった。
そのまま、教室のそばの階段をなにも言わず上っていく。私の腕をつかむ手にだんだんと力が入っていって、少しだけ痛い。うつむいたまま、抵抗もせず祈里に付いていく。
どこに行くの?どうして私を連れ出したの?
聞きたいことは山ほどあるけれど、言葉にするだけの気力はなかった。
少しの間歩いて、屋上につながる階段の踊り場で、祈里は立ち止まった。人気はまったくと言っていいほどなく、二人だけの空間のように感じられる。
「座れば?」
祈里はその踊り場に腰かけて、その隣をぽんぽんと叩きながら言った。私を見るその目からは、なんの感情も読み取れない。
小さくうなずいて、少し距離をとったまま隣に腰かける。それに関して、祈里は何も言わなかった。
「どうして反論しなかった?」
その言葉に、思わずカッとなってしまう。
怒りを抑えるような祈里の声が、私に鋭く突き刺さる。その痛みよりも、ふつふつと湧き上がる怒りが上回ってしまった。
その矛先がだれに向いているのかなんて、もう分からない。今朝から喧嘩をしていた両親に対するものかもしれないし、こうやって私を諭すような真似をする祈里に対してかもしれない。はたまた、情けなくて最低な自分自身に対するものな気もする。
「……できるわけないじゃん」
「なんでそう思うわけ?」
もう、これ以上はダメだった。
今朝のことと、実来たちとのことで、もう既に限界を迎えていた。
これ以上怒りをぶつけられて、耐えられるわけがなかった。ずっと抑えていた感情の蓋が、かたかたと音を立てて、今勢いよく外れていく。
「だって、ぜんぶ事実なんだよ!?私が、私が悪いから……っ」
ダメだと分かっているのに、意思とは裏腹に口は止まらない。どうしてか、せきを切ったようにとめどなく涙があふれてくる。
この空間に私の声が鳴り響いて、それにまた嫌気がさした。
「千鶴だけが悪いわけじゃないだろ」
「ちがう!」
いつもなら温かくて、背中を押してくれるその励ましすら、今は冷たくて苦いもののように感じられてしまう。祈里がそっと口を閉じたような気がした。
「ずっと嘘ばっかり重ねて二人を傷つけた。私、自分のことばっかりで、だれのことも見えてなかった……っ!そのくせ、簡単に利用したり縛ったりした」
こんなことをしておいて、どうして私が悪くないと言えるんだろう。
最低なこととか、傷つける行為を私は簡単にすることができてしまったのだ。傷つくことを人一倍恐れていたくせに、傷つけることは簡単だった。私の曖昧な態度で、実来たちを傷つけた。重ねた嘘で、向き合おうとしなかったことで、たくさんたくさん傷つけた。
こんなこと、気づきたくなかった。
ああほら、こうやって、私はまた逃げようとしている。
「自分のことなんて、大っ嫌い……っ!」
「……千鶴」
祈里がそっと、私の名前を呼ぶ。それに応えられず、代わりに大きく首を横に振った。
「自分のことだけ見るのは、自分だけを守ろうとするのはやめるって決めたのに。ちゃんと大切な人に目を配って、その苦しみに絶対に気づくって決めたのに……っ」
あのとき、強く決めたのだ。
それなのに、私はまた繰り返してしまった。また、気づけなかった。
「自分の過ちにも、していることにも、だれかに向けられた思いにもぜんぶ、気づかなきゃいけなかった……!!」
目を背けることだけが、得意になった。ぎゅっと奥に押し込んで、見えないところに置いて。そうやって、私は逃げ続けて、また戻ってしまった。
私の行き場と生きる理由を同時に失って、強い絶望感にさいなまれたあの日に。
「陽菜が……、陽菜が死んだあの日に、ちゃんと決めたはずなのに……っ!」
ひゅっと、息をのむ音がそばで聞こえた。
