君の生きる理由になりたかった



下を向いたそのとき、勢いよく教室のドアが開いた。


「えっ、千鶴!?と、柳瀬?」
 

はっとして顔を上げると、実来と梨紗が驚いた顔をして私たちを見ていた。
 
……まずい、見られた。どうしよう……。
 
私が居たたまれなくなる間に、だんだん二人の目が好奇なものへと変わっていく。
 
そっか、二人っていつも来るのが早いんだっけ……。どうしよう、油断してた。何か言われたら……。
 
私が懸念していると、実来が私に手招きをした。


「千鶴、こっち!」
 

それに従って、ドアのそばに立っている二人のもとへ向かう。すると、実来にがしっと手首をつかまれ、そのままずんずんと廊下を進んでいった。


「あっ、え、ちょっと!」

「いいから来てよ!」
 

実来の声は明らかにはずんでいる。

……絶対に誤解を生んだ。いや、ある意味誤解ではないかもしれないけれど。梨紗も、何か言いたげな顔で後ろをついてくる。
 
そして、お手洗いのドアを開けて実来はそこに私を連れ込んだ。


「どういうこと、千鶴!」

「え、えっと……」

「なになに、柳瀬と仲いいの?」
 

楽しそうな、にこにこした笑顔。何も言えなくて、ただ苦笑いを作って実来に返した。
 
……どうしよう。今までにこういうことはなかったから、どんなふうに対応したらいいのか分からない。


「柳瀬はいっつも朝早いけどさ、千鶴はそんなことないじゃん?それなのに朝早く二人きりの教室で密会だなんてさ!そんな約束してたわけ~?」
 

み、密会っ?そ、そんな危ないことでは……。
 
これは思ったよりまずい状況かもしれない。実来の目がどんどんそれらしいものになってきて、弁解のしようもない。だけど、私はぶんぶんと首を横に振る。


「してないよ……!ただいつもより早く起きちゃっただけで……」

「本当かなあ~」
 

にひひ、と実来は秘密を知っちゃった、とでも言いたげな顔で笑った。そして、少しずつ私に近づいてくる。そのたび、私はほんの少しだけ体を反らした。


「もしかして、付き合ってるの?」
 

ぎくり、と私は一瞬だけ目をそらす。もちろん、実来たちに祈里と付き合っていることは何も言っていない。実来たちだけに限らず、他の人にもばれていないはずだ。これから明かすつもりも特段ないので、私はもう一度首を横に振った。


「いやいや、断じてそんなことは……」

「えー?」
 

すると、今まで何も言わずに黙っていた梨紗が、一歩こちらに近寄った。珍しい真面目な顔つきに、小さく首をかしげる。梨紗は、「あのさ」と口を開いた。


「千鶴、柳瀬はやめといたほうがいいよ」

「……え?」

「千鶴が柳瀬と付き合ってるかどうかなんて知らないけどさー。一応忠告、みたいな?」
 

ちゅ、忠告?なんの?なんでそんなこと言われなきゃいけないの? 
 
疑問がますます深くなっていく。実来は「なになに?」と身を乗り出した。


「私、柳瀬と中学校一緒だったんだけどさ。友達が目撃したらしくて、中学三年生の秋くらいにね、たしか千鶴の中学校の門の前に放課後よく立ってたんだって」
 

そして、と梨紗は続ける。


「『柳瀬祈里って言います。なんとかさんって知ってますか?』っていろんな生徒に聞いてたらしいよ。ごめん、名前は忘れちゃったけど」

「え……?」
 

そんな祈里、想像もつかない。

そもそも、これは本当の話なの?私なんで祈里がそんなことを?私の中学校の前でって、だれについての話を聞いていたの?私が知ってる人のこと? 

嘘だと思いたいけど、でも、梨紗の表情が本当だと言っている。
 
頭の中をたくさんの疑問が駆け巡る。そんな私とは対照的に、実来は「えー、怖」とつぶやいた。


「柳瀬ってそんなことするタイプなんだ。なに、ナンパ?」

「うーん、それがよく分かんないんだよね。ただ、ずっと同じ人について聞いてたらしいから、一部の人からストーカー呼ばわりされてた」

「ストーカー!?え、超ウケるんだけど」
 

ストーカー。そんなはずがない、と今の私なら胸を張って言える。祈里がそんなことをするはずがない、と。
 
仮にこの話が本当だとしても、祈里がそんなことをしたのにはきっとなにか理由があったはずだ。私が祈里から離れる理由になんて、これっぽっちもならない。


「だからさ、やめといたほうがいいよ、千鶴。柳瀬って危ない人っぽくない?なに考えてんのか分かんないし」

「分かるー!」
 

危ない人なんかじゃない。祈里は、絶対に違う。
 
梨紗のそんな話くらいでは揺るがないくらい、私はすでに祈里のことを信頼している。
 
もしかしたら私は今、祈里が知られたくなかったことを知ってしまったのかもしれない。だって、祈里が私に話していないことだもん。だから私は、祈里がこの話の真相を話してくれるまでは、絶対に私の口からはこの話題を出さずに、知らぬふりを通そう。
 
梨紗と実来が祈里について話しているのを、私は止めることすらできずに黙って聞いていた。