君の生きる理由になりたかった



約束の日曜日、待ち合わせ場所は学校の最寄り駅だった。といっても、私の家から学校までは徒歩圏内にあるので、私の家からの最寄り駅とも同じだ。この間知ったことだが、祈里は隣町に住んでいるらしい。それでも、電車に乗って二駅らしく、そんなに遠くないと言っていた。
 
出かけるのに最適すぎる晴天。駅前に着くと、すでに祈里が立っていた。
 
祈里って、いつも人のことを待たせたりとかしないよね。そういうところに尊敬するし、優しいなと思う。


「おはよう」
 

祈里に近寄って、そっと声をかける。「おはよ」と祈里も返してくれて、それだけで嬉しくなった。それから、どちらからともなく並んで歩き出す。
 
結局、映画を見に行くことになった。今話題の、サスペンス映画。映画館は、ここから徒歩十分くらいの場所にある。そこそこ大きい街なので、遊ぶにはとても便利だ。


「祈里は普段から、映画とか見たりするの?」
 

歩きながら、祈里にそんなことを聞く。


「映画はあんまり見ない。そもそも外出とかしないし。千鶴は?」

「そんなに見ないかな。映画館に行くのも久しぶりだし、祈里と同じで休日はほとんど外出ない」
 

祈里が休日は外に出たくなさそう、って思ったのはどうやら当たっていたらしい。今日はどうして、私と一緒に出かけてくれるのだろうか。特に大きな意味はないのかな。
 
映画館に着くと、まずは映画のチケットを買った。それから、ポップコーンを買うために、売り場の列に並ぶ。


「ポップコーン、祈里は何味にする?」

「やっぱ王道の塩かな。ここは譲れない」

「えっ、王道と言ったらキャラメルじゃないの?」

「千鶴はキャラメルにすんの?」

「もちろん」

「はあー? ポップコーンと言ったら塩一択だろ」

「私はキャラメル一択」
 

祈里がははっ、と楽しそうに笑う。他愛もない話で、一緒に楽しむことができるんだから、やっぱり嬉しい。
 
私はキャラメル、祈里は塩をそれぞれ買い、上映される場所へと向かう。
 
それから、二時間近くある映画を見終え、映画館を後にした。


「意外と面白かったな」
 

外に出た瞬間、祈里が私にそう声をかけた。その表情は、本当に面白かったと言っているようで、少しほほえましくなる。


「面白かった。映画も悪くないね」

「サスペンスってすごいな。最後のどんでん返しは鳥肌立った」

「私も!」
 

映画は、想像していたよりも面白かった。本を読むこともそんなにないので、物語にきちんと触れたのは久しぶりな気がする。
 
祈里も同じように満足しているようで、見に行ってよかったと思った。二人で一つのことに対して意見を交換することは、意外と楽しい。


「また一緒に、映画見に行ったりしようよ」

「そうだな」
 

だれかと出かけるのも、楽しいことなんだと知った。ううん、祈里だから楽しいのかな。今度、梨紗と実来と出かけてみるのもいいかもしれない。うーん、やっぱり疲れちゃう、かな。
 
とりとめのない話をしながら、街をぶらぶら歩いていると、突然、ぽつりと頬になにかが当たった。ふと見上げてみると、分厚い雲が空を覆い隠していた。二滴、三滴と降ってきたかと思えば、急にザーッと音を立てながら私たちを濡らす。


「……雨?」

「嘘、さっきまで晴れてたのに……」
 

願い虚しく、雨脚はどんどん強くなっていく。もちろん、傘なんて持っているわけがない。


「どうしよう……」
 

あたりを見渡して、行き場を探す。祈里もどうするべきか、困っている様子だ。


「どこか、入れる場所とか」

「えっと……、あっ!そこにカフェある!」

「本当だ。……入るか」
 

すぐ近くの横断歩道を渡った先にある、こじんまりとしたカフェ。でも、カジュアルな内装で、店内はすごく綺麗な印象のお店だ。
 
ちょうど信号が青になったので、私たちは駆け足で横断歩道を渡った。タオルで濡れたところを拭きつつ、目の前のカフェに入店する。


「いらっしゃいませー、何名様ですか?」

「えっと、二人です」

「では、お好きなお席にどうぞ」
 

ウエイトレスさんにそう案内され、私たちは目立たない窓際の端の席を選んで、向かい合わせになるように座った。机にあるメニュー表を広げる。


「わっ、おいしそう……」
 

スイーツの欄には、パフェやフルーツサンド、ティラミスやパンケーキといった様々な甘いものが並んでいた。ポップコーンを食べたばかりだというのに、見るだけでお腹が空いてくる。


「千鶴、甘いもん好きなの?」

「うん、大好き。日頃からいっぱい食べちゃう……。祈里は?あんまり好きじゃなさそう」

「よく分かったな。あまり好きじゃない」

「じゃあ何頼むの?」

「ブラックコーヒー」

「大人だ……」
 
反対に苦いものは苦手な私は、絶対にブラックコーヒーなんて飲めない。コーヒーですら苦く感じるのに。あれっておいしいのかな、本当に。
 
なににするか迷ったのち、これ以上祈里を待たせるのが申し訳なくなって、いちばん目を引いたいちごのパンケーキと、ココアにすることにした。祈里は、ブラックコーヒーだけ。


「えっ、食べ物は?頼まないの?」

「さっきポップコーン食べたし、そんな腹減ってない」

「ちょっと。それだと私が食いしん坊みたいになっちゃう」

「実際そうじゃねえの?」

「ひ、ひどい!」
 

口角を片方だけ上げて、得意げに祈里は言う。その表情に、思わずムッとしてしまう。
 
……ちがうし。甘いものは別腹だし。


「祈里の方が大きいポップコーン食べてたから、実際に食べてる量は同じだよ」

「無理あるだろ、その理論」

「うっ……」
 

ダメだ、何も言い返せない。でも、どっちかっていうと私は少食よりだと思う。自分が食べるとは、あまり思ったことがない。あっ、もしや祈里が少食なだけなんじゃ?うん、それなら納得がいく。
 
それから割とすぐに、注文したものが提供された。並べられたパンケーキを見て、思わず声が漏れる。


「いただきます」
 

そっとナイフで切って頬張ると、甘さが口の中で広がっていく。ふわふわで、何よりいちごとの相性がよすぎる。やっぱり、これにして正解だった。


「おいしい……!」
 

ココアも飲みながら、パンケーキをもう一切れ口の中に放り込んだ。
 
そのとき、ふと祈里の視線が私に注がれているのに気が付いて、ぱっと祈里の方を見る。祈里はコーヒーを手にしながら、私を見て何か言いたげな顔をしていた。


「どうしたの?」

「いや……」
 

そう口ごもった祈里に、不思議に思い首をひねる。
 
……なにか言いたいの?
 
そう思うけど、追及することもできなくて、私は口を閉じた。その代わりに、パンケーキをもう一口ほおばる。祈里は、私から視線を少しの間視線を外すと、もう一度なにかを考えるように私を見た。


「千鶴って、あまり笑わないよな」

「……え?」
 

祈里の言葉に、パンケーキを食べ進める手が止まった。思わず、祈里の顔をまじまじと見つめてしまう。そんな祈里は、変わらず迷う素振りを見せながら口を開く。
 
……待って。


「今だってそう。おいしい、って口にはしてるし、本当にそう思ってるような口調だけど、笑ってるようには見えない、っていうか」
 

なんで、それさえも。


「学校でも、笑ってるように見えて、でも無理やり笑ってるように見える」
 

……分かってしまうの?
 
うまく隠せていると思っていた。だって、だれに言われたこともなかったし、逆に「千鶴はいつも笑顔だよね」と言ってもらえるほどだ。それも、ただの思い込みに過ぎなかったのかな。
 
……うまく笑えて、いなかっただろうか。


「……ごめん。そんな顔、させたいわけじゃなかった」

「えっ」
 

困ったような、少し傷ついたような、そんな表情を祈里は見せた。私、無意識に思いつめた顔をしてしまっていた?そうじゃなくても、祈里にそんな顔をさせてしまうような。
 
ちがう。私も、祈里にそんな顔をさせたいわけじゃなかった。
 
祈里に、私のことを知ってほしい。私が祈里を知るだけじゃなくて、祈里も私のことを。

きちんとそう思うことができて、安堵からふっと小さく息を吐く。それから覚悟を決めて、祈里の目を見た。


「……私、笑えないんだ」
 

今度は、祈里が大きく目を見開いて、驚いたような顔をした。でもそれは一瞬だけで、すぐにいつものポーカーフェイスに近い表情に戻る。
 
いつか、笑えないことと向き合わなければならないとは分かっていた。
 
分かっているのに、その核心となるところからは目を背け続けている。……今だって、そうだ。


「中学三年生のときからずっと、笑えないの。笑おうと思っても、うまくできない」
 

みんなが楽しくて、嬉しくて、おもしろくて笑っているとき、いつだって取り残されているような気持ちになった。みんなと同じように、そういう感情はあるのに、それを表情で表せない。だから私は、温かい感情を他人と共有することがうまくできない。だって人は、相手の気持ちを察するのに、大部分は表情を見るから。

笑顔、という幸せで誰かと繋がれる武器を、私はなくしてしまったのだ。


「変に思われないように、愛想笑いの練習もいっぱいしたの。だけどやっぱり、上手に笑えてなかったのかな……」

「……千鶴」
 

突然、祈里の顔がぎゅっと私に近づいた。なぜか、吸い込まれるように祈里の瞳に目が行く。いつもより近い距離にどぎまぎしながら、それでも目を離せない。
 
ぴたり、と祈里が優しく私の目の下に触れた。その場所から、祈里の少し低い体温が伝わって、ひゅっと息をのむ。


「な、に……」

「泣いてる」

「えっ……」
 

そう言うと、祈里はそっと私の涙をぬぐって、もとの距離感に戻った。目元に触れると、確かに濡れていた。
 
やだな。人前どころか一人でも、泣かないようにしてきたのに。だって、泣いてしまったら、暗い感情だけは表に出てしまうことを痛感してしまう。
 
こんなの、泣くほどのことじゃないのに。


「……ごめん」

「あやまるなよ」
 

……情けないな。
 
笑えないことを、大きいことだとは思いたくなかったのに、結局そう思わざるを得なくってしまっている。この涙が、痛いくらいにそれを証明してしまったから。
 
周りに流されちゃうくせに、一人が怖いくせに、だれかと一緒にいるために大切な笑顔がないんだから、本当にどうしようもない。


「無理に笑おうとしなくていい」

「……っ」
 

祈里はどうして、いつも私が欲しかった言葉をくれるんだろう。笑おうとしなくていい、って自分でそう思おうとしても、そのたびに私は否定してしまう。それでいいわけない、って。
 
自分一人じゃそうは思えない。だけど、今は祈里がいるから、安心して寄りかかってしまう。そうしたい、と思ってしまっている自分がいる。


「でもいつか、千鶴の笑顔が見たいって思う」
 

ああ、本当に、こんなことを言ってくれる人がいていいのかな。
 
それはきっと、私が無理に笑うことを言っているのではなくて、私に笑顔が戻ってくることを指している。
 
……そんな日が、本当に来るのかな。
 
そう思うと心が軽くなって、でもそれと同じくらい、不安と恐怖が私を襲う。笑顔が戻ってしまったら私、どうなっちゃうんだろう。相反する感情に板挟みになって、自分が何を望んでいるのかが分からなくなる。


「でも、なんで千鶴は……」

「あれ、千鶴ちゃんと祈里くん……?」
 

祈里の言葉を意図せずさえぎるように、だれかが私たちの名前を呼んだ。勢いよく、ぱっと声のする方を見る。


「どうして二人が……?」

「陽彩(ひいろ)ちゃん……?」
 

心臓が、嫌な音を立てる。
 
なんで、陽彩ちゃんがここに。
 
……久しぶりに会ったな。長い間、顔を合わせていなかったのに、どうして今になって陽彩ちゃんが現れるんだろう。でもきっと、陽彩ちゃんも同じことを思っているはずだ。私と、嫌でも顔なんて合わせたくなかっただろうに。
 
陽彩ちゃんは、私の中学時代の親友兼幼なじみであった陽菜の妹だ。たしか、陽彩ちゃんは今、中学三年生のはず。私たちの二つ下だったと思うから。
 
そして、どうしてそんな陽彩ちゃんが、祈里のことを知っているんだろう。
 
どくどく、と鼓動が速くなっていく。小刻みに震える手を、ぎゅっと組んで握りしめた。


「……陽彩」
 

呆けたように、祈里がつぶやいた。

え?
 
……祈里も、陽彩ちゃんのことを知っているの?それも、下の名前で呼び合う距離で。
 
なんで、どうして?陽彩ちゃんを知っているなら、陽菜のことも……?
 
もしそうだったら、どうしよう。私はこれから、どうしたらいいんだろう。祈里にも私と同じくらいの、ううん、それ以上の痛みを、私は──。


「あっ、えっと、ごめん!ばいばい、二人とも」
 

陽彩ちゃんはそれだけ言うと、気まずそうな顔をして去って行った。その様子を無意識に目で追ってしまっていると、陽彩ちゃんは私たちからは少し離れた席で、友達らしき人と合流して、楽しそうにおしゃべりをしていた。


「……っ」
 

祈里の方に視線を戻すと、祈里は片手を頭に添えて、喪失感でいっぱいの目をしていた。その光景に、言葉が出てこなくなる。
 
……なんで祈里が、そんな顔をするの?陽彩ちゃんのこと、なんで知ってるの?やっぱり、何かあったの?
 
聞きたいことは山ほどあって、でもどれも言葉にはならない。かけるべき言葉すら、今の私には見当もつかない。

「祈里……」
 

私の口から出てきたのは、か細くて、まったく頼りにならないものだった。どうすることもできずに、口をつぐむ。
 
ずっと逃げていたことを、強引に突きつけられたような気分だった。私のしたことが、祈里まで深く傷つけていないことを、ただただ願うことしかできなくて、そう思ってしまっている自分が不甲斐なくて嫌になる。
 
……全部、私が悪いのに。
 
ずっと上の空で、パンケーキをこれ以上食べる気にはなれなかった。結局このまま、私たちは一緒に集合した駅には向かわず、その場で解散となってしまった。