マコトが顔も合わせたことのない相手に叱られてる。
ていうか、坂本くんも、壁に話しかけてる。なんだこれ。
あり得ない不思議な状況過ぎて、笑ってしまう。
振り向いた坂本くんも、にっ、と八重歯を見せて笑った。
「けしからん奴ぁ俺がきちっと叱ってやりますけん、どんどん言うてやってはいよ」
どんどん。ええと、他には。
「ラインのメッセ2日くらい返さないけど、当日かせめて翌日には返信しろよ」
坂本くんの真似をして、俺も壁に向かって文句を言う。はた目から見ると滑稽だろうが、やってみるとこれはこれで案外楽しい。
隣に立つ坂本くんが壁をぺぺん、と叩き、語気を強めて言う。
「そうたい! いつもスマホばっかい見よっとなら、すぐ返事ばせんね!」
俺もちらりと坂本くんを横目で見て、真似して壁をぺちりと平手で叩いた。
坂本くんがにっ、とトレードマークの八重歯を見せて笑う。
「月岡さん、よか調子です。他には?」
「他には……ええと、課題とかもこっちに丸投げするし、デートの約束平気ですっぽかすし、とか?」
「そうそう! もっと言うてやらんですか!」
「俺が家に遊びに行きたいって言ったら『家族にバレたら困るから』って断るのなんでだよ! 恋人でなくても友達が家に遊びに行くくらい普通だろ!」
「そうたい! 一方的過ぎるばい! 家にも呼べん恋人て、いったいどぎゃん扱いしよっとか!」
壁をぺちぺち叩く坂本くんは、至極真面目トーンで声をあげる。
「デートしても俺がおごることが多いし、家に来ても家事手伝わないどころか自分で食べた食器すら片付けないし!」
「自分の世話くらい自分でせんね!」
言っていたらだんだんヒートアップしてきた。
これまでモヤモヤしても本人に直接言えず、相談できる相手もいなかった分、ずっと蓄積してきた言葉たち。諦めて誤魔化し続けてきたはずの鬱屈した憤りが矢継ぎ早に口をついて飛び出す。
「だいたい、なんなんだよ! 俺の部屋なのに『外でちょっと静かにしてて』って! よく考えたら、なんで俺が外放り出されなきゃいけないんだ! 意味わかんねーわっ!! そもそも俺がいるのに『彼女』ってなんなんだよっっ!!」
この場にいるはずもないマコトの幻想に、力一杯怒りをぶつける。瞬間、ゴッ、と鈍い音がして、壁に拳がめり込んでいた。
「「…………あ。」」
思わずこの部屋の主と目を合わせる。そろりと拳を引っ込めると、壁にはくっきりと誤魔化しようのないへこみ。
「……。えーと……ごめん。言い忘れてたけど、俺、高校の時、空手部の副主将だった」
坂本くんは、ぶっは、と盛大に噴き出す。
「まさかのチート情報! ってか、すごすぎん? 家ん壁って、そぎゃん簡単に穴ほげるもんね? 月岡さん、手ぁ、大丈夫ね? 怪我しとらんですか?」
壊された壁より、俺の手の心配してくれるんかい。
「いやほんとごめん。手は大丈夫。というか、自分の部屋戻ったら、即行向こうから正式に穴開け直す。俺の部屋側からの破損ってことで届け出するから……」
「待って待って! 明らか責任の取り方おかしかごとなっとるばい! 貫通させるつもりね!?」
ひゃひゃひゃ、と笑いながら、大きな手が伸びてきて、俺の頬の涙を拭ってくれる。
予想外に頬を撫でた手が優しかったから。どぎまぎして視線を逸らした。
「でも、よかったたい。今まで誰にも言えんで、ずっと我慢しとったっちゃろ?」
「……な、んでそれ……」
「よかよか。嫌なこつは嫌って言うてよかし、話を聞いてって言うてよか。月岡さんだけが我慢せんでよかとですよ」
我慢とか、人に言えなかったこととか、ちゃんと理解してくれるとかさ。
もう。なんでこの人、こんなに顔だけじゃなくて性格まで良いんだよ。もう。
坂本くんたぶんノンケだし。ただの親切心で、優しくしてくれてるだけだし。俺が好きになったところで、絶対叶うはずなんてないのに。
どれだけ否定して戒めても隠しようがないほど、心臓が、上昇していく体温が、目の前の彼に惹かれていると告げてくる。
隣の部屋にいるであろう男には、感じることが無かった衝動。
チョロ過ぎんだろ、俺。
こんな感情を抱くなんて、不誠実だ。でもーー誰に対して?
マコトに対して申し訳なさなんて、今更抱くことはない。巻き込まれた坂本くんに対して、だ。
恋人だかセフレだかも最早わからない相手に振り回されたと被害者面をして甘えたばかりか、あまつさえもっと話を聞いてほしい、もっと笑顔を見せてほしいとまで思ってしまう。
いつの間に、こんなに我儘で欲が深くなったんだ。でも、強欲なことを自覚した今なら。
おずおずと視線を上げると、夜空を溶かしたような瞳が三日月型に細まり、俺の視線を受け止めてくれる。
「……話、聞いてくれてありがとう」
「俺で良ければ、いつでん話ば聞きますけん」
その時ドアの開閉音が聞こえた。ここは角部屋だと言っていたし、おそらく隣の俺の部屋からの音だ。マコトが部屋を出たのかもしれない。
今なら玄関から入れるかも。
「……聞こえた? ドアの音」
坂本くんは一瞬言葉に詰まり、それから小さく頷いた。
「俺、帰らなきゃ」
俺が言うと、坂本くんはさっきまでの笑顔を消して探すように言い淀んだ。しばらく視線をさまよわせていたと思いきや、こちらをうかがうように、ちら、と視線を寄越して呟く。
「……あの、ほんに、帰ってしまうとですか?」
きゅーん、と寂しげに尾を垂らす黒柴の姿が坂本くんに重なって見えた。
「あ。すみません! 俺、おかしかこつば言うて……!」
口元を押さえて視線を落とした坂本くんの耳が赤く染まる。
なんだこの可愛い生き物は。
心臓が掴まれたみたいにぎゅっとなる。
このまま帰らなくても構わないなら、坂本くんともっと話がしたい。
だけど現状、坂本くんに迷惑をかけているのも事実で。
「そう言ってもらえて嬉しいよ。ありがとう」
甘えたい気持ちと、現実と。ちゃんと線引きするために、笑顔で答える。
坂本くんは視線を落とし、少しだけ黙り込んだ後で、ぎこちなく口元にだけ笑みを浮かべて段ボールの方へ向かった。
「靴、用意しますけん。て言うてもサンダルばってん」
段ボールから取り出したクロックスを手に、玄関に向かう坂本くんの背中。
その背中に伸ばしかけた手を、きゅ、と握って、俺もその後に続いた。
幸せな夢は、これで終わり。
現実の自分に戻る時間だ。
ていうか、坂本くんも、壁に話しかけてる。なんだこれ。
あり得ない不思議な状況過ぎて、笑ってしまう。
振り向いた坂本くんも、にっ、と八重歯を見せて笑った。
「けしからん奴ぁ俺がきちっと叱ってやりますけん、どんどん言うてやってはいよ」
どんどん。ええと、他には。
「ラインのメッセ2日くらい返さないけど、当日かせめて翌日には返信しろよ」
坂本くんの真似をして、俺も壁に向かって文句を言う。はた目から見ると滑稽だろうが、やってみるとこれはこれで案外楽しい。
隣に立つ坂本くんが壁をぺぺん、と叩き、語気を強めて言う。
「そうたい! いつもスマホばっかい見よっとなら、すぐ返事ばせんね!」
俺もちらりと坂本くんを横目で見て、真似して壁をぺちりと平手で叩いた。
坂本くんがにっ、とトレードマークの八重歯を見せて笑う。
「月岡さん、よか調子です。他には?」
「他には……ええと、課題とかもこっちに丸投げするし、デートの約束平気ですっぽかすし、とか?」
「そうそう! もっと言うてやらんですか!」
「俺が家に遊びに行きたいって言ったら『家族にバレたら困るから』って断るのなんでだよ! 恋人でなくても友達が家に遊びに行くくらい普通だろ!」
「そうたい! 一方的過ぎるばい! 家にも呼べん恋人て、いったいどぎゃん扱いしよっとか!」
壁をぺちぺち叩く坂本くんは、至極真面目トーンで声をあげる。
「デートしても俺がおごることが多いし、家に来ても家事手伝わないどころか自分で食べた食器すら片付けないし!」
「自分の世話くらい自分でせんね!」
言っていたらだんだんヒートアップしてきた。
これまでモヤモヤしても本人に直接言えず、相談できる相手もいなかった分、ずっと蓄積してきた言葉たち。諦めて誤魔化し続けてきたはずの鬱屈した憤りが矢継ぎ早に口をついて飛び出す。
「だいたい、なんなんだよ! 俺の部屋なのに『外でちょっと静かにしてて』って! よく考えたら、なんで俺が外放り出されなきゃいけないんだ! 意味わかんねーわっ!! そもそも俺がいるのに『彼女』ってなんなんだよっっ!!」
この場にいるはずもないマコトの幻想に、力一杯怒りをぶつける。瞬間、ゴッ、と鈍い音がして、壁に拳がめり込んでいた。
「「…………あ。」」
思わずこの部屋の主と目を合わせる。そろりと拳を引っ込めると、壁にはくっきりと誤魔化しようのないへこみ。
「……。えーと……ごめん。言い忘れてたけど、俺、高校の時、空手部の副主将だった」
坂本くんは、ぶっは、と盛大に噴き出す。
「まさかのチート情報! ってか、すごすぎん? 家ん壁って、そぎゃん簡単に穴ほげるもんね? 月岡さん、手ぁ、大丈夫ね? 怪我しとらんですか?」
壊された壁より、俺の手の心配してくれるんかい。
「いやほんとごめん。手は大丈夫。というか、自分の部屋戻ったら、即行向こうから正式に穴開け直す。俺の部屋側からの破損ってことで届け出するから……」
「待って待って! 明らか責任の取り方おかしかごとなっとるばい! 貫通させるつもりね!?」
ひゃひゃひゃ、と笑いながら、大きな手が伸びてきて、俺の頬の涙を拭ってくれる。
予想外に頬を撫でた手が優しかったから。どぎまぎして視線を逸らした。
「でも、よかったたい。今まで誰にも言えんで、ずっと我慢しとったっちゃろ?」
「……な、んでそれ……」
「よかよか。嫌なこつは嫌って言うてよかし、話を聞いてって言うてよか。月岡さんだけが我慢せんでよかとですよ」
我慢とか、人に言えなかったこととか、ちゃんと理解してくれるとかさ。
もう。なんでこの人、こんなに顔だけじゃなくて性格まで良いんだよ。もう。
坂本くんたぶんノンケだし。ただの親切心で、優しくしてくれてるだけだし。俺が好きになったところで、絶対叶うはずなんてないのに。
どれだけ否定して戒めても隠しようがないほど、心臓が、上昇していく体温が、目の前の彼に惹かれていると告げてくる。
隣の部屋にいるであろう男には、感じることが無かった衝動。
チョロ過ぎんだろ、俺。
こんな感情を抱くなんて、不誠実だ。でもーー誰に対して?
マコトに対して申し訳なさなんて、今更抱くことはない。巻き込まれた坂本くんに対して、だ。
恋人だかセフレだかも最早わからない相手に振り回されたと被害者面をして甘えたばかりか、あまつさえもっと話を聞いてほしい、もっと笑顔を見せてほしいとまで思ってしまう。
いつの間に、こんなに我儘で欲が深くなったんだ。でも、強欲なことを自覚した今なら。
おずおずと視線を上げると、夜空を溶かしたような瞳が三日月型に細まり、俺の視線を受け止めてくれる。
「……話、聞いてくれてありがとう」
「俺で良ければ、いつでん話ば聞きますけん」
その時ドアの開閉音が聞こえた。ここは角部屋だと言っていたし、おそらく隣の俺の部屋からの音だ。マコトが部屋を出たのかもしれない。
今なら玄関から入れるかも。
「……聞こえた? ドアの音」
坂本くんは一瞬言葉に詰まり、それから小さく頷いた。
「俺、帰らなきゃ」
俺が言うと、坂本くんはさっきまでの笑顔を消して探すように言い淀んだ。しばらく視線をさまよわせていたと思いきや、こちらをうかがうように、ちら、と視線を寄越して呟く。
「……あの、ほんに、帰ってしまうとですか?」
きゅーん、と寂しげに尾を垂らす黒柴の姿が坂本くんに重なって見えた。
「あ。すみません! 俺、おかしかこつば言うて……!」
口元を押さえて視線を落とした坂本くんの耳が赤く染まる。
なんだこの可愛い生き物は。
心臓が掴まれたみたいにぎゅっとなる。
このまま帰らなくても構わないなら、坂本くんともっと話がしたい。
だけど現状、坂本くんに迷惑をかけているのも事実で。
「そう言ってもらえて嬉しいよ。ありがとう」
甘えたい気持ちと、現実と。ちゃんと線引きするために、笑顔で答える。
坂本くんは視線を落とし、少しだけ黙り込んだ後で、ぎこちなく口元にだけ笑みを浮かべて段ボールの方へ向かった。
「靴、用意しますけん。て言うてもサンダルばってん」
段ボールから取り出したクロックスを手に、玄関に向かう坂本くんの背中。
その背中に伸ばしかけた手を、きゅ、と握って、俺もその後に続いた。
幸せな夢は、これで終わり。
現実の自分に戻る時間だ。



