3、2、1で恋が始まる

「俺の指見て」
 教室の片隅、カーテンの中。
 龍司(りゅうじ)の、バスケットボールをかるがる掴める長い指を、おずおず見つめる。
 右、左、右。
 メトロノームみたいに、おれの内心みたいに揺れている。
「次は深呼吸。……もっかい深呼吸」
 言われるがままにすると、自然と肩の力が抜けた。
唯翔(ゆいと)はだんだん心の扉を開いていきます。ちょい隙間……半分……あと三センチで全開。二、一」
 遺跡じみた重たい扉をギギギ、と押し開けるイメージが思い浮かぶけど、そんな簡単にかかんないよ。
「はい、完全に素直になりました。じゃあ質問、俺のこと好き?」
 好っ? 答えられるわけ、
「――、」
 やめろやめろおれ、じゃなくて()――!

 ◇

「……唯翔。明日、数学のノート見して」
 窓際の一番後ろ、一年一組の特等席に突っ伏す龍司が、おれのシャツの背中をくいっと摘んだ。
 つるむようになって五か月、いまだに慣れない仕草だ。
 帰り支度の手を止める。
(反則、動悸、通常運転)
 平常心を装うために、口の中で適当な単語を三つ唱えてから、腰を捻る。
「今日の授業のじゃなくて?」
「明日」
 龍司が低く繰り返すとともに、窓から秋めいた風が吹き込んできた。
 龍司のすっきり短い黒髪と、しっかり筋肉のついた腕を撫でていく。
(はあ、眼福……)
 つくづく、龍司は男が憧れる佇まいをしていると思う。
 でも表情や言葉には出さない。
 なぜならおれは今、“一軍男子グループの頭脳担当”キャラだから。
「宿題なら、帰ってからやる時間あるでしょ」
「忘れる」
「忘れる前提かよ」
 断固写させてもらう姿勢の龍司に、おれの隣の席の(はら)が突っ込んだ。
 呆れたような口調だけど、華やかなイケメン顔と明るい金髪のおかげで、感じ悪さはない。むしろ親しみが滲む。
(対等ってやつだ)
 龍司にこうやって言えるのは原くらいなので、そういう意味で彼のことも憧れている。
「ゆいゆいのノート、おれも見たい!」
 龍司の隣の宮本(みやもと)も話に加わってきた。
「お前はだめ」
「なぁんで、つっし~」
 即却下した龍司の腕を、ゆさゆさ揺さぶる。
 龍司は百八十五センチ、宮本も百八十センチあるから、大型犬のじゃれ合いっぽい。
 ちなみに龍司の苗字は津島(つしま)だ。
 二人ともバスケ部に所属していて、中学からの付き合いだとか。
 少し羨ましい。いや、やっぱり羨ましくない。
「宮本くん、わたしのノートでよければ見せたげようか」
「えいいの?」
 宮本は逆隣に座る才色兼備女子・春野(はるの)さんに声を掛けられ、たちまちそっちに尻尾を振り始めた。
 そのおかげか、春野さんが龍司には声をかけないでくれて安堵する。
 ……とにかく。
 おれはひそかに、こんな感じで大丈夫だったよな? と自分の言動を振り返った。
 中学のときはおれ自身も仲の良い友だちもこういうキャラじゃなかったから、いつも手探りだ。
 生きる上での反射神経が鈍い自覚もある。
「ちょっとは自分でやろうとしろよな。赤点待ったなしじゃん」
「……そうそう」
 病は気から、擬態は形から。
 不安はしまい込んで、原とともに宮本の変わり身の早さを笑う。
「っ!」
 そのさなか、龍司がおれのシャツを再度摘んだ。
 腕が長いから、いつでもひとつ前のおれの席に手が届く。
(思わせぶり、勘違い、通常運転……!)
 三単語唱えて、今度は視線だけ向ければ、
「俺は唯翔のノートがいい」
 謎のこだわりを表明された。うん?
 おれは中学時代の名残で、成績上位をキープはしてるけど。春野さんのノートもきれいでわかりやすいと思うよ。
「あと帰り、ストバス行かね?」
 続けて、さっきより抑えた声で誘われる。
 ストリートバスケか。通学路の途中に、誰でも使えるコートがある。近隣の高校の一軍男子がよく集まっている。
 うちのバスケ部はエンジョイ寄りで、放課後の練習も毎日ではない。
 そしておれは帰宅部。放課後の予定は特にない。
「んー、やめとく」
 でも、あえて断った。
「なんで」
「人多そうだし、制服で汗掻くのはパス」
 ひそひそ返す。検討の間に担任がやってきて、帰りのホームルームが始まっていた。
 頭脳キャラとしてそれっぽい理由をつけたが、本当はぼろを出さないようにだ。
(バスケはスピードが速過ぎるし、おれの身長も平均に二センチ足りないし。「龍司のダチこの程度?」って思われたくない。龍司にも、がっかりされたくない)
 眼鏡――はコンタクトに変えたので、代わりに毛先を遊ばせた茶髪を弄る。
 せっかく高校デビューを果たしたからには、この地位を失う事態は避けたい。
「ふーん……」
 龍司は納得したんだかしてないんだかわからない相槌を返してきた。
 龍司のダイナミックなバスケ姿を間近で見る機会をふいにするのは、正直惜しい。でも目先のご褒美に飛びつくんじゃなく、長い目で見よう。
「諸連絡は以上。んじゃ文化祭実行委員、前出てー」
 今日のホームルームは、五分で終わらなかった。
 来月、文化祭が行われる。その話し合いをするらしい。
「……あれからもう一年経ったんだ」
 思わずつぶやく。
 おれにとって、人生が変わった一日だった。
 龍司は……憶えてないか。
「……」
 背中をこんもり丸めた姿勢のまま黙り込んでいる。
 まあ、思い出さなくていいけど。
「――というわけで、クラスの出し物を決めたいと思います。案は、ありますか?」
「なんでもい~の?」
 実行委員に、宮本が大きな声で質問した。彼はクラスの話し合いをちゃんと聞く上に、意見も出すタイプの陽キャだ。
「声でっか」
「だって楽しみだし」
 宮本につられる形で、あちこちから「飲食ありなら飲食系やりたいよね」「ステージは使えんのかな?」と声が上がり、緊張する様子だった実行委員がほっと息を吐く。
 宮本は普通にわくわくしてて、恩着せがましくないのがいい。原もくすりと笑っている。
 龍司は――遊んでほしい大型犬のごとく、おれのシャツを指先でかりかり引っ掻いてくる。
 それも無言で、原と宮本には見えない角度で。
(落差、萌え、キャラ維持……!)
 三単語を心の中で何度も唱えて、耐える。
 話し合いはというと、宮本の「みんなが楽しいやつがいい!」というひと声で、飲食希望もパフォーマンス希望も叶う”占いカフェ”に内定した。

「占い、流行ってんだ」
 文化祭実行委員が本部に承認をもらいにいき、他の生徒は解散になった。
「……、……らしいよ、占星術とかが女子高生に人気だって」
 龍司がぐぐっと伸びをしながら発した一言に、三拍遅れで反応する。おれに訊いたのかもしれないし。
 出し物としては、占星術(ホロスコープ)やらタロットやら手相やら、あらゆる占いを軽食とセットで提供する方向だ。
「それだけ将来とか恋に悩める子が多いってこと」
 龍司はまた「……ふーん」とそっけない。
 独り言で、特に答えは求めてなかった?
 一軍男子の生態、難しい。シャツの中を冷や汗が伝う。龍司にだけは擬態を見破られたくない。
「占いといえばさ、催眠術で恋させる地下アイドルグループがいんだわ」
「えなにそれ~?」
 幸いにも原が話題を変え、宮本もそっちに乗っかってくれて助かった。
 それにしても、催眠術で恋……?
 一転、そわそわする。人生で一度も恋人がいたことがないのは秘密にしているから、顔には出せないが。
「オレのバイト先で何回かライブしたんよね」
 原は、地元のアマチュアバンドやアイドル御用達のライブハウスでアルバイトしている。尊敬の一言だ。
「特典会で、ファンの女の子たちに『きみはオレのことがもっと好きになる』とかってやってる」
「あっはは、おもろ~」
「……さすがにやらせでしょ」
 もともとファンなら、催眠術にかかったとは言わないんじゃないか。そう思い至って肩を竦めたら、
「試す?」
 龍司が妙に真剣な声色でつぶやいた。
 えっと、これも独り言か? でも誰かに投げ掛けてるような。
「じゃあオレ、そろそろバイトだから。また明日な」
 判断がつかない間に、原がひらりとスクバを担いで立ち上がる。
「宮本ー! はよ来いよ」
 その原と入れ替わる形で、三組の男子が教室を覗き込んできた。
 名前までは知らないが、龍司や宮本に劣らず背が高い。そして忙しない。
「あっ、そだ。バレー部の助っ人してあげる約束してたんだ」
 宮本がはっと椅子を蹴る。
「助っ人?」
「月末に県の秋季大会があんだって」
「バスケは」
「今日は練習ないじゃん。あとバスケ部はウインターカップ(全国大会)の予選もう負けちったじゃん」
「……」
 龍司はあえなく黙らされた。
 宮本は切り替えが早い。
 迎えにきた男バレ部員はあくまで宮本の友だちであって、龍司には助っ人の要請はしていないらしい。
「今行く! つっし~ゆいゆい、ばいばい」
 宮本がジャージを手に、どたばた体育館へ向かう。
 瞬く間に二人になった。
 おれたちも帰る流れでいいよね……? と龍司を窺う。
「やろ」
 裏腹に、龍司は椅子にどっかり座ったままだ。
(やろ、って。催眠術を?)
 こっちはまだ何も答えていないのに、スマホで手順を調べ始めている。
「きm……貴様がかけるつもり?」
「そうだけど」
 龍司はこちらを一瞥したきりで、熱心に画面をスクロールする。
 そんなに乗り気だとは思わなかった。話し合い中、占いには興味なさげだったが。
 おれはあまり気が進まない。……でも。
(ストバスも断って、催眠術も断ったら、ノリ悪いと思われるかな?)
 別の懸念が頭を過ぎる。
 努力と幸運でもって“仲の良い友だち“ポジを得たのを、手放したくない。
「これなら汗掻かない」
 何より、龍司の三白眼に見つめられると突っぱねきれない。
「……術、かかんないと思うよ?」
「じゃあいいだろ、やってみても」
 最後のあがきとして、こう見えて占いとか超能力とか信じないタイプだとアピるも、結局押し切られた。
「おらこっち向け」
「わ、クリーム塗られるケーキみたいに回すなって」
 首だけ龍司に向けてたのを、座面の上で身体ごとぐるんと動かされる。
 ……まあ、いいか。
「一回だけね」
 それも素人による催眠術なら、取り返しのつかないことにはなるまい。
「まずは集中な。俺の指見て」
 龍司はにまりと口角を上げると、おれの顔の前で人差し指を立てた。規則的に左右に振る。
 えっと……思ったより本格的な感じ?
「……あの」
「なに?」
「ちょっと、恥ずいかも」
 教室には帰宅部が何人か残ってて、おれたちのやり取りに聞き耳を立てている。
 催眠術にかかりやしないと思うけど、念のため申し出た。
「……」
 龍司は、おれと野次馬を交互に見るや、おもむろに傍らのカーテンを掴んだ。
 野次馬たちがびくりと固まるのも構わず、シャッ、と引く。龍司の机とおれの椅子が覆われる。
「これでいい?」
 いいかどうかで言えば、全然よくない。
 他の人たちと隔てられて、龍司の呼吸とか制汗剤の匂いとかを、より強く感じる。
 つまり逆もしかりだ。
(密室、危機、友だちポジ……っ)
 いや、龍司に他意はないはず。
 おれのうるさい心音も指先の温度もばれることはない、と言い聞かせる。
「……うん」
「じゃあ、俺の指見て」
 術が再開された。これは集中のためのステップらしいが、生成り色のカーテンに囲われた空間にはおれと龍司しかいない。気の散りようがない。
「次は深呼吸」
 すう、はあ。はからずも少し落ち着く。
「何の催眠かけるの。りんご握り潰せます、とか?」
 以前バラエティ番組で、タレントに催眠術をかける企画を見たことがある。そのときは果物を素手で握り潰したり、片足で立てなくなったりしていた。
「唯翔の心の扉開けてみるか」
「開けてみるかって」
 龍司はさらっと言ってのける。
 心の扉、ときた。
(おれの素に気づいてる……? まさかな)
 まあこれなら、「やっぱりかからなかった」で切り上げられそうだ。
「あと三センチで全開。二、一。はい、完全に素直になりました」
 龍司は粛々と進める。
 でも、おれとしては術にかかった感覚はない。催眠がかかるのまでのんびり、ってことはないよな?
「じゃあ質問」
 普段と変わらない状態なら、怖くない。ぱっと終わらせよう。何でもこい。
「俺のこと好き?」
 好っ!? 一問目にそれ訊く?
 龍司と対照的な垂れ目を瞬かせる。
 催眠術にかかわらず答えられるわけが――
「っ」
 おれの身体が、勝手に息を吸い込んだ。
 もしかして。もしかして、催眠術、無自覚にかかっちゃってる?
 なんて答える気だ。自分で自分の言動の予想がつかず、ハラハラする。
「うん、好きです」
 ………………終わった。
 ああはいそうですよ。おれは、龍司が好き。片想いしている。
 ただ恋心は心の奥に閉じ込め、告る気はなかった。友だちでいられれば充分だったのに、友情も終わってしまったに違いない。
 それもこんな形で。じわじわ喪失感に苛まれる。
 当の龍司は咳払いだけして、催眠術師役を続ける。
「どんくらい好き?」
「えっと、こんくらいです」
 追い討ちをかけるな、龍司と()~っ!
 両手を広げながら発した声ははにかんでて、誰なんだよ。
 ……って、素の「僕」か。
 妙な沈黙が立ちこめる。
「ふーん。いつから」
「去年……」
「去年?」
「高校の、文化祭見学に来たとき」
 龍司、貴s……君は積極的に恋バナするタイプじゃなかっただろう!?
 何なら彼女をつくる気配もなくて、油断してた。
 頼むから掘り下げないで。できれば聞かなかったことにしてください。
「僕、男子トイレの場所がわからなくて、困ってました。誰に訊けばいいかもわからないし、そもそも誰も僕なんかに足を止めてくれないし。そこに、龍司くんが来てくれたんです。すごく頼もしかったです」
 うわーっ。おれの口、鎮まりたまえ……! 頬を染めて詳細を語らないでいい。
 よりによって用を足すのに切羽詰まってただとか、明日から避けられる要素しかない。
 龍司は龍司で、「憶えてたんか」とつぶやいた。
「あれは俺もトイレ探してたら女子トイレしかねえってなって、お前に助けられたけど」
「? 龍司くんが在校生に話しかけてくれましたよ?」
 ちなみにトイレは男女で北階段脇と南階段脇に分かれ、しかも階によって入れ替わるという初見殺しな設計だった。
「唯翔がいたから怖がられずに済んだんだよ。てか、そんときと感じ違うのはなんでなん」
 え……? 思いもよらない問いが続く。
 感じが違う。それってつまり。
「僕と文化祭で会ったって……気づいてたんですか」
 ぶ厚い眼鏡を、コンタクトに替え。
 何の変哲もない黒髪直毛を、茶色に染めてヘアスタイリング方法も習得し。
 眉を整え、筋肉量をこれでも三パーセント増やし。
 「僕」を「おれ」に替え(二人称はたまに「君」って言いかけて「貴様」でごまかしてる)。
 宿題を解くみたいに一軍男子の会話パターンを学習して、マイペース地味ぼっち男子から一軍グループの頭脳担当へとキャラ変したのに?
「気づくだろそりゃ。まあどっちでもいいけどさ」
 地道な努力の意味がなかったも同然の事実を、あっさり知らされた。
 いや、結果的に龍司と友だちになれたから、意味はあったのか。
 ……その友情も今日で終わりだろう。何とも儚い。
「入学式の後ぴょこぴょこしてたの、トイレの前でしてたのとおんなじ動きだったし」
「ぴょ、こぴょこなんてしてないですもん」
「してた」
 聞き流せない指摘を否定するも、返り討ちに遭う。
 ていうか「もん」って何だ、埋まりたいのか僕?
 単に、掲示板に貼り出されたクラス分けの紙を見たかったがどうしても見えなかった、という話だ。
 それで隣にいた背の高い新入生に、
『悪いんだけど、「高岡(たかおか)唯翔」を見つけてくれない?』
 と頼んだら、龍司だった。
 偶然にも同じクラスで、五十音順の出席番号が前後で。いつメンになれて、今に至る。
 一回も去年の文化祭の話は出さないから、てっきり憶えていないものと思っていた。
「それと……の前に、質問の答えは」
 話を蒸し返される。
 そこ、そんなに気になる?
「龍司くんと仲良くなりたかったからですよ」
 あーーーもう、泣きたい。
 解き放たれた「僕」はにこにこ微笑んでるけど、「おれ」は限界です。
 助けてくれた他中の制服の子にまた会いたくてこの高校を受験することに決め、もたもた高校デビューの準備を進めてただなんて、龍司からすれば気持ち悪いだけだ。
 実際、龍司がダウナーなままなのは、引いてるからとみた。
「そか。じゃあ俺と、」
「ごめんなさい」
 俺との友だち関係は終わり、って言われそうで、一転して俯く。
 素の自分があまりにも魅力に乏しく情けなく、視界が滲んだ。
(昔からちっちゃくてのんびりでおどおどしてたからって、正反対のどーんと構えてる頼もしい男子が、彼氏になってほしいって意味で好きとか……我ながらないよ)
 こんな自分じゃ好かれない、と一念発起して擬態してたのに、ばれたら二倍恥ずかしい。
 しかも龍司の通告を遮って、この期に及んで友だちポジにしがみつこうとしている。
「……本当に、許してください」
 どうにか絞り出した。
 催眠術欲は充分満たされただろう。これ以上、素を晒させないでほしい。
「俺が指鳴らしたら、元通りな」
 龍司ももうおれとは話したくないのか、口早にそう言うと、ぱちんと指を鳴らした。
 同時にバタン! と扉が閉まる音を錯覚する。
 これで術は解けた……んだよな?
「唯翔?」
 名を呼ばれても、顔を上げられない。
 さっきみたいに「なんですか?」ってでれでれ返さないだけましだけど、居たたまれなさは薄れない。
「……あれ、おれどうなってた?」
 悪あがきとして、「催眠術中は意識がありませんでした」作戦に出てみたものの、しらじらしく響く。
 沈黙が痛い。
 元通り、にはならない。
 初めて行動に移した片想いは、苦い結末を迎えた。
 こんなことなら目立たない地味男子のまま、教室の逆端から眺めるだけにしておけばよかった。
「……えっとおれ、用事あるから」
「唯翔、」
 ありもしない口実で龍司の制止を振り切り、そそくさとカーテンの外に出た。



 翌朝。ざわめく教室の前で立ち止まる。
 昨日逃げるように帰ったので、龍司と顔を合わせづらい。
 龍司にしてはめずらしくLINEが来てたけど、それも未読スルーしてしまった。
([大丈夫?]って一言だけの通知、反応しようがないでしょ)
 ただでさえ返信ひとつに三十分、いや三時間かかるのを、いつもどうにか三分に短縮している。
 そもそも催眠術をやりたがったのだって向こうだ。
 それに、今さら素のキャラにも戻せない。
(事故、冤罪、不可逆)
 気まずさはぜんぶ龍司のせいにして、「三、二、一、せーの」で足を踏み出した。
 窓際の一番後ろ。こんもりとした白色の小山――机に突っ伏す龍司の背中が、ぴくりと身動ぐ。
 それを合図に宮本と原が振り向いて、おれは思わず唾を呑み込んだ。
 大丈夫、ぼっちは慣れている。
「おはよ~、ゆいゆい」
「今日はゆっくりだな唯翔」
 覚悟と裏腹に、昨日までと変わらない態度で笑いかけられ、拍子抜けする。
「……おはよ。コンビニ寄ったから」
 何とか“一軍グループの頭脳担当”モードのスイッチを入れ、席に着いた。
 龍司に近づくための擬態が、どういう顔をしたらいいかわからないときにも役立つとは思わなかった。
「昨日、バレー部にめっちゃ勧誘されちった。おれバレーの才能もあるかも」
「男バスと男バレって体育館交互に使ってんだよな。掛け持ちしたら毎日練習になって、オレらと遊べないな」
「え? それはさみし~からやだ!」
 宮本たちのおしゃべりに耳を傾けつつ、ちらりと龍司を見る。
 まだ半分寝てるのか、枕代わりの腕の先はだらんと脱力している。
(この二人には、話してないんだ?)
 龍司は、昨日のおれの失態を黙っていてくれているようだ。
 催眠術どうだった? とすら訊かれない。
 まあ、おもしろおかしくばらすような男じゃないか。去年の文化祭だって、切実にトイレを探す「僕」を嗤ったりしなかった。
 半年間、擬態に気づきながら黙っていてくれた。
 そういうところも、好き……だった。
(ていうかワンチャン、友だちとしての「好き」だって受け取ってくれた説、ある?)
 感傷の中で、ふとひらめく。
 付き合ってとは言ってないし、男同士だし。
 だから昨日そこまで驚いた様子はなく、今日の態度も変わらないのだとしたら、辻褄が合う。
 実際、龍司はあまり他人に興味がないというか、鈍感なところがある。
 何だ、よかった。
「……と」
 安堵と同時に、シャツの背中を控えめに突かれた。
 龍司のくぐもった声はよく聞こえない。
「あ、ノート?」
 そう言えば一時間目は数学だ。ノートを見せる約束――って! 
 宿題のことをすっかり忘れていた。それどころじゃなかった。
「ごめん、自分でやって」
「……」
 頭脳キャラだからというより、小中学校時代の習慣で、宿題をサボるのは落ち着かない。
 朝のショートホームルーム中に終わらせようと、慌ててノートを開いた。

 催眠術によって素で告白してしまったが、好きな人が鈍感だったおかげで、奇跡的に友情継続ルートに入れた。
 ……ただそれはそれで、今までと同じ振る舞いをしにくい。
(聞かなかったことにして、ってわざわざ頼むのも変だしな)
 好きバレしてる感覚を拭いきれず、文化祭の準備が始まっても、どうもぎくしゃくしてしまう。
「ねね、飲食班のほうやろうよ。おれプリンにさくらんぼ乗せるお仕事したい」
 占いカフェの案は無事承認され、ただいまクラス内の役割決め中だ。飲食班か占い班、どちらか選ぶ必要がある。
「宮本は運ぶ途中で味見し過ぎてプリンなくなりそ」
「原っち、おれのことなんだと思ってる~?」
「日本語がちょっとできる犬」
「人間ですけどぉ!? もーいいよ。つっし~とゆいゆいも飲食班やるっしょ?」
 恒例のやり取りに笑っていたら、話を振られた。
 これまでなら特に悩むことなく、四人で行動するところだけど……横目に龍司を窺う。
「どっちでもいい」
 龍司は普段と変わらず、興味を示さない。
 冷笑まではしないけど、宮本と正反対で、感情を表に出すことが少ないんだ。
 答えに迷う中、女子グループが「うちらも飲食班にしない?」とそわそわ言い交わすのが耳に届く。龍司たち目当てに違いない。
「……占い班のほうにしようかな」
 おれは熟慮の末、同じ班を避けた。
 龍司の近くにいるとどうしてもぼろが出そうなのと、女子にモテる龍司を見ると今は胸がざわざわする。
(友だちで充分だったでしょ)
 自意識過剰だけど、ちゃんと友だちに戻れるように――と思いきや。
「俺も占いにする」
 龍司が発言をひるがえした。
 強く主張する龍司はほとんど見たことがない。
 いや、催眠術もあきらめなかったか。
(……実は占い好き男子だった?)
 新しい一面を知れて、こんな状況ながら、ほくほくと嬉しさが湧く。龍司は真剣なのに、後ろ向きな理由で邪魔したら悪いよな。
「え~一緒にしようよ」
「じゃあおれはやっぱり飲食班にするよ」
 宮本が引き留めてくれたので、ありがたく飲食班に手を挙げた。
「……」
 そのはずが、背後からやたらと圧を感じる。
 一瞬でも日和ったの、占いガチ勢には気に入らなかったか?
「なに、お前ら喧嘩でもしてんの」
 鋭い原に指摘され、ぎくりとした。
 これは喧嘩じゃない。おれが一方的に意識しちゃってるだけ。
「まさか」
 変な空気にしたくなくて、首を振る。「な」と龍司に同意を求めるも、龍司は亀が甲羅に引っ込むみたいに突っ伏し直すのみで、スルーされた。
 ……はあ。せっかく最悪の事態は回避したのに。
 つい溜め息を漏らした。


 放課後を文化祭の準備に充てる日々が始まった。
 ただし部に入ってる人は、文化祭一週間前まで部活優先でいい。実行委員は、パンフレット制作とか校門用の装飾、タイムテーブル調整といった全体の準備に追われている。
 つまりクラスの出し物のクオリティは、帰宅部メンツの腕にかかっていると言っても過言ではない。
「ちょっと図書室行ってくる」
 そんな中、おれはカフェで出すスイーツの原価計算用の資料を集める、という口実で教室を抜け出した。
 作業に集中できず、計算ミスばかりしている。
(だめだめだな、おれ。やっぱり素がマイペース地味ぼっちだから)
 龍司に対する態度をこうしたほうがよかったかも、ああするのが正解だったかも、と後になってぐるぐる気にしてしまうのだ。
 これじゃ別の班にした意味がない。
 またひとつ溜め息を吐いて、校舎の最上階の端を目指す。
 自己嫌悪も、素とほど遠い一軍擬態による疲労も、図書室ならまとめて癒せる。
「失礼します」
 引き戸を開け、すう、と息を吸った。
 本の匂いがする。落ち着く匂いだ。
 レシピ本を数冊抱え、静謐な閲覧席に着く。
(へえ、プリンの固め柔らかめって、牛乳の量だけで決まるんじゃないんだ)
 ページをめくるうち、だんだん楽しくなってきた。
 スポーツは観るのが好きだし、音楽は聴くのが好き。本を読んだり勉強したりして、新しいことを知り、噛み締めて反芻するのがおもしろい。友だちの話も聞き役がしっくりくる。
 ……でも、相手からしたらおれはつまんない人間ですよね。
「唯翔」
 不意に、幻聴が聞こえた。
 龍司はバスケ部の練習中だ。ここにいるわけない。
「唯翔」
 ……いた。背を屈め、レシピ本に大きな影を落とすのは、間違いなく龍司だ。
 Tシャツ姿だけど、部活は? なんでおれが図書室にいるってわかった?
「ちょい来て。話ある」
 ぽかんと口を開ける間に、手首をがしりと掴まれる。熱い。
(は、話? って何の?)
 疑問が尽きないが、図書室は私語厳禁だからついていくほかない。居合わせたみんなに「シメられる?」って目で見られてますが。
 龍司は構わず、大股で屋上手前の踊り場まで歩いていく。振り返るなり、腰を折った。
「ごめん」
「えっ……と?」
 低い声が三音を紡ぐ。シメられはしなかった。
 でも謝られる覚えもなく、戸惑う。
 今週は飲食班と占い班に分かれ、別行動していた。その前は――
「こないだの催眠術」
 ……ああ。催眠術中の告白に対するお断り、とか?
 石を飲み込まされたかのごとく、胸から腹にかけてずうんと重くなる。
 はっきり断られたほうが、すっぱりあきらめられ……ない。
 すぐ切り替えるのは、無理だ。上履きのつま先に目を落とす。
「……あれはおれも変なこと言っちゃったから、気にしないで。……はは」
 何とか擬態で踏ん張ろうとする。
 だが龍司は一緒に笑い飛ばしてはくれない。
「じゃなくて。唯翔の素がやっと見れて嬉しくて、調子乗ってやなことした。ほんとないわ」
 重ねて反省を口にする。
 ……ん? 「素が見れて嬉しくて」って言った?
(「僕」の素が? なんで嬉しいんですか?)
 ぜんぜん話が噛み合わない。
 原みたいに的確な突っ込みも入れられないうちに、
「詫びに催眠術、俺にもかけろ」
 と畳み掛けられた。
(それ、お詫びになるんでしょうか)
 ふんと鼻息荒い龍司と対照的に、眉じりを下げざるを得ない。
 ちょっと話を整理させてほしい。
 自分の素が残念だっただけで、龍司にいやなことをされたとは思ってない。
 むしろ謝るべきなのは、いろいろ隠していたこっちでは……。
「なんかぎくしゃくしてんのやじゃん」
「……うん」
 それはそうだ。こくりと頷く。
「ドリブルミスって外に転がってったボール拾いに行ったら、唯翔が歩いてんの見えたから、一秒でも早く話そうと思って」
「えっ?」
 龍司も部活中、おれと同じような状態になってた……?
「催眠術って、相手を信頼してるとかかりやすいんだとさ。だから、お前になら何されてもいいって証明する。やり方はこれ」
(な、何されてもって)
 催眠術が、かけるほうの技術よりかかるほうの心境によるとは知らなかった。
 信頼の証明。そう言われては断りづらい。
 それに、龍司の謎の罪悪感が溶けて、もとの友達の距離感に戻れるなら、安いものだ。
「……わかった」
 押しつけられたスマホに書かれた手順に沿って、龍司にも催眠術をかけてみることにする。
「じゃあ、おれの指を見てください」
「もう見てる」
 うっ、と声が出そうになった。三白眼の破壊力が高過ぎる。
 過剰にどきどきして、早くも失敗しそうだ。
「次に、深呼吸」
 すう、はあ。おれも一緒に深呼吸してしまい、「俺がかかんだって」と小さく笑われた。
(だって)
 よくよく考えたら、人けのない場所にふたりっきり。龍司の立ち位置はやたら近い。制汗剤と柔軟剤の爽やかな匂いもする。
 咳払いして、恋心を胸の奥に押し込め直す。
「龍司はだんだん……えーと、眠くなります?」
「寝かしつけんな。俺の心開けよ」
 どういう指定をしたらいいかわからず、無難な指示を出したら即、だめ出しされた。
 龍司は素を出すことに抵抗がないらしい。いつも堂々としてるしな。
 でも、お詫びなんだっけ?
「はいはい。龍司はだんだん、心の扉を開いていきます。三、二、一。……かかった?」
 ともあれリクエストどおりに心の扉を開かせてもらったものの、こっちは手応えがない。
 龍司も一見、変わりない。
「かかってる。何か訊いて。訊きたいことあんだろ」
「それは……なくはないけど」
 これからも友だちでいてくれる? とか。
 嫌わないでくれる? とか。確かめたくはある。ただし。
 素の状態、つまり本心で「無理」って拒絶されたら、今度こそ立ち直れない。怖くて簡単には訊けない。
「催眠にかかってても、黙秘したりできるらしい」
 おれの躊躇いを感じ取ったのか、龍司が付け加えた。
 龍司の隠しごとを暴いてしまう心配をしている、と思われたようだ。
「答えたら無意識に許可してるってこと。だから何でもいい」
 ……え。おれはぺらペら答えちゃいましたが?
 じゃあ「僕」は、龍司に片想いを知ってほしかったってことか。
 確かに、本当はなかったことにしたくない。
 (おれ)にとって、大切な初恋だ。
「じゃあ、もう一個催眠かけていいですか?」
「は?」
「だめ?」
「いやいいけど」
 龍司は一瞬眉を顰めたものの、何でもいいと言った手前か、了承してくれた。
 置き場がなく握ったり開いたりしていた手を、再度龍司の顔の前に掲げる。右、左、右。
 好き。友だちで充分。好きになってほしい――。
「君は僕を好きになる……、なんて」
 二重の催眠術を仕掛けかけ、慌てて止めた。
 催眠で好きになってもらったって何の意味もない。むしろ後ろめたい。
「忘れてください、っ」
 改めて指先を左右に動かそうとしたものの、右を向けたままきゅっと握り込まれ、かなわない。ひえ。
「それはかかんねえよ」
 低い声で諭される。
 僕ばっかり動揺してじたばたしてるって、突きつけられるかのようだ。
 決して友だち以上にはならない、とも。
「……か、かかるって言ったじゃないですか、」
「もう好きだから」
 八つ当たりめいた駄々は、毅然と遮られた。
 もう、好き? 友だちとして……か?
 龍司に包み込まれたままの手を凝視する。どくどくとうるさいのは、僕の脈音か、それとも。
「誰、が」
「俺が」
「誰を……?」
「唯翔を」
 龍司が僕を? 僕が龍司をじゃなくて?
 そろりと視線を上に移せば、ものすごく真剣に見つめられていた。
 息が止まりかける。さっきから何なんですか。
「わ、あ、催眠かかってます?」
 そうだ催眠術中だ、と思い直すも、龍司の目力が強くなるばかりだ。
「解け」
「えと、」
「早く」
 まごついていたら、もどかしげに急かされた。
 かけろと言ったり解けと言ったり、振り回されっぱなしだ。
「これで、元通り」
 ぱふんと指を打ち鳴らす。龍司みたいにきれいな音は出せなかった。
「……解けた?」
「解けた。から、もっかい訊けよ。さっきの」
 検証の間もなく、ぐっと手を引き寄せられ、ぶ厚い胸板に顔をぶつけてしまう。
 鼓動が速い。おれのじゃなく、龍司の。
 もしかして……叶わないと思っていた恋が、叶う?
 意を決するために、三、二、一と心の中で唱える。思いきって口を開く。
「誰が、誰を、好き?」
「俺が、唯翔を、好き」
 言い聞かせるように、三つに区切って告げられた。
「催眠術で言わされたんじゃない、俺と付き合ってほしいって意味での、好きだかんな」
 好き。じんわりと甘い歓喜が身体を満たしていく。
 ただ、まだ信じられない気持ちもある。
「おれが言うのもなんだけど、どこが?」
「俺のこと怖がんないでくれただろ」
 怖い? そう言えば、女子は宮本と原にはよく話し掛けるけど、龍司にはそうでもない。
 でも「僕」にとっては、初対面から頼もしかった。今も変わらない。
「龍司ははじめて会ったときからずっと、堂々としててかっこいいよ。他の人も見惚れてるだけだと思う」
「ふーん……」
 素直に告げれば、龍司はへの字型の唇をむにむにさせて、嬉しそうにする。
「でもそれ表に出さなかったろ、お前。勉強めちゃくちゃ頑張って同じ高校入ったのに、俺のこと憶えてないんだと思ったわ」
 いやいや、逆に一瞬話しただけの地味男子を憶えてるわけないって思うでしょ。
(……けど、龍司も憶えててくれたんだよな)
 入学式のあとおれの隣にいたのも、偶然じゃなかったってこと?
「でも、宮本とか原も対等で仲良しで、怖がってないでしょ」
「あのなあ。あいつらはぴょこぴょこしてないだろうが」
「ん?」
「クラスの自己紹介とかの緊張するときに人人人、人人人って三十人くらい吞み込んでるとこも、唯翔だけ」
「……え」
「あと、授業受けてるときの背中がさり気なくわくわくしてるとこも、宮本のアホ話をいつも仏みたいな顔で聞いてやってるとこも。日曜部活の試合応援に来てくれた後、金曜くらいまで脳内録画再生? してるっぽいとこも」
「待て、待って」
 次々挙げられ、理解が追いつかない。
 それも「そこ?」ってところばかり。
 龍司は訊かれたから答えたんだけど、と不服げだ。
「ただなんでか感じ変わってて。だからまず俺を憶えてんのかどうか、心開いてもらう機会窺ってた」
 頭の上から降ってくる言葉に、驚かされ続ける。
 機会を窺われてたなんて、ちっとも気づかなかった。それで催眠術に乗り気だったのか。
「……その、中学までのマイペース地味ぼっちな僕じゃ、君に好かれないと思ったんですよ」
 勇気を出して、擬態の意図を明かす。
「話は聞くのが好きで、なかなか自分から話しかけられなくて。のんびり過ぎて友だちは少ないし、恋人もいたことがありません」
 まさか催眠術でばれるとは思わなかったが、こっちが素だ。
 それで「話が違う」って言われたら、甘んじて受け入れよう。
「俺のために頑張ってたわけか。かわい」
 でも、龍司は声色も体勢も変えない。
 何なら愛おしげに、地味男子なりに研究した髪を撫でてくる。
「……へへ」
 つい、ホイップクリームめいた息が漏れた。
 そういう受け取り方をされるとは思わなかった。
 いや、龍司なら「僕」も「おれ」も受け止めてくれる。なのに何を怖れてたんだろう。
「けど溜め息吐くなら、俺の前では素でいれば。どっちでもいいし」
 龍司の言う「どっちでもいい」は、消極的な「興味がない」とは限らないらしい。
「……少しずつ、ね」
 この半年間の擬態は、労力はかかったが、新しい友情や未知の世界をもたらしてもくれた。
 何より龍司に好かれたくて頑張った「おれ」は、嫌いじゃない。
 「僕」と互いに歩み寄っていこう。
「あと文化祭、俺と同じ班になれ」
 龍司はなおも提案を繰り出してきた。
 同じグループの友だち同士でしかなかったときと、明らかに違う。
 これにはすぐ頷かず、ちろりと見上げる。
「龍司って、付き合ったら注文多いタイプ?」
 龍司ははっと口を覆った。
「……怖がられたくなくて我慢してんだよ」
 もう催眠術は解けたのに、神妙に白状する。
 もしかして、感情を出さないのは圧にならないようにで、教室で基本突っ伏してるのも身体を小さく見せるためとか?
「でも、唯翔に『ごゆっくり』って甘いもん出されたら、みんな唯翔のこと好きになっちまうだろ。特に誰かが素のお前に気づいちまわないか見張ってないとやばい」
 迫力のある三白眼が光る。
 ただし発した内容はまるで冗談みたいだ。それこそ催眠術じゃあるまいし。
 おれは龍司のようにかっこよくも、原のように華やかイケメンでも、宮本のように陽キャでもない。
「いや、あり得ないから」
「ガチだっつの。つか素出しても出さないようにしても結局可愛いのなんなん。どっちも俺の前だけにしろよ」
 でも龍司は頑として譲らない。これが素なのか。
「……ちょっと怖いよ?」
 途端、龍司がこの世の終わりじみた顔になる。
(いけない、言葉が足りなかった)
 龍司だって頑張っている。
 それにこの怖さは、「身体が大きくて」とか「視線が鋭くて」じゃなく、「そんな大きな気持ちがこんな自分に向けられているとは信じられなくて」由来だ。
 一緒にいれば、信じられるはず。
「嘘嘘、そこも好き」
 懸命に訂正すると、龍司は一転して満足げになる。
 おれの前では表情が結構変わるのも愛おしく、ますます「好き」が増えた。
 それも、届いた上に通い合ったんだから、催眠術さまさまだ。文化祭実行委員にも、原のバイト先でライブした地下アイドルにも感謝しないと。
「あと、も一個」
「なんですか?」
「明日ストバス行こ。見てるだけでいいから。ていうか俺だけ見てて」
「んー、それならいいよ」
 三パーセントくらい実感が湧いてきた。
 ちゃっかり手はつないだまま、一、二、三と階段へ踏み出す。

 ――文化祭当日、なぜか各種占いだけでなく催眠術のブースも設置されて僕も駆り出された結果、もっとあり得ない騒動が起こったのは、また別の話だ。