あなたをAIしてる


 それから僕と馨は毎日一緒に下校するようになった。
 正直、まだ馨と二人きりになるのは気まずい。今日こそは先に帰ろうと、終礼が終わるなり教室を抜けだそうとする。だけど──。「紬、一緒に帰ろう」と必ず後ろから声をかけられてしまう。
 一緒に帰ると言っても特に会話が弾むわけでもなく、ぽつりぽつりとその日あったことを話す程度。なんで一緒に帰る必要があるのだろうと不思議に思うくらいだ。
 あの日以来公園に寄ったり、駄菓子屋に寄ったりすることもない。ただ二人で肩を並べて歩いているだけ。
 僕には馨が何を考えているのかがわからなかった。
「蒼空さん、聞いてください。僕と馨は毎日一緒に下校しているんですが、特に会話があるわけじゃない。意味がわからないです」
『毎日一緒に帰るようになったんだね。少しずつ距離が縮まっているように見えるよ』
「別に仲良くなんてありません。放っておいてほしいくらいです」
『でも私には、紬にとって馨君は特別な人のように感じられるよ』
 そのメッセージを受け取った僕は眉を顰める。
 確かに『特別』と言えば、僕にとって馨は幼稚園からの幼馴染だから、蒼空さんの言葉に間違いはないだろう。
 ただ、『幼馴染』という言葉だけでは片づけられない何かが、胸の奥で静かに揺れていた。
 どうして僕たちは、こんな関係になってしまったのだろう。
 そう考えた瞬間、遠い記憶がゆっくりと蘇ってくる。

 僕と馨の出会いは幼稚園の年少組の春だった。
 新しい制服も、大きなリュックも、全部が慣れなくて僕は毎朝泣きながら母さんと手を繋いで登園していた。
「紬君、おはよう」
 先生が優しく声をかけてくれる。だけど、知らない子ばかりの教室が怖くて、母さんの洋服をギュッと掴んで離せなかった。
「大丈夫。すぐにお友達ができるよ」
 母さんはそう言って笑っていたけれど、その頃の僕には信じられなかった。
 母さんが帰ってしまうと、堪えていた涙がぽろぽろと溢れる。
「うわぁぁん……」
 その時だった。
「なんで泣いているの?」
 涙で滲む視界の向こうに一人の男の子が立っていた。
 少し癖のある黒髪に、くりっとした大きな瞳。制服は泥だらけで、手には砂場用のスコップを持っている。
「泣いてたらあそべないじゃん。はやくリュックサックおいてきなよ」
 そう言って、僕の手をグイッと引っ張った。
「早くいっしょにすなばに行こう!」
 そう言って笑う男の子の手は、とても温かかった。でも僕は、優しくしてくれるその子さえ怖くて泣きながら首を横に振る。
「いやだ。おうちにかえる」
「なんで? いっしょにあそぼうよ?」
「いやだ。おうちにかえる!」
 泣きながら駄々をこねる僕をその子は困ったような顔をしながら見つめた後、にっこりと微笑む。
「俺、今すなばで大きなお山をつくってるんだ」
「お山?」
「うん! もうすぐかんせいするから、いっしょにトンネルを掘ろう? ぜったいにたのしいから」
「ほんとう? ほんとうにたのしい?」
「ほんとうだよ! だから行こう?」
「……うん」
 僕はリュックをその場に置くと、その子に手を引かれて砂場へと向かった。
 母さんが帰ってしまった不安は消えて、心がワクワクしていくのを感じる。
(どんなに大きなお山なんだろう?)
 不思議だった。さっきまで泣いていたのに、この子を見ていると涙が止まる。温かな小さな手と、向日葵のような明るい笑顔が僕の心の中の不安を少しずつ溶かしていってくれる。
「お前、なまえは何ていうの?」
「……僕はつむぎ」
「つむぎか……。俺はかおる。今日から俺たちは『ともだち』な!」
「うん!」
 僕はいつの間にか笑顔に変わっていた。馨が僕に笑顔を運んできてくれたのだ。

 砂場に着くと馨が言っていたように大きな山が作られていた。きっと一生懸命砂を積み上げて固めたのだろう。僕はその山をみて思わず「すごい!」と歓声を上げてしまう。
 この山にトンネルができたら、きっともっと凄い山になることだろう。
「つむぎはそっちから穴を掘ってって。俺はこっちから掘るから」
「わかった」
 僕は砂の山を壊さないように慎重に穴を掘り始める。さっきまであんなに悲しかったのに、今はドキドキが止まらない。楽しくてワクワクして、いつの間にか涙も止まっていた。
 砂の山を崩さないように、指先で少しずつ穴を掘り進めていく。トンネルがもうすぐ繋がりそうだ。
「かおるくん、もう少しかな?」
「たぶん!」
 向こう側から聞こえてくる馨の声に胸が弾む。僕は夢中になって砂を掻き出した。その時だった。
「……あっ」
 指先にふわりと温かいものが触れる。驚いて手を止めてトンネルの中を覗くと、砂の向こうから馨の小さな手が覗いていた。
「つながった!」
 馨が嬉しそうに笑う。僕は何が起こったのかわからず、ぽかんとその手を見つめてしまう。
 砂の中で触れ合った小さな手は、少しくすぐったくて、少しだけ温かかった。
「つむぎ! こっちに手を出して」
「こ、こう?」
「そう! ほら、つながってる!」
 そう言って馨は砂を掻き分け、僕の手をギュッと握る。
 その瞬間、二人のトンネルは完成した。
「やったな、つむぎ!」
「うん!」
 二人の笑顔が弾ける。
 あの日、砂のトンネルで繋がった小さな手は、それから何年も離れることはなかった。
 ──あの日までは。
 
◇◆◇◆ 

 あれから季節は巡り、僕たちは小学生になった。
 真新しいランドセルを背負い、大きすぎる制服……ではなく、少しぶかぶかな体操服に袖を通して歩く通学路は、幼稚園の頃とはどこか違って見えた。
 それでも、ひとつだけ変わらないことがある。
「紬、行こう」
 朝になると、近所に住んでいる馨は決まって僕を迎えに来る。
「うん」
 二人並んで歩き出す。その何気ない時間が、いつの間にか僕の日常になっていた。
 真新しいランドセルはまだ背中に馴染まず、一歩歩く度に肩ひもが揺れる。桜の花が舞い散る通学路を、僕たちは今日も肩を並べて歩いた。
「ランドセル重いね」
「そのうち慣れるよ」
 そんな他愛もない会話をしながら。
 小学校は、幼稚園と何もかもが違っていた。
 広い校舎に長い廊下。たくさんの教室に、大きな校庭。六年生のお兄さんやお姉さんはとても大人びて見えて、僕は少しだけ緊張していた。
 だけど、隣には変わらず馨がいる。それだけで不思議と心細さはなかった。
 一年生の時は僕と馨は同じクラス。しかも席も隣同士だった。
「紬と席が隣で嬉しいな」
「僕も嬉しい」
 小さく呟いた馨に、僕も思わず笑みが零れる。
 こうして僕たちの小学校生活が始まった。

 小学校に入学すると一気に世界が広がった気がした。馨とは学校でもずっと一緒。授業中にこそこそお喋りをして先生に怒られたり、休み時間も一緒に遊んだり。
 放課後はランドセルを玄関に放り投げて、いつもの分かれ道で待ち合わせをして公園で日が暮れるまで過ごした。
「紬、今日もブランコに乗ろう」
「うん!」
「よーし、どっちがたくさん漕げるか競争だ!」
「えー! 馨には勝てないよ!」
 馨が勢いよく地面を蹴ってブランコを漕ぎ出したから僕も慌ててブランコを漕ぎだす。
 馨が乗ったブランコはどんどん加速していくから、僕も負けたくなくて一生懸命に漕ぐ。あんまり勢いがついてくると怖かったけれど、頬にあたる冷たい風が気持ちいい。頑張ってブランコを漕いでいると、空まで飛んでいけそうな気もする。
 そうやって、僕たちは日が暮れるまで一緒に遊んだ。
 そして帰り道には、決まって公園のすぐ裏にある駄菓子屋に寄る。駄菓子屋のおばあちゃんはいつも僕たちに「よく来たねぇ」と声をかけてくれる。
 汗をびっしょりかいて遊んだ僕たちは、いつも駄菓子屋で棒付きアイスを買った。僕はバニラ、馨はチョコレート。それもいつの間にか決まっていた。
 その頃には空が真っ赤に染まり、綺麗な夕暮れが空一面に広がっている。
「あ、一番星だ」
「本当だ」
 馨が指を差して教えてくれる。
 そしていつもの分かれ道。馨が笑顔で僕に向かって手を振った。
「紬、また明日ね」
「うん、また明日!」
 そう言うと馨は家に向かって走り出す。
 本当はもっと馨と一緒に遊んでいたかった。小さくなる馨の背中を、僕は見えなくなるまでずっと見送っていた。

◇◆◇◆

 季節がいくつも巡り、気がつけば僕たちは小学校高学年になっていた。
 校庭や公園を駆け回って泥だらけになって遊ぶことは少なくなったけれど、それでも僕と馨は変わらず一緒だった。
 朝は通学路で待ち合わせをして学校へ向かい、休み時間になればどちらともなく相手の教室へ顔を出す。放課後は小さくなったランドセルを背負ったまま校庭で遊んだり、公園へ寄り道したり、夕焼けに染まる帰り道を肩を並べて歩く。
 幼い頃から変わらない毎日。
 僕にとって馨が隣にいることは、あまりにも当たり前で、それが特別なことだなんて考えたこともなかった。
 だけど、高学年になる頃から少しずつ何かが変わり始めていた。
 背が伸びた馨は、いつの間にか僕より頭一つ分高くなっていて、低学年の頃には気にも留めなかった女の子の視線が、自然と集まるようになっていたのだ。
 
 六年生になった僕らは、小学校での一大イベントである修学旅行で、奈良と京都へ二泊三日で出掛けることとなった。
 小学校生活最後の六年生で、僕は馨と同じクラスになることができた。もちろん修学旅行の班も一緒だ。
 出発の日は、まだ暗いうちから目が覚めてしまう。修学旅行が楽しみで眠れなかったのだ。
「おはよう、紬」
「おはよう!」
「ちゃんと眠れた?」
「ううん。楽しみ過ぎてあんまり眠れなかった」
「俺も」
 そう言って笑う馨につられて僕も笑う。
 学校へ着くと、みんな大きな荷物を抱えて興奮した様子で話をしていた。先生の話なんて誰も真面目に聞いていない。
「それじゃあ、出発するぞー!」
 先生の声と同時に、大きな歓声が上がった。
 初めて親のいない旅行。新幹線に乗るのだって初めてだ。初めてのことだらけで、ドキドキしたりワクワクしたり……心が忙しい。
 それに馨が隣で楽しそうにしているものだから、それが一番嬉しかった。

 奈良公園に着くと、そこにはたくさんの鹿がいた。
「紬! 鹿だ!」
 馨は目を輝かせながら走っていく。
「待ってよ!」
 二人で鹿せんべいを買うと、一頭の小鹿がこちらへ近づいてきた。
「可愛いなぁ」
 そういってせんべいを差し出した次の瞬間だった。
 気付けば一頭だった鹿が二頭、三頭と集まってきて、あっという間に馨が鹿に囲まれてしまう。
「ちょ、ちょっと! 紬、助けて!」
「あはははは!」
「笑ってる場合じゃないって!」
 ランドセルの代わりに背負ったリュックを鹿に押され、馨は慌てて逃げだした。その姿が可笑しくて、僕はお腹が痛くなるほど笑ってしまう。
「はぁ……びっくりした」
「ごめん。でも面白かった」
「笑ってないで、助けろよな」
「ごめんって」
「まぁ、いいけど……」
 そう言うと、馨も結局は笑い出した。
 きっと、こんなことで笑える時間が一番幸せだったんだと思う。

 京都では清水寺や金閣寺を見学した。
 歴史の話は難しくてよくわからなかったけれど、古い街並みを歩いたり、お土産屋さんをのぞいたりするだけで十分楽しかった。
「紬、八つ橋食べる?」
「食べる!」
 馨と並んで試食を一つ口に入れる。
「美味しいな?」
「うん!」
「お母さんに買って帰ろうかなぁ」
「馨のお母さん喜ぶね」
「紬は?」
「僕は家族みんなで食べられるように、大きい箱にしようかな……」
 二人でお土産を選びながら歩いている時間は、とても穏やかで、あっという間に過ぎていった。

 夜になると旅館の中は大騒ぎだった。
 お菓子を交換したり、枕投げをしたり、先生に「もう寝なさい」と注意されたり。
 消灯時間になっても興奮は冷めなくて、布団の中で小さな笑い声が聞こえてくる。しばらくして部屋が静かになると、隣で寝ていた馨が小さな声で話しかけてきた。
「紬、起きてる?」
「うん」
「修学旅行って、終わっちゃうと寂しいな」
「まだ明日もあるよ」
「そうだけどさ」
 少し間をおいて、馨がぽつりと呟いた。
「小学校を卒業しても、こうやって一緒に遊べるよな?」
「うん。当たり前じゃん」
 僕は何も考えずに頷く。
「だって、僕たち一緒に中学生になるんだから」
「だよな」
 その一言に安心したように笑うと、馨は「おやすみ」と目を閉じた。
「うん。おやすみ。また明日」
 窓の外には、京都の静かな夜が広がっている。
 布団にくるまりながら、僕は「また明日も楽しい一日になる」と、それだけを考えて眠りについた。
 あの頃の僕たちは、こうして笑い合える毎日がずっと続くものだと信じて疑わなかった。 

◇◆◇◆

 小学校の六年間はあっという間に過ぎ、僕たちは卒業式を迎えた。
 僕たちは着慣れたジャージではなく、スーツを着て体育館に集合する。スーツにネクタイだなんてきちんとした正装は生まれて初めてだったから、背筋が伸びる思いだ。
 たくさんの思い出を残し、今日僕たちは卒業する。
 教室には、いつもより緊張した空気が流れていた。
 黒板には『卒業おめでとう』の文字が大きく書かれ、窓際には誰かが飾った色とりどりの花が並んでいる。
「とうとう卒業か……」
 誰かがぽつりと呟くと、教室は一瞬だけ静かになった。
 この六年間を振り返れば、いつも隣には馨がいた。僕にとって、彼は親友と呼べる存在だろう。
 運動会に文化祭。修学旅行に遠足。どの思い出を切り取っても、馨との思い出で溢れている。そんな小学校を卒業することは、とても寂しかった。
「中学に行っても遊ぼうな!」
「絶対だぞ!」
 卒業式が終わり、誰もが名残惜しそうに写真を撮っていた。
 校門へ向かう途中、僕たちは自然と歩く速度を落としていた。誰も「帰ろう」とは言わない。
 六年間通った校舎を見上げる。
 春には桜が咲き、夏には蝉が鳴き、冬には白い息を吐きながら歩いた通学路。
 その全てが、今日で思い出になる。
「紬」
 振り返ると、手に卒業証書を持った馨が照れ臭そうに笑っていた。
 馨は小学校に入学した頃に比べると、身長が伸びたし、体つきも逞しくなった。声変わりだってしている。それなのに僕はまだ背も声も変わらず……。
 明らかに、僕だけが子どものまま取り残されたような気がした。
「中学に行っても、友達だからな」
「……うん」
 その一言で、卒業しても何も変わらないことを知り、不思議なくらい安心する。
 同じ中学校へ進むことはわかっていた。それでも改めて言葉にしてもらえるだけで、胸が温かくなった。
 この時の僕は、まだ知らなかった。
 この気持ちが、いつか『友達』という言葉だけでは足りなくなる日が来ることを──。