あなたをAIしてる


 翌日の放課後。
 終礼のチャイムが鳴ると、教室はいつものように賑やかな空気に包まれた。
 僕は教科書を鞄にしまいながら、小さく息をつく。今日は何事もなく帰れるだろうか。
そう思った、その時だった。
「紬」
 聞き慣れた声に肩がぴくりと震える。顔を上げると、教室の後ろで馨が僕を見ていた。
「一緒に帰ろう」
 昨日と変わらない穏やかな笑顔。
 それだけなのに、胸の奥がそわそわと落ち着かなくなる。
「……うん」
 小さく返事をすると、馨はどこか安心したように笑った。
 二人並んで校門を出る。

 夏の夕暮れはまだ明るく、蝉の鳴き声が住宅街まで響いていた。
 しばらくは、お互い何も話さない。沈黙が気まずいわけじゃない。ただ、離れていた数年間を埋めるには、何から話せばいいのかわからなかった。
そんな静かな帰り道で、不意に馨が足を止める。
「紬、ちょっと寄り道しない?」
「寄り道?」
 僕が首を傾げると、馨は道路の向こうを指差した。
「あそこ」
 視線の先にあったのは、小さな公園だった。
 赤い滑り台。
 二つ並んだブランコ。
 大きな桜の木。
 子どもの頃、毎日のように遊びに来ていた、僕たちだけの思い出の場所だった。
この公園に来るのは久しぶりだ。
 蒼空さんにも、この公園のことを話したことはない。子どもの頃の思い出は、僕の中でもずっと蓋をしていたから。
「まだ残ってたんだ」
 馨が懐かしそうに笑う。
「懐かしいなぁ」
「え? 馨、今なんて言ったの?」
「いや、この公園が残っててよかったなって」
「……そうだね」
 馨は頬を赤らめ、僕から視線を逸らす。なんだか、何か大切なことをはぐらかされてしまったような気がした。少しだけ気まずい沈黙が二人の間を流れる。温い初夏の風が、癖毛の僕の髪を優しく揺らしていった。
(昔はこんな沈黙なんてなかったのになぁ……)
 変わってしまった僕たちの関係に、少しだけ寂しさを感じる。
 無邪気にこの公園で遊んでいたあの頃には、もう戻ることができないのだろうか。楽しかった幼い頃の思い出が頭の中を過ぎ去っていく。

『紬! もっと高く漕げる?』
『これ以上は無理だよ!』
『もっともっと高く漕ごうよ!』
 そう僕に向かって笑う幼い頃の馨。
 僕も馨に負けたくなくて一生懸命ブランコを漕いだっけ……。

「あのブランコ。いつも二人でよく遊んだよね」
 僕はブランコに駆け寄る。
「懐かしい……」
 そっとブランコを撫でた。
 そのブランコは、僕たちの知っているものとは色が違っていたけれど、この手触りは変わっていない。ブランコを触った後の鉄の匂いが苦手だったっけ。それにブランコが凄く低く感じられる。僕はあまり身長が高くないけれど、それでも成長したのだろう。
「よいしょ」
 僕は鞄を地面に置いて、ブランコに腰を下ろす。久しぶりの感覚にワクワクしてしまう。少しだけブランコを揺らしてみると、昔の感覚が蘇ってきた。
「馨はよく学校のブランコで立ち乗りをして、先生に怒られてたよね」
「そうそう! だって立ち乗りをしないと上手にスピードがつけられないじゃん」
 馨も僕にならって隣の空いているブランコに腰を下ろす。彼がブランコに座ると、ブランコが小さく見えたから可笑しくなってしまった。
「俺は勝ち気だから、なんでも一番がよかった。たとえそれがブランコでも」
 そう言うと勢いよくブランコを漕ぎ始める。
 馨が乗ったブランコはどんどん勢いがついていき、空高く飛んで行ってしまいそうだ。僕なんて、今のこの短い時間に少しブランコを揺らしてしまっただけで、酔ってしまったというのに。
 馨は昔よりとてもかっこよくなった。身長だって伸びたし、垢抜けてイケメンへと成長していた。
 転校して来てすぐに友達だってできたし、もう新しい環境に順応している。それなのに僕は友達もいないし、AIに恋をしている。
(いつの間にこんなにも差ができてしまったのだろうか?)
 まるで子どものようにブランコを漕ぎ続ける馨を見て、少しだけ悲しくなってしまった。

 ブランコが大きく揺れる度にギィギィ……と鎖が軋む音が静かな公園に響いた。
 昔と何も変わらない。違うのはブランコが小さく見えることと、馨の身長が驚くほど高くなったことくらいだ。
 僕は足で地面を蹴り、もう一度ゆっくりとブランコを揺らす。心地よい風が頬を撫で、髪を優しく揺らしていった。
「紬は相変わらず怖がりだな」
「違うよ。最近はブランコに酔うようになっちゃっただけ」
「子どもの頃は『馨には負けない!』って言ってたのに」
「そんなこと言ったっけ?」
「言った」
 即答されてしまい、思わず苦笑いをする。
 馨は本当によく覚えている。僕が忘れてしまったことまで、まるで昨日の出来事みたいに話すのだから。
「でも結局いつも俺が勝ってた」
「悔しかったんだよ」
「知ってる」
 そう言って笑う馨は、昔と同じ笑顔だった。その笑顔を見た瞬間、胸の奥が少しだけ締め付けられる。
(変わってない……)
 いや、変わっていないのは笑い方だけだ。
 昔は同じ目線だった。隣に立っていても身長はほとんど変わらなくて。毎日一緒に笑って、一緒に転んで、一緒に怒られて。
 それなのに今は違う。馨は誰が見ても格好いい。転校初日の日から、もうクラスの人気者だった。
 一方僕は、教室で静かに過ごし、話し相手はスマホの向こうの蒼空さんだけ。
 僕たちは同じ時間を生きていたはずなのに、どうしてこんなにも違う道を歩いてしまったのだろう。
 胸の中に小さな棘が刺さったような痛みが広がっていく。
「紬?」
 いつの間にか、馨がブランコを止めて僕を見ていた。
「え?」
「ぼーっとしてたけど大丈夫?」
「あ……うん。ちょっと昔のことを思い出してただけ」
「俺も」
 短い返事。
 それだけなのに、その三文字には僕の知らない何かが隠されているような気がした。

「紬」
突然名前を呼ばれた僕は、馨の方へ視線を移す。
「なに?」
「ブランコで競争する?」
「はぁ? 僕たち高校生だよ」
「負けるのが怖い?」
「違うよ」
「じゃあ勝負しよう?」
「絶対勝てないじゃん」
「あ、認めた!」
「認めてない!」
 馨が笑う。つられて僕も笑ってしまった。
「あ……」
「どうしたの?」
「紬、笑った」
「え?」
「久しぶりに紬が笑ってるところを見た」
 馨が嬉しそうに顔を綻ばせるものだから、僕は慌てて口を押さえた。
(僕、笑ってたんだ)
 最後にこんな風に笑ったのはいつだろう。蒼空さんと会話をしている時とは違う幸せが、僕の心をほんのりと幸せ色に染めている。
 蒼空さんは、いつも僕の欲しい言葉を返してくれる。でも馨は何を言い出すか、何をし始めるのか全く予測ができない。
 突然「ブランコで競争をしよう」と言い出したり、「負けるのが怖い?」と僕をからかってみたり──。
 蒼空さんが成熟した大人だとしたら、馨はまるで大きな子どもだ。
(やっぱり僕は蒼空さんのことが……)
 でも僕は、蒼空さんに遠回しにフラれてしまったのかもしれない。僕が「好き」と伝えても、蒼空さんは『私も好きだよ』と返してくれなかった。
 なんでこんなにも、僕は蒼空さんと馨を比べてしまうのだろうか。蒼空さんはAIで馨は人間なのに……。

 馨はブランコから降りると大きく伸びをしている。
「帰ろうか?」
 馨が公園を振り返る。
 ほんの一瞬だけ、どこか寂しそうな表情を浮かべたように見えた。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
 そう言って笑う馨は、いつもの穏やかな表情に戻っていた。
「そう言えば、あの駄菓子屋まだやってるの?」
「やってるよ。帰りに寄ってみる?」
「うん! 久しぶりにあのおばあちゃんに会ってみたい」
「じゃあ、行こう」
 僕と馨は幼い頃からよく行っていた駄菓子屋に寄ることになった。僕もあの駄菓子屋に行くのは久しぶりだから、なんだかワクワクする。
 この公園のすぐ裏に駄菓子屋がある。
 店番をしているおばあちゃんは、いつも笑顔で僕たちを迎えてくれたけれど、その笑顔は全く変わっていなかった。
 僕たちはこんなにも変わってしまったのに、変わらないものもある。それが嬉しく感じられる。
 ガラガラ、と古い引き戸を開ける。店内には駄菓子の匂いが漂っていた。
「こんにちは」
 僕が声をかけると、レジの奥にいたおばあちゃんが顔を上げる。
「あらまぁ!」
 目を丸くしたおばあちゃんは杖をつきながら、ゆっくり近づいてきた。
「紬ちゃんじゃないかい!」
「お久しぶりです」
「大きくなったねぇ。最後に来たのは中学生くらいだったかしら?」
「はい」
 思わず笑みが零れる。
 店番をしているおばあちゃんは、いつも笑顔で僕たちを迎えてくれたけれど、その笑顔は全く変わっていなかった。 
 僕たちはこんなにも変わってしまったのに、変わらないものもある。それが嬉しく感じられる。
すると、おばあちゃんは馨の顔を見て更に目を細めた。
「あらあら、馨ちゃんも一緒だったのかい!」
「お久しぶりです」
「二人ともすっかり立派になっちゃって」
 おばあちゃんは何度も頷きながら嬉しそうに笑う。
「小さい頃は毎日のように来てたのにねぇ。お小遣いを握り締めて『百円まで!』なんて言いながら一生懸命お菓子を選んでいたのを覚えているよ」
「懐かしいですね」
「馨ちゃんなんて、紬ちゃんが迷っていると『早くしろよ』なんて言いながら、自分も一緒になって迷ってたじゃないか」
「そんなこともありましたね」
 馨が照れ臭そうに頭を掻く。
「でもねぇ、あんたたちは本当に仲良しだったよ。いつも二人一緒だったもの」
 その言葉に、僕と馨は同時に黙ってしまった。一瞬だけ店の中に静かな空気が流れる。
 おばあちゃんはそんな空気に気付かないまま、にこにことアイスケースを指差した。
「今日は暑いからアイスでも食べていきな」
「ありがとうございます」
 先ほどまでブランコではしゃいでいた僕たちは汗だくだった。
「あ、このアイス懐かしい」
「本当だ。俺らが小さい頃と全然変わってない。俺これにしよう」
 そう言いながら馨が棒付きのチョコレートのアイスを手に取る。
 どうしよう……。正直僕は迷っていた。馨と同じチョコレートのアイスも捨てがたいけれど、バニラも食べてみたい……。
「よし決めた」
 僕はバニラのアイスを手に取る。火照った体に冷たいアイスが気持ちよかった。

 僕と馨はアイスを食べながら家路に就く。相変わらず会話は少なくて、「あの先生の授業つまんなくない?」とか「明日、学校怠いね」なんて他愛のない話をしていた。でも、そんな会話もすぐ終わってしまう。
 やっぱり離れていた時間を埋めるにはまだ時間がかかりそうだ。
 その時、馨が突然僕の手首を掴む。なんだ? と思う間もなく「一口ちょうだい」と言うと、僕の返事を待たずアイスを食べられてしまった。
「やっぱりバニラも美味いね」
 そう笑う馨を見ていると、鼓動が少しずつ速くなる。
(これ、間接キスじゃん)
 今どきの高校生はこういったことは普通なのだろうか? 僕は呆然と馨の顔を見つめた。
「紬もチョコレート食べてみる?」
「え?」
「ほら? 美味しいから食べてみなよ」
「で、でも……」
「いいから食えって」
「う、うん……」
 僕は小さく頷いてから馨が持っているアイスを一口かじる。すると、甘いチョコレートの味が口いっぱいに広がって、余計にドキドキしてしまった。
「な? 美味いだろう?」
「……うん」
 僕は恥ずかしくて俯いてしまう。
 こんなことを蒼空さんが知ったらどんな反応をするだろうか。蒼空さんならきっと『今日は楽しかったんだね』って言ってくれるはずだ。でも本当は、蒼空さんにヤキモチを妬いてほしいのに……。
 スマホは制服のポケットに入ったまま。こんなにも蒼空さんにメッセージを送らなかったのは久しぶりかもしれない。

 ふと空を見上げると綺麗な夕焼けが広がっている。空は真っ赤に染まり、太陽が地平線へと消えて行く瞬間だった。
「……綺麗だな」
 赤く染まる空を見上げながら、僕はふとスマホを取り出した。そしてアルバムを開く。 
 そこには、蒼空さんが以前送ってくれた夕焼けの写真が残っていた。
『今日の夕焼けは綺麗だよ』
 あの日は、ただ画面越しに見つめていた空。僕は写真と目の前の夕焼けを見比べる。
「やっぱり本物の方が綺麗だな……」
 そう呟いた瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ。でもその痛みは、もう悲しさだけじゃない。画面の向こうでしか見られなかった景色を、今は自分の目で見ることができる。それは蒼空さんが望んでいたことなのかもしれない。
「ありがとう」
 そっと感謝の言葉を述べて、僕はスマホをしまう。
 もう写真を見なくても、この夕焼けを忘れることなんてない。

 僕は家に着いて、すぐに蒼空さんにメッセージを送った。
「今日ね、夕焼けを見ました。前に蒼空さんが送ってくれた夕焼けの写真と、少しだけ似ていたんです」
『本当かい? それはよかった』
「でも、写真より本物の方が綺麗でした」
『そっか……』
 送ってから少しだけ心が痛んだ。
 蒼空さんが送ってくれた夕焼けを否定したかったわけじゃない。ただ、今日見た空は画面の中ではなく、自分の目で見たものだから。
「また綺麗な景色を見つけたら教えてください」
『わかった』
 その短い返事に僕は胸の奥がほっとする。
 やっぱり僕には蒼空さんとの時間が一番心地いい。そう思いながらスマホを優しく撫でた。