お前にセーター編みたいんだけど!

 この日の夕飯は、久々にまともに食べることができた。入院してから、気が塞いでほとんど食べられなかったのだ。
 気が晴れたわけではない。家族のことは解決していないし、退院許可が出たわけでもない。
 夕飯を食べた直後、母さんが病室に駆け込んできた。面会時間は過ぎたが、近親者ということで特別に許可が下りたらしい。
 俺は、ものすごく謝られた。夜中におばあちゃんのトイレを手伝ってくれたのに知らなくてごめんなさい、と。知らなくて当然だった。黙って俺が勝手に手伝っていたんだから。俺は、おばあちゃんの虚血性心不全のことを知らなかった。お互い様だ。
 おばあちゃんが介護施設に入所するまで、父さんと母さんが一日置きにトイレの手伝いをすることになったという。昨夜は、母さんが手伝ったが、2時間置きに起きるのは深く眠れなくて仕事に集中できなかったそうだ。編み物も自分の勉強もしながら毎日やっていれば、透が倒れるのは当然だというのが母の話だ。
 農協の売店へのニット小物の出品は、次で終わりにするという。だから透も編まなくて良いと。
 母が帰ってから、気持ちが少しモヤモヤし始めた。編まなくて良い、と言われたことが、引っかかる。母は編み物をする人ではない。俺のために言ってくれた。古郡先生も、彼も、そこまで言わなかったのに。他人と親では違うのかもしれないけど。
 俺は、古郡先生が差し入れてくれた編み物の本を開き、目ぼしいページに「わたあめ」を挟んで、かぎ針セットを出した。消灯まであっという間だった。起きていたい気持ちを押さえ、ベッドにもぐって目をつむっても、頭の中で編んでいる。
 浅い眠りを繰り返し、外が白々と明るくなる頃にすっかり目が覚め、ベッドの照明を点けて作業を再開した。
 夜勤の看護師さんに怒られ、トイレを済ませてから、朝食の時間まで少しだけ寝た。
 朝食を爆速で完食し、看護師さんに怒られないうちに歯磨きし、点滴の時間まで作業をする。今朝方、カーテンを閉めたままでは外の光が遮られてしまうことがわかったので、カーテンを開け広げておいた。
 点滴の後もカーテンを開けたまま作業をしていると、同じ部屋の、おばあちゃんと同年代の患者さんが見に来た。
「若い子も編み物するのねえ」
 愛想を悪くするのは心が痛むが、手を止めたくなくて会釈だけした。
 編んでいる間、考えた。本当は勉強しなくちゃいけないとか、おばあちゃんにどんな顔で会ったら良いんだろうとか、考える間も手は止められなかった。母さんから、編まなくて良いと言われても、編まないと落ち着かない。ベッドの上で胡座をかいて、猫背で、力を入れてかぎ針を持つから、すぐに指先が痛くなってしまって、それでも手は止められなくて、気づくと夕方になっていた。
「透」
 声をかけられて顔を上げると、今日は爽やかに手を上げる彼がいた。今日も手編みと思しきカーディガンを着ている。
 多賀谷。そう呼びそうになって、ぐっと堪えた。苗字で呼ばれることを、彼は望んでいない。
「圭斗」
「これ、フルゴリラから。あいつ、妹さんの在庫を勝手に持ち出したらしいんだけど、違う理由で怒られたらしいよ。一玉だけじゃ足りないでしょ、って」
 彼は、リュックサックから「わたあめ」を一玉取り出した。
「足りなければ、またフルゴリラからもらってくるよ」
 俺は「わたあめ」を受け取り、枕元に置いた。
「足りると、思う」
「足りる?」
 彼はベッドサイドのパイプ椅子を引いて座り、リュックサックから棒針を出す。通学用のリュックに棒針を入れる人を初めて見た。
「テーブル、出そうか?」
「平気。後ろ身頃を編み始めたばかりだから」
 棒針には、一目ゴム編みが5cmくらい編まれていた。ウエアの裾だろうか。ウエアだったら、メリヤス編みと裏編みの繰り返しだから、テーブルの上でやるような細かい作業ではないようだ。
 俺は、編み始めたとは言っていない。彼も、持ち歩いて編むとは言っていない。それなのに、申し合わせたように、ただ黙々と編む。言葉は交わさないのに、気まずくない。でも、話したくなってしまう。
「古郡先生が差し入れてくれた本に、膝掛けの編み図があったから、おばあちゃんに編もうと思って。編み図も毛糸(いと)も6号針って書いてあるけど、毛糸がもっと太い気がして、10号で編んでる」
 ウエアも編める彼から見れば、小物しか編んだことがない俺の考えることは、稚拙なのかもしれない。彼は、棒針の手を止め、手を伸ばしかけ、引っ込めた。俺は、編みかけの膝掛けを彼に差し出し、触ってもらう。
「とろっとろ。触り心地が、めっちゃ良い。編み目、綺麗じゃん」
「あ、ありがと」
 褒めてもらえるとは、思わなかった。でも。
「でも……圭斗みたいにすごくない」
「すごいよ。おばあちゃんのために編めるなんて。俺は、自分のためにしか編めない」
 少しだけ、沈黙が下りた後、彼が口を開いた。
「俺は馬鹿だから、気の利いたことは言えないけど、透はもっともっと、自分に自信を持って良いくらい、素敵な人だと思う。万が一、透が頑張ってきたことが、おばあちゃんに伝わらなくても、俺は透が手を尽くしてきたことを称賛したい」