「多賀谷! なんだそのドルマンカーディガンは!」
朝のホームルームを数分後に控え、慌ただしい高校の廊下。体育教師の古郡良雄が、廊下ですれ違った男子生徒に目くじらを立てた。この御時世において絶滅危惧種となった熱血気質の古郡は、大学のラグビー部出身で、28歳の今も社会人サークルで活動しているという、根っからのラガーマンである。
「新作っす」
筋骨たくましい古郡先生に対し、飄々と言葉を返すのは、1年2組の多賀谷圭斗。メンズモデルのような容姿と明るい雰囲気は、男女問わず人気がある。ただし、生徒の間だけだ。
「んなもの見ればわかる! ユカワヤから発売されたばかりのウォッシュウールの秋の新色だろう!」
「怖いくらい当たってるんですけど! 先生、編み物好きなんですか?」
「誰かさんのせいで無駄に知識をつけられました! じゃなくて、そのカーディガン、校則違反じゃないのか?」
「そうなんすか?」
多賀谷はリュックサックを肩から下ろして手に持ち、子ども達が空に向かうように堂々と両手を広げる。
1枚の長方形の大きな編み地を接ぎ合わせて袖を編むドルマンカーディガンは、後ろ身頃が大きく、モモンガを彷彿とさせるデザインである。棒針編みで横向きにアラン模様が何本も入っている。大きな模様が1本と、その上下に小さな模様が2本ずつ。太い縄と細い紐のようだ。おそらく6号針で編んでおり、色はグレー。ユカワヤのウォッシュウールの新色なら、紅い色がわずかに撚られているはずだ。
「グレーのカーディガンは校則の範疇っすよね?」
「確かにグレーは校則の範囲内だが」
「じゃあ、おっけーってことで」
「そのデザインは学校生活に相応しくない!」
「デザインは校則に書いてないんでござるよ」
「なんで急に時代劇の喋り方!? 確かに、デザインのことは書かれていないが」
「じゃあ、おっけーってことで」
古郡先生は恨めしい目で多賀谷を見据え、口を一文字に結ぶ。体格の良い古郡先生の方が大きく見えるが、実は多賀谷も長身で古郡先生と同じ身長である。多賀は火花が散るような目線を正面から受けても怯まない。
「遅刻しちゃうから、行きますね」
担任は、日本史の白洲先生。アラフォー女史で、何かと厳しい。
「白洲先生に裁かれてこい!」
「先生、上手いこと言いますね。ヤマダくん、座布団1枚ー!」
多賀谷はドルマンカーディガンをモモンガのように翻《ひるがえ》し、教室に向かった。その姿は、まるで鳥や雲や夢も掴もうとしているように生き生きとして、爽やかである。
「透くん、おはよう。透くんがいるのに気づいてたけど、先にフルゴリラに絡まれちゃった」
挨拶できなかったのは、俺の方だ。古郡にいちゃもんつけられる多賀谷に声をかけられなかった。ただ、俺なんかが多賀谷に声をかけたところで、クラスメイトに非難されるだけだ。
「お、おはよう」
どもりながら何とか挨拶を返し、俺は教室に逃げた。安野きちんと寝られてるか、と古郡の声を背中で受けたが、答える余裕は、ない。
「多賀谷、またフルゴリラに怒られたんだって?」
俺の後に教室に入った多賀谷が、スマートフォンに視線を落としたままのクラスメイトに話しかけられた。
「そうなんだよ。勘弁してほしいんだけど」
多賀谷や机にリュックサックを置き、相手に身を乗り出す。
「まあ、フルゴリラも怒るのが仕事なんだから、仕方ないよ」
「ふーん」
スマートフォンに視線を落としたままのクラスメイトは、生返事だ。
「それより、1時間目の英語、予習った?」
「やってねー!」
「俺もー!」
朝のホームルームまでの束の間、英語の予習を丸写ししてもらおうとクラスメイトが動き出す。
「チャッピーに和訳してもらう?」
「英語の三ツ矢、先にAIの和訳チェックしてるじゃん。俺らの手口を読んで先回りしやがるんだよ」
俺は彼らのやり取り聞きながら、睡魔に勝てずに寝落ちした。
多賀谷のドルマンカーディガンを思い出す。あのドルマンカーディガンは棒針編みだが、縦80cm横170cm幅の作品を長さ30cmほどの棒針で編むのは至難の業だ。それに、アラン模様の方向から見るに、縦長の編み地を横にしている。棒針の仲間である輪針で編んでいるのだろう。輪針なら、80cmの長さがある。しかも、多賀谷は自分で編んでいるらしい。編む様子を見たことはないが、以前にも古郡先生とのやり取りで編み方を細かく話していた。自分で編まなければ、あんなに話せないだろう。
うとうとしている間に、朝のホームルームが始まっていた。担任の白洲先生のお裁きを受けたのは、俺の方だった。
「安野さん、また寝不足ですか? あなたにも事情があるのかもしれませんが、誰だって何かしら抱えています。自分だけ特別だと思わないで下さい」
「……すみません」
一番前の席で堂々と寝ていた俺は、背中に視線が集まる気がして、ここから消えたくなった。
白洲先生は得意げに連絡事項を話し始める。その途中で、すんごいいびきが聞こえた。俺も含め皆が振り返る。一番後ろの席、多賀谷が机に伏して寝ている……ふりをしている。
「……あ、俺寝てました?」
多賀谷が顔を上げ、ふてぶてしく白洲先生を見上げる。多賀谷先生は大きく溜息をついた。多賀谷を咎めることはなく、再び連絡事項を伝え始めた。白洲先生は、呆れて何も言えなくなっていたのだ。
朝のホームルームを数分後に控え、慌ただしい高校の廊下。体育教師の古郡良雄が、廊下ですれ違った男子生徒に目くじらを立てた。この御時世において絶滅危惧種となった熱血気質の古郡は、大学のラグビー部出身で、28歳の今も社会人サークルで活動しているという、根っからのラガーマンである。
「新作っす」
筋骨たくましい古郡先生に対し、飄々と言葉を返すのは、1年2組の多賀谷圭斗。メンズモデルのような容姿と明るい雰囲気は、男女問わず人気がある。ただし、生徒の間だけだ。
「んなもの見ればわかる! ユカワヤから発売されたばかりのウォッシュウールの秋の新色だろう!」
「怖いくらい当たってるんですけど! 先生、編み物好きなんですか?」
「誰かさんのせいで無駄に知識をつけられました! じゃなくて、そのカーディガン、校則違反じゃないのか?」
「そうなんすか?」
多賀谷はリュックサックを肩から下ろして手に持ち、子ども達が空に向かうように堂々と両手を広げる。
1枚の長方形の大きな編み地を接ぎ合わせて袖を編むドルマンカーディガンは、後ろ身頃が大きく、モモンガを彷彿とさせるデザインである。棒針編みで横向きにアラン模様が何本も入っている。大きな模様が1本と、その上下に小さな模様が2本ずつ。太い縄と細い紐のようだ。おそらく6号針で編んでおり、色はグレー。ユカワヤのウォッシュウールの新色なら、紅い色がわずかに撚られているはずだ。
「グレーのカーディガンは校則の範疇っすよね?」
「確かにグレーは校則の範囲内だが」
「じゃあ、おっけーってことで」
「そのデザインは学校生活に相応しくない!」
「デザインは校則に書いてないんでござるよ」
「なんで急に時代劇の喋り方!? 確かに、デザインのことは書かれていないが」
「じゃあ、おっけーってことで」
古郡先生は恨めしい目で多賀谷を見据え、口を一文字に結ぶ。体格の良い古郡先生の方が大きく見えるが、実は多賀谷も長身で古郡先生と同じ身長である。多賀は火花が散るような目線を正面から受けても怯まない。
「遅刻しちゃうから、行きますね」
担任は、日本史の白洲先生。アラフォー女史で、何かと厳しい。
「白洲先生に裁かれてこい!」
「先生、上手いこと言いますね。ヤマダくん、座布団1枚ー!」
多賀谷はドルマンカーディガンをモモンガのように翻《ひるがえ》し、教室に向かった。その姿は、まるで鳥や雲や夢も掴もうとしているように生き生きとして、爽やかである。
「透くん、おはよう。透くんがいるのに気づいてたけど、先にフルゴリラに絡まれちゃった」
挨拶できなかったのは、俺の方だ。古郡にいちゃもんつけられる多賀谷に声をかけられなかった。ただ、俺なんかが多賀谷に声をかけたところで、クラスメイトに非難されるだけだ。
「お、おはよう」
どもりながら何とか挨拶を返し、俺は教室に逃げた。安野きちんと寝られてるか、と古郡の声を背中で受けたが、答える余裕は、ない。
「多賀谷、またフルゴリラに怒られたんだって?」
俺の後に教室に入った多賀谷が、スマートフォンに視線を落としたままのクラスメイトに話しかけられた。
「そうなんだよ。勘弁してほしいんだけど」
多賀谷や机にリュックサックを置き、相手に身を乗り出す。
「まあ、フルゴリラも怒るのが仕事なんだから、仕方ないよ」
「ふーん」
スマートフォンに視線を落としたままのクラスメイトは、生返事だ。
「それより、1時間目の英語、予習った?」
「やってねー!」
「俺もー!」
朝のホームルームまでの束の間、英語の予習を丸写ししてもらおうとクラスメイトが動き出す。
「チャッピーに和訳してもらう?」
「英語の三ツ矢、先にAIの和訳チェックしてるじゃん。俺らの手口を読んで先回りしやがるんだよ」
俺は彼らのやり取り聞きながら、睡魔に勝てずに寝落ちした。
多賀谷のドルマンカーディガンを思い出す。あのドルマンカーディガンは棒針編みだが、縦80cm横170cm幅の作品を長さ30cmほどの棒針で編むのは至難の業だ。それに、アラン模様の方向から見るに、縦長の編み地を横にしている。棒針の仲間である輪針で編んでいるのだろう。輪針なら、80cmの長さがある。しかも、多賀谷は自分で編んでいるらしい。編む様子を見たことはないが、以前にも古郡先生とのやり取りで編み方を細かく話していた。自分で編まなければ、あんなに話せないだろう。
うとうとしている間に、朝のホームルームが始まっていた。担任の白洲先生のお裁きを受けたのは、俺の方だった。
「安野さん、また寝不足ですか? あなたにも事情があるのかもしれませんが、誰だって何かしら抱えています。自分だけ特別だと思わないで下さい」
「……すみません」
一番前の席で堂々と寝ていた俺は、背中に視線が集まる気がして、ここから消えたくなった。
白洲先生は得意げに連絡事項を話し始める。その途中で、すんごいいびきが聞こえた。俺も含め皆が振り返る。一番後ろの席、多賀谷が机に伏して寝ている……ふりをしている。
「……あ、俺寝てました?」
多賀谷が顔を上げ、ふてぶてしく白洲先生を見上げる。多賀谷先生は大きく溜息をついた。多賀谷を咎めることはなく、再び連絡事項を伝え始めた。白洲先生は、呆れて何も言えなくなっていたのだ。



