辺境島の花嫁

 車の窓に頭を預けると、ひんやりして少し気持ちがよかった。

 朝から熱があったせいか、身体の中にはまだ重さが残っていて、座っているだけなのに普段よりも疲れる。膝には家を出るときに持たされた薄い毛布をかけているけれど、寒いというより、今は何もせずにじっとしていたかった。

「小鳩ちゃん、つらかったら寝てていいんですよ。着いたら起こしますから」

 前の席から声をかけられて、私は窓から視線を離した。運転席の綾香さんが、ルームミラー越しにこちらを見ている。

「大丈夫です。さっきよりは少し楽になりました」

「その台詞、朝から三回くらい聞きましたけどねえ」

 綾香さんはそう言いながら、前を向いたまま少しだけ笑った。

 白石家で運転手をしている綾香さんには、小さいころから何度も祖母の家まで送ってもらっている。私は昔からあまり身体が丈夫ではなく、風邪をひくたびに何日か祖母のところで過ごすことになっていたので、この車で向かう道もすっかり見慣れていた。

「今日は急にお願いしてしまって、すみません」

「はい、それも四回目です」

「……四回も言いました?」

「言いました。家を出る前に一回、車に乗ったときに一回、信号待ちでも一回。今ので四回です」

 そこまで数えられていたとは思わなくて黙っていると、綾香さんがまたミラーを見た。

「私、運転手なんですよ。車を運転して小鳩ちゃんを送り届けるのが仕事なんですから、そこを謝られたら困っちゃいます」

「でも、予定もあったんじゃ……」

「ありましたけど、小鳩ちゃんをお祖母さまのところへ送るほうが先です。それに、あちらへ行く日は私もちょっと嬉しいんですよ。お庭、きれいでしょう?」

 祖母の家の庭は広く、季節ごとに咲く花も変わるので、綾香さんは着くたびに少しだけ見て帰ることがある。祖母もそれを知っていて、急がない日にはお茶を飲んでいきなさいと綾香さんを引き止めていた。

「今は、何が咲いているでしょうね」

 そう言われて窓の外を見ると、いつの間にか見慣れた大通りを抜けていた。

 祖母の家が近づくにつれて、道沿いに並ぶ建物が少なくなり、代わりに古い塀や大きな木が目につくようになる。ここまで来ると、私はいつも少しだけ身体の力が抜ける。

 熱があるから眠くなっただけかもしれない。

 それでも祖母の家へ向かう車の中では、もうしばらく何も頑張らなくてもいいような気がして、私は毛布を少しだけ胸のほうまで引き上げた。

 毛布にくるまったまま窓の外を眺めていると、昨日の母の言葉がふと頭に浮かんだ。

「……綾香さん」

「はい。なんでしょう」

「結婚って、どうやって決めるんでしょうか」

 綾香さんはバックミラー越しに私を見た。

「結婚ですか?」

「昨日、お母さまに言われたんです。私はいずれ、白石家にふさわしい家柄の人と結婚するんだって」

「ああ……なるほど。それで気になったんですね」

 私は毛布の上で指を重ねながら、小さく頷いた。

「好きな人と結婚する人もいますよね。だから、みんなはどうやって決めるのかなって」

「うーん……」

 綾香さんは前を向いたまま、本当に考え始めてしまった。少し待ってみたけれど、なかなか答えは返ってこない。

「……分かりませんねえ」

「もしかして、難問なんでしょうか……」

「ええ、そうでしょうね。とても難問です」

 綾香さんはとても険しい顔をしながら赤信号を待っていた。

「なんてったって、わたしは独身ですから!」

 そう言った途端に、信号機は青に変わった。

「残念ながら、小鳩ちゃんに教えてあげられるほどの経験がありません!」

 笑い声と共に、綾香さんはアクセルを踏んだ。