補習を終えて家に着いたころには、もう外は薄暗くなり始めていた。
門をくぐって玄関までの道を歩くあいだにも、庭の明かりが一つずつ灯り始めている。子どものころから毎日見ている家なので、私は特別広いと思ったことはないけれど、小学生のころに同じクラスの子たちを家へ呼んだときには、「門を入ってから玄関まで遠い」と驚かれたことがあった。
玄関の扉を開けると、ちょうど廊下を通りかかった使用人が私に気づき、足を止めてこちらを振り返った。
「お帰りなさいませ、小鳩さま」
「ただいま帰りました」
鞄を受け取りましょうかと声をかけられたけれど、大丈夫です、と答えて自分で持ったまま靴を脱いだ。学校で使ったものくらいは自分で部屋まで持っていけるし、そのためだけに誰かの手を止めてもらう必要もないと思う。
家の中はいつも通りきれいに整えられていた。玄関にも廊下にも物が出たままになっていることはなく、夕食の支度をしているのか、奥のほうでは使用人たちが行き来する気配がしている。
この時間なら、父も母もすでに帰っているはずだった。
放課後に補習があると決まった時点で、帰りが遅くなることは家にも連絡してある。当然、今日も補習を受けていたことは父と母も知っているし、このあと顔を合わせれば、課題がどうなったのかを聞かれるだろう。
できれば、その前に自分の部屋へ戻ってしまいたかった。
今日もうまくできなかった。このままではいけないことは、自分でも十分に分かっている。それを家に帰ってからもう一度口にして、どうしてできなかったのかと聞かれるのは、できることなら避けたかった。
二階へ上がろうと階段に足をかけたところで、居間のほうから私を呼ぶ声がした。
「小鳩。帰ったのなら、少しいいかしら」
やっぱり、そううまくはいかなかった。
母の声に呼び止められ、私は階段から足を下ろした。居間までの距離はそれほどないのに、何を聞かれるのか分かっているせいか、鞄を持って歩く足がさっきまでよりも少しだけ重く感じられる。
扉を開けると、母はソファに腰掛けてお茶を飲んでいた。私が入ってきたことに気づくと、手にしていたカップを静かにテーブルへ戻し、それから向かい側のソファへ視線を向けた。
座りなさい、ということだと思って、私はそこまで歩いていき、鞄を足元に置いてから腰を下ろした。
「今日は補習だったそうね。魔法実技でしょう? それで、課題はできるようになったの?」
予想していた通り、聞かれたのは補習のことだった。
どう答えるかも、ここへ来るまでに分かっている。できなかったものを、できたと言うわけにはいかない。
私は膝の上で両手を重ね、なるべくいつもと変わらない声で答えた。
「……まだ、うまくできませんでした」
母はすぐには返事をせず、しばらく私の顔を見ていた。何か言おうとしたのか一度だけ唇が動いたけれど、結局そのまま視線を落とし、テーブルの上のカップへ目を向ける。
「そう……」
その声は、思っていたよりも静かだった。母はカップの取っ手に指をかけたものの、持ち上げることはせず、そのまま手を離して小さく息を吐いた。
「またなのね」
声を荒らげられたわけではない。それでも、何度も同じ結果を聞かされて、もう驚くことにも疲れてしまったような言い方に、私は膝の上で重ねていた指へ少し力を入れた。
「先生からは、なんて言われたの?」
「魔力が多いから、細かく調整するのが難しいって……。練習すれば、できるようになるはずだって言われました」
「……練習をサボっているのかしら?」
母は私を責めるように睨むのではなく、どうしても理由が分からないというように眉を寄せた。
「魔力が足りなくてできないというなら、私だって無理を言うつもりはないわ。でも、あなたにはちゃんとあるのでしょう? それなのに、どうしていつまでも同じところでつまずいているの」
自分でも分からないことを聞かれると、何を答えればいいのか分からなくなる。
先生には、魔力が多いから細かく調整するのが難しいと言われた。でも、それをもう一度説明したところで、きっと母の疑問への答えにはならない。
「……ごめんなさい」
「謝ってほしいわけじゃないのよ」
母はそう言ったものの、すぐに次の言葉を続けようとはしなかった。
何か言わなければならないと思っているのに、もう何を言えばいいのか分からない。私には、そんなふうに見えた。
しばらくして母はもう一度息を吐き、先ほどよりも少し疲れた顔で私を見た。
「小鳩には何度も言ってきたでしょう。あなたは白石家の長女なの。妹たちだっているのに、いつまでも学校の基礎課題で補習を受けているようでは困るわ」
母はそこで一度言葉を切ると、膝の上で手を組んだ私を見ながら、少しだけ声を和らげた。
「あなたはいずれ、白石家の娘にふさわしい家柄の方へ嫁ぐことになるのよ。そのときになって恥ずかしい思いをしないように、今のうちからもう少ししっかりしてもらわないと」
「……はい」
私が答えると、母はそれ以上何も言わず、もう部屋へ戻っていいわ、と話を終えた。
足元に置いていた鞄を持ち、私は居間を出て二階へ向かう。
白石家の娘にふさわしい人と結婚する。
そうなるのだと、私は幼いころから何度も言われてきた。
門をくぐって玄関までの道を歩くあいだにも、庭の明かりが一つずつ灯り始めている。子どものころから毎日見ている家なので、私は特別広いと思ったことはないけれど、小学生のころに同じクラスの子たちを家へ呼んだときには、「門を入ってから玄関まで遠い」と驚かれたことがあった。
玄関の扉を開けると、ちょうど廊下を通りかかった使用人が私に気づき、足を止めてこちらを振り返った。
「お帰りなさいませ、小鳩さま」
「ただいま帰りました」
鞄を受け取りましょうかと声をかけられたけれど、大丈夫です、と答えて自分で持ったまま靴を脱いだ。学校で使ったものくらいは自分で部屋まで持っていけるし、そのためだけに誰かの手を止めてもらう必要もないと思う。
家の中はいつも通りきれいに整えられていた。玄関にも廊下にも物が出たままになっていることはなく、夕食の支度をしているのか、奥のほうでは使用人たちが行き来する気配がしている。
この時間なら、父も母もすでに帰っているはずだった。
放課後に補習があると決まった時点で、帰りが遅くなることは家にも連絡してある。当然、今日も補習を受けていたことは父と母も知っているし、このあと顔を合わせれば、課題がどうなったのかを聞かれるだろう。
できれば、その前に自分の部屋へ戻ってしまいたかった。
今日もうまくできなかった。このままではいけないことは、自分でも十分に分かっている。それを家に帰ってからもう一度口にして、どうしてできなかったのかと聞かれるのは、できることなら避けたかった。
二階へ上がろうと階段に足をかけたところで、居間のほうから私を呼ぶ声がした。
「小鳩。帰ったのなら、少しいいかしら」
やっぱり、そううまくはいかなかった。
母の声に呼び止められ、私は階段から足を下ろした。居間までの距離はそれほどないのに、何を聞かれるのか分かっているせいか、鞄を持って歩く足がさっきまでよりも少しだけ重く感じられる。
扉を開けると、母はソファに腰掛けてお茶を飲んでいた。私が入ってきたことに気づくと、手にしていたカップを静かにテーブルへ戻し、それから向かい側のソファへ視線を向けた。
座りなさい、ということだと思って、私はそこまで歩いていき、鞄を足元に置いてから腰を下ろした。
「今日は補習だったそうね。魔法実技でしょう? それで、課題はできるようになったの?」
予想していた通り、聞かれたのは補習のことだった。
どう答えるかも、ここへ来るまでに分かっている。できなかったものを、できたと言うわけにはいかない。
私は膝の上で両手を重ね、なるべくいつもと変わらない声で答えた。
「……まだ、うまくできませんでした」
母はすぐには返事をせず、しばらく私の顔を見ていた。何か言おうとしたのか一度だけ唇が動いたけれど、結局そのまま視線を落とし、テーブルの上のカップへ目を向ける。
「そう……」
その声は、思っていたよりも静かだった。母はカップの取っ手に指をかけたものの、持ち上げることはせず、そのまま手を離して小さく息を吐いた。
「またなのね」
声を荒らげられたわけではない。それでも、何度も同じ結果を聞かされて、もう驚くことにも疲れてしまったような言い方に、私は膝の上で重ねていた指へ少し力を入れた。
「先生からは、なんて言われたの?」
「魔力が多いから、細かく調整するのが難しいって……。練習すれば、できるようになるはずだって言われました」
「……練習をサボっているのかしら?」
母は私を責めるように睨むのではなく、どうしても理由が分からないというように眉を寄せた。
「魔力が足りなくてできないというなら、私だって無理を言うつもりはないわ。でも、あなたにはちゃんとあるのでしょう? それなのに、どうしていつまでも同じところでつまずいているの」
自分でも分からないことを聞かれると、何を答えればいいのか分からなくなる。
先生には、魔力が多いから細かく調整するのが難しいと言われた。でも、それをもう一度説明したところで、きっと母の疑問への答えにはならない。
「……ごめんなさい」
「謝ってほしいわけじゃないのよ」
母はそう言ったものの、すぐに次の言葉を続けようとはしなかった。
何か言わなければならないと思っているのに、もう何を言えばいいのか分からない。私には、そんなふうに見えた。
しばらくして母はもう一度息を吐き、先ほどよりも少し疲れた顔で私を見た。
「小鳩には何度も言ってきたでしょう。あなたは白石家の長女なの。妹たちだっているのに、いつまでも学校の基礎課題で補習を受けているようでは困るわ」
母はそこで一度言葉を切ると、膝の上で手を組んだ私を見ながら、少しだけ声を和らげた。
「あなたはいずれ、白石家の娘にふさわしい家柄の方へ嫁ぐことになるのよ。そのときになって恥ずかしい思いをしないように、今のうちからもう少ししっかりしてもらわないと」
「……はい」
私が答えると、母はそれ以上何も言わず、もう部屋へ戻っていいわ、と話を終えた。
足元に置いていた鞄を持ち、私は居間を出て二階へ向かう。
白石家の娘にふさわしい人と結婚する。
そうなるのだと、私は幼いころから何度も言われてきた。
