HERO of Music


 
 「……私は、だれ?」
 
 人が、自転車が、車が、電車が絶え間なく走り続ける街。
 風だけがそれに抗うように自由に遊ぶ。
 
 大通りから小さく光が漏れる暗い路地。
 室外機の回る音が不規則にカチカチと語りかける。
 その横に少女が一人、すわっていた。
 
 ふんわりとした髪の毛を突き刺すように束ね大きなリボンをちょこんと乗せている。
 大きな瞳は寝起きの眼のようにぼんやりと景色を捉えている。
 はて、と不思議そうに口を小さく開きながら目の前の建造物の壁を見つめている。
 
 
 忘れちゃったの?
 
 
 「え?」
 
 ふと頭をよぎった声に少女ははっと目を覚まし不自然にキョロキョロと周りを見回す。
 
 しかし語りかけてくるのは室外機だけで、そこには誰もいない。
 
 気のせいかな……?
 
 少女はゆっくりと口を開けたまま立ち上がると大通りに向けて一歩一歩踏みしめるように、何科に引っ張られるように前だけを見ながら歩き出した。
 
 カツ、カツ、カツ……
 
 少女の履いた靴が地面と共鳴する。
 
 「っ——」
 
 光が突き刺すように差し込み思わず眩しさに目を瞑った少女を暖かく包み込んだ。
 暖かい、太陽の光。
 
 少女はゆっくりとまぶたを開く。
 
 「おぉぉぉお!」
 
 その瞳はありったけに大きく開くと輝きを散りばめ世界を捉えた。
 
 道行く大勢の人々。
 走っても走ってもまた出てくる車。
 
 光に満ち溢れたその世界を初めて見たかのように少女はただその好奇心旺盛な瞳を忙しく右に左に上に下にと動かしていた。
 小さく開いていた口が更に開く。
 
 こっちにも!あっちにも!
 
 少女が首を動かす度に髪の毛がふわりふわりと揺れる。
 
 するとそれを遠くから指をくわえ不思議そうに見ていた幼い子供がその指を少女へと向けた。
 
 「ママー、変な人いるよ」
 
 「こらっ、指ささないの」
 
 それに気がついた母親が焦ったように子供の手を強制的に下へとおろしその子を連れ足早にその場を去っていった。
 
 しかし少女はお構い無しに目を輝かせあちらこちらと見回し続ける。
 
 「なんだあれは!!」
 
 少女の目線の先、太陽の下で影を落とす高いビルとビルの間から列車が走り抜けた。
 
 それを見てはしゃぐ少女。
 
 「うぉっと!?」
 
 そのまま落ちていたペットボトルを踏みバランスを崩して再び路地の中へと消えていった。
 
 ガシャン
 
 誰もが目を瞑りたくなるような音が路地の室外機と会話した。
 
 「いっったぁ……」
 
 建物と建物の間から見える青い空を見つめ少女が手を伸ばす。
 
 再び列車が走る音がガタガタと聞こえた。
 
 ガタガタガタ
 
 ……
 
 「ん?」
 
 先程とは違い列車の音が遠くなる前にピタリとやんだ。
 
 道端に咲いていた花を風邪が揺らし花びらが地面に悲しく引き寄せられる。
 
 少女が体を起こす。
 
 音がなりやんだ列車はまるでなにかに掴まれたかのように中に浮いていた。
 
 「おぉぉおおお!!」
 
 少女がぱあっと感嘆の声をあげる。
 
 街ゆく人は立ち止まり呆然と列車を眺める。
 
 ただ、立ち尽くすことしか出来なかったからだ。
 
 室外機の音がやけに大きく周りを轟かせていた。
 
 列車がさらに上へと動く。
 
 するとそいつは姿を現した。
 
 ボコボコに気づつけられて壊れたトランペットのようなものを基調としておかしな所から手や足が生え、目が乱雑に着いた化け物。
 
 生物という定義から随分と外れたその正体は——
 
 
 「ノイズ」
 
 
 少女が自分の口から出た言葉に驚き口元を抑え辺りをキョロキョロと見回す。
 しかし室外機が回り壁があるだけ。
 
 
 忘れちゃ、だめなのに
 
 
 まあ、いいよ
 
 
 「あなたは、誰?」
 
 少女が口元に抑えた手をゆっくりと戻す。
 そしてもう一度口を開いた。
 
 「私は、誰?」
 
 ノイズと呼ばれた化け物はやがて列車を上へと投げようとする。
 
 道で立ち尽くす人々。
 ビルの中から見上げる人々。
 列車。
 
 列車の中で助けを求める人々。
 
 少女の瞳が吸い込むようにそれを捉えた。
 
 私は……
 
 風が引き寄せられ竜巻のように少女の周りに集まる。
 少女が目を瞑った。
 
 結っていた髪の毛がほどけぶわっと天使のはねのように広がる。
 
 「私は——」
 
 カッと少女が目を見開く。
 
 
 そう。あなたは——
 
 
 一瞬、少女の目の前に薔薇のように美しい少女が現れる。
 
 そしてニコッと手を伸ばした。
 
 薔薇の花びらがふわりとそれに合わせて舞う。
 
 目を開く。
 
 髪色も髪型も身なりも違う。
 
 けど、同じ顔。
 同じ瞳の少女。
 
 少女はその手に合わせるように触れた。
 
 目の前の少女は薔薇の花びらとなってその場から消えていった。
 
 そして少女の手には華やかな装飾が上品に彩った手のひらサイズの金管楽器を模倣したようなオブジェ。
 
 少女はそれをぎゅっと両手で握りしめ胸に寄せた。
 
 
 「私は、私の名前は——」
 
 風に乗って薔薇の花びらと、そして五線譜に乗って音符が少女を包む。
 鮮やかで華やかに少女がふわりととびくるりと一回りする。
 
 薔薇と五線譜に乗った音符が少女の身体を包み込むとやがてキラリと姿を変え衣装へと変化し少女はそれを薔薇のように纏った。
 
 手に持ったオブジェ——ミュズ・キーをゆっくりと前に差し出すように手を伸ばす。
 
 そしてぱっと顔を上げた。
 
 
 「ムジカ」
 
 
 ミュズ・キーが複数の薔薇の花びらへと変化しその場に舞い上がる。
 
 それを少女——ムジカが両手で掴み取り自分の頭の上へとその腕を伸ばす。
 
 そしてぱっと手を広げ花びらを頭から浴びる。
 
 髪型が、髪色がふわっとアシンメトリーな不可思議に変わる。
 
 やがて花びらはあらゆる装飾となってムジカを上品に彩った。
 
 「そう、忘れてなんかない。」
 
 遅れて一つ、花びらがゆっくり降下する。
 
 ムジカが手を伸ばしそれを掴むと花びらはやがて華やかなロットへと変化した。
 
 「私が守るんだ。この世界を」