奴延鳥の一途婚 〜生贄として捨てられた花嫁は、最強のあやかし当主に『最愛の番』として溺愛される〜

「鵺のご一族には、随分と昔からご贔屓にしていただいてましてねえ。夜彌様とは、長いお付き合いなのですよ」

 鏡台の前に座らされ、幾つもの反物を次から次へと身体へあてながら、須磨はその都度顔映りを見る。樺色(かばいろ)、薄萌葱色(うすもえぎいろ)、縹色(はなだいろ)、撫子色――。驚くほど色の種類は多く、更に麻の葉や碁盤格子、菊や牡丹といった四季折々の花や鶴亀や扇面の描かれたものなど、柄にも富んでいて果てがない。

 正直なところ、今ある上等な着物の内のどれかを選ぶので十分ではないか、と思ったものの、そんな千代の胸の内をはじめから見透かしていたのか、夜彌は去り際に、さり気なくひと言言い置いて行った。宴の為に俺がそうしたいと思っただけだ、と。だから俺の我儘に付き合ってくれ、とも。

 須磨に全てを託し、葛ノ葉と共に部屋を出て行こうとする彼の背中へ断りを口にすることは、結局出来なかった。彼が望むならそうしたい、と思ったのは事実だけれど、しかしそれ以上に、彼の好意を無下にするのは、なんだか贅沢で罰当たりのような気がしたからだ。身に余りすぎるからこそ、却って失礼になってしまうような。

「桜花の宴ですから、やはり桜の描かれたものの方が合いますでしょう。色は一斤染(いっこんぞめ)や朱鷺色(ときいろ)、ああでも、紅梅色も捨てがたいですわね」

 主役が桜であるだけに、着物の色や描かれる模様に偏りが出るのは仕方がないでしょう、と言いながら、須磨は今しがたあてたばかりの反物を傍らに退け、また新たな一反を手に取って広げる。どうやら彼女にとって、その“偏り”の中で如何に趣向を凝らし、千代を引き立たせることが出来るかが、腕の見せ所らしい。

「あ、あの……」
「どうかされましたか?」

 鏡越しに須磨と目が合った途端、千代は反射的に口を噤む。自分から声をかけておきながら、いざとなると言葉に詰まるだなんて。その情けなさに胸の内でひそりと溜息をこぼしつつ、千代は手元の反物を見下ろしながら、僅かな逡巡の末、おずおずと唇を開いた。

「絵柄は、その……どのようなものでも描くことが出来るのでしょうか」
「ええ、もちろんでございます。染めも刺繍も、お望みのままに。何かご所望の柄がございましたら、笹久茂屋でも指折りの職人が、見事に仕上げてご覧にいれますよ」

 自信に満ちた口調でそう告げた須磨へそろりと視線を戻し、にっこりと華やかに笑む彼女へ、千代は曖昧に微笑み返す。

 宴の趣旨を考慮すれば、色なり絵柄なりに桜の要素は確かに必要だろう。ただ桜を散らすだけというのも、“眠り桜の目覚め”という意味としては、十分に成り立つだろうが、しかしそれだけではなんだか味気ないように思う。だからといって、薬玉や熨斗、松竹梅と組み合わせるのも違うような気がする。

 気がする、というより――。新たな色の反物を肩にあてがわれながら、千代はどうにか蓋をして見ないようにしていた本音に、観念して目を向ける。違うような気がする、のではなく、違うのだ。本当に望んでいるのは、そういうものではない。

 そう分かっていたくせに、柄の相談をしている間もずっと胸に抱えていたそれを、なかなか須磨へ打ち明けられなかったのは、仙右衛門の言葉が脳裏にこびりついて離れないからだった。現世に大厄災を齎した、人間にとって憎き存在。時の帝さえも殺そうとした大妖怪――。

 それでも、折角仕立ててもらう一着なのだから、彼を思わせる意匠を何かしら取り入れたいと願うのは、“人間”として間違っていることだろうか。

「“鵺”を……着物の何処かに少し……あしらいたい、と思いまして……」

 はにかみとも苦笑ともつかない笑みを浮かべながら訥々と告げると、須磨は僅かに目を見開き、それからふわりと、心底嬉しそうに目元を綻ばせた。

「それはようございますね! しかし、鵺のお姿をそのまま描いては目立ってしまいますから……例えば、帯は鱗文のものにいたしまして、着物には雲取りと――」


▽


 店へ戻る須磨を見送り、雑舎へ向かう前に先ずは一息つこうと、千代は中庭へと足を向ける。西対にも東対同様に、北対へと繋がる回廊があり、それに抱かれた中庭には、しかし藤ではなく楝(おうち)が植わっている。造りは殆ど同じなのに、咲いている花が違うだけで随分と趣が異なって見える、美しい中庭。

 須磨の提案してくれた絵柄を頭の中に思い浮かべながら、千代は渡廊を通り過ぎて、回廊へと差し掛かる。すると、きゃっきゃとはしゃぐ、なんとも可愛らしい声が聞こえてきた。その声に誘われるようにして中庭へ目を向けてみれば、そこには夜彌と、彼に肩車をされた晴陽の姿があり、間近で見る楝の花に、彼はあどけない笑みを顔いっぱいに浮かべている。そんな晴陽の喜び様にだろうか。夜彌のかんばせにもまた、穏やかな微笑がふんわりと滲んでいた。

 ――七年にも及ぶ大疫病、更に七年の大飢饉、そして七年続いた大兵乱。

 やわらかな風に頬を撫でられながら、千代はその二十余年にも及ぶ大厄災について、思いを巡らせる。時の帝さえ殺そうとしたほどの、狡猾で極悪非道なあやかしである、と、仙右衛門は言っていたけれど。晴陽が何かを喋る度に、楽しげに目を細めている夜彌と、彼の語る“嘗ての夜彌”は、少しも重ならない。別の鵺の仕業だ、と言われた方が、或いは、仙右衛門の語りは全て大嘘だった、と言われた方がよほど納得が出来る。

 それくらい、信じられないのだ。晴陽は夜彌に拾われた、と、お靜は言っていた。“血も涙もない”あやかしが、果たして孤児を拾ったりするだろうか。それに、この邸には“脛に疵持つ奴しかいない”と仙右衛門は鼻で笑っていたが、そういう者を受け入れるほど夜彌は懐が深い、ということではないだろうか。

 もしかしたら――。高欄越しにふたりの姿を眺めながら、千代は胸の内で静かに溜息をこぼす。もしかしたら、そうやって色々と理由をつけることによって、仙右衛門の発言をただ信じたくないだけなのかもしれない。彼はそんなことはしない、と。そうあってほしい、と。そのくせ、真実を知ることをひどく恐れてもいる。夜彌の口から、あの老爺の語った話は全て事実だと、そう告げられることを――。

「千代!」

 唐突に名を呼ばれ、千代ははっと目を見開いて、我に返る。視界の先ではちょうど、夜彌が肩からゆっくりと晴陽を地に降ろそうとしていた。真っ直ぐに向けられる、幼い子ども特有の愛らしい笑顔と、爛々と輝いた青空のような瞳。

「お館様に、肩車してもらったんだ!」

 高欄にひょいと飛び乗り、身体中から喜びを溢れさせながら、どこか自慢げにそう話す晴陽の純粋さに、千代は思わず顔を綻ばす。なんて無邪気で、潑剌としていて、いとけないのだろう。彼を育てたのは寧々で、故に彼女の影響を大きく受けてはいるのだろうけれど。しかしあれだけ夜彌に懐いているのは、彼もまた晴陽を愛情深く見守っていたからではないだろうか。そう、だから。だから――。

 またもや薄暗い澱の中へ沈んでしまいそうになる意識を無理矢理引き戻し、千代はそっと笑みを深める。

「良かったですね。高いところは如何でしたか?」
「すごかった! いつもは遠くからしか楝の花は見られないのに、さっきはとっても近くにあったんだ!」
「そうですか。それは良かったですね」

 うん、と屈託なく頷いた晴陽の背中に、彼を呼ぶ夜彌の声が届いた。小さな肩越しに、千代はちらりと夜彌の方へ視線を向ける。そこに立つ彼は、今朝部屋で見た夜彌と少しも変わらない。それどころか、初めて対面所で相見えた時から変わらぬままだ、と思う。

「そろそろ寧々に会いに行く時刻ではないのか」
「あっ! そうだった!」

 大事な用事を思い出し、晴陽はぴょんと尻尾を跳ねさせる。彼は幼いながらも律儀に夜彌へ一礼し、そうして千代に小さく手を振ると、軽々と高欄を飛び降りて北対の方へと走って行った。

 花のような、太陽のような、そんな賑やかだった存在がいなくなった中庭には、自然と沈黙が降り、ふたりの間をゆるやかに風が吹き抜けてゆく。着物の礼を言わなければ、と頭では分かっているのに、眩い金色の瞳と視線が交わった途端、言葉は忽ち喉の奥へ滑り落ちてしまう。訊きたいことだって、たくさんあるというのに。意に反して、唇は僅かも動いてくれない。

 そうして何も出来ずただ立ち尽くしていると、ふいに、夜彌が苦笑をこぼした。徐に千代から視線を逸らし、傍らに植わる楝の花を見上げる。その横顔には、笛の音を聞いたあの夜と同じ、切なげな翳りが浮かんでいるような気がした。

「仙右衛門殿から聞いたのだろう」

 まさか彼の方から切り出してくるとは思っておらず、千代は意表を突かれ、ぱちりと大きく目を瞬かせる。何のことを、と問わなくとも、夜彌の指しているのがどの“話題”であるかくらい、考えるまでもない。息を呑んだのは、驚きというより、胸の奥底から込み上げる恐怖のせいだった。怖い。怖くて怖くてたまらない。出来ることなら耳を塞いでしまいたい、と思う。或いは、言葉を紡ごうと開きかける彼の唇を。

 けれど、そんなこと出来るはずもなく、くすり、と小さくこぼれた自嘲に、千代の心臓はどくりと、痛みを伴いながら強く跳ね上がった。

「俺が現世に大厄災を齎したのは――事実だ」