奴延鳥の一途婚 〜生贄として捨てられた花嫁は、最強のあやかし当主に『最愛の番』として溺愛される〜

 ――死ぬ為の花嫁だった。

 死ししてこそ成り立つ婚姻。
 死してから迎える旦那様。
 死ぬことによって得られる幸福、安寧、恩寵。

 刺繍が惜しみなく施された上等な白無垢も、美しく結い上げられた髪の毛も、くっきりと引かれた紅も。花嫁を彩る麗しい婚礼衣裳たちは、しかしその実、ただの死裳束であった。



 雨が降っている。しとしとと、夜気に絡まるような細かな雨が。闇に呑まれた木々から、枝葉の震える音が聞こえる。

 ふと視線を上げると、雫を垂らす傘の先から、青白い満月が見えた。今朝からずっと雨は降り続いているというのに、深い紺色に塗られた夜空には不吉な黒雲はなく、幾千もの小さな星々だけが煌々と輝いている。

 正に“狐の嫁入り”――村人の誰かが、嘲笑混じりに囁いていた言葉が、ふいに蘇る。

 千代の生まれ育った村には、十年に一度、若い娘を土地神様の“花嫁”として捧げる風習がある。――つまりは“生贄”、人身御供の一種だ。商売繁盛の祈願や、或いは大規模な厄災を鎮め、加護を賜る為の、最上級の捧げ物。

 夜の帷に深く包まれた、丑三つ時。土地神様を祀る神社へ続く一本路を、幾つもの提灯に彩られながらぞろぞろと進む花嫁行列は、確かに数多の書物に記されてきた“狐の婚”のそれに見えるだろう。

「なにぼさっと歩いてんだ!」

 不意に背中を強く押され、千代は前のめりにたたらを踏んだ。いつも身につけている質素な着物とはまるで違う、上等な反物で仕立てられた白無垢はひどく重く、うまく態勢を整えられない。それでもどうにか踏ん張って堪えると、白い草履の先端が、小さな泥濘に僅かばかり沈んだ。

 幾つも連なる提灯や松明の灯りを見つめながら、千代は胸の内で静かに溜息をこぼす。足が鈍りそうになるけれど、どうにか叱咤して、一歩進める。決して立ち止まるわけにはいかないのだ。母を都一番の医者に診せるのと引き換えに、この運命を受け入れたのだから。

 ひとつ息を吐き、周りに遅れぬよう前へ進もうとした――その時だった。鬱蒼とした木立の傍らから、唐突に、軽やかな声が飛んできたのは。

「――おや、こんな夜更けに花嫁行列とは、珍しいものですね」

 低く落ち着いた、それでいて、凛とした透明感をも感じさせる、不思議な声。

 隣を歩いていた男が足を止め、すかさず腰に差した刀へ手をかける。一瞬の、沈黙。護衛の男がひとり、持っていた提灯を掲げた。それから漏れる蝋燭の灯りが、ぼうっと、木立に佇む男の姿を闇夜の中に浮かび上がらせる。

 その男は、朱色の傘を差していた。白い輪の模様が施された蛇の目傘。それは灯りがなくともくっきりとしていて、周りが暗く沈んでいる分、より異質さを際立たせている。

 けれど、何より千代の目を引いたのは、傘の下から覗く木彫りの面だった。色付けのされていない木肌そのままのそれは、ただ削っただけのものに過ぎないというのに、凹凸の落とす陰影は紛れもなく猿の貌そのもので。色彩に乏しすぎるが故に不気味で、虚ろな雰囲気は底の知れない禍々しさを感じさせる。

「誰だ、貴様はっ!」

 行列に並ぶ村人の中で、最も短気で気性の荒い男が、身の丈以上もある立派な槍を構えながら怒号を放つ。しかし、猿面の男は全く意に介した素振りもなく、くすりと、小さく笑った。

「名乗れるものは疾うに失いました故。誰だと問われましても、はて、困りましたね」
「馬鹿なことを抜かすな!」

 幾人かの男が武器を手に、一歩、また一歩と躙り寄る。それでも、猿面の男は微動だにしなかった。蛇の目傘を差し、美しいまでの正しさで、すっと背筋を伸ばして立っている。

「私はただ、そこの女性をこちらに渡してほしいだけなのですが」

 不意に、芯のある真っ直ぐな声でそう言われ、千代は思わず間の抜けた表情で、ぱちりと目を瞬かせた。そこで初めて、猿面の目元に刳り抜かれたふたつの虚から向けられる視線を、千代は意識する。冷ややかでもなければ、あたたかくもやさしくもない、どこまでも淡々としたそれ。瞳は闇に埋もれて少しも見えないというのに、そのふたつの穴に見つめられるのは、しかし不思議と嫌ではなかった。

「この女は、土地神様の大事な“花嫁”なんだぞ! お前なんかに渡せるものか!」
「それはそれは……しかたありませんね」

 そう言って、くすくすと笑いながら肩を竦める男の背後で、ぬっと、何かが蠢く。木立が揺れたような、或いは、黒々とした闇そのものが歪んだような。

 気の所為だろうか、と思ったのも束の間、男の傍らにすうっと、まるで影の底から滲み出るように一匹の大猿が姿を現した。凡そ七尺はあるであろう巨体は茶褐色の毛に覆われ、黒と金の目は、その身に宿した獰猛さを誇示するように吊り上がっている。

「ひ、狒々(ひひ)だっ……!」

 村一番の怪力で知られていた男が、情けない声をあげながら、泥濘の中にびちゃりと尻もちをつく。それを皮切りに、ぴんと張り詰めていた緊張感は一気に恐怖へと取って代わられ、統制を失った行列は瞬く間に散り散りとなった。そこここに響く悲鳴、水溜りを踏む足音、放り出された提灯の明かりに照らされながら弾ける飛沫。

 気付いた時にはもう、辺りに誰の姿もなくなっていた。残っているのは水を吸って消えた松明の残骸と、踏み付けられて破れた提灯の火袋、ほうぼうに捨てられた槍や刀、それから――傘を差したまま静かに佇む猿面の男だけ。あの大猿は、いつの間にか消えていた。鳴き声ひとつ漏らすことなく、まるで最初から存在などしなかったかのように。

 土地神様の大事な“花嫁”だと言いながら、しかし千代を連れてゆく者は誰ひとりとしていなかった。そもそも生贄として捧げる――つまりは殺すつもりでいたのだから、妖しい男に連れ去られようが、彼等にとってはどちらであろうと同じことなのかもしれない。

「私が、怖くないのですか」

 どこか愉しげな声音で問いかけられ、千代はそろりと夜空を仰ぎながら考える。怖い――確かに、不気味な男だとは思った。でも、“花嫁行列”の先に待つものに比べれば、少しも恐ろしくはない。

「怖くは、ありません。理由は、私自身にも分からないのですけれど……」

 その返答に、男はふっと笑った。吐息をこぼすような、やさしい笑み。飄々とした口調とは裏腹に、声も眼差しも淡々としていて人間味の感じられなかった男の見せる、それは初めての“感情”だった。

「さあ、行きましょう」

 驚きに目を見開く千代をよそに、男は地面に落ちていた提灯を手に取ると、消えかけの松明から灯りを移し、ひとつに結わえられた髪の毛を靡かせながら颯爽と踵を返した。

「ど、何処に行くのですか……?」
「さあ。それは着いてからのお楽しみです」





 木々や丈高い草々の合間に伸びる(こみち)を、男は手にした提灯で照らしながら、迷いのない足取りで進んでゆく。頭上を覆うように茂った枝葉のせいで、月明かりはほんの気休め程度しか差し込まない。

 何故ついてきてしまったのだろう。今更になってそう疑問に思うも、けれどあの時、そうするのが当然のことのような気がしてならなかったのだ、と、千代は胸の内で小さく溜息をこぼす。彼の言葉には、不思議な“安心感”のようなものがあったのだ。信じても良いのだ、と、説明もつかないのにすんなりと受け入れてしまえるような安心感が。

「生贄となることに、後悔はなかったのですか」
「なかった……と言えれば、良かったのですけれど」

 苦笑交じりにそう言いながら、出立の間際に見た母の泣き顔を思い出す。夫を亡くした時でさえ頑なに涙を見せようとしなかった母が、まるで子どものように大声をあげて泣きじゃくっていた。ごめんなさい、ごめんなさい、と何度も謝りながら。それでも、幸せになるのよ、と本物の花嫁へ送るような言葉も、途切れ途切れにこぼして。

 医者にも薬にも困ることはもうない、と分かっていても、それでも頑張りすぎて身体を壊してしまった母をひとり置いてゆくのは、とても覚悟の――そして、ある種の諦念も――要ることだった。

「貴女は随分とお人好しなのですね」

 猿面の裏側で、男が小さく笑う気配がした。肯定とも否定とも違う、けれど、まるで何かに納得したかのような、静かな笑み。

「さあ、着きましたよ」

 言いながら、男は提灯を持った手を真っ直ぐ前へ伸ばした。橙色の明かりに彩られた指先を辿って、千代はそっと、彼の指し示す方へ視線を向ける。

 そこには、四角い井戸があった。雑草と土が混ざり合ったような小さく開けた場所に、ぽつりと。年月を吸って黒ずんだ古い木枠に囲まれたそれには、しかし瓶もなければ縄や滑車もない。ただ地下へ通じる穴だけが、ぽっかりと空いている。

「井戸……?」
「ええ、井戸です」

 飄々とした口調で答え、男は井戸へと歩み寄る。傘の下にいる千代もまた、引き寄せられるようにその横に続き、井戸の傍で彼が足をとめるのに合わせて動きをとめた。月明かりにぼんやりと縁取られていただけの井戸は、提灯の灯りを受けたことで、蓋も何もされていない口の中の闇を一層濃く際立たせる。

 それはまるで、奈落へと続く入口のようだった。

「ひとつ、訊いても良いですか」

 地面の上に提灯を置きながらそう言われ、千代はそっと隣を見上げる。猿面にすっぽりと覆われているせいで、横から見ても、男の顔はまるで分からない。

 小さな間をひとつ置いて、男は口を開いた。夜気を少しも震わせない静けさで。

「――人の世は、お好きですか」

 言葉は呑み込めても、その意図がまるで理解出来ず、千代は困ったように眉尻を僅かに下げながら小首を傾げた。

「どうでしょう……よく分かりません」

 正直に答えると、猿面の男は「そうですか」と言って、微かに笑った。ひそやかな、それでいて美しくもある笑い声。隣から聞こえてくるはずのそれを、千代は――ぐらりと視界を揺らしながら、何故か背中で聞いた。

 足元にあったはずのものが、ない。地面のかたさや、泥濘や草の感触が、何処にも。

 背中を強く押された、と思う間もなく、抗えぬまま井戸の中へ放り出された身体が、勢いよく宙を滑り落ちてゆく。冷たい空気が顔にぶつかって、目を開けていることが出来ない。鼓膜のすぐ傍で、ひゅうひゅうと、風の切れる音がする。

「今度こそ幸せにおなり――千代」

 男が何かを言ったような気がしたけれど。しかしそれは、轟々と唸る風に攫われて、意識の薄れゆく千代の耳には届かなかった。