教室に戻ろうと三階への階段を上りきったところで、見知った顔が話しかけてきた。
「林道! どうだった? 面談。なんかやらかしたん?」
クラスメイトの本田隆二りゅうじだ。
高校でできた、唯一の友達(と思っているのは僕の願望でしかないかもしれない)。
テニス部に所属していて、中学の時は全国クラスの選手だったらしく、高校でも一年から学内で有名だった。日に焼けた褐色の肌に、白く整った歯。涼しげな短髪。程よい筋肉。やわらかな印象の二重瞼。イケメンというより、絵に描いたような好青年といった感じだ。明るい性格で、僕のような根暗な人間に対しても、分け隔てなく接してくれる。
小西先生との会話の内容をつぶさに話そうかどうか少し迷って、
「うーん。なんかね、よくわかんない」
という曖昧な返事をした。
「ふーん」
「何?」
「今、嘘ついたろ? お前はたまーに何か隠すみたいに一線を引くからなあ」
胸のうちが一気にざわめく。何もミスなんていしていないはずだ。
本音だけは隠して、あとは当たり障りなく過ごせば、誰も傷つけない。動揺するな。
「何も隠してないよ。ただの世間話みたいな感じだったから、何のための面談だったか、本当によくわからなかったかったんだよ」
本田は凛とした目色を崩さない。冷や汗が背中に流れる。
「ま、やらかしたわけじゃなさそうだし、いっか」
胸を撫で下ろす。本田のこういうところは好きだった。明るく、物怖じせずにぐいぐい距離を詰めてくるけれど、心には決して土足で踏み込まない。天性の鋭い勘なのか、僕があまり乗り気でない時は、爽やかに距離をあけてくれる。どの人に対しても、引くべきところは引いて、詰めるところは詰める。こういう心に率直な行動が、思いやりというのかなと、僕は密かに本田を見て学んでいた。
「本田はなんで今日いるの? 面接練習とか?」
僕たち高三は、二月に入ってからは自由登校になっていた。進路行事などでたまに登校するくらいで、大学の合格が決まっている生徒はほとんど登校しない。三月になれば卒業式の準備で数日登校日が設けられているけれど、理由もなくふらりと学校にくる生徒は、この時期にはいない。
本田はふふんと鼻を鳴らした。
「よくぞ聞いてくれた。わたくし本田隆二、第一志望に受かりましたー!」
「え! よかったじゃん!」
僕は思わず、普段は出さないような大声が出てしまった。静かな廊下に言葉の余韻がきんと響く。
本田は体育学部が有名な東海にある国武こくぶ大学が第一志望だった。将来は体育の教員になりたいとか。彼にぴったりだと思ったし、受かって本当に良かった。
「サンキュー! てか林道ってやっぱいいやつだな」
「へ?」
大声の恥ずかしさに軽く動揺していたのもあって、間の抜けた返事になった。
「いや、みんな今の時期結構ピリピリしてんじゃん。いくら先に受かってても、そんな純粋に他人の合格を喜んでくれるやつ、あんまいねーと思う」
僕はどうか知らないけど、君の方が何百倍もいいやつだろ。と言いたかったけれど、今の空気に水を差すような気がしてやめた。
「優しくはないと思うけど……。それに、みんな喜んでくれるよ」
「俺の周りには、少なくともいねーの! 林道はもっとそういうとこ、素直に出していった方がいいと思うよ」
出せないよ、本田。君みたいに純粋な人ばかりじゃないんだ。
僕が心のままに行動したら、どこかで異常性が顔を出して、いつか人を傷つける。結野さんにだって、一つだけ嘘をついた。物語を思いつくのは、歩いてる時とか、本を読んでいる時だって。でも、それだけじゃない。人の悲しむ顔、苦しむ顔、人の死、涙。
煌めきだけではなくて、人の不幸に触れた時ですら、いたずらに吸い上げるように言葉を頭の中で浮かべてしまうんだ。
寄り添いの感情をよりも、言葉が浮かぶ快感が先立つ。そんな、異常者なんだ。
「全然いいやつなんかじゃないって……」
「俺はそう思ってんの。とりあえずサンキューな! 言いに来た甲斐があったわ」
僕の本性を知らない本田は優しげで、親しみをいっぱいに含んだ瞳で見つめてくる。息が、詰まる。
「とにかく、本当におめでとうだね」
「林道もな! あ、でさ、俺は体育学科なんだけど、キャンパスが四年間同じで都内なんだよ。林道の大学とめっちゃ近く! だからたまに会おーぜ」
本田の誘いは素直に嬉しかった。もちろんと言おうとしたところで、
「隆二ー! 何やってんだよ!」
と、大声が遮った。首を巡らせると、階段の側に本田の友達の数人が立っていた。僕は咄嗟に顔を逸らす。
「あ、悪い! すぐ行くって! んじゃあ林道またな! 今度は三月の登校日で!」
「うん……」
本田のことはもちろん好きだったけど、彼の友達は苦手だった。
特に、さっき大声を上げた宮野啓太は……。
顔立ちはよく、流行りのセンターパートで髪には艶がある。整った眉毛。少し雑に着こなした制服。笑顔を絶やさず、人当たりがいい。本田以上の人気者。けれど、僕はたまに見せる彼の冷徹な表情にどうしても慣れなかった。
他の人にはおくびにも出さないけれど、僕が視界に入ると顎を少し上げて、見下げるような表情を浮かべる。
見なければいいのに、彼らの方にもう一度視線を向けると、本田たちに見えない角度で、やはり宮野はいつもの冷徹な表情で僕を睨んでいた。中学で浴び続けた敵意と同じ種類の視線が、再び僕の心をきつく縛った。
「林道! どうだった? 面談。なんかやらかしたん?」
クラスメイトの本田隆二りゅうじだ。
高校でできた、唯一の友達(と思っているのは僕の願望でしかないかもしれない)。
テニス部に所属していて、中学の時は全国クラスの選手だったらしく、高校でも一年から学内で有名だった。日に焼けた褐色の肌に、白く整った歯。涼しげな短髪。程よい筋肉。やわらかな印象の二重瞼。イケメンというより、絵に描いたような好青年といった感じだ。明るい性格で、僕のような根暗な人間に対しても、分け隔てなく接してくれる。
小西先生との会話の内容をつぶさに話そうかどうか少し迷って、
「うーん。なんかね、よくわかんない」
という曖昧な返事をした。
「ふーん」
「何?」
「今、嘘ついたろ? お前はたまーに何か隠すみたいに一線を引くからなあ」
胸のうちが一気にざわめく。何もミスなんていしていないはずだ。
本音だけは隠して、あとは当たり障りなく過ごせば、誰も傷つけない。動揺するな。
「何も隠してないよ。ただの世間話みたいな感じだったから、何のための面談だったか、本当によくわからなかったかったんだよ」
本田は凛とした目色を崩さない。冷や汗が背中に流れる。
「ま、やらかしたわけじゃなさそうだし、いっか」
胸を撫で下ろす。本田のこういうところは好きだった。明るく、物怖じせずにぐいぐい距離を詰めてくるけれど、心には決して土足で踏み込まない。天性の鋭い勘なのか、僕があまり乗り気でない時は、爽やかに距離をあけてくれる。どの人に対しても、引くべきところは引いて、詰めるところは詰める。こういう心に率直な行動が、思いやりというのかなと、僕は密かに本田を見て学んでいた。
「本田はなんで今日いるの? 面接練習とか?」
僕たち高三は、二月に入ってからは自由登校になっていた。進路行事などでたまに登校するくらいで、大学の合格が決まっている生徒はほとんど登校しない。三月になれば卒業式の準備で数日登校日が設けられているけれど、理由もなくふらりと学校にくる生徒は、この時期にはいない。
本田はふふんと鼻を鳴らした。
「よくぞ聞いてくれた。わたくし本田隆二、第一志望に受かりましたー!」
「え! よかったじゃん!」
僕は思わず、普段は出さないような大声が出てしまった。静かな廊下に言葉の余韻がきんと響く。
本田は体育学部が有名な東海にある国武こくぶ大学が第一志望だった。将来は体育の教員になりたいとか。彼にぴったりだと思ったし、受かって本当に良かった。
「サンキュー! てか林道ってやっぱいいやつだな」
「へ?」
大声の恥ずかしさに軽く動揺していたのもあって、間の抜けた返事になった。
「いや、みんな今の時期結構ピリピリしてんじゃん。いくら先に受かってても、そんな純粋に他人の合格を喜んでくれるやつ、あんまいねーと思う」
僕はどうか知らないけど、君の方が何百倍もいいやつだろ。と言いたかったけれど、今の空気に水を差すような気がしてやめた。
「優しくはないと思うけど……。それに、みんな喜んでくれるよ」
「俺の周りには、少なくともいねーの! 林道はもっとそういうとこ、素直に出していった方がいいと思うよ」
出せないよ、本田。君みたいに純粋な人ばかりじゃないんだ。
僕が心のままに行動したら、どこかで異常性が顔を出して、いつか人を傷つける。結野さんにだって、一つだけ嘘をついた。物語を思いつくのは、歩いてる時とか、本を読んでいる時だって。でも、それだけじゃない。人の悲しむ顔、苦しむ顔、人の死、涙。
煌めきだけではなくて、人の不幸に触れた時ですら、いたずらに吸い上げるように言葉を頭の中で浮かべてしまうんだ。
寄り添いの感情をよりも、言葉が浮かぶ快感が先立つ。そんな、異常者なんだ。
「全然いいやつなんかじゃないって……」
「俺はそう思ってんの。とりあえずサンキューな! 言いに来た甲斐があったわ」
僕の本性を知らない本田は優しげで、親しみをいっぱいに含んだ瞳で見つめてくる。息が、詰まる。
「とにかく、本当におめでとうだね」
「林道もな! あ、でさ、俺は体育学科なんだけど、キャンパスが四年間同じで都内なんだよ。林道の大学とめっちゃ近く! だからたまに会おーぜ」
本田の誘いは素直に嬉しかった。もちろんと言おうとしたところで、
「隆二ー! 何やってんだよ!」
と、大声が遮った。首を巡らせると、階段の側に本田の友達の数人が立っていた。僕は咄嗟に顔を逸らす。
「あ、悪い! すぐ行くって! んじゃあ林道またな! 今度は三月の登校日で!」
「うん……」
本田のことはもちろん好きだったけど、彼の友達は苦手だった。
特に、さっき大声を上げた宮野啓太は……。
顔立ちはよく、流行りのセンターパートで髪には艶がある。整った眉毛。少し雑に着こなした制服。笑顔を絶やさず、人当たりがいい。本田以上の人気者。けれど、僕はたまに見せる彼の冷徹な表情にどうしても慣れなかった。
他の人にはおくびにも出さないけれど、僕が視界に入ると顎を少し上げて、見下げるような表情を浮かべる。
見なければいいのに、彼らの方にもう一度視線を向けると、本田たちに見えない角度で、やはり宮野はいつもの冷徹な表情で僕を睨んでいた。中学で浴び続けた敵意と同じ種類の視線が、再び僕の心をきつく縛った。
