結野さんとの思い出が、久しぶりに頭に浮かんだ。
中学三年間は部活に入らないで、変わらず放課後は図書館に通った。
時間になったら家に帰って、また朝を迎えて学校に行って、図書館に行っての繰り返し。
読書量の多さが功を奏したのかはわからないけれど、勉強の成績は苦手な数学と美術以外は学内でもトップクラスで、高校は市内で有名な公立の進学校に入学した。
高校に受かった時、何の嬉しさも湧かなかった。両親は泣いて喜んでくれたけれど、僕の心はひどく冷めていた。空気も土も、何もかもが乾燥した道を、僕はただ「優しい良い子」の仮面を被って進むだけ。
心の奥底に沈ませた異常性が外に出ることはなく、不貞腐れた本音が徐々に僕の感情を食っていた。
高校でもクラスメイトとは積極的に会話を持たず、教室の隅で本ばっかり読んでいて、物語も飽きもせずに書いていた。
誰にも見せることはない。見せられない。
中学三年の時、クラスメイトの佐橋という男が昼休み中に僕の席にズカズカとやってきて、ノートを僕から荒々しく取り上げ、みんなの前で読み上げて揶揄うという小さな事件があった。
「おい! みんな見ろよ! 林道のやつ、毎日一人で物語なんて書いてるの知ってた? 根暗かよ!」
僕はその時、焦りという名の激情を抱いた。
怖さでも怒りでもない。自分の本音を読まれることへの、焦り。
佐橋に飛びかかり、膝蹴りをお見舞いされながらも、それでも彼の体にしがみついた。
取り上げてもいい。馬鹿にしてもいい。
でも、心には入ってこないでくれ。頼むから。
佐橋は当惑の表情を浮かべたけれど、すぐにせせら嗤い、ノートを窓から投げ捨てた。
ーー読まれなかった。本性を見られなかった。
そんな最低な安心と共に舞い上がり、ゆっくり落ちていく拠り所を、僕はただ見送った。
それまではクラスのみんなは僕に積極的に関わろうとしなかったし、嫌なこともしてこなかったから、自身を尊重してくれているのだと勝手に思っていた。けれど、それは甘い幻想だった。
僕には触れないという空気。
全員、周りに合わせていただけだった。佐橋の言葉を受けて、みんな少し顎を上げて、冷笑するような表情を一斉に浮かべるようになった。その時は二月下旬で、高校入試もほとんどの生徒が終わり、卒業まであと一ヶ月程度だったから何とか耐えられたけれど、佐橋が教室で僕のノートを取り上げて窓から捨てた日からは、一気に取り巻く雰囲気が変わった。
今までの無関心とはまた違う、意図的な無関心。
コミュニケーションをとらないといけない場面で、何を話しかけても誰からも応えがない。
僕の周りだけ空間が切られて、誰の関心も得られない牢屋に入れられたような、筆舌し難い経験だった。
窓から捨てられたノート。花壇に落ちて、靴跡と土にまみれたノート。捨ててもよかったけど、それは無理だった。結野さんに見せたあのリングノートだったから。佐橋に取り上げられた時は、物語を書いていたのではなくて、お守りのように持ち歩いていたその古いリングノートを見返していた。
ーー彼女が褒めてくれた物語。いや違う。僕の本音が隠された箱。
祖母が亡くなったタイミングで、初めて見る人の死に顔が強烈に頭に残った。
いつか自分も死んでしまうのかなと、怖くなって夜に母親の前でわんわん泣いた。けど、その時も同じだった。
ーー祖母の死に顔に、一種の美しさを感じてしまった。
たどたどしい文体でも、それでも、ありありとその時の情景を無心に書いた。
いい言葉が書ける。そんな異常な高揚すら抱きながら。
人の死を、僕は物語に利用した。
祖母の死に悲しみ、泣いた気持ちも本当だから、また天国で会えたらいいなと、そんな願いも書いた。人の死を、自分勝手な想いの表現に使ったことへの贖罪。そんな一面があったかもしれない。
優しさでもなんでもない、僕のエゴ。
なのに、何度見返しても稚拙な出来である物語を、僕の本音を忍ばせた醜い物語を、僕を、結野さんは認めてくれた。
――きみのことばに、おとをあげる。
あの日くれた結野さんの音が、自分のただ一つの拠り所だった。
けど、もう二度と、誰かに自分が書いた物語を見せない。見せたくない。
中学の卒業式、最後までみんなに無視されながら、一人で俯きながら帰って自分の部屋で泣いたあの日に、そう誓ったんだ。
中学三年間は部活に入らないで、変わらず放課後は図書館に通った。
時間になったら家に帰って、また朝を迎えて学校に行って、図書館に行っての繰り返し。
読書量の多さが功を奏したのかはわからないけれど、勉強の成績は苦手な数学と美術以外は学内でもトップクラスで、高校は市内で有名な公立の進学校に入学した。
高校に受かった時、何の嬉しさも湧かなかった。両親は泣いて喜んでくれたけれど、僕の心はひどく冷めていた。空気も土も、何もかもが乾燥した道を、僕はただ「優しい良い子」の仮面を被って進むだけ。
心の奥底に沈ませた異常性が外に出ることはなく、不貞腐れた本音が徐々に僕の感情を食っていた。
高校でもクラスメイトとは積極的に会話を持たず、教室の隅で本ばっかり読んでいて、物語も飽きもせずに書いていた。
誰にも見せることはない。見せられない。
中学三年の時、クラスメイトの佐橋という男が昼休み中に僕の席にズカズカとやってきて、ノートを僕から荒々しく取り上げ、みんなの前で読み上げて揶揄うという小さな事件があった。
「おい! みんな見ろよ! 林道のやつ、毎日一人で物語なんて書いてるの知ってた? 根暗かよ!」
僕はその時、焦りという名の激情を抱いた。
怖さでも怒りでもない。自分の本音を読まれることへの、焦り。
佐橋に飛びかかり、膝蹴りをお見舞いされながらも、それでも彼の体にしがみついた。
取り上げてもいい。馬鹿にしてもいい。
でも、心には入ってこないでくれ。頼むから。
佐橋は当惑の表情を浮かべたけれど、すぐにせせら嗤い、ノートを窓から投げ捨てた。
ーー読まれなかった。本性を見られなかった。
そんな最低な安心と共に舞い上がり、ゆっくり落ちていく拠り所を、僕はただ見送った。
それまではクラスのみんなは僕に積極的に関わろうとしなかったし、嫌なこともしてこなかったから、自身を尊重してくれているのだと勝手に思っていた。けれど、それは甘い幻想だった。
僕には触れないという空気。
全員、周りに合わせていただけだった。佐橋の言葉を受けて、みんな少し顎を上げて、冷笑するような表情を一斉に浮かべるようになった。その時は二月下旬で、高校入試もほとんどの生徒が終わり、卒業まであと一ヶ月程度だったから何とか耐えられたけれど、佐橋が教室で僕のノートを取り上げて窓から捨てた日からは、一気に取り巻く雰囲気が変わった。
今までの無関心とはまた違う、意図的な無関心。
コミュニケーションをとらないといけない場面で、何を話しかけても誰からも応えがない。
僕の周りだけ空間が切られて、誰の関心も得られない牢屋に入れられたような、筆舌し難い経験だった。
窓から捨てられたノート。花壇に落ちて、靴跡と土にまみれたノート。捨ててもよかったけど、それは無理だった。結野さんに見せたあのリングノートだったから。佐橋に取り上げられた時は、物語を書いていたのではなくて、お守りのように持ち歩いていたその古いリングノートを見返していた。
ーー彼女が褒めてくれた物語。いや違う。僕の本音が隠された箱。
祖母が亡くなったタイミングで、初めて見る人の死に顔が強烈に頭に残った。
いつか自分も死んでしまうのかなと、怖くなって夜に母親の前でわんわん泣いた。けど、その時も同じだった。
ーー祖母の死に顔に、一種の美しさを感じてしまった。
たどたどしい文体でも、それでも、ありありとその時の情景を無心に書いた。
いい言葉が書ける。そんな異常な高揚すら抱きながら。
人の死を、僕は物語に利用した。
祖母の死に悲しみ、泣いた気持ちも本当だから、また天国で会えたらいいなと、そんな願いも書いた。人の死を、自分勝手な想いの表現に使ったことへの贖罪。そんな一面があったかもしれない。
優しさでもなんでもない、僕のエゴ。
なのに、何度見返しても稚拙な出来である物語を、僕の本音を忍ばせた醜い物語を、僕を、結野さんは認めてくれた。
――きみのことばに、おとをあげる。
あの日くれた結野さんの音が、自分のただ一つの拠り所だった。
けど、もう二度と、誰かに自分が書いた物語を見せない。見せたくない。
中学の卒業式、最後までみんなに無視されながら、一人で俯きながら帰って自分の部屋で泣いたあの日に、そう誓ったんだ。
