ことばにおとをー君の死を、僕の最高傑作の燃料にー



図書館での日から、結野さんと学校でも話す機会がぐっと増えた。三ヶ月に一回の席替えで初めて隣になったこともあって、中休みや授業の隙間で他愛もない会話をした。学校内では彼女の周りに常に人がいるけれど、放課後は違う。

僕は図書館に行くし、結野さんは週の大半がフルートの習い事で、それがない日は一緒に図書館に行っていたから、下校はほとんど一緒だった。ひばり公園まで行って、フルートがある時は西門で別れ、ないときはそのまま二人で図書館に行く。その繰り返し。授業のこととか、彼女の友達の話とか、本当に些細な話題ばかりだったけれど、僕にとっては心の満たされる時間だった。でもやっぱり彼女は人気者だから、時々、

「あー! また林道、結野と一緒に帰ってる! 好きなんじゃねーの?」

と、下校中にクラスメイトの男子から揶揄われることが何度かあった。「そんなんじゃない!」と、いつも顔を赤らめて僕が反論するけれどそれ以上は言い返せず、大体は結野さんが「いつもうるさい!」と言って、撃退してくれた。

好きという感情はその時はわからなかったし、一緒に過ごす時間は幸せだったのに、彼女と僕の間に存在する大きな”差”に、いつも心が痒かったことは事実だ。彼女はフルートに夢中で輝いているのに、僕には何もなかったから。横を歩いているのに、心はいつも、彼女の背中を見ている気分だった。

そして、いつか僕の中に眠る異常性に気づかれて、そっぽを向かれないかという不安が、極めて薄い膜を彼女との間に無意識に張ってしまう。


五年生の冬。学校の年内最終日のクリスマスイブ。前日に雪が降って、まだ街は雪暗ゆきぐれに佇む中、いつも通り二人で下校してひばり公園の西門に着いた。道中、珍しく結野さんはあまり元気がなく、頻繁に叩いていた軽口も全くなかった。空模様と一緒で、どこか暗くよそよそしい。

「あのさ、りんくん」

 僕が「うん?」と言うと、彼女は黙って小さな便箋を差し出した。

「何これ?」

「今度ね、誕生日会をやるの。もしよければ、りんくんも来て欲しいなって。その、招待状?っていうやつ」

結野さんの誕生日は一月十一日で覚えやすい。何人か他のクラスメイトも来ると思うから、上手に立ち回れるか不安もあったけれど、正直、僕は嬉しかった。はしゃぎすぎると恥ずかしいから、踏ん張るように足に力を加えて、気持ちを落ち着かせた。

「もちろん行く。ありがとう」

「嬉しい。ありがとう」

 彼女はそう言って僕に招待状を渡すと、

「じゃあ、また来年ね! いつもありがとう!」

と言って、逃げるように駆け出した。斜めがけにされたフルート用のケースが、寂しく揺れていた。

誕生日会の誘いなのに、なぜあんなに暗い表情をするのだろう。いつも陽気に踊り、豊かな音を奏でていた彼女の周りの空気は、誰もいないコンサート会場のように、しんと静まり返っていた。

誕生日会当日。僕は結野さんの家に行ったことがなかったから、ひばり公園の西門で彼女と待ち合わせて一緒に行くことになっていた。目覚めの高揚した気持ちとは対照的に、その日の朝は街に控えめな霞が敷かれていて、暗い水底に閉じ込められたような不気味な気配があった。

天気のつまずきと緊張により気もそぞろで、家にいて何をしても集中できなかったため、待ち合わせ時間の三十分前には西門に着いた。真冬の冴えた空気に行く手を阻まれたのか、公園の内外は人がまばらだった。
少し公園内を散歩したけれど、凍て空の下で静々と沈む枯れた木立が、ひどく薄気味悪い。暗がりの無音に追い返されて、僕はすぐに西門へと戻った。

白い息と一緒に公園に入っていく数人の男女が通り過ぎてから、僕はかじかんだ手でトートバッグをまさぐり、何度も見たせいでしわの目立った紙を取り出す。
恐らく結野さんのお手製であろう、誕生日会の招待状だ。うさぎやハムスターなど、可愛い動物のイラストに、大人びていて整った字が添えられている。一番上に書かれた誕生日会という言葉が、数色のカラーペンで鮮やかに縁取られていた。明るさの中の、フルートに全力を注ぐ熱い情熱。招待状だけで、彼女の人となりが偲ばれた。

招待状をもらったとき、会の中盤でプレゼント交換があるから、何か自分で選んだプレゼントを持ってきて欲しいと言われていた。
母さんに相談しながら、デパートに入っている有名な文具屋で、当時人気だったパステルカラーの色鉛筆を買ってもらった。参加者でクジを引いて、決まった組み合わせ同士でプレゼントを交換すると言っていたから、結野さんと交換するかはもちろんわからなかったけれど、そうなったらいいなと思い選んだものだ。

やることもなくなり、所在なげに辺りを見渡していると、ベージュのハーフジップトップスと、リボンの刺繍の入った白色のパンツという出で立ちをした結野さんが小走りでやってきた。

「りんくんごめん……。少し遅くなっちゃった」

「ううん。全然待ってないよ」

かなり急いで来たのか、結野さんは息を切らしていた。彼女が落ち着いてから家に向かって歩き出す。話題を探していると、気遣わしげに彼女が先に口を開いた。言葉を地面に落とすように、彼女らしくない暗い音を奏でながら。

「りんくん、今日は来てくれて本当にありがとう」

「くるよ。結野さんの誕生日だもん」

 結野さんがふっと微笑むのが横目にわかる。けれど、表情はわからない。

「一つだけ、言いたいことがあってね」

結野さんはそう言うと、僕は蚊の鳴くような声で「うん」と言った。冷気を存分に含んだ風が、頬を叩いた。

「引っ越す……ことになったんだ……」

すぐに僕は言葉の意味がわからなかった。いや、わかりたくなかった。当時はまだ子どもの自分にだって、すぐにわかってしまう。それはもう、どこか別の場所に住むから、一緒にいられないということだ。嫌だ。嫌だ。

「そ、そうなんだ。この近く?」

精一杯の希望を、これでもかと込めて言った。
けれどそんな小さな希望すら、白い息のように、ふわふわと空中に上がって儚く消えていく。

「ううん。静岡県っていう、東京からは、少しだけ遠いとこ」

静岡……。今でこそそんなに遠くないって言えるけれど、小学生だった自分にとっては、本当に結野さんが、遥か遠くに行ってしまうようような感覚だった。

「じゃあ、もうすぐ、会えなくなる、って、こと?」

結野さんは黙って頷く。依然、地面を見ていて表情まではわからない。と思った瞬間、彼女がばっと顔を上げて、満面の笑みを湛えながら僕を見つめる。

「だからさ! 今日はたっくさん楽しんで欲しい! 特にりんくんには。私の一番の……」

そこで急に言い淀んで、そして一際大きい声になって、

「友達だから! 今まで本当にありがとうね。りんくん!」

と言った。僕はもう、何も言えなかった。
生まれて初めて頭が真っ白になり、あらゆる思考回路を自ら切った。
彼女の家の輪郭以外、その後の誕生日会のことはほとんど覚えていない。他に参加していたクラスメイトは誰だったのか、結野さんの両親はどんな人だったのか、僕のプレゼントを受け取ったのは誰だったのか、僕は誰からプレゼントを受け取ったのか。何もかも、覚えていない。

思い出そうとしても、記憶は霧のように頭の中で立ち込めて、掴もうとしても手に残るのはひんやりした感触だけだった。

そして結野さんは、本当に、三月の終業式を最後に、小学校から、僕の元から、いなくなってしまった。
最後の約二ヶ月間は、引っ越しや新しい学校の準備とかなんとかで、ほとんど一緒に過ごすことはできなかった。

僕は結野さんが来なくなった図書館で、ただ、本を読んでいた。