※
結野さんの家に行った日から、また毎週土曜日の夕方に彼女と会う日常が続いた。中川さんの表情が最近ずっとにやつき気味で、「いい感じね、あなたたち」という言葉を頻繁に言ってくることに正直うんざりしている。
彼女のことは好きだし、心からそう言える。でも、それが恋なのかと言われると、いまいちわからない。そうなのかもしれないし、何かもっと別の、いや、もっと上にある、感情な気もする。
――結野さんも、同じ気持ちでいてくれているのだろうか。そうだと嬉しいな。
最近、家の部屋にいる時はずっと結野さんのために書く歌詞を考えている。次に彼女と会う日までには、なんとか書き上げて見せてあげたいけど、何も思いつかない。
そして、宮野……。なんで結野さんの家の近くにいたんだ。
「おーい。りっちゃん? 林道直人くん?」
「うおっ! 野口、どうしたの?」
どうしたのと聞いておきながら、それがいかに場違いな質問かすぐにわかった。そう、バイト中だった。
「また何かに見惚れてるのかと思ったら、今度は洗い物しながら考え事とはね。困った同僚だよ」
時間的に、とっくに洗い物を終えて調理補助をする時間だ。周りの先輩の鋭い視線に、今さら気づいて身が凍った。
「やっべえ。すぐ終わらせる」
「俺も手伝うよ。なんでかわからないけど、りっちゃんが怒られると俺も一緒に怒られるし」
野口はそう言うと、僕の隣に立って洗い物を始めた。「ありがとう」と言うと、黙って微笑みを向けたきた。
「それで、今度はどうしたの? 悩み? りっちゃんはド真面目だから、変化がすぐわかるよ」
色々と見透かされていそうでむず痒くなったのと、野口がギターを弾くことをふと思い出した。
「悩みというか、丁度いいから野口に聞きたいんだけど、歌詞って書いたことある?」
「お、そのまま正直に話すとは珍しい」
「いつも、正直に色々話してるけど?」
野口は含みのある笑みを浮かべて、「ま、そういうことにしとく」と言って話を続けた。
「うーん、歌詞ねえ。 書いたことないな。作曲ならあるけど、それも素人の域は出ないし」
「そっかあ……」
シンクに乱雑に置かれた食器を見ていると、今の自分のまとまらない思考を表しているようで、なんだか気分が塞がる。小説と似ていると思っていたけれど、甘く見ていた。流石に無勉強で歌詞を書くなんて、無理なんだろうか。
「まあ、経験はないけど、最初は参考になりそうな小説とかを選んで、それを短い言葉で表現してみたら?」
「え?」
「歌詞も物語なんだから、最初は好きな小説とかを読んで、主人公になりきってその小説を表現してみたらいいんじゃない?」
何か好きな、参考になりそうな小説。元々そのつもりだったし、結野さんのことを考えると、やっぱりあれしか思いつかない。でも、今ならいける気がする。物語の主人公になったつもりで表現する、か。当たり前のことなのに、今思うと、僕が書いてきた小説に足りないピースな気もする。
「野口! ありがとう! なんかいけそうな気がする!」
洗剤まみれの手で野口の肩に触れてしまい、勢いで彼の頬に泡がついた。「おわ!」と言う声が厨房に響き渡る。
「おい二人とも。ちょっと仕事に集中してみようか」
いつの間にか背後に立っていた店長。顔はびっくりするくらいに険しい。さもありなん。「ほらやっぱりこうなった」と言う野口の小声に、僕は申し訳なさげな表情で応えて、二人で頭を下げた。
バイトの後、急いで家に帰った。部屋の勉強机の隣に置いてあるチェストタンスを開けて、ノートを取り出した。
結野さんがその言葉に音をくれた、物語が書かれたボロボロのノート。
今読んでも、やっぱり物語とは到底思えない完成度だけれど、それでもいい。
この物語を、歌詞として短い表現で再構築する。そう決めた。
僕は祖母が弾くピアノの音が好きだった。プロとかではなくて、習い事で若い時にやっていたらしく、いつも僕が遊びにいくと日焼けした鍵盤の上に指をのせて、緩やかに音を奏で始めた。古びたピアノから紡がれる情緒豊かな音色が、今でも耳に残っている。
だからこそ、小学一年生の時に祖母が亡くなった時のことはよく覚えている。初めて見る、死化粧をされた人の顔。人の命が有限なんだと知った。僕もいつか死ぬのかと、途端に怖くなって、葬儀の日の夜は布団の中で泣いた。母さんが気づいて、頭を撫でてくれた。
ーー悲しみの裏で感じていた命の終わり。その美しさには蓋をして。
頭を振る。今、それを考えてはダメだ。手が止まってしまう。
ーー再会してから感じていた、彼女の、悲しみを帯びた音色。
今まで見てきた死の光景と似た、煌めく泡が弾けたような、悲哀を含んだ音色。しっかり考えたことはなかった。あの音色は、一体彼女のどこの暗がりからきているだろう。
暗がり。いじめ。閉鎖。君の言葉。日常の、煌めきの産声。再会。悲哀。祖母。死。悲しみと、美しさ。矛盾。
ーー矛盾。
それでも、僕は……。
気づいたら、ペンを握ってきた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『きら星』 林道直人
時計を無くした人たちが 住まう煌めく星の国
大切な人の笑顔を肴に 毎日輪になり歌っている
君と頷き合った思い出 心に浮かべて温まる
今日もただただ 君の笑顔を願い大地を見る
星の国の煌めきは 君と笑い合った思い出みたい
届け言葉の雨 君の笑顔が 続きますように
君の笑顔が 続きますように
あの日くれた君の心 心地よい風が吹いた
街が木が土が 鮮やかに光り出した
ありがとうごめんね ちゃんと言えなかった
たまに夜空を見上げて 今度こそ伝える
星の国の煌めきは 大切な君との日常みたい
さあ夜だ 雲をどけて 精一杯光るよ
君の笑顔が 続きますように
大切なものは 失ってから気づくなんて
意地悪な心の ルールだよね
世界のウラから 君を想う
今度こそ 今度こそ 今度こそ
星の国の煌めきは 君と笑い合った思い出みたい
届け言葉の雨 君の笑顔が 続きますように
君の笑顔が 続きますように
一緒に星座を 作れますように
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
書きながら、感情の所在がわからなくなった。
少なくとも、異常性をそのまま発揮して歌詞を書いたら、結野さんを確実に傷つけてしまう。
胸裏にある矛盾。祖母の死への、片方の思いなら。きっと。
歌詞としての形を成しているのかもわからない。不安しかないけど、結野さんが気に入ってくれるかどうかの怖さもあるけれど、早く、見せたい。今日は日曜。土曜日までの一週間、今の騒々しい気持ちでは、とても待てそうにない。
気づくと、携帯電話を手に持っていた。メッセージか電話か迷いもせず、通話ボタンをタップしていた。
『もしもし? 珍しいね。りんくんから電話なんて』
ワンコールで彼女は出た。コール音の最中に心を整えて、みたいなことができなかったから、今になって自分のやっていることに驚きと恥じらいを覚えた。
「あ、いや、ごめん、今大丈夫だった……?」
『うん。大丈夫だよ。どうしたの?』
どうしたの?って、本当は僕が聞きたいくらいだ。早まる鼓動。駆け回る思いを、必死に落ち着かせる。
「……。なんていうか」
唇が震えてきた。電話の向こうで、噴き出す声が聞こえる。
『何? もしかして、何も考えずに電話したとか?』
周りの音がさっと引いて、顔が紅潮する。隠したい事実を言い当てられると、本当に世界が一瞬止まるんだなと思った。けれど結野さんの笑い声のおかげで、張り詰めていた糸が、少し緩んだ。
「違う! もしよければ、土曜の前に、今週どっかで会えないかなって……」
結野さんの笑い声が消えた。沈黙が永遠に感じる。息づかいすら聞こえてきそうな、無音の時間。この時点で、これはもう拒絶という返事なのではという考えが湧き起こると、途端に胸の辺りから全身に、心臓をそっと握られているような不快感が伝わった。「ごめん、なんでもないよ」と言いかけたところで、被せるように電話口から声が届いた。
『嬉しい。りんくんから積極的に誘ってくれて』
積極的。胸のうちで繰り返すと、また顔が熱くなるのを感じた。もう、耳まで熱を感じる。
『月曜は講義三限までだから、明日の夕方はどうかな?』
結野さんの言葉にはっとする。
「だ、大丈夫! もちろん!」
『よかった。じゃあ、明日、図書館の前で』
「ありがとう。じゃ、じゃあまた明日』
『うん』
携帯を耳から離して、結野さんが切るまで数秒待つ。なかなか画面が切り替わらず、吸い込まれそうな引力と恐怖を感じて、たまらず僕から通話を切った。ここで初めて、脇と手が汗でしとどになっていることに気づく。もうすぐ二十歳なのに、女の子ひとり誘うのすら緊張する自分を、情けなく思う。けど、なんとか誘えた。明日、会えるんだ。バイトのシフトは誰かに代わってもらおう。
僕は先日買った(父さんに半分お金を出してもらった)ノートパソコンを開いた。アプリを立ち上げて、指先に力を込める。書きかけの小説が、画面に映った。
結野さんの家に行った日から、また毎週土曜日の夕方に彼女と会う日常が続いた。中川さんの表情が最近ずっとにやつき気味で、「いい感じね、あなたたち」という言葉を頻繁に言ってくることに正直うんざりしている。
彼女のことは好きだし、心からそう言える。でも、それが恋なのかと言われると、いまいちわからない。そうなのかもしれないし、何かもっと別の、いや、もっと上にある、感情な気もする。
――結野さんも、同じ気持ちでいてくれているのだろうか。そうだと嬉しいな。
最近、家の部屋にいる時はずっと結野さんのために書く歌詞を考えている。次に彼女と会う日までには、なんとか書き上げて見せてあげたいけど、何も思いつかない。
そして、宮野……。なんで結野さんの家の近くにいたんだ。
「おーい。りっちゃん? 林道直人くん?」
「うおっ! 野口、どうしたの?」
どうしたのと聞いておきながら、それがいかに場違いな質問かすぐにわかった。そう、バイト中だった。
「また何かに見惚れてるのかと思ったら、今度は洗い物しながら考え事とはね。困った同僚だよ」
時間的に、とっくに洗い物を終えて調理補助をする時間だ。周りの先輩の鋭い視線に、今さら気づいて身が凍った。
「やっべえ。すぐ終わらせる」
「俺も手伝うよ。なんでかわからないけど、りっちゃんが怒られると俺も一緒に怒られるし」
野口はそう言うと、僕の隣に立って洗い物を始めた。「ありがとう」と言うと、黙って微笑みを向けたきた。
「それで、今度はどうしたの? 悩み? りっちゃんはド真面目だから、変化がすぐわかるよ」
色々と見透かされていそうでむず痒くなったのと、野口がギターを弾くことをふと思い出した。
「悩みというか、丁度いいから野口に聞きたいんだけど、歌詞って書いたことある?」
「お、そのまま正直に話すとは珍しい」
「いつも、正直に色々話してるけど?」
野口は含みのある笑みを浮かべて、「ま、そういうことにしとく」と言って話を続けた。
「うーん、歌詞ねえ。 書いたことないな。作曲ならあるけど、それも素人の域は出ないし」
「そっかあ……」
シンクに乱雑に置かれた食器を見ていると、今の自分のまとまらない思考を表しているようで、なんだか気分が塞がる。小説と似ていると思っていたけれど、甘く見ていた。流石に無勉強で歌詞を書くなんて、無理なんだろうか。
「まあ、経験はないけど、最初は参考になりそうな小説とかを選んで、それを短い言葉で表現してみたら?」
「え?」
「歌詞も物語なんだから、最初は好きな小説とかを読んで、主人公になりきってその小説を表現してみたらいいんじゃない?」
何か好きな、参考になりそうな小説。元々そのつもりだったし、結野さんのことを考えると、やっぱりあれしか思いつかない。でも、今ならいける気がする。物語の主人公になったつもりで表現する、か。当たり前のことなのに、今思うと、僕が書いてきた小説に足りないピースな気もする。
「野口! ありがとう! なんかいけそうな気がする!」
洗剤まみれの手で野口の肩に触れてしまい、勢いで彼の頬に泡がついた。「おわ!」と言う声が厨房に響き渡る。
「おい二人とも。ちょっと仕事に集中してみようか」
いつの間にか背後に立っていた店長。顔はびっくりするくらいに険しい。さもありなん。「ほらやっぱりこうなった」と言う野口の小声に、僕は申し訳なさげな表情で応えて、二人で頭を下げた。
バイトの後、急いで家に帰った。部屋の勉強机の隣に置いてあるチェストタンスを開けて、ノートを取り出した。
結野さんがその言葉に音をくれた、物語が書かれたボロボロのノート。
今読んでも、やっぱり物語とは到底思えない完成度だけれど、それでもいい。
この物語を、歌詞として短い表現で再構築する。そう決めた。
僕は祖母が弾くピアノの音が好きだった。プロとかではなくて、習い事で若い時にやっていたらしく、いつも僕が遊びにいくと日焼けした鍵盤の上に指をのせて、緩やかに音を奏で始めた。古びたピアノから紡がれる情緒豊かな音色が、今でも耳に残っている。
だからこそ、小学一年生の時に祖母が亡くなった時のことはよく覚えている。初めて見る、死化粧をされた人の顔。人の命が有限なんだと知った。僕もいつか死ぬのかと、途端に怖くなって、葬儀の日の夜は布団の中で泣いた。母さんが気づいて、頭を撫でてくれた。
ーー悲しみの裏で感じていた命の終わり。その美しさには蓋をして。
頭を振る。今、それを考えてはダメだ。手が止まってしまう。
ーー再会してから感じていた、彼女の、悲しみを帯びた音色。
今まで見てきた死の光景と似た、煌めく泡が弾けたような、悲哀を含んだ音色。しっかり考えたことはなかった。あの音色は、一体彼女のどこの暗がりからきているだろう。
暗がり。いじめ。閉鎖。君の言葉。日常の、煌めきの産声。再会。悲哀。祖母。死。悲しみと、美しさ。矛盾。
ーー矛盾。
それでも、僕は……。
気づいたら、ペンを握ってきた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『きら星』 林道直人
時計を無くした人たちが 住まう煌めく星の国
大切な人の笑顔を肴に 毎日輪になり歌っている
君と頷き合った思い出 心に浮かべて温まる
今日もただただ 君の笑顔を願い大地を見る
星の国の煌めきは 君と笑い合った思い出みたい
届け言葉の雨 君の笑顔が 続きますように
君の笑顔が 続きますように
あの日くれた君の心 心地よい風が吹いた
街が木が土が 鮮やかに光り出した
ありがとうごめんね ちゃんと言えなかった
たまに夜空を見上げて 今度こそ伝える
星の国の煌めきは 大切な君との日常みたい
さあ夜だ 雲をどけて 精一杯光るよ
君の笑顔が 続きますように
大切なものは 失ってから気づくなんて
意地悪な心の ルールだよね
世界のウラから 君を想う
今度こそ 今度こそ 今度こそ
星の国の煌めきは 君と笑い合った思い出みたい
届け言葉の雨 君の笑顔が 続きますように
君の笑顔が 続きますように
一緒に星座を 作れますように
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
書きながら、感情の所在がわからなくなった。
少なくとも、異常性をそのまま発揮して歌詞を書いたら、結野さんを確実に傷つけてしまう。
胸裏にある矛盾。祖母の死への、片方の思いなら。きっと。
歌詞としての形を成しているのかもわからない。不安しかないけど、結野さんが気に入ってくれるかどうかの怖さもあるけれど、早く、見せたい。今日は日曜。土曜日までの一週間、今の騒々しい気持ちでは、とても待てそうにない。
気づくと、携帯電話を手に持っていた。メッセージか電話か迷いもせず、通話ボタンをタップしていた。
『もしもし? 珍しいね。りんくんから電話なんて』
ワンコールで彼女は出た。コール音の最中に心を整えて、みたいなことができなかったから、今になって自分のやっていることに驚きと恥じらいを覚えた。
「あ、いや、ごめん、今大丈夫だった……?」
『うん。大丈夫だよ。どうしたの?』
どうしたの?って、本当は僕が聞きたいくらいだ。早まる鼓動。駆け回る思いを、必死に落ち着かせる。
「……。なんていうか」
唇が震えてきた。電話の向こうで、噴き出す声が聞こえる。
『何? もしかして、何も考えずに電話したとか?』
周りの音がさっと引いて、顔が紅潮する。隠したい事実を言い当てられると、本当に世界が一瞬止まるんだなと思った。けれど結野さんの笑い声のおかげで、張り詰めていた糸が、少し緩んだ。
「違う! もしよければ、土曜の前に、今週どっかで会えないかなって……」
結野さんの笑い声が消えた。沈黙が永遠に感じる。息づかいすら聞こえてきそうな、無音の時間。この時点で、これはもう拒絶という返事なのではという考えが湧き起こると、途端に胸の辺りから全身に、心臓をそっと握られているような不快感が伝わった。「ごめん、なんでもないよ」と言いかけたところで、被せるように電話口から声が届いた。
『嬉しい。りんくんから積極的に誘ってくれて』
積極的。胸のうちで繰り返すと、また顔が熱くなるのを感じた。もう、耳まで熱を感じる。
『月曜は講義三限までだから、明日の夕方はどうかな?』
結野さんの言葉にはっとする。
「だ、大丈夫! もちろん!」
『よかった。じゃあ、明日、図書館の前で』
「ありがとう。じゃ、じゃあまた明日』
『うん』
携帯を耳から離して、結野さんが切るまで数秒待つ。なかなか画面が切り替わらず、吸い込まれそうな引力と恐怖を感じて、たまらず僕から通話を切った。ここで初めて、脇と手が汗でしとどになっていることに気づく。もうすぐ二十歳なのに、女の子ひとり誘うのすら緊張する自分を、情けなく思う。けど、なんとか誘えた。明日、会えるんだ。バイトのシフトは誰かに代わってもらおう。
僕は先日買った(父さんに半分お金を出してもらった)ノートパソコンを開いた。アプリを立ち上げて、指先に力を込める。書きかけの小説が、画面に映った。
