ことばにおとをー君の死を、僕の最高傑作の燃料にー

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四月になり大学の入学式を迎えた。京林大学の校舎は、都内の高級住宅街に囲まれている。

荘厳な門扉の前では、スーツや着物を着た新入生がいくつもの塊を作って談笑していた。
事前にSNSグループで交流のあったグループだろうか。「ここであってますか?」と言いながら、大勢の新入生が守衛室から少し離れた学内の案内板の近くに吸い込まれていく。

僕は右手の広場に沿って、間隙を縫うように入学式が開かれる煉瓦造りの礼拝堂まで進んだ。
重要文化財にも指定されている礼拝堂は、大正時代に竣工され、大きな災害に耐えながら、現在まで数度の改修を経ている。
袖廊(そでろう)の両側にはステンドグラスが配置されていて、その中央には十字架が描かれている。柔らかな春光が注ぎ込まれ、生徒席に座る新入生のコートから舞った埃が、雪華(せっか)のように煌めいていた。

二百人ほどしか収容できないため、入学式は学生番号毎に時間を分けて執り行われる。僕は先頭集団。
礼拝堂をひとしきり見渡した後、案内の職員の指示に従って後ろから二列目、身廊(しんろう)側の端の席に腰を下ろした。

どこからか流れてくるオルガンの音色が、静寂に彩りを加えている。
礼拝堂や美術展とかもそうだけど、法律で私語厳禁と定められているわけでもないのに、自然と誰もがひそひそ声で会話するのはなぜなんだろう。日本人の気質って言えば何事も片付いてしまうから、ちょっと深く考えてみる。
……わからない。瑣末なことを考えていないと、手持ち無沙汰に対処できないから困る。

ステンドグラスを眺めていると、反対側から僕の隣まできて腰を下ろした男の新入生が、「隣、失礼します」と小声で言った。軽く会釈をして、礼儀正しい人だなと思いながらまたステンドグラスを見ようとした時、その男が落ち着きなく目を巡らしているのに気づく。

特に僕の方を見ている気がして、「これは話しかけた方がいいのかなあ」と、心でため息をついてから思い切って話しかけた。
普段の僕ではあり得ない行動だけど、彼の不安そうな視線を感じたら、無視するわけにはいかない。

「なかなか始まりませんね。退屈してきました」

初めまして、から始めるのも形式的すぎて逆にお互い緊張しそうだったから、いきなり話題を切り出していく。

「そ、そうですよね! 俺もそう思います」

男は嬉しそうに声の音色を弾ませたけれど、追加の話題は生まれず、すぐに無音が壁ができてしまった。
何か話そうか、それとも僕の任務は最低限完了したと言い聞かせて、再びステンドグラスを見つめるか、頭の中で思考が駆け回る。

判断がつかず焦り出したところで、途切れていたオルガンの音がまた礼拝堂内を包み込んだ。
結野さんの顔が、目の前に浮かび上がる。

「オルガンの音って綺麗ですよね。バッハの曲って聴いたことあります?」

言葉を落とすように、自然と話題が僕の口から始まった。

「バッハですか? いえ、音楽には疎くて……」

「僕もなんですけど、友人にとんでもないくらいの音楽好きがいるんです。バッハはオルガンも上手で、教会で弾いていたそうなんです」

「へえ! 音楽の偉人って、作曲がメインで、楽器も何となくピアノを演奏しているイメージでしたけど、他の楽器も達者なんですね」

思いの外、彼の食いつきがよくて嬉しかった。彼は野口拓海(のぐちたくみ)という名前で、僕と同じ文学部国文科。
入学式が始まるまで、結野さんから教えてもらった音楽知識を披露しながら、会話は滞りなく進んだ。
講壇で陽光を浴びながら朗々と述べられる学長の祝辞を聞きながら、胸のうちで結野さんに感謝した。

入学式も終わり、野口くんと少し礼拝堂の前で会話をして、連絡先を交換して帰路についた。
好きな小説家が同じで、会話の進め方に強引さがないから、一緒にいて苦ではなかった。

今までちゃんとした友達というと本田くらいだったから、またタイプの違う友人ができてほっとする。
いつも今回のような積極的な行動が取れていれば人間関係も広く円滑に進めることができるのはわかっているけれど、なかなかそういうわけにもいかない。

大学最寄りの駅に着いたところで、携帯が振動した。
ポケットから出すと、液晶画面には結野さんからの着信通知が表示されている。彼女も確か、今日が入学式だったはずだ。

『おっつー! 入学式終わった? 私は終わって、これから図書館に行くつもり』

声色は陽気だ。人と電話するのは苦手だったけど、結野さんはメッセージより頻繁に電話をしてくるから、慣れてしまった。

「僕もさっき終わった。これから図書館に向かうよ。一回家に戻るから、ちょっとだけ遅くなるかも」

『おっけ! じゃあまた後でね』

正直、大学が始まれば家は近くても疎遠になるかなと思っていたから、早速連絡がきて安心した。

図書館に着くと、入り口左手にあるベンチで結野さんと中川さんが話しているのが見えた。
中川さんは僕に気がつくと、結野さんに手を振りながらこちらに向かってくる。

「いらっしゃい直人くん。ちょうど休憩時間だったから、栞ちゃんと話してたの。私は仕事に戻るわね」

中川さんに「はい」と会釈して後ろ姿を見送っていると、結野さんも口角を上げながらこちらに向かってきた。

「お疲れりんくん!」

「お疲れ様」

やっぱり今日は陽気な雰囲気を帯びている。
こないだフルートを聴かせてもらった時の寂しそうな顔がどうしても頭から離れてくれなかったけれど、杞憂だったみたいだ。

「少しカフェでおしゃべりしよ! 入学式トーク~」

有無を言わさず、結野さんは僕のカバンを掴んでカフェに歩き出す。
そういえば、彼女なら式の時に沢山友達もできて、歓迎会とかにも参加しそうなものだけど、なぜこんなに早く帰ってきたのだろう。国際芸術大学って変人が多いって話だし、みんなマイワールドを持っていて、とっつきにくいのかな、と失礼な思いが脳裏に浮かび上がる。

「りんくん!」

物思いに耽っていると、結野さんの鋭い声に現実に引き戻された。

「あ、ごめん」

「ごめんじゃないよ! 何にする? コーヒー?」

店員さんが来ていたことにすら、全く気づいていなかった。昔から、何かを考え出すとついつい耽ってしまう悪い癖。結野さんはアイスティー、僕はアイスコーヒーを頼んだ。一緒に出されたコーヒーフレッシュを流し込む。表面に波紋が描かれ、焦茶色、琥珀色と移り変わっていく。彼女はそのままストレートで飲み、氷が触れ合う涼やかな音が鳴った。

「あ、でさでさ。聞いてよ。入学式のことなんだけどさあ」

でさでさだから、きっとさっきから話していたんだろうけど、とりあえず「うん」と頷いた。「何だっけ?」と、間違っても言ってしまったら確実に機嫌が悪くなりそうだから。

それから、二十分間くらいノンストップで結野さんの入学式話を聞かされた。
サークルの勧誘にひっきりなしにあって疲れたこと。
自分のことを知ってくれていた人が何人かいて、たくさん声をかけられて目が回りそうだったこと。
オープンキャンパスの時は気づかなかったけど、キャンパスの所々が結構古くて、そしてシンプルであんまり芸術大学っぽくなかったこと。学長の話が長すぎて、式の途中はうたた寝していたこと。他にも色々……。

こういうのって、普通その場でできた友達と帰りながらする話ではなかろうかと思いながらも、程よく笑顔で相槌を打ちながら聞いていた。

「あ、そうだ。結野さんにお礼を言いたかったんだ」

「お礼? あ、飲み物でもおごってもらうかなあ」

「まだ何も言ってない。こないだバッハの話してくれたじゃん? 今日、それに助けられた」

僕はさっき起きた野口くんとの出来事を少し早口で説明した。
途中途中で、「そう! バッハはしかもね!」みたいに音楽熱を差し込んできそうだったから、入り込む隙間を与えないための早口。

「そっかあ。りんくんの、人のお役に立てたなら本望だ」

「本望って、死ぬんじゃないんだから。でも、ありがとう。これからも沢山聞かせて。よろしく」

喜ぶと思ったのに、結野さんは飲み干したアイスティーのグラスを寂しげに見つめている。何か嫌なことでも言ったのかな? 店内に流れるクラシック音楽が、周りの雑音をかき消してしまったように、ありもしない静寂を生んだ気がした。

「結野さん? どうかした?」

結野さんは体を一瞬びくつかせて、「あ、ごめん何でもない! 考え事」といつもの笑顔を見せた。

「考え事……」

「あのね、私だって悩みの一つや二つあるんだよ。それに、りんくんには敵わないかもだけど、それなりにお勉強もできますからね?」

「何も言ってないじゃん」

「表情で語ってましたあ。失礼なこったぜ」

結野さんはわざとらしく、外国のコメディドラマみたいに、両の手のひらを天井に向けて呆れたポーズをした。

「ま、でも、りんくんには私も感謝してる」

「感謝?」

僕が結野さんに感謝されるようなことをしたんだろうか。
全く思いつかないけれど。

「うん。転校してから今まで、嫌なことがあると、りんくんがあの時見せてくれた、素敵な物語を思い出すんだ。そしたら、不思議と元気になる。今は、特に、ね」

拍動が荒くなる。結野さんの助けになっていた喜びと、手放したかった不安が同時に押し寄せる。
素敵? 僕の心の底から出る言葉が、素敵だなんて、ありえない。

「よ、よく覚えてるね。あんなこと」

瞬間、結野さんの表情が少し険しくなった。

「あんなことってねえ。りんくんの悪いとこだよ? そんなに自分を卑下しないで。りんくんは……この先も、物語で人を笑顔にできるんだから」

それは君だって、いや、君のフルートこそそうだろう。
君の唯一無二の音色は、この先も人を笑顔に、そして人の支えになる。僕にとってがそうであったように。

「たとえそうであったとしても、それは結野さんだってっ……」

「てことで! 今日のメインの話題は、りんくんがこれからどんな物語を書くのかの会議だ!」

僕の言葉を遮るように、話題が変わる。
今日の結野さんは、どこか変な気がする。また、匂いがする。今にも崩れ落ちそうな、生き物の匂い。

「急にどうしたの。僕に拒否権は?」

考えすぎるな。自分をそう叱咤する。

「あるわけないじゃん。ほら、私のおかげで大学生活、早速友達ができてロケットスタートが切れたんだから、見返りだよ」

「びっくりするくらいのずうずうしさ。ほら、コーヒーさんもびっくりして揺れてんじゃん」

「りんくんが揺らしてんじゃん!」

結野さんは周りの目も憚らずに爆笑する。僕もつられて笑った。
陽気な音色が戻ってきる。やっぱり考えすぎだ。

それに、既に物語は書き始めていた。
生々しい表現は避けて、なるべく綺麗に、情景をさらにデフォルメして言葉を描く。本音は、滲ませない。

「今、まさに書き途中だから、今度、見せるよ。もう少しきりのいいとこまでいったら」

「本当に⁉︎ やった! 嬉しい! いやあ、生きる楽しみが増えたなあ」

「さっきから大げさだよ」

本音なんだから別にいいでしょと、結野さんは急にフルートを取り出す。「何してんの?」「え、お祝いに一曲吹こうかと」「いや、ここカフェ!」「だから?」という会話のおしくらまんじゅうを少し繰り返した。

最後まで頑張ってみよう。書き切ってみせる。
結野さんの、喜んでくれる姿が見れるなら。本性は隠せ。綺麗な物語を書くんだ。