ケースから艶やかな銀メッキのフルートを出して、手際良く準備する姿。
元気が良くて快活で、ちょっぴり傲慢な小学生の頃の彼女の面影を見た。
先ほどの涙はよくわからなかったけれど、彼女の演奏をまた聴けるのだから、深く考えないでおこう。
「また結野さんの演奏を聴けるの、本当に嬉しい」
結野さんはクスッと笑って、ウインクをした。
そのまま歌口に口を添えて、両目を閉じる。
風の隙間がステージを作る。
草木が背筋を伸ばし、葉擦れの音一つ消え去った。
白い船が太陽から離れ、陽光が燦々と辺りを照らす。
澄み渡る空気が、静寂に優しく蓋をする。
彼女から紡がれる音を、世界が迎え入れようとしている。
僕も背筋を伸ばし、その身に音を受け入れる。
透明な音が空気を震わす。
彼女の体がたおやかに揺れる。
時折目をつむり、そして開ける。あの時と同じ仕草。
動作の一つ一つがリズムやメロディを生み、音が音楽に昇華する。
軽やかで、涼やか。
うららかな空の下で、小鳥がさえずるような温かい旋律。
フルートで、彼女は歌っているんだ。
あの頃と比べものにならない、それ以上の美しい音色で。
けれど、どこか、やっぱり悲しみを感じる。
以前も感じた。でも、その時よりも深く、重く、時折心に響く。
静かに、切に、誰かに祈りを捧げているような。
音が踊っていない。泣いている。
頬には汗が滲んでいる。
いつまでも聴いていたい。でもなんで君は、そんなに辛そうなんだ。
演奏が終わると、結野さんは僕に背を向けて、軽く咳き込んだ。
風邪でもひいているだろうか。無理をさせたかなという罪悪感が胸中に湧いたけれど、彼女はくるっと元気よくこちらに向き直し、満面の笑みを顔に浮かべた。
「どうだった?」
「いや、すごいなんてもんじゃないよ。なんていうか、音の一つ一つに心がこもってて、聴いてて心地いい」
少し恥ずかしい表現をしたなと思ったけれど、結野さんは「初めてそんな風に言われた! 嬉しい!」と喜んだ。
「本音だよ。フルートって空気を優しく揺らして、この世界の全てをメロディに変えて演奏しているみたいな……。上手く言えないや、ごめん。とにかく素敵な演奏だったってこと。それに……」
「それに?」
「ううん。何でもない」
自分でも驚く。すらすらと、告白めいたことを、言おうとしたんだから。
「ええ! 気になるやつじゃんそれ」
しっかり自分の感情を把握できていないのに、言うわけにはいかない。
結野さんは睨みつけてきたけど、諦めたのか、邪気のないため息をこぼした。
「でも、まあ、りんくんは、相変わらず、素敵な感性をしてるね」
「素敵な感性? そんなの持ってないよ、ぜんぜん」
「すぐ否定しないの。それは私が決めることだから、りんくんに否定する権利なし」
「何それ。強引だなあ」
結野さんはククッと笑った。
「今の曲はね、バッハの無伴奏、ヴァイオリンソナタ第三番、ラルゴっていう曲なの」
バッハ。ドイツの作曲家で有名な人、くらいの認識しかない。
「ヴァイオリンソナタ?をフルートで演奏できるんだね」
「うん。ヴァイオリンとはまた違った趣があっていいでしょ? って、ヴァイオリンの方は聴いたことないか。あ、というか、ついつい音楽のことになると話しすぎちゃう。悪い癖だね!」
小学生の時も、結野さんはフルートの話になるとスイッチが入ったように言葉に熱意がこもる。
難しくてわからないことも多かったけど、彼女の美しい音色の源泉に触れているような気がして、僕にとっては幸せな時間だった。
「そんなことないと思うよ。熱意があるから、そんなに綺麗な音が出せるんだと思うし。あんまり理解できないと思うけど、音楽の話、たくさん聞かせてほしい」
僕の言葉が余程嬉しかったのか、結野さんはまた泣き笑いのような表情を見せた。
元気が良くて快活で、ちょっぴり傲慢な小学生の頃の彼女の面影を見た。
先ほどの涙はよくわからなかったけれど、彼女の演奏をまた聴けるのだから、深く考えないでおこう。
「また結野さんの演奏を聴けるの、本当に嬉しい」
結野さんはクスッと笑って、ウインクをした。
そのまま歌口に口を添えて、両目を閉じる。
風の隙間がステージを作る。
草木が背筋を伸ばし、葉擦れの音一つ消え去った。
白い船が太陽から離れ、陽光が燦々と辺りを照らす。
澄み渡る空気が、静寂に優しく蓋をする。
彼女から紡がれる音を、世界が迎え入れようとしている。
僕も背筋を伸ばし、その身に音を受け入れる。
透明な音が空気を震わす。
彼女の体がたおやかに揺れる。
時折目をつむり、そして開ける。あの時と同じ仕草。
動作の一つ一つがリズムやメロディを生み、音が音楽に昇華する。
軽やかで、涼やか。
うららかな空の下で、小鳥がさえずるような温かい旋律。
フルートで、彼女は歌っているんだ。
あの頃と比べものにならない、それ以上の美しい音色で。
けれど、どこか、やっぱり悲しみを感じる。
以前も感じた。でも、その時よりも深く、重く、時折心に響く。
静かに、切に、誰かに祈りを捧げているような。
音が踊っていない。泣いている。
頬には汗が滲んでいる。
いつまでも聴いていたい。でもなんで君は、そんなに辛そうなんだ。
演奏が終わると、結野さんは僕に背を向けて、軽く咳き込んだ。
風邪でもひいているだろうか。無理をさせたかなという罪悪感が胸中に湧いたけれど、彼女はくるっと元気よくこちらに向き直し、満面の笑みを顔に浮かべた。
「どうだった?」
「いや、すごいなんてもんじゃないよ。なんていうか、音の一つ一つに心がこもってて、聴いてて心地いい」
少し恥ずかしい表現をしたなと思ったけれど、結野さんは「初めてそんな風に言われた! 嬉しい!」と喜んだ。
「本音だよ。フルートって空気を優しく揺らして、この世界の全てをメロディに変えて演奏しているみたいな……。上手く言えないや、ごめん。とにかく素敵な演奏だったってこと。それに……」
「それに?」
「ううん。何でもない」
自分でも驚く。すらすらと、告白めいたことを、言おうとしたんだから。
「ええ! 気になるやつじゃんそれ」
しっかり自分の感情を把握できていないのに、言うわけにはいかない。
結野さんは睨みつけてきたけど、諦めたのか、邪気のないため息をこぼした。
「でも、まあ、りんくんは、相変わらず、素敵な感性をしてるね」
「素敵な感性? そんなの持ってないよ、ぜんぜん」
「すぐ否定しないの。それは私が決めることだから、りんくんに否定する権利なし」
「何それ。強引だなあ」
結野さんはククッと笑った。
「今の曲はね、バッハの無伴奏、ヴァイオリンソナタ第三番、ラルゴっていう曲なの」
バッハ。ドイツの作曲家で有名な人、くらいの認識しかない。
「ヴァイオリンソナタ?をフルートで演奏できるんだね」
「うん。ヴァイオリンとはまた違った趣があっていいでしょ? って、ヴァイオリンの方は聴いたことないか。あ、というか、ついつい音楽のことになると話しすぎちゃう。悪い癖だね!」
小学生の時も、結野さんはフルートの話になるとスイッチが入ったように言葉に熱意がこもる。
難しくてわからないことも多かったけど、彼女の美しい音色の源泉に触れているような気がして、僕にとっては幸せな時間だった。
「そんなことないと思うよ。熱意があるから、そんなに綺麗な音が出せるんだと思うし。あんまり理解できないと思うけど、音楽の話、たくさん聞かせてほしい」
僕の言葉が余程嬉しかったのか、結野さんはまた泣き笑いのような表情を見せた。
