透明に堕ちるわたしの輪郭

 毎日、昼のチャイムの音と共に私は目覚める。起きるのではなく、目覚める。深淵の闇からひかりが差す水面へとゆっくりと身体を引っ張りあげられるような感覚に近い。抗うことは出来なかった。私はただ、枝から落ちた枯れ葉が川の流れに沿うみたいに身を任せるだけだ。自分のまわりにある世界の輪郭がゆるやかにかたちを伴い始めると、それと同時に身体が熱を帯び、頭の先から身体の内側に糸を通していくみたいにやがては私の手や指先までもが昼間の私のものになる。

 朝と夜と昼間。私たちは一つの肉体を三人の時間帯の私で共有している。朝の私は午前6時から昼の12時まで。私がそこから夜の7時までで、夜のわたしは7時から翌朝の6時までが活動時間だ。多少の時間の誤差はあるが、基本的にはそうやって肉体をシェアしている。別に誰かが決めた訳ではなく、日々過ごしていくうちに自然にそうなっていった。

 月曜日から金曜日までは私はお昼休みのチャイムで目覚め、学校がない日は同じような時間帯に目覚める。目覚めてから、今日も真っすぐに食堂へと向かった。日記を開き、まずは朝の私の活動記録に目を通した。ご飯を食べながら朝と夜の私の活動記録を読むのは私の日課で、私達のルールでもあった。それぞれの時間帯に特筆すべきことがあれば日記に書き留める。どうやら今日は鮎人から「路花の支えになりたい」と再び訴えかけられたらしく、朝の私はもう対応するのがだるいから昼の私に任せるとのことだった。夜の私の活動記録にも目を通す。

『夜の活動は、特に報告することがありません。でも、昼間のわたしにお願いがあります。朝のわたしに指摘された通り、わたしも早く眠れるようになりたいです。明日のカウンセリングでは里中先生に睡眠薬を貰えるようにお願いしてください』

 私は半年程前から週に一度、里中先生と呼ばれる心療内科医のところに通っている。少し風変わりだが腕は一流らしく、お母さんがみつけてきた。クリニックは山の奥地にあり、まだ高校二年の私はとてもそんなところまで通うことは出来ない為、行き帰りはお母さんに車で送って貰っている。私が住む町は海と山に挟まれた、例えるならばグレープのなかにたっぷりのホイップクリームとカスダードクリームがあわさったような、良いところだけを抽出したような地域で、里中先生のクリニックに行くまでの道中は山を抜け、やがて現れる林道の一本道を灰色のちいさな軽自動車でいつも走り抜けていく。道中の車内はいつも笑いが絶えず、お母さんは大して面白くもない私の日常を、「へえーそれは良かったねえ」っていつも分かりやすく大きな相槌を打ちながら聞き入ってくれる。

 六限の終わりを告げるチャイムが鳴った。起立、礼。学級委員の号令を追いかけるように、椅子や机を動かす音が雪崩のように続く。私も急いで机の引き出しから教材を抜き取り鞄にしまった。席を立つ。教室から出ようとした時、世界史の教師と入れ替わりで担任の白石先生が入ってきた。目があう。

「あっ、美藤(びとう)さん、ちょうど良かった。話したいことがあったの」
「え、私?」
「放課後皆が帰ってからちょっとだけ話せる?」

 春の陽だまりみたいな穏やかな笑みを向けられる。私は、ちいさく頷いてから「じゃあ、自分の席で待ってたらいいですか」と問いかけると再び笑みを向けられたので自分の席についた。白石先生は何やら書類を手にしながら、ぞろぞろと教室から出ていくクラスメイト達に「車に気をつけるのよ」と言って挨拶している。白石先生は、年はまだ三十代の、私たちを担当してくれている教師のなかでは二番目に若い女性の先生だ。身に纏う空気感が柔らかく、いつも生徒たちの目線に立ってくれる為に生徒からの評判も高い。ちなみに、私もそんな白石先生のことが大好きだ。