透明に堕ちるわたしの輪郭

 ついさっき、喉が渇いたから水を一口飲んだあと、ふいに無性に消えたくなって透明な太陽をつかまえた。

 そんな風に考えてしまう事は私からしてみればそう珍しいことではないし、太陽を捕まえたことだってもう数え切れない程あるのだけれど、こんなにも綺麗で透明なそれをつかまえたのは初めての経験だった。

 私の人差し指と中指の間には、ちょうどミニトマトくらいの大きさのガラス玉がある。指先で挟んだそれを空にかざすと、ガラス玉の中に太陽を閉じ込めることが出来る。でも、今日のそれは輪郭こそあやふやだが、淡いひかりを放ち続ける様があまりに綺麗で私はそれに目を奪われ続けていた。

「……きれい」

 みながら、無意識にそう呟いていた。本来なら目を(すが)めてしまうような強い陽の光も、ガラス玉を通してみるとそれはろ過され、純粋な優しいひかりだけが私に降り注いでくれる。目を細めみつめていると、「路花(みちか)ちゃん。そろそろいいかな」と里中先生が穏やかな笑みを浮かべていた。三角形の、白く大きなテーブルを挟んで私たちは向かい合うように座っていて、里中先生の背には大きなガラス窓がある。ゆらゆらと揺れる木々と葉の隙間から溢れたひかりが細切(こまぎ)れになって窓の向こうから差し込み、先生の肩に優しく触れているようだった。

「これから僕が言ったもの、あるいは人。それから連想される色を答えてくれるかな」

 私はちいさく頷き、ガラス玉をポケットにしまった。里中先生は顎の先に手を添え、「そうだな。まずはどうしようか」と宙を見上げた。

「じゃあ、まずは木の幹」

 私の瞳へと視線を滑らせるとそう言った。私は間髪入れずに「茶色」と答えた。里中先生はすぐさまバインダーに挟んだ紙に、茶色ね、と書き入れる。

「次は、桜の花びら」

 頭に思い浮かべ「ピンク」と答える。

「みかんは?」
「オレンジ」
「夕焼けの色」
「それもオレンジ」
「君の肌の色」
「透明」

 そこで里中先生の手の動きが一瞬止まった。だが、何事も無かったかのようにバインダーに目を落としながら続ける。

「君の髪の色」
「透明」
「君の目の色」
「透明」
「君の手は」
「それも透明」
「最後にひとつ、聞いてもいいかな?」

 問われ、私はちいさく頷いた。

「さっき僕がした質問。君は大半を透明と答えてくれた訳だけど、それは君と君のなかにいる二人の共通認識という事でいいのかな?」
「はい、そうです」

 里中先生は私の目を見ながら「そうか」と呟き、バインダーを置いた。(おもむ)ろに窓の向こうに目をやっている。その向こうでは所々色付いた葉がさわさわと風に揺られ、枝先や幹からは力強い生命力を感じた。そして、それら全てを包み込むようにして世界を満たしていたのは透明なひかりだった。気付いた時には吸い寄せられるように席を立っていた。ぐるりとテーブルを一周し、里中先生の後ろにある大きな窓ガラスに頬をつける。ほのかに温かい。太陽のやわらかさも感じる。

 左腕をゆっくりと持ち上げ、陽の光にかざした。眩しくて思わず目を(すが)めてしまう。けれど、私の透明な指先から透けてみえたそれは、死にたくなるくらいに綺麗だった。

 それに目をやり続けていると「路花ちゃん」と里中先生に呼ばれる。振り返ると陽だまりのような笑みを浮かべていた。一度座ってくれるかな、と促され私はさっきの椅子に腰を下ろした。壁一面に広がる大きな窓ガラスから透明なひかりが濁流のように溢れている。

「ひとつ、聞いていいかな」

 問われ、私は頷いた。

「朝と夜と昼間。君たちはそれぞれ時間帯を分けて活動しているみたいだけど、ここ最近でその活動時間に変化はあった?」
「分かりません。私は最近二人と話していないので」
「日記はやめた?」
「はい」

 頷きながら私はグラスを手に取った。

「じゃあ、肌感覚で構わない。今の君。つまり昼間の君は一日の内にどれくらい目覚めてるのかな」
「たぶん、二、三時間くらいだと思います。最近はとにかく身体が疲れやすくて私はずっと眠っているので。正直、今も眠たいです」
「以前の朝の君は午前6時から昼の12時までで、今の君がそこから夜の7時まで。夜の君は7時から翌朝の6時までとある程度の規則性を持って活動していたはずだけど、君の話から推察するにそれが大きくズレているみたいだね」
「はい」

 グラスに入った水を、一口、それから二口と飲んだ。

「朝ごはんは食べてる?」
「えっ?」
「君は普段朝ごはんを食べてるのかな」
「私は朝の私じゃないので分からないですけど、おばあちゃんが言うには食べてないみたいです。起きるの自体がいつもお昼前みたいなので」
「なるほど。という事は、それから今の君に身体を乗り換える時間を考慮すると朝の君は今の君よりも活動時間が少ないことになる」

 考えてもみなかったが事実そうだった。里中先生は顎先に手をやり、「よし、こうしよう」と溌剌とした声をあげた。

「一度夜の君とも話をさせて貰えないかな? どうやら現段階で一日の活動時間を保有している可能性が高いのは彼女みたいだから。いいね?」

 風呂敷に包むみたいにくるっと言いくるめられてしまった。迎えにきてくれたおばあちゃんは里中先生と何かを話していた。私はその時一階のソファに座っていて会話の内容までは追えなかったが、一つの単語だけ拾えた。これは荒療治です。里中先生は確かにそう言った。