透明に堕ちるわたしの輪郭

 高校に入った頃には、路花は本当に魅力的な女性になっていた。見た目は勿論のことだが、路花が元来持っていた良さを残したまま、私はこう思う、私はこうしたい、と自己主張も出来るようになっていた。この高校に行きたいと言ったのも路花だった。私は路花と一緒ならどこでも良かったからこそ、受験前は毎日二人で図書館に籠もり死に物狂いで勉強した。合格発表の日、二人の番号をみつけた時は寒空の下で身体を抱きしめあって泣いて喜んだ。

しかも、幸いなことに私たちは同じクラスになれた。「なーぎ」と路花に呼ばれただけで、胸のなかがくすぐったいような感じがしたのもその頃からだった。路花の声が、指先が、艶のある黒い髪が、そして顔が美しく思えたのもその頃からだった。

 当時から歌うことが好きだった私はよく自分の家に路花を招き、ギターを片手に歌を歌い聴いて貰っていた。歌うのは有名なアーティストの曲をカバーしたものばっかりだったけれど、路花は聞き終えたあとよく涙を流してくれた。「凪の声ってさ、すっごく胸に染みる。歌がうまい人はいっぱいいるけど、ここまで心の奥底まで届ける力を持ってる人はそういないと思うよ」と指先で涙を拭いながらそう言われ、私は満ち足りた気分になった。この世界で最も歌を届けたかった人に、最も嬉しい言葉を言われた。こんなにも幸せなことはなかった。

「路花、あのさまた聴いて欲しい曲があるんだけど」

 それから数ヶ月後、私はいつものように路花を自宅に呼び、曲を聴いて貰うことにした。誰の曲? と問われ、私はちいさく首を横に振った。作詞も作曲も、編曲も、全ての作業を自分でやり遂げたオリジナル曲だった。曲名は『あえかなひかり』。意味は消え入りそうな程に儚いひかりという意味だ。路花は聞き終えたあと、今までで一番涙を流してくれた。ベッドで横並びに座っていた私の手をとり、「凪、一生のお願い。絶対に歌手になって。私だけじゃなくて大勢の人たちの心を救ってあげて」と笑みを向けられ、私は「約束する」と指切りをした。

 路花と私には、目にはみえないがなにか強い結びつきがある。私たちの間には誰も入ってこれない。そんな風にすら思っていたが、ある日を境に路花がクラスメイトの鮎人という男の子と仲良くなった。きっかけは春の大会があるかや応援にきてほしいという野球部の呼びかけがあった為、私と路花は数人の女子たちと一緒に応援に出向いたことだった。応援の甲斐もあって試合は勝ったのだが、そのなかでも一番活躍したのが当時一年にして野球部のエースと謳われた鮎人だった。路花は試合中「かっこいいね、あの子」と口にしていた。

 けれど、路花には鮎人に自ら声をかけていくような積極性はなかった。いつも遠巻きに、性別問わず人に囲まれている鮎人をみるだけだった。仲良くはなりたい。でも、声をかける勇気はない。路花からしてみればきっかけなんて何でも良かったのかもしれないが、偶然にも振り注いだ雨が鮎人との絆を紡いでくれた。

 その日、学校終わりにいつものように路花と一緒に帰ろうとしていた時、昇降口を抜けて出たすぐのところに見覚えのある顔があった。そう、鮎人だった。気だるそうに空を仰ぎ、灰色のぷっくりと垂れ下がった曇をみつめていた。針みたいな雨が振り注ぎ運動場には至るところに水たまりが出来ていた。傘を持っていないのかもしれない。上履きから外靴へと履き替えながら、私はすぐに気づいたが見て見ぬふりをした。正直私は、鮎人という人間が好きではなかった。整った顔立ちをしながら野球部のエース、おまけにクラスの人気もの。天は二物を与えないと言うが、神様はそれ以上に与えてしまっている。きっと苦労したこともないだろう。世界に絶望し、このクソみたいな世界で呼吸し続けるなら死んだ方がマシだと思ったことだってないだろう。自分の人生と比較した時、そんな人間が視界に入るだけで吐き気がした。

 それに、と路花の横顔をみつめた。真っすぐに鮎人をみつめ「朝倉くん、傘持ってないのかな」と呟いた瞬間、やっぱりと思う。あの日以来、路花の心のなかで鮎人という存在が日に日に大きくなっていっているのは分かっていた。何故なら、私の視界には常に路花がいたから。その目が、その横顔が、恋をする女の子のそれだったから。 

「私、傘渡してくる」
「あんたが濡れるじゃん」
「いいの走ってかえるから。途中まではほら、凪に傘入れて貰ったらいいし」

 路花はそう言って、鮎人の元へと駆けていった。傘を手渡す路花は恥ずかしそうにしながらも、凄く嬉しそうだった。どうやら私たちは置き傘をしていた為に難を逃れたが、鮎人と数人の男友達は職員室に忘れ物の傘で要らないやつはないかと聞きに行っているそうだった。だから傘はいらない。気持ちだけ受け取っとく、と鮎人は白い歯をみせて笑った。私は遠巻きにみながら、路花の心音が地に落ちて弾けた雨粒みたいに跳ねたのを感じた。
 
 その日をきっかけに、鮎人と私と路花は学校にいる間は常に行動を共にするようになった。鮎人と路花がなんてことない会話で盛り上がり、互いの身体に触れ合う回数が増えていく事を私は正直あまりいい気がしていなかったが、鮎人がいい奴だという事実は受け入れるしか無かった。男子女子分け隔てなく優しく接し、おまけに野球部のエース。路花の隣という私がずっと保持してきた席は、鮎人には奪われても仕方なかった。きっと、なにも知らなければこうは思えなかった。私は心の底から鮎人に嫉妬し憎んですらいたかもしれない。でも、私は以前の路花を知ってしまっている。いじめにあったことで自殺を考えるまで追い詰められていた路花が、今は本当に幸せそうな顔をしていたのだ。だから私は、受け入れるしかなかった。私自身鮎人の事が人としては好きだったし、いつか大人になってもこの三人の関係がずっと続いてくれたらと願っていた。

 でも、あの日、高校一年の梅雨の終わり、私たちの関係は唐突に壊れてしまった。路花が事故に遭ったのだ。正確には両親と一緒に乗っていた車が横からトラックに追突され、路花のご両親と弟は即死。路花だけが生き残った。私は学校終わり、毎日病院に通った。沢山の管に繋がれ、目をつむる路花の姿をみただけで引き裂かれる思いだった。幸い、路花の身体は二カ月程で回復した。でも、心は壊れたままだった。大好きだった両親を目の前で失ったのだ。それも救助された時、路花は意識があり、前方座席に座っていた両親と弟の名前を叫び続けていたらしく、恐らくはあの惨状を救助されるまでの間ずっと目に焼き付けていたことが心に大きな傷跡を残した要因だと推測されます、と医師から告げられたらしかった。

 路花は、近所に住んでいた父方のおばあちゃんの家に引き取られる事になった。私と鮎人は学校終わりに毎日通った。二階の、ベッドとテーブルがあるだけの部屋の片隅で路花はうずくまっていた。私は毎日、毎日、声をかけ続けた。鮎人もそうだ。少しでも気が紛れるようにと外に連れ出したこともあった。その甲斐もあって数ヶ月で路花は少しずつ、ほんの少しずつだが元気を取り戻していったように思う。だが、甘かった。ある日、私と鮎人と三人で歩いていた時「あれ、ここどこ」と路花がふいに口にしたのだ。意味が分からなかった。路花は意識があった。自分の意思でここまで歩いてきた。なのに、その時の路花はまるで今日初めて自分がその場所で目覚めたかのように何も知らなかったのだ。

 それからというもの、何度もそんな事が続いた。寸前まで話していた路花が突如として静止し、口を開いたかと思えば「あれ、私なにしてだっけ」「っていうかここどこ」、「お前誰だよ! 勝手に私の部屋に入ってんじゃねぇよクソ野郎」などと人が変わったような発言までするようになった。

 路花は有名な心療内科医に診てもらうことになり、下された診断は解離性同一性障害だった。つまり、路花のなかにはこれまで存在していた路花の人格以外にも複数人が現れるようになってしまったという事らしかった。しかも、日に日にその症状は悪化し、やがて路花は朝と昼間と夜という三つの人格を確立してしまった。正直私の身の回りにはそんな診断を下された人がいなかった為に怖くなってしまった事もあった。だけど、路花は路花だ。その事実だけで私には十分だった。だって、あれだけの事故に遭っても奇跡的に生きていてくれたのだ。それは鮎人も同様だった。私と鮎人は、路花のおばあちゃんが医師から教えて貰った話やその場その場の状況においての対処法を全て教えて貰った。たとえばそれぞれの人格を絶対に否定してはならないこと、たとえば過呼吸を発症してしまった時の対処法。私と鮎人は全てをノートに取り、路花の全ての人格と向き合った。

 医師の治療の甲斐もあってひどかった過呼吸の症状が治まり、各人格から攻撃性を取り除くことに成功した為に、路花は週に二日ではあるが学校に戻ってくるようになった。路花が初めて学校に戻ってくる前日には、学校全体に箝口令も敷かれた。勿論病気の事は伏せられたが「大きなショックを呼び起こしかねない為に事故の話やご家族の話は絶対にしないであげてください。どれだけの時間が掛かるかは分かりませんが、同じ校舎に通う同士として彼女が未来を取り戻すまでの時をどうか優しく見守ってあげてください」と学年主任のスピーチを聞いた時は涙が止まらなかった。路花自身も医師の助言により携帯を取り上げられていた。今の時代、SNSや他の情報媒体からいつふいに当時のニュースや記事が飛び込んできて、ショックを受けかねないからという理由だった。あの学年主任のスピーチは、私の決意が更に固まった瞬間でもあった。私が絶対に支える。何があっても私が路花を守る、と。