みずのなかから意識が引き上げられた時、私は学校にはいなかった。前日にお母さんから聞かされてはいたが、それでもやっぱり目覚めた時に家というのは不思議な心地だった。昨日は部屋の中がひどい有り様で、「お母さんなにこれ。泥棒でも入った?」と微笑みかけると、「そうかもねえ。そんなことより路花、片付けるのを手伝ってくれるかい?」と悲しげな笑みを溢すばかりだった。今日は夕方から学校に行くからそれまではあたしの目が届くところにいておくれ、と言われていた。
「どうぞ、そちらに」
教室の窓から夕暮れ時の優しげなひかりが差し込んでいた。中央の席が普段とは違う配置になっていて私とお母さんは空いている席に腰を降ろすと、先生はその向かい合わせになるように座った。先生は一度薄く微笑んだが、そのあと無理に表情を作り直した。心做しか泣きそうにみえたのは気の所為だろうか。
「わざわざご足労頂きありがとうございます。実は、今日お話したいのは、その、路花ちゃんのことで」
先生はそれからぽつりぽつりと言葉を選ぶようにして話し始めた。
「実は、今回の件よりも前に校内の壁に落書きをされる事件がありました。学校側は一週間の猶予を設け犯人が現れるのを待ちましたがそれは叶いませんでした。だから、生徒の安全を守る為にも警察に介入してもらうことになったんです」
先生は鞄の中からノートパソコンを取り出すと、何やら操作をし私とお母さんにみえるように画面をみせてくる。それは、防犯カメラの映像だった。
「これは、校舎の裏。生徒たちからは裏山と呼ばれる森を抜けた先にある公道の防犯カメラの映像です。日付は、あの落書きをされた当日。そこに、路花さんと思われる少女が映っていました」
生徒の言う通り、そこには私が映っていた。公道を歩く私は躊躇うことなくガードレールを乗り越え、そこから校舎裏へと続く裏山に入っていった。お母さんは「え、ああ……あぁ」と聞いたこともないような悲しげな声をあげていた。
「今回の件と前回の件、厳密には路花さんがやったという直接的な証拠は」
先生が言葉を選ぶようにして私たちの視線を伺っていた時だった。お母さんが「いえ、路花です」と言い切った。
「先日、クローゼットのなかで赤いなにかがついた制服をみつけました」
「そう……でしたか」
「先生本当に申し訳ありませんでした」
お母さんは先生の話に耳を傾けながら時折相槌をうち、何度も何度も「すみません」と謝っていた。どうやら学校側は確定的な証拠がないにしろ目撃者がいる以上は、私の精神状態も鑑みて水槽内の魚を殺した件やこれまでの一連の件全てを私がやったと思っているそうだった。けれど、当然だが校内に監視カメラはない為に水槽の魚を殺した人物だと断定することは出来ない以上はあくまで推測だ、と白石先生は何度も口にした。落書きの件に関しても、一応報告はするが学校側も恐らく生徒を警察に突き出すことはしないでしょうというのが先生の見解だった。
だが、話はこれだけでは終わらなかった。どうやら以前から数人のクラスメイト達の保護者から私に対する抗議が殺到していたそうだが、学校側としても在籍する一生徒として私を守ってくれていたらしい。我が子が健全な学校生活を送れていない。大きな問題を抱えているクラスメイトがいる。その子を同じ教室に置くのはどうなのか。そういった声を真摯に受け止めた学校側が今回の落書きや並びに水槽の件、柳井さんに起こした暴力事件をきっかけについに決断を下したらしく、要はもうこれ以上私をクラスに置いておくことが出来ないというのが先生が一番伝えたかった事らしかった。
「通常こういった場合は即時に措置が適用されるのですが、路花ちゃんの抱える現状、並びに今学期も残すところあと二日という時期も考慮しまして、夏休みが明けてからの新学期以降から路花ちゃんには保健室登校をして頂くことになると……思います」
先生はそこで一度言葉を切ると、ふっと立ちあがった。それから両膝に手をつき深々と頭をさげた。
「申し訳ありません。全て、私の力不足のせいです。私がもっとしっかりしていればこんなことには……ごめん、なさい。本当、にごめんなさい」
先生のちいさな背中が、大きく震えている。私はそれをぼんやりとみていた。どうして先生は私に謝るのだろう。先生はなにも悪いことなんかしてないのに。そんなことを考えていたらお母さんが「お顔をあげてください」と先生の肩に手を置いた。引き寄せられるように持ち上がった顔をみて私ははっとした。先生の顔はぐしゃぐしゃに歪んでいたのだ。悔しさ、悲しさ、いろんなものが入り混じっているような辛そうな顔をしていた。
「先生はこれまで本当にご尽力して下さりました。だから、謝らないで下さい」
その言葉を受け止めた先生の目の淵から、一筋の涙が頬を伝う。私もお母さんのようになにか励まさなくてはと「そうだよ。先生元気だして? 別に学校を辞めさせられる訳じゃないんだし、っていうかむしろ保健室登校とかちょっと楽しみなんだよね私。先生も会いにきてくれるんでしょ?」と笑みを向けた。
「ええ、勿論よ。毎日いくからね」
指先で涙を拭いながら先生もふわりと笑みを浮かべた時、ふいにお母さんが席を立った。
「先生、今まで路花のことを気にかけて下さり本当にありがとうございました。心から感謝しております」
深く頭を下げたお母さんの姿をみて、先生は声をあげて泣いていた。
「どうぞ、そちらに」
教室の窓から夕暮れ時の優しげなひかりが差し込んでいた。中央の席が普段とは違う配置になっていて私とお母さんは空いている席に腰を降ろすと、先生はその向かい合わせになるように座った。先生は一度薄く微笑んだが、そのあと無理に表情を作り直した。心做しか泣きそうにみえたのは気の所為だろうか。
「わざわざご足労頂きありがとうございます。実は、今日お話したいのは、その、路花ちゃんのことで」
先生はそれからぽつりぽつりと言葉を選ぶようにして話し始めた。
「実は、今回の件よりも前に校内の壁に落書きをされる事件がありました。学校側は一週間の猶予を設け犯人が現れるのを待ちましたがそれは叶いませんでした。だから、生徒の安全を守る為にも警察に介入してもらうことになったんです」
先生は鞄の中からノートパソコンを取り出すと、何やら操作をし私とお母さんにみえるように画面をみせてくる。それは、防犯カメラの映像だった。
「これは、校舎の裏。生徒たちからは裏山と呼ばれる森を抜けた先にある公道の防犯カメラの映像です。日付は、あの落書きをされた当日。そこに、路花さんと思われる少女が映っていました」
生徒の言う通り、そこには私が映っていた。公道を歩く私は躊躇うことなくガードレールを乗り越え、そこから校舎裏へと続く裏山に入っていった。お母さんは「え、ああ……あぁ」と聞いたこともないような悲しげな声をあげていた。
「今回の件と前回の件、厳密には路花さんがやったという直接的な証拠は」
先生が言葉を選ぶようにして私たちの視線を伺っていた時だった。お母さんが「いえ、路花です」と言い切った。
「先日、クローゼットのなかで赤いなにかがついた制服をみつけました」
「そう……でしたか」
「先生本当に申し訳ありませんでした」
お母さんは先生の話に耳を傾けながら時折相槌をうち、何度も何度も「すみません」と謝っていた。どうやら学校側は確定的な証拠がないにしろ目撃者がいる以上は、私の精神状態も鑑みて水槽内の魚を殺した件やこれまでの一連の件全てを私がやったと思っているそうだった。けれど、当然だが校内に監視カメラはない為に水槽の魚を殺した人物だと断定することは出来ない以上はあくまで推測だ、と白石先生は何度も口にした。落書きの件に関しても、一応報告はするが学校側も恐らく生徒を警察に突き出すことはしないでしょうというのが先生の見解だった。
だが、話はこれだけでは終わらなかった。どうやら以前から数人のクラスメイト達の保護者から私に対する抗議が殺到していたそうだが、学校側としても在籍する一生徒として私を守ってくれていたらしい。我が子が健全な学校生活を送れていない。大きな問題を抱えているクラスメイトがいる。その子を同じ教室に置くのはどうなのか。そういった声を真摯に受け止めた学校側が今回の落書きや並びに水槽の件、柳井さんに起こした暴力事件をきっかけについに決断を下したらしく、要はもうこれ以上私をクラスに置いておくことが出来ないというのが先生が一番伝えたかった事らしかった。
「通常こういった場合は即時に措置が適用されるのですが、路花ちゃんの抱える現状、並びに今学期も残すところあと二日という時期も考慮しまして、夏休みが明けてからの新学期以降から路花ちゃんには保健室登校をして頂くことになると……思います」
先生はそこで一度言葉を切ると、ふっと立ちあがった。それから両膝に手をつき深々と頭をさげた。
「申し訳ありません。全て、私の力不足のせいです。私がもっとしっかりしていればこんなことには……ごめん、なさい。本当、にごめんなさい」
先生のちいさな背中が、大きく震えている。私はそれをぼんやりとみていた。どうして先生は私に謝るのだろう。先生はなにも悪いことなんかしてないのに。そんなことを考えていたらお母さんが「お顔をあげてください」と先生の肩に手を置いた。引き寄せられるように持ち上がった顔をみて私ははっとした。先生の顔はぐしゃぐしゃに歪んでいたのだ。悔しさ、悲しさ、いろんなものが入り混じっているような辛そうな顔をしていた。
「先生はこれまで本当にご尽力して下さりました。だから、謝らないで下さい」
その言葉を受け止めた先生の目の淵から、一筋の涙が頬を伝う。私もお母さんのようになにか励まさなくてはと「そうだよ。先生元気だして? 別に学校を辞めさせられる訳じゃないんだし、っていうかむしろ保健室登校とかちょっと楽しみなんだよね私。先生も会いにきてくれるんでしょ?」と笑みを向けた。
「ええ、勿論よ。毎日いくからね」
指先で涙を拭いながら先生もふわりと笑みを浮かべた時、ふいにお母さんが席を立った。
「先生、今まで路花のことを気にかけて下さり本当にありがとうございました。心から感謝しております」
深く頭を下げたお母さんの姿をみて、先生は声をあげて泣いていた。
