透明に堕ちるわたしの輪郭

 あの日、水槽のなかの魚は僕が殺しました、と言うと白石先生は初めてみるような表情をした。怒りと悲しみ。それを合わせたような不思議な顔。隣に座っていた母は顔を真っ赤にして僕を怒鳴りつけた。母の場合は悲しさというよりも怒りや羞恥が勝ったのではないかと思う。何よりも世間体を気にする人だから。

 清々しい気分だった。これまで人生で味わったことのない達成感で満たされていた。母からの罵声を浴びながら、一日迷ったけれどこの決断を選んで良かったと改めて思った。最初、クラスメイト達の前で白石先生に呼び出された時、僕は否定した。水槽の中の魚を殺したのは僕では無かったから。

 その日も僕は理沙と二人で階段下にいた。夜が明けたばかり。校舎には誰もいなかった。理沙は前日も夜遅くまで出ていたらしく、しばらくすると眠り始めた。特にすることもないので僕は校舎に入った。静けさが満ちた廊下をひとり歩いていると、水槽から放れた薄明かりがみえた。ひらひらと尾ひれを動かす熱帯魚が、悠々と泳いでいた。みている内に衝動に駆られた。壊したい。気付いたら、手が伸びていた。エアポンプに繋がる配線を辿りコンセントを引き抜いた。それまで鳴っていた機械音が止まり、しん、とした静寂が押し寄せてきた。

 階段下に戻ると、理沙が起きていた。どこ行ってたの、と問われ、廊下、と答えた。すると理沙は激昂した。なんで? 誰かにみられたらどうするの? 理沙たちここにいられなくなっちゃうよ? 初めてだった。理沙に尖った感情を向けられたのは。

 僕は正直に答えた。理沙は「やめてよ。そんな事」と目を伏せた。

「だって死ぬんじゃない? 苦しくて、死んじゃうんだよ? 誰かを傷つけるって最低じゃんか」
「理沙だって自分を傷付けてるじゃん」
「理沙は自分でしょ? それに、これが良くないことだって理沙だって分かってる。とにかくもっかいコンセント入れてきてよ。今なら間に合うかもじゃん」

 促され、僕はコンセントを入れに戻った。スイッチをいれるとエアポンプが作動した。幸いにも魚たちは元気そうだった。隣にあるトイレで用を足し、再び戻ろうとした。だが、出た時にはエアポンプが止まっていた。え、とみると水槽の影から人が出てきた。

「なにしてんの」

 美藤路花だった。

「君、誰? 僕のこと知ってるの?」

 彼女は首を傾げながらそう言った。僕、と思わず繰り返してしまう。

「僕って、え、なに? 美藤路花さん、だよね?」
「違う。僕の名前は、美藤悠」

 一体何が起きているのか分からなかった。けれど、彼女が冗談で言ってる気配は一切無かった。右手にはハサミが握られていて、切断されたコードが足元に横たわっていた。

「逃げて」

 気付いたら、そう口にしていた。

「えーでもせっかく楽しんでたのに」
「いいから。誰かにみられたら楽しめなくなっちゃうよ? ほら、早く」

 美藤路花はキャハハと笑いながら、廊下をかけていった。その事実を僕は理沙だけに伝えた。現場もみせた。翌日、僕は理沙にやっぱり犯人として名乗り出ることにしたと伝えた。もし犯人が現れなければいずれその矛先が彼女に向いてしまうかもしれない。それだけは嫌だった。彼女と僕は、友達だから。

 結果、僕には停学処分が下された。両親からはこれで人様に顔向けが出来なくなった。お前とは縁を切るとまで言われた。けれど、僕の心は秋晴れみたいにすかっと晴れ渡っていた。これでいい。これでいいんだ。僕は人生で、初めて人の役に立てた気がした。友達という意味が、初めて分かった気がした。