空の青さが取り残された空の下、階段下には静けさが沈殿しているみたいだった。僕の肩で理沙が寝息を立てている。どうやら最近ますます家に居づらくなり、夜は街に繰り出しているようだった。そのせいでほとんど寝てないという。理沙の髪は、最近茶色になった。耳にはピアスの穴が増えていた。すぐ傍に頭があるものだから、シャンプーの匂いと煙草の匂いが入り混じった歪な香りがした。
十代の女の子は少しずつだが日々変化する。中身も外見も。僕もそうだった。母のバレエ教室の経営が傾き始めてからというもの、僕に対する風当たりもますます強くなった。あなたみたいな風貌の子が家を出入りしてるなんて耐えられない。ご近所さんにどう思われるか。母はそんなことを言って、少し前に嫌がる僕の手を無理やり掴み美容室に連れていった。綺麗に整えたと美容師は胸を張っていたけれど、そのボブカットの髪はどうみても僕には不釣り合いで作り物の誰かの頭をそのまま乗っけられているみたいだった。だが母は満足そうに頷き、少しでも僕の見栄えが悪くなると、美容室予約したから、と目を見ずに言われる。髪だけでなく、爪をとがれ、眉を整えられ、ようやく完成した僕をみて「これで生徒さんがまた戻ってきたらあなたが原因だったのかもね」と吐き捨てた。
理沙はそんな僕の母のことを「きっしょそのババア」と呼び、それから髪を触った。「いいじゃん」と言って白い歯をみせてくれる。僕は髪型が整ったからいいのか、さらさらなのがいいのか、分からなかった。
分からないと言えば僕と理沙の関係もそうだった。互いに休まる場所がないからこうやって每日階段下で会ってはいるけれど、廊下ですれ違っても話さないし、遊んだこともない。それに、僕のなかにある暴力的な衝動を理沙には話したことがない。真っ赤に咲き乱れるサルビア、ゆらゆらとヒレを動かす熱帯魚。特別でもない存在が、あんな風にさも当然というようにうつくしさを振りまいている姿をみると僕は壊したくなってしまう。完膚なきまで、そいつに見合う姿にしたくなってしまう。友達。僕と理沙にそんな風な言葉が当てはまるとは決して思えなかった。いや、そもそも僕と友達という言葉が不釣り合いなのかもしれない。そもそもそんなのは求めてない。
なのに、数日前、僕の衝動を唯一知っている美藤路花に友達になろうと言われた。彼女はあの日、僕が壊す姿をみてもひかなかった。受け入れようとすらしてくれた。だから友達になろうって。彼女は覚えてないだろうけど、彼女からそう言われたのは二回目だった。一度目は今から一年前、彼女の家族が事故で亡くなる数ヶ月前だった。車の事故だったと聞いてる。彼女もその車に同乗していて、運よく生き延びたのは彼女だけ。彼女が入院している間に学校には箝口令が敷かれた。彼女が辛い思い出を思い出さないように決して話さないように、と確か学年主任が言っていた。
皆、善意なのか情けなのかは分からないけれど、その言いつけを守っている。あの柳井さんですらその事を未だに彼女には言ってない。でも、僕は分からなかった。それが正しいのかどうか。真実に蓋をしこのままずっとみえないようにして、それが彼女の為になるのか。だって、この現実で彼女の家族は亡くなっている。それを知らないのは彼女だけだ。赤の他人の、僕たちですら知ってるのに。
言い方は悪いかも知れないが、彼女に嘘をついている気がしていい気はしなかった。僕が最も嫌う、嘘と偽善に塗れたクソみたいな世界の住人に僕もなってしまっている。誰かを守る為なら、嘘は許されるのか。この数日、彼女と友達になってからというもの、僕はずっとそれを思い悩んでいる。
「今、何時」
ふいに理沙が身体を起こした。腕を伸ばしながらあくびをしている。
「さっき携帯みたらまだ七時前だった。あれからそんなに時間経ってない」
「そっか、じゃああと一時間くらいあるんだ。本読もっかな」
理沙は鞄から小説を取り出して開いた。けれど、「駄目だ。起きたっばっかりじゃ全然話が入ってこない」と本を閉じ、それから携帯に指を滑らせた。また、肩に頭をのせてくる。
「あっそうそう。みてこれ」
理沙が携帯の画面をみせてくる。
「昨日さあ、夜ふらふらしてたらストリートライブしてる女の子がいてさ。理沙、泣いちゃったの。歌で! 聴いてたら、自然に涙が出てた」
動画に映る女性はギターを抱えていた。胸元まで流した髪がちいさく揺れている。ちょうど顔を俯いたまま弦の調整をしているところだった。だが、ふっと顔をあげた時、あっ、と思う。その小さな画面に映る彼女の顔に懐かしさを感じた。
──これは、今から一年前に作ったオリジナルソングです。聴いてください。タイトルは、あえかなひかり。
女性の、まるで天使のような綺麗な歌声が流れてくる。理沙がいうように歌と歌詞が心にしみる。けれど、それだけでは無かった。込み上げてくるものがあって目に力を込めた。
「元気にしてるんだ」
無意識に、呟いていた。
十代の女の子は少しずつだが日々変化する。中身も外見も。僕もそうだった。母のバレエ教室の経営が傾き始めてからというもの、僕に対する風当たりもますます強くなった。あなたみたいな風貌の子が家を出入りしてるなんて耐えられない。ご近所さんにどう思われるか。母はそんなことを言って、少し前に嫌がる僕の手を無理やり掴み美容室に連れていった。綺麗に整えたと美容師は胸を張っていたけれど、そのボブカットの髪はどうみても僕には不釣り合いで作り物の誰かの頭をそのまま乗っけられているみたいだった。だが母は満足そうに頷き、少しでも僕の見栄えが悪くなると、美容室予約したから、と目を見ずに言われる。髪だけでなく、爪をとがれ、眉を整えられ、ようやく完成した僕をみて「これで生徒さんがまた戻ってきたらあなたが原因だったのかもね」と吐き捨てた。
理沙はそんな僕の母のことを「きっしょそのババア」と呼び、それから髪を触った。「いいじゃん」と言って白い歯をみせてくれる。僕は髪型が整ったからいいのか、さらさらなのがいいのか、分からなかった。
分からないと言えば僕と理沙の関係もそうだった。互いに休まる場所がないからこうやって每日階段下で会ってはいるけれど、廊下ですれ違っても話さないし、遊んだこともない。それに、僕のなかにある暴力的な衝動を理沙には話したことがない。真っ赤に咲き乱れるサルビア、ゆらゆらとヒレを動かす熱帯魚。特別でもない存在が、あんな風にさも当然というようにうつくしさを振りまいている姿をみると僕は壊したくなってしまう。完膚なきまで、そいつに見合う姿にしたくなってしまう。友達。僕と理沙にそんな風な言葉が当てはまるとは決して思えなかった。いや、そもそも僕と友達という言葉が不釣り合いなのかもしれない。そもそもそんなのは求めてない。
なのに、数日前、僕の衝動を唯一知っている美藤路花に友達になろうと言われた。彼女はあの日、僕が壊す姿をみてもひかなかった。受け入れようとすらしてくれた。だから友達になろうって。彼女は覚えてないだろうけど、彼女からそう言われたのは二回目だった。一度目は今から一年前、彼女の家族が事故で亡くなる数ヶ月前だった。車の事故だったと聞いてる。彼女もその車に同乗していて、運よく生き延びたのは彼女だけ。彼女が入院している間に学校には箝口令が敷かれた。彼女が辛い思い出を思い出さないように決して話さないように、と確か学年主任が言っていた。
皆、善意なのか情けなのかは分からないけれど、その言いつけを守っている。あの柳井さんですらその事を未だに彼女には言ってない。でも、僕は分からなかった。それが正しいのかどうか。真実に蓋をしこのままずっとみえないようにして、それが彼女の為になるのか。だって、この現実で彼女の家族は亡くなっている。それを知らないのは彼女だけだ。赤の他人の、僕たちですら知ってるのに。
言い方は悪いかも知れないが、彼女に嘘をついている気がしていい気はしなかった。僕が最も嫌う、嘘と偽善に塗れたクソみたいな世界の住人に僕もなってしまっている。誰かを守る為なら、嘘は許されるのか。この数日、彼女と友達になってからというもの、僕はずっとそれを思い悩んでいる。
「今、何時」
ふいに理沙が身体を起こした。腕を伸ばしながらあくびをしている。
「さっき携帯みたらまだ七時前だった。あれからそんなに時間経ってない」
「そっか、じゃああと一時間くらいあるんだ。本読もっかな」
理沙は鞄から小説を取り出して開いた。けれど、「駄目だ。起きたっばっかりじゃ全然話が入ってこない」と本を閉じ、それから携帯に指を滑らせた。また、肩に頭をのせてくる。
「あっそうそう。みてこれ」
理沙が携帯の画面をみせてくる。
「昨日さあ、夜ふらふらしてたらストリートライブしてる女の子がいてさ。理沙、泣いちゃったの。歌で! 聴いてたら、自然に涙が出てた」
動画に映る女性はギターを抱えていた。胸元まで流した髪がちいさく揺れている。ちょうど顔を俯いたまま弦の調整をしているところだった。だが、ふっと顔をあげた時、あっ、と思う。その小さな画面に映る彼女の顔に懐かしさを感じた。
──これは、今から一年前に作ったオリジナルソングです。聴いてください。タイトルは、あえかなひかり。
女性の、まるで天使のような綺麗な歌声が流れてくる。理沙がいうように歌と歌詞が心にしみる。けれど、それだけでは無かった。込み上げてくるものがあって目に力を込めた。
「元気にしてるんだ」
無意識に、呟いていた。
