「なんだこれ」
昼休みに、朝の私の報告に目を通そうと日記を開いたとき、あまりにも杜撰な日記にため息が出た。
『報告なし』
たった一文だった。報告がない訳がない。そもそも私が意識が目覚めた時、自分が今学校にいるという現実すらうまく呑み込むことが出来なかった。この数日間、ほとんどずっとお母さんと二人で過ごしていたし、外出の許可が出るのはお母さんが許した時だけだった。元々今日か明日辺りにまた学校に行き始める予定ではあったけれど、行ったなら行ったで久しぶりにあったクラスメイト達との会話でも書いといてよ、と不満たっぷりにcランチのエビフライを頭から噛み切った。
「最近の朝の私さあ適当過ぎない?」
周りの人たちに不自然に思われないくらいの声量で私はなかにいる私に語りかけた。今頃はたぶん私のなかですやすやと眠っているのだろう。
食堂をあとにし教室に戻ろうかとも思ったがその前にトイレを済ませようと、食堂のすぐ傍にあるグラウンド手前の女子トイレに向かった。運動場では男の子たちがサッカーをしたり走り回ったりしていて、日陰のところからそれをみながら微笑む女子がいた。トイレを済ませ外に出ると、浅川さんとすれ違った。一瞬だけ目が合い、そのまますたすたと運動場の方に行ってしまったから声は掛けなかった。
今年の蝉たちは、たぶん元気な子ばかりなんだろうなって思う。わんわんと鳴く蝉の産声が鼓膜に纏わりついてくる。去年よりずっと大きい。おまけにやっぱり外は暑い。最近はお昼になると気温は三十度近くまで上がる。こんな日は、つめたい海やプールに飛び込みたい。あー早く凪と遊びたいなあってぼんやりと思い浮かべながら、私は来た道を引き返していた。夏休みまでに友達を作る。それが、今年の私の目標で、既に私は達成している。凪とは友達になれたのだ。今度は、浅川さんとも友達になりたい。一人より、二人。二人より三人の方が絶対楽しいし友達が多い方がいいじゃん、と気分はらんらんでスキップをしながらついさっき浅川さんとすれ違った場所まで戻ってきた。グラウンドを見渡してはみたが姿はみえなくて、もう教室に帰ったのかもと思いかけた時、グラウンドの端の方で一人佇む浅川さんをみつけた。
「浅川さん」
そう声をかけると、浅川さんはびくっと身体を揺らし風のような速さで振り返った。けれど、私の顔をみるなり「ああ、美藤さんか」と安堵の表情を浮かべた。
「なにしてんの」
「花をみてんの。今朝はあんな感じで僕のことを拒絶したのに今度は自分から近づいてくるんだ」
横目にそう言われた。意味が分からなかった。首を傾げぼんやりと浅川さんの顔をみる。すると、「覚えてないの? もしかして」と問われる。頷いた。
「数ヶ月とか数日ならそうなのかなって思ってたけど、数時間でも無理なの」
「無理みたい。全部朝の私の」
そこまで言いかけて口を閉ざした。浅川さんはなんてことないような顔で「でも、ちょっと羨ましいかも」と言った。
「何が?」
「みなくて済むじゃん。このクソみたいな世界を」
グラウンドの端には用務員さんが育てている花壇があり、浅川さんは真っ赤な花弁をひらいているサルビアをみていた。
「ただみてただけ?」
「なんでそんなこと聞くの?」
問いに問いで返され、私は浅川さんの足元を指差した。白い運動靴の下で、赤いサルビアがぐしゃりと潰れてる。
「踏んでるから」
そう言うと、浅川さんは声を出して笑った。あははって笑ってる。けなしたりしてこないんだって、口元を手で隠してる。
「潰してやったの」
蝉の産声がうるさかった。うるさすぎて聞き間違えたのかと思い、「えっ潰す?」と聞いた。
「そう。一本残らず。他のやつもするつもり」
「なんでそんなことするの」
「前にも言ったじゃん。私は、自惚れてるやつが嫌いなの。特別な存在になれるのは一握りなのに中途半端に綺麗な奴は、さも私が特別って顔するじゃん。たとえば、柳井さんの取り巻きたち。あの子たち皆、柳井さんと一緒にいる自分がクラスで一番かわいいって思ってるでしょ?」
分からなくもなかったので曖昧に頷いた。
「自分たちが一番かわいくて、クラスのカースト上位だと思ってる。でも、大したことないじゃん実際。なのにさ自分たちよりも少しでも容姿が劣るような子をみたら見下すの。表では笑顔だよ? でも、内心は嘲笑ってる。私を含めたクラスの端の方にいる女の子たちにさ、自分の気分がいい時だけ髪切ったんだへえーとか、かわいくなった?とか突然言ってきたりすんの。いつもはやりたくない係を押し付けたり、購買にジュースを買いに行かせたりするくせに。あれ、吐き気がすんの私は」
「サルビアもそうってこと?」
「そう。こいつらも。赤い花びらをさ、私美しいでしょって感じでひらいてるし、昼間にみたら色が強すぎてくらくらするの。目障りだった」
浅川さんの向ける眼差しはひどくつめたくて、どこか悲しげだった。彼女を慰めるみたいに夏の淡い風が吹き抜けてボブカットの髪がちいさく揺れた。綺麗な黒髪には天使の輪っかが出来ていて、私は純粋に美しいと思った。みつめていると、目があった。
「なに? もしかしてひいた?」
私はちいさく首を横に振った。
「先生に言う?」
もう一度首を横に振る。男子たちの「パース、パス回せ」という声が鼓膜に触れた。
「じゃあどうすんの?」
「言わないから」
「なに?」
「言わないから、私と友達になって」
他意はない。純粋にそう思って言ったのだ。彼女は以前、柳井さんたちから助けようとしてくれてありがとうと私が伝えた時、それが正しいと思ったからそうしたと言った。たぶんこれも、彼女は正しいと思ってるからやってる。倫理も、他人からの評価も全て無視して、自分の行動を自分で意思決定してる。その馬鹿みたいな清々しさに惚れたのかもしれない。純粋にかっこいいと思ったのだ。彼女は、私にないものを持ってる。だから。
「ねえ浅川さん、私と友達になってよ」
手を差し出した。浅川さんはふっと笑みを溢し、「前もおなじようなこと言われた気がする」と私の手に腕を伸ばした。
昼休みに、朝の私の報告に目を通そうと日記を開いたとき、あまりにも杜撰な日記にため息が出た。
『報告なし』
たった一文だった。報告がない訳がない。そもそも私が意識が目覚めた時、自分が今学校にいるという現実すらうまく呑み込むことが出来なかった。この数日間、ほとんどずっとお母さんと二人で過ごしていたし、外出の許可が出るのはお母さんが許した時だけだった。元々今日か明日辺りにまた学校に行き始める予定ではあったけれど、行ったなら行ったで久しぶりにあったクラスメイト達との会話でも書いといてよ、と不満たっぷりにcランチのエビフライを頭から噛み切った。
「最近の朝の私さあ適当過ぎない?」
周りの人たちに不自然に思われないくらいの声量で私はなかにいる私に語りかけた。今頃はたぶん私のなかですやすやと眠っているのだろう。
食堂をあとにし教室に戻ろうかとも思ったがその前にトイレを済ませようと、食堂のすぐ傍にあるグラウンド手前の女子トイレに向かった。運動場では男の子たちがサッカーをしたり走り回ったりしていて、日陰のところからそれをみながら微笑む女子がいた。トイレを済ませ外に出ると、浅川さんとすれ違った。一瞬だけ目が合い、そのまますたすたと運動場の方に行ってしまったから声は掛けなかった。
今年の蝉たちは、たぶん元気な子ばかりなんだろうなって思う。わんわんと鳴く蝉の産声が鼓膜に纏わりついてくる。去年よりずっと大きい。おまけにやっぱり外は暑い。最近はお昼になると気温は三十度近くまで上がる。こんな日は、つめたい海やプールに飛び込みたい。あー早く凪と遊びたいなあってぼんやりと思い浮かべながら、私は来た道を引き返していた。夏休みまでに友達を作る。それが、今年の私の目標で、既に私は達成している。凪とは友達になれたのだ。今度は、浅川さんとも友達になりたい。一人より、二人。二人より三人の方が絶対楽しいし友達が多い方がいいじゃん、と気分はらんらんでスキップをしながらついさっき浅川さんとすれ違った場所まで戻ってきた。グラウンドを見渡してはみたが姿はみえなくて、もう教室に帰ったのかもと思いかけた時、グラウンドの端の方で一人佇む浅川さんをみつけた。
「浅川さん」
そう声をかけると、浅川さんはびくっと身体を揺らし風のような速さで振り返った。けれど、私の顔をみるなり「ああ、美藤さんか」と安堵の表情を浮かべた。
「なにしてんの」
「花をみてんの。今朝はあんな感じで僕のことを拒絶したのに今度は自分から近づいてくるんだ」
横目にそう言われた。意味が分からなかった。首を傾げぼんやりと浅川さんの顔をみる。すると、「覚えてないの? もしかして」と問われる。頷いた。
「数ヶ月とか数日ならそうなのかなって思ってたけど、数時間でも無理なの」
「無理みたい。全部朝の私の」
そこまで言いかけて口を閉ざした。浅川さんはなんてことないような顔で「でも、ちょっと羨ましいかも」と言った。
「何が?」
「みなくて済むじゃん。このクソみたいな世界を」
グラウンドの端には用務員さんが育てている花壇があり、浅川さんは真っ赤な花弁をひらいているサルビアをみていた。
「ただみてただけ?」
「なんでそんなこと聞くの?」
問いに問いで返され、私は浅川さんの足元を指差した。白い運動靴の下で、赤いサルビアがぐしゃりと潰れてる。
「踏んでるから」
そう言うと、浅川さんは声を出して笑った。あははって笑ってる。けなしたりしてこないんだって、口元を手で隠してる。
「潰してやったの」
蝉の産声がうるさかった。うるさすぎて聞き間違えたのかと思い、「えっ潰す?」と聞いた。
「そう。一本残らず。他のやつもするつもり」
「なんでそんなことするの」
「前にも言ったじゃん。私は、自惚れてるやつが嫌いなの。特別な存在になれるのは一握りなのに中途半端に綺麗な奴は、さも私が特別って顔するじゃん。たとえば、柳井さんの取り巻きたち。あの子たち皆、柳井さんと一緒にいる自分がクラスで一番かわいいって思ってるでしょ?」
分からなくもなかったので曖昧に頷いた。
「自分たちが一番かわいくて、クラスのカースト上位だと思ってる。でも、大したことないじゃん実際。なのにさ自分たちよりも少しでも容姿が劣るような子をみたら見下すの。表では笑顔だよ? でも、内心は嘲笑ってる。私を含めたクラスの端の方にいる女の子たちにさ、自分の気分がいい時だけ髪切ったんだへえーとか、かわいくなった?とか突然言ってきたりすんの。いつもはやりたくない係を押し付けたり、購買にジュースを買いに行かせたりするくせに。あれ、吐き気がすんの私は」
「サルビアもそうってこと?」
「そう。こいつらも。赤い花びらをさ、私美しいでしょって感じでひらいてるし、昼間にみたら色が強すぎてくらくらするの。目障りだった」
浅川さんの向ける眼差しはひどくつめたくて、どこか悲しげだった。彼女を慰めるみたいに夏の淡い風が吹き抜けてボブカットの髪がちいさく揺れた。綺麗な黒髪には天使の輪っかが出来ていて、私は純粋に美しいと思った。みつめていると、目があった。
「なに? もしかしてひいた?」
私はちいさく首を横に振った。
「先生に言う?」
もう一度首を横に振る。男子たちの「パース、パス回せ」という声が鼓膜に触れた。
「じゃあどうすんの?」
「言わないから」
「なに?」
「言わないから、私と友達になって」
他意はない。純粋にそう思って言ったのだ。彼女は以前、柳井さんたちから助けようとしてくれてありがとうと私が伝えた時、それが正しいと思ったからそうしたと言った。たぶんこれも、彼女は正しいと思ってるからやってる。倫理も、他人からの評価も全て無視して、自分の行動を自分で意思決定してる。その馬鹿みたいな清々しさに惚れたのかもしれない。純粋にかっこいいと思ったのだ。彼女は、私にないものを持ってる。だから。
「ねえ浅川さん、私と友達になってよ」
手を差し出した。浅川さんはふっと笑みを溢し、「前もおなじようなこと言われた気がする」と私の手に腕を伸ばした。
