結局私は、女性のライブを最後まで聞き入っていた。
──この曲を最後に午前の部は終了とさせて頂きます。午後はいつも夜の七時から、毎週月曜日と水曜日と金曜日に今と同じ場所で歌っているので良かったら聴きにきてください。あっそうそう、たぶんほとんどの方が私のことなんて知らないと思うので今更だけど挨拶させてください。凪という名前でアーティスト活動をしています。SNSはこちらの看板に書かれている──。
そんな風に女性は言葉を締めくくり、歌い始めた。大半は有名アーティストの曲をカバーしたもので、彼女のオリジナルソングは恐らくほとんど無かったように思うが、それでも特徴的な彼女の声とその透明感は間違いなく唯一無二の存在感を放っていて、私は打ちのめされてしまった。通路に腰を下ろしたまま、気付いたら彼女が機材を直す姿をぼんやりと眺めていた。寸前までいた私の周りにいた人たちは、もう誰もいなくなっていた。帰ろう。腰を上げた時だった。「ねえ、待って」と女性に声をかけられた。振り返ると、ついさっきみたいに目が合う。均整の取れた二重まぶたから伸びる睫毛が長く、恐らくカラコンを入れてるのだろうけど灰色の瞳が凄く綺麗だった。私は次の言葉を待っていたけれど、女性は何も発しない。ただ、私の顔をみつめているだけだ。
「あの、なにか」
「ああ、ごめんね。ライブずっとみてくれてたよね? 良かったら感想聞きたいな。私、まだ人前で歌うことには慣れてなくてさ、歌声とか気持ちとかちゃんと届いてるのかなって」
「凄く良かったです。駅前で歌ってる人ってよくみかけるけど、立ち止まって聞こうと思ったのは初めてです。高校の友達とかにおすすめしたいくらい」
「嬉しいな、そんな風に思ってくれたんだ。えってか待って、あなたって高校生?」
問われ、ちいさく頷いた。
「そうです。今、高二で今年十七歳」
「十七?」
突然女性の声が高くなる。びっくりしていると、「私も十七なの。じゃあ、タメだね」と手を握ってきた。いくら同性とはいえ、初対面の私の手を握ってくるなんて。かなり距離感が近い人なのかもしれない。
「ってかさ今日学校は? 休み?」
答えるべきかどうか迷ったが初対面のましてや赤の他人に知られたところで害はないかと思い、今日あった出来事を掻い摘んで話した。女性は寸前まで張り付けていた笑みを途端に曇らせ「なんだそいつら。吐き気がするね」と続けた。
「皆さ、みたいものしかみないんだよ。この世界は綺麗でうつくしいものだって信じて疑わない。自分の目にはその景色しか映ってないから。現実は違うのにね」
「私も、そう思います」
頷くと、今度はからっと笑った。まるで突如として夕立が降り止んだみたいで、ころころと表情が変わる。つい数秒前までは眉間に皺を寄せ、女性の灰色の瞳の美しさに少し恐怖すら感じたのに。そんなことをぼんやり考えていると、「なに? まだクラスメイト達と喧嘩したこと気にしてる感じ? そんなの時が解決してくれるから気にしてもしょうがないっしょ?」と肩を叩かれた。
「いや、別に気にはしてないです。私は私の意見を言ったまでなんで」
「そう、それでいいよ。面白いねあんた。気に入った」
あんた。互いを罵りあうような言いあい以外でそんな風に呼ばれたことは初めてで、思わず繰り返してしまう。
「私、凪。あんたの名前は?」
「私の名前は、美藤路花です」
「みち、か?」
「変な名前かもなんですけど、道路の路に花でみちかって読むんです」
「へー綺麗な名前だね。ってかさ、タメなんだから敬語やめてよ。私なんかずっとタメ口だしさ。じゃあ、よろしくね路花」
彼女の白く細い腕が目の前に差し出される。一瞬、その手をぼんやりと眺め、今になってようやく気付いた。彼女と話している間、私は自分のなかにある怒りを一切感じなかったのだ。不思議だった。こんな事は初めてだった。差し出された手に組み合わさるように自分の手を持ち上げた時、どこからか正午を告げるチャイムの音が聴こえた。
──この曲を最後に午前の部は終了とさせて頂きます。午後はいつも夜の七時から、毎週月曜日と水曜日と金曜日に今と同じ場所で歌っているので良かったら聴きにきてください。あっそうそう、たぶんほとんどの方が私のことなんて知らないと思うので今更だけど挨拶させてください。凪という名前でアーティスト活動をしています。SNSはこちらの看板に書かれている──。
そんな風に女性は言葉を締めくくり、歌い始めた。大半は有名アーティストの曲をカバーしたもので、彼女のオリジナルソングは恐らくほとんど無かったように思うが、それでも特徴的な彼女の声とその透明感は間違いなく唯一無二の存在感を放っていて、私は打ちのめされてしまった。通路に腰を下ろしたまま、気付いたら彼女が機材を直す姿をぼんやりと眺めていた。寸前までいた私の周りにいた人たちは、もう誰もいなくなっていた。帰ろう。腰を上げた時だった。「ねえ、待って」と女性に声をかけられた。振り返ると、ついさっきみたいに目が合う。均整の取れた二重まぶたから伸びる睫毛が長く、恐らくカラコンを入れてるのだろうけど灰色の瞳が凄く綺麗だった。私は次の言葉を待っていたけれど、女性は何も発しない。ただ、私の顔をみつめているだけだ。
「あの、なにか」
「ああ、ごめんね。ライブずっとみてくれてたよね? 良かったら感想聞きたいな。私、まだ人前で歌うことには慣れてなくてさ、歌声とか気持ちとかちゃんと届いてるのかなって」
「凄く良かったです。駅前で歌ってる人ってよくみかけるけど、立ち止まって聞こうと思ったのは初めてです。高校の友達とかにおすすめしたいくらい」
「嬉しいな、そんな風に思ってくれたんだ。えってか待って、あなたって高校生?」
問われ、ちいさく頷いた。
「そうです。今、高二で今年十七歳」
「十七?」
突然女性の声が高くなる。びっくりしていると、「私も十七なの。じゃあ、タメだね」と手を握ってきた。いくら同性とはいえ、初対面の私の手を握ってくるなんて。かなり距離感が近い人なのかもしれない。
「ってかさ今日学校は? 休み?」
答えるべきかどうか迷ったが初対面のましてや赤の他人に知られたところで害はないかと思い、今日あった出来事を掻い摘んで話した。女性は寸前まで張り付けていた笑みを途端に曇らせ「なんだそいつら。吐き気がするね」と続けた。
「皆さ、みたいものしかみないんだよ。この世界は綺麗でうつくしいものだって信じて疑わない。自分の目にはその景色しか映ってないから。現実は違うのにね」
「私も、そう思います」
頷くと、今度はからっと笑った。まるで突如として夕立が降り止んだみたいで、ころころと表情が変わる。つい数秒前までは眉間に皺を寄せ、女性の灰色の瞳の美しさに少し恐怖すら感じたのに。そんなことをぼんやり考えていると、「なに? まだクラスメイト達と喧嘩したこと気にしてる感じ? そんなの時が解決してくれるから気にしてもしょうがないっしょ?」と肩を叩かれた。
「いや、別に気にはしてないです。私は私の意見を言ったまでなんで」
「そう、それでいいよ。面白いねあんた。気に入った」
あんた。互いを罵りあうような言いあい以外でそんな風に呼ばれたことは初めてで、思わず繰り返してしまう。
「私、凪。あんたの名前は?」
「私の名前は、美藤路花です」
「みち、か?」
「変な名前かもなんですけど、道路の路に花でみちかって読むんです」
「へー綺麗な名前だね。ってかさ、タメなんだから敬語やめてよ。私なんかずっとタメ口だしさ。じゃあ、よろしくね路花」
彼女の白く細い腕が目の前に差し出される。一瞬、その手をぼんやりと眺め、今になってようやく気付いた。彼女と話している間、私は自分のなかにある怒りを一切感じなかったのだ。不思議だった。こんな事は初めてだった。差し出された手に組み合わさるように自分の手を持ち上げた時、どこからか正午を告げるチャイムの音が聴こえた。
