透明に堕ちるわたしの輪郭

 どれくらい走っただろうか。学校を出てからというもの、途中何度か息が上がって足を止めながらも普段はバスで通り過ぎる駅まで走り続けた。鞄から下げている透明なガラス玉が時折手に当たりうっとおしかった。駅前にある花時計の傍のベンチに腰を下ろした。頭上からは痛い程に強い日差しが降り注ぎ、周りにある街路樹からはけたたましく鳴く蝉の産声が鼓膜に触れる。

「あーくそぉっ!!」

 無意識に声を張り上げた時、通りがかったスーツ姿のサラリーマンにぎょっとした目でみられた。その視線が足先へと流れていった瞬間舌打ちをした。自分の周りにある全てが疎ましく思った。消えろ。消えろ。こんな世界、全部消えてなくなってしまえばいい。胸のなかで叫び声をあげ、顔をあげた。青い空とちぎれた雲。夏の白いひかりに目を焼かれた。一瞬立ち眩みがして、ベンチの手すりに手をやる。もう帰ろうか。目の前にある駅をみながらそう思いかけて、いやと立ち上がった。駅を通り抜け、更に歩みを進めた。

 私のなかにはずっと強い怒りがある。あまりにもそれが大きすぎて、私は、私の力では制御することが出来ない。まるで私のなかに私以外のもう一つの心臓があって、そいつが脈を打つようにどっ、どっ、と怒りを送り出し、頭の中に押し寄せてきているみたいだった。

 駅を抜けてすぐに閑静な住宅街に入り、ちょうど目の前の家からお父さんとお母さんに手を繋がれた、きゃっきゃっと笑うちいさな女の子が出てきた。赤いTシャツを着て、黄色い帽子を被ってる。二人のちょうど真ん中にいる女の子は、お母さんとお父さんの顔を交互に見上げ、今の自分の姿って可愛いでしょと言わんばかりに軽やかに歩いてる。今から買い物にでも行くのだろうか。歩みを進める度に女の子との距離が近くなる。一瞬目があった。くりくりとした大きな目。黒目と白目の境目がくっきりとした、汚れのない目だった。たぶん、自分が幸せであることを何一つ疑っていない。一分先も、明日も、その一年先も自分はずっと幸せで、もしかしたら自分やその周りに不幸が降りかかるなんて考えてもいないからこその澄んだ目。まだ身体もちいさな女の子なのだからそれは当然だろうと言われればそうなのかもしれないが、彼女のように今目の前にみえているものが世界の全てだと捉えられるような、まっさらで綺麗な心がうらやましくなった。

 私もあれくらい小さかった時はそうだったのだろうか。彼女とすれ違い、思う。まっさらで綺麗な心で、思いやりに満ちた、先生が言っていたような少女だったのだろうか。飼っていた魚が死ねば悲しみ涙を溢し、それを水槽から掬い上げてから丁寧に土をかけ庭先に埋めてあげる。そこまで一通りこなしたうえで、更にはらりと涙を溢す。もし私がそんな少女だったら、平井さんや柳井さんと言い合うことも無かったのだろうか。そこまで考えて、いや、と思う。私は私の為にしか生きたくない。誰かの思想や色に染まるような人生なら捨てた方がましだ。私は私なのだ。

 住宅街を抜けると、最近補整されたばかりの真新しくなったアーケードが目立つ商店街がみえてくる。シャッターが降りた店がほとんどだが、それでもお魚屋さんや、野菜屋さん、カフェなどは既に開いていて、店先には買い物かごをさげた女の人たちがいた。大通りに出た途端人通りが増えてきて、小魚の群れみたいにまばらに伸びる直線が建物に吸い込まれていくのがみえた。それは駅だった。掛けられている時計に目をやって思わずため息をつく。学校を出たのが九時ごろだとするともう二時間も歩いている。さすがにもう歩けない。足が棒みたいになってる。ここから電車に乗って家に帰ろう。学校にいた頃よりは幾分頭も冷えた。もう十分だ。そう思い、足を前へと進めた。