砂糖は多めでお願いします。

「悪かったな。片づけまでさせて」

 リビングでお茶を飲みながら話しているうちに夜九時を過ぎて、佐倉が帰る時間になった。腹がいっぱいのせいか、駅まで続く道を歩くふたりの足取りは重い。

「洗い物はお菓子作りで慣れてるからね。大したことないよ」

 食器を洗うのは、我が家で俺の仕事なのだが、佐倉が手伝ってくれたお陰で早く終わった。母がそんなことしなくていいと佐倉を止めても、「美味しい食事をごちそうになったんですから、これくらいさせてください」と笑顔で押し通していた。

「そうか。でも、気を使っただろ。疲れたんじゃないか?」
「ううん、すごく楽しかったよ。みんな塩屋の家族って感じだったし」
「なんだ、それ」
「塩屋はお母さん似だね。でも、雰囲気はお父さんに似てる」
「よく言われる」
「お父さんとはあんまり話せなかったな」
「俺も普段からあんまり話さないぞ。俺に似て口数が少ないんだ」

 母と妹は佐倉をすっかり気に入ったようだ。父はいつもどおりほとんど喋らなかったが、佐倉に好意的だとわかった。

「塩屋に似たんじゃなくて、塩屋が似たんでしょ。……塩屋が口数少ないって印象もないけどね」

 言われてみれば、佐倉といっしょのときはよく喋っているかもしれない。ほかの相手だと黙り込むほうが多いのに。たまに会話が途切れることがあっても、無言の気まずさはなかった。

「でも、また来なさい、ってお父さんに言ってもらえたし」
「次はぜひ泊りで、って母さんも言ってたな」
「うーん、泊まりはちょっと……」
「いやなら断っていいんだぞ」
「いやってわけじゃないんだけど、塩屋と同じ部屋で寝て、オレの理性が持つかなって」
「理性?」
「塩屋の部屋、すごく塩屋の匂いするんだもん」
「……悪い、そんなに臭かったか」

 ちょっと、いやかなりショックだ。思わず襟元を引っ張って服の匂いを嗅いでいると、「違うよ」と佐倉に否定されてほっとした。

「むしろいい匂い」

 佐倉のほうが、よほどいい匂いがする。甘いお菓子みたいな匂いだ。

「塩屋はいいの? オレが泊まっても」
「べつにかまわないけど?」

 食事の時間以外、ほとんど俺の部屋で過ごした。塩屋が泊まったとしても、大した違いはないように思う。

「オレ、塩屋の彼氏なんだよ」
「彼氏のふり、だろ」

 思わずまわりを見回してしまった。
 土曜の夜、住宅街の狭い道はときどき車や自転車が通るものの、近くに歩いているひとはいない。

 俺の返事を聞いて、佐倉は「はあーっ」と深いため息を吐き出した。

「うん、意識されてないのはよくわかった」

 意識もなにも実際はふりなのだから、佐倉を彼氏だと認識しているはずがない。

「とりあえず、泊りはなしで」
「わかった。じゃあ、飯だけって伝えとく。リクエストあれば考えておけよ」
「うん、ありがと」

 だんだんと駅が近くなってきて、車通りや歩いているひとも増えてきた。あと五分ほどで駅に着く。着いてしまう。

「ねえ、塩屋」
「なあ、佐倉」

 互いに呼びかける声が重なった。ふたりで顔を見合わせ、笑い出した佐倉につられて俺も笑った。

「なに? お先にどうぞ」
「いや、佐倉から言ってくれ」

 俺のほうは大した話じゃない。中間テストが終わったら、いつもは手が出ない高いスイーツでも食べに行こうと誘うつもりだった。食事でもいい。

 うーん、とうなりながら言うのをためらうように佐倉が視線をさ迷わせる。

「塩屋がよかったらなんだけど、明日も会わない? 今度こそ、オレんちで。図書館でもいいけど、あんまり喋れないでしょ」
「佐倉はいいのか? 俺に教えながらだと自分の勉強が進まないだろ」
「平気だよ。だいたい、塩屋って言うほど教えることないじゃん。基礎はしっかり理解してるし。ひとりだとお菓子作りしちゃいそうだから、見張っててよ」
「そういうことなら、おまえんちに行くよ。……そうだ、手土産の相談に乗ってくれないか?」
「手土産なんていらないって。両親も昼間はいないから、本当に気を使わないでほしい。今日だってお土産までいっぱいもらっちゃったし、これ以上もらうわけにはいかないでしょ」

 佐倉が手に提げている紙袋には、うちの母が作った総菜のタッパーがいくつも入っている。
 母が帰りがけ佐倉に渡したものだが、俺が材料費を一部負担した件を母が明かしてしまったのは予想外だった。佐倉には言わないでほしいと念を押しておいたのに。

「ありがとね。塩屋の気持ち、すっごくうれしかった」

 街灯に照らされた佐倉の顔には、満面の笑みが浮かんでいた。いつもより子どもっぽくて、どこか犬にも似ている笑顔から視線が離せなくなる。

「それから、これ今日のお菓子ね。塩屋の分だけしかないからこっそり食べて」

 渡された袋には四角いクッキーが詰まっていた。相変わらず、きれいにラッピングしてある。

「塩屋の気持ちはうれしいけど、お返しとか考えなくていいんだからね。これはオレが自分のためにやってることなんだから。お菓子渡しづらくなっちゃうよ」
「わかった。だったら、おまえもときどきうちに来て飯を食えよ」
「だから、お返しなんてしなくていいんだって。塩屋に余計なお金使わせたくないの。自分のことに使えって言ったの塩屋でしょ」
「俺だって、自分のために使ってる」

 そう言うと、佐倉は怪訝そうな顔で立ち止まった。

「俺は、おまえがひとりで飯を食ってると思ったら、いやな気持ちになるんだ」

 はじめて佐倉といっしょに昼休みを過ごしたとき、ひとりのごはんは味気ない、と言った佐倉は、どこかさみしそうな顔をしていた。
 佐倉が、あんな顔をしてひとりで食事をしているのを想像したら、たまらない気持ちになった。

「毎日昼も夜もいっしょに、とはいかないけど……せめて、学校で会えない休みの日くらいは俺と飯を食えばいい」

 目を見開いたまま、佐倉は固まっていた。

 引かれたかもしれない。佐倉から相談されたわけでもないのに、確認もしないで、勝手な押しつけだった。佐倉の強引さを、俺は少しも笑えない。

「わ……悪い。おまえの気持ちも聞かないで勝手なこと言った。気分を悪くさせたならあやま――」

 途中で声が引っ込んだ。突然、佐倉に抱きしめられたせいだ。

「――オレも、塩屋とごはん食べたい」

 身体の中から絞り出されたような、切実な声が耳元に落ちる。俺の身体を抱きしめる手に、ぎゅっと力がこもった。

「塩屋はどれだけオレを甘やかしたら気が済むの? どれだけオレをよろこばせたいの? 毎日いっしょにごはん食べたいなんて、もうプロポーズじゃん」
「……プロ……っ? そうは言ってないだろ」
「同じ意味でしょ。ものすごく塩屋の愛を感じた」
「おかしなこと言うな。だいたい――」

 ――俺たちはつきあってさえいないだろ。

 とっさに続くことばを飲み込んだのは、夕食のとき頭をよぎったことを思い出したからだ。
 佐倉と恋人同士のふりをするのは、どちらかに好きなひとができるまでだと決まっている。

 ……佐倉に好きな相手ができて恋人同士のふりをやめたらどうなるんだ?

 佐倉の好きな相手が誤解しないよう、本物の恋人同士でなかったことを打ち明けるにしても、俺は佐倉と距離を置かなければならないはずだ。
 恋人と友達の線引きがわからない。スイーツ巡りもできなくなるかもしれない。ふたりだけの昼食どころか、いっしょに登下校することもなくなるかもしれない。

 ……きっと、いまみたいにはいっしょにいられない。

 浮かんだ考えを、頭を振って無理やり掻き消した。いつやってくるかわからない未来を想像して悲観的になってもしかたない。そんなことを考えるのは、佐倉に好きな相手ができてからでいい。

「……塩屋?」

 俺の身体をそっと離し、佐倉が顔を覗き込んでくる。

「中間終わったら、奮発して少し高いもの食いに行こう」

 佐倉に好きな相手ができるまでは、友達として佐倉と過ごす時間を楽しむだけだ。