砂糖は多めでお願いします。

「おじゃましまーす」

 小声で言いながら、佐倉がドアの中に入ってくる。その顔が緊張でこわばっているのを見て、思わず笑ってしまった。

「そんなに緊張する必要はないぞ。うちの家族はみんな午後にならないと帰ってこないって言っただろ」
「わかってるけどさあ……友達の家なんて小学校以来だし」

 土曜日の午前九時。最寄駅で佐倉と待ち合わせ、移動した先は俺の家だった。

 いっしょに勉強する場所を図書館ではなく俺の家にしようと提案したとき、佐倉は「だったらオレんちにしようよ」と言った。勉強だけなら佐倉の家でもかまわないのだが、それでは俺の計画が実行できない。「家の近くに行きたい店があるから」と、やや強引な理由で佐倉を説得し、今日に至った。

「あ、これ先に渡しとくね。フルーツゼリーだから甘いもの苦手な妹ちゃんでもたぶん食べられると思う」
「おまえな、気を使わなくていいって言っただろ」

 紙袋は有名な洋菓子店のものだった。俺には手が出せないほどの値段がしたはずだ。

「オレがあげたかったの。……俺にだって、塩屋の家族によく見られたいって気持ちくらいあるし」

 佐倉の格好が普段よりも全体的におとなしい雰囲気に感じたのは、そういう理由があったらしい。
 いつもあちこちにアクセサリーを身につけている佐倉が、今日はなにもつけていなかった。着ている服も、濃いグレーのシャツと同色のワイドパンツ。インナーは白いTシャツと、いたってシンプルだ。
 結局、顔が派手でスタイルがいいので、目立つことには変わりないのだが。

「そういうもんか?」
「そういうもんなの」

 冷蔵庫にゼリーをしまったあと、佐倉を二階の自室に連れていった。うちは一戸建てで、二階には両親の寝室のほかに俺と妹の部屋がそれぞれある。

 俺の部屋に置かれているのは、ベッド、机と椅子、本棚、そしてローテーブルだけだ。テレビはなく、ゲームの類もない。部屋の大きさは六畳なのでそれほど広くないが、物が少ないので若干広く感じるかもしれない。

「へえー、これが塩屋の部屋か」

 佐倉は興味深そうな顔できょろきょろと室内を見回している。

「なにも面白いものはないだろ」
「えー、面白いよ。本棚見ていい?」

 本棚に詰まっているのは、ほとんどがスイーツ関係の本だ。

「あとにしろ。勉強しに来たんだろ」
「はーい」

 正方形のローテーブルを挟んで向かい合って床に座り、それぞれ教科書やノートを広げた。集中できるよう一時間ごとに教科を変え、あいだに休憩を挟みながら進めていくやり方を事前に決めていた。

 他人の家が落ち着かないのか、最初はそわそわしていた佐倉も、勉強がはじまればすぐに集中していた。しばらく家では勉強していなかったと言っていたくせに、すらすらと問題を解いている。
 その上、俺の手が止まるたびに「どうしたの?」と聞いてきて、俺が理解できるまで丁寧に教えてくれた。

「おまえがモテるのもわかる気がするな」
「え? なに、急に……オレにときめいたってこと?」

 期待と戸惑いの混じった瞳に見つめられて、余計なことを言ったと気づいた。完全に口がすべった。

「なんでそうなるんだ」
「塩屋は、なんでオレがモテるのわかるって思ったの?」

 茶色い瞳の中で、期待が膨らんでいた。
 佐倉の目を見続けていると、どうしてかだんだんと落ち着かない気持ちになってくる。とっさに視線を外してしまった。

「塩屋、こっち見てよ」

 向かいから俺の隣に移動してきた佐倉が、服の袖を引っ張ってくる。

「教えてくれないと、気になって勉強に集中できないんだけど」

 俺だって集中できていない。問題の続きを解こうとしても、頭がまったく働かない。

「教えて、塩屋。お願い」

 ……出たな、お願い。

 どうしてか、俺はこいつの「お願い」に弱い。

 深いため息を吐き出し、佐倉のほうへと顔を向ける。面白がって笑っていると思っていたのに、佐倉は意外にもまじめな顔をしていた。

「……勉強を教えるのが上手いと思った」

 相手が理解できるようにわかりやすく噛み砕いて教えるなんて、だれにでもできることじゃない。

「……それだけ?」
「あとは……気遣いもできる」

 今日の手土産もそうだが、飲食店でメニューをさりげなく相手の読みやすい向きで置いたり、セルフサービスの水を俺の分も取ってきてくれたり。俺はそういった気遣いが自然にできないのですごいと思っている。

「あとは?」
「笑うと、犬みたいだ」
「ふっ……それ、モテるのと関係ある? かわいいってこと?」

 犬みたいで、妙に甘やかしてやりたくなるから困る。茶色のやわらかそうな髪を、思い切り撫で回したくなるから困る。

「かっこいいとは思わない?」
「自分で言うか?」
「だって、かわいいよりかっこいいって思われたいじゃん」
「きれいな顔してるな、とは思ってる」
「きれいかあ……」

 不満そうな顔だった。ケーキ屋ではじめてまともに話をしたとき、佐倉が俺みたいな顔になりたいと言っていたのを思い出した。

「あとは?」
「これはかなり大事なことだが……」
「うん」

 佐倉の息を飲む音が聞こえた。

「美味いお菓子を作れる」

 これは自信を持って言える佐倉の魅力だ。佐倉本人も自信を持つべきだ。
 それなのに、佐倉はがっくりと肩を落としていた。その様子だとまだ自信がついていないようだ。もっと語彙を増やして、上手く褒められるようにしなければ。

「うわ、期待して損しちゃった。本当、塩屋はブレないね。うれしいけど、なんか複雑」
「どうして複雑なんだ?」
「オレよりお菓子がメインっぽいから」
「意味がわからないな」
「もういいよ。ほかには?」
「あとは……」

 お菓子作りが得意で、甘いものが好き。作り物のように整った顔をしていて、スタイルがよくて、おしゃれで、清潔感があって、なんだか甘くていい匂いがする。澄ました顔はきれいすぎてどこか冷たく感じるのに、笑うと途端に人懐っこくなって、甘えるのが上手い。

 強引なところもあるが、無理な要求はしてこない。むしろ俺に合わせてくれることのほうが多い。それから、勉強を教えるのが上手くて、気遣いができる。

 佐倉のそばは、思ったよりもずっと居心地がよかった。

 それは――

「おまえは、やさしい」

 佐倉がやさしいからだ。

 驚きに目を見開いた佐倉が、目を細めてやわらかく笑う。

「そこで笑うとか反則でしょ」

 どうやら俺は笑っていたらしい。

「オレはだれにでもやさしいわけじゃないよ。塩屋だからやさしくしたいと思うんだよ」

 そう言って、塩屋が俺の顔に手を伸ばしてくる。こちらに向けられた笑みと声がいつもより甘く感じられて、視線を逸らせなかった。

「オレは、塩屋が――」

 ゆっくりと近づいてきた指先が頬に触れる直前だった。突然鳴り響いたアラームの音に、弾かれるようにして佐倉が離れていった。