素直になってよ、神崎くん

 ああ、今日も顔がいい……っ!

 前の席に座るクラスメート・菅野(かんの)(れい)をこっそりと見つめながら、俺は心の中でそう叫んだ。もちろん、顔に出したりなんてしない。

 菅野玲。高身長イケメンで、サッカー部のエースで、しかも学年でもトップレベルの成績の良さを誇る完璧超人。
 当然、学校で一番モテる男であり、校内には彼のファンクラブが存在するほど。

 しかし、俺――神崎(かんざき)蒼汰(そうた)は、菅野のファンクラブには入っていない。

 冴えない陰キャの男が菅野のファンクラブになんて入れるわけがないからだ。

 そもそもファンクラブの中心である女子達に拒否されるだろうし、男の俺がオタクだなんて知ったら、菅野だって引くだろう。

 だから、眺めているだけでいい。それだけで幸せだ。
 そもそもオタクとはそういうものである。推しの幸せを祈り、遠くからひたすら推しを見つめることこそがオタク道。本人に絡んで、迷惑をかけてはいけない。

 今日も俺は、菅野の後ろの席になった幸運に感謝しながら生きる。
 約一ヶ月後の席替えまでの間、とにかく菅野の後ろ姿を目に焼きつけておこう。

 改めてそう決めた瞬間、菅野がいきなり振り返った。

「ひっ……!?」
「なーに、その声。神崎くん、もしかして居眠りでもしてた?」

 菅野が首を傾げると、柔らかそうな明るい茶髪が揺れる。ふわりと香るいい匂いは、美容室でしか買えないヘアオイルのものらしい。ファンクラブの女子が尋ねているところを盗み聞きしたから知っている。

 シャーペンが五本は乗りそうなほど長い睫毛、高い鼻、少しだけ薄めの唇。

 マジで、格好良すぎるだろ……っ!

 なんて気持ちは微塵も顔に出さず、にやけそうになるのを必死に我慢し、なんなら俯いて前髪で顔を隠しつつ、ゆっくりと返事をする。

「しょっ、そ、そう。ちょっと寝不足で、寝てて……。だっ、だからその、菅野が振り向いた音にびっくりしただけで」

 やばい。めちゃくちゃ噛んだ。

「振り向いた音って。俺、そんなに仰々しい音出して振り向いてた?」

 え!? 会話続くわけ!?

 驚きのあまり声が出なくなった瞬間、ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴り、担任が教室に入ってきた。

 救われたような、残念なような……。

 なにはともあれ、今日も俺のオタクっぷりは隠せたはず……だと思いたい。





「いやあ、今日も大盛況だな、菅野の周りは」

 昼休みになると、菅野の席の周りには女子の群れができる。それを避難するように、友人である亮也(りょうや)の席近くへ移動するのはいつものことだ。

 亮也とは中学からの付き合いで、俺が菅野オタクであることを知るたった二人の人物のうちの一人である。ちなみに、もう一人は妹だ。

「……だな」
「残念か? せっかく席が近いのに、昼飯も一緒に食えないなんて」
「馬鹿言え。緊張でなにも胃に入らないだろ。遠くから見てるだけでいいんだよ見てるだけで」

 小声で返し、弁当を食べながら女子に囲まれた菅野を必死に見ようとする。
 身長は高いが座高は低いせいで、女子に囲まれているとよく見えない。
 しかし、どれだけ見にくくても、推しを見ようと必死になるのがオタクである。

「ねえ、菅野くん、これ食べて! 駅前のサンドウィッチ屋さんで朝買ってきたの!」
「菅野くん、私はこれ、駅のお弁当屋さんで買ってきたの。美味しいって評判だし、栄養価も高いんだって!」
「これはね、期間限定のスイーツで……」

 と、いつも通り、女子達が菅野への貢物を始める。
 菅野は弁当を持参せず購買で昼食を買うか学食で済ませることがほとんどだから、食べ物でアピールしようとする女子は多いのだ。

「そんなにもらったら悪いし、みんなが食べて」

 しかし、菅野が女子達から食料を受け取ることはあまりない。
 えー、といつものように女子達が不満の声を漏らした。

「もらっときゃいいのにな」

 と、亮也がぼそりと呟く。

「菅野はパンより米派だし、甘い物はあんまり食べないんだよ。あと玄米は苦手だからあの弁当も無理」
「へえ、よく知ってるね、俺のこと」

 いきなり聞こえてきた声に驚いて立ち上がる。ガシャン、と音を立てて椅子が後ろに倒れた。

「かっ、菅野……っ!?」
「うん、菅野だけど」

 どうやら、食堂へ行くために席を立ったところらしい。完全に油断していた。

 まずい。今の会話聞かれたよな……!?

「神崎くんって、俺に詳しいんだね。もしかして俺のファンだったりする?」
「はあっ!? ちっ、ちがっ、違うから、えーっと、その、あれだ、えーっと……!」

 まずい。菅野のファンだということがバレてドン引きされたら生きていけない。
 お近づきになりたい! なんて大それた野望は持っていないが、推しに嫌われるのだけは嫌だ。

 頭をフル回転させ、俺はとっさに嘘をついた。

「いっ! 妹! 一個下の妹が菅野のファンで、家でよく喋ってるから覚えただけっ!」
「なるほど。じゃあ、神崎くんは俺に興味ないんだ?」
「なっ、ない! 全然! ちっとも! 微塵も!」
「……クラスメートとして、多少は興味持っててほしかったけど」

 菅野が一瞬、寂しそうな顔をした。そんな顔をされると胸が痛む。

「まあでも、じゃあ、神崎くんにお願いしようかな」

 急に明るい表情になった菅野が、いきなり俺の手を掴んだ。

 手、大きい……てっ、てか、菅野が俺を触ってる!?

 鼓動が速くなって、全身が熱くなる。必死に俯いて顔を隠したが、腕の震えは全くおさまってくれない。

「ねえ、神崎くん」
「なっ、なんだよ……」

 菅野がさらに近づいてきて、俺の耳元に口を寄せた。そして、囁くように小声で言う。

「俺のお世話係になってよ」
「……はっ?」

 ――という、推しからの提案によって、俺の日常は大きく変わっていくのだった。