僕らは正しい答えを見逃したようです。第一巻

8
 4月5日火曜。パンドラ高校1年D組。

「紫木。」
「どうした?」
「眼鏡。」

 朝どれだけ慌てたら、眼鏡を上下逆のまま出てこられるんだよ。

「えっ!? なんで……恥ずかしい……」

 うん、恥ずかしいよな。というわけで皆さん、出かける前は鏡で最終確認をしましょう。

 今日も授業はまだ本格的には進まず、先生の自己紹介や軽い説明が中心だった。午後に昨日と同じ科目で少し進んだくらいで、気づけばもう放課後だった。

「よっ。」
 ん? 珍しいな。
 ……いや、そもそも僕に話しかけてくる人なんてほとんどいないんだから、珍しいも何もないか。

「どうした、高木くん?」
「おっ、こっそり見てたのか?ちゃんと名前覚えてるじゃん。」
「バスケ好きって言ってた人、あんまりいなかったし。」

 思ってた返事と違ったらしく、高木は少し眉をひそめた。

「バスケ?野球キャラと思ってたな。昨日、グラウンドの横でずっと見てたし。なんで降りてこなかったんだ?」

 君も僕をこっそり見てたのか。

「一年って、高木くん以外みんな落ちたんじゃなかったの?」

 あとから考えれば、あの実力差はたぶん入部テストで、高木だけ受かったんだと思っていた。だから先輩たちと練習していたんだと。
 けど、高木がもう一度眉をひそめた。

「落とされた?いや。入りたい人は誰でも入れるよ。ただ、俺のほうが強いから先輩たちと練習してただけ。」
「なるほど。」

 ずいぶん自信だな。

「とりあえず来てみれば?やるかどうかはそのあとでいいし。どうせ暇なんだろ?」

 くそ、なんで分かるんだ。そんなにぼっち感出てたのか、僕。

「まあ、行ってもいいけど。」
「よ~し、決まり。行こうぜ。望月と加《か》藤《とう》、もう外で待ってるから。」

 何だって? そんなうまい話あるか。
 窓の外を見ると、たしかに望月と黒髪の女子がいた。

「まったく、大事なことは先に言えよ!」
「Oh~no~、そこが大事だったのかよ。しょうがないな。じゃ、早く来いよ。俺は先に行くから。」

 変なしゃべり方だな。
 高木が出ていったあと、背中に妙な寒気が走った。

「ど……どうした?」

 振り向くと、紫木は慌てて参考書に視線を落とした。今の、睨まれてたか?

「さすが羽冬くんですね。大人気で、まるで有名人です。」

 なんで急に敬語なんだ。その評価もよく分からない。

「今日クラスでまともに話したの、君とさっきの高木くらいなんだけど。」

 言ってて気づいた。僕、ほんとにぼっちだな。

「あの二人も羽冬くんを待ってたんでしょう?大人気大人気~」
 ……煽ってるのか?

―「たぶんナンパのつもりだったんだろうけど、ありがとう、羽冬くん。」
  
 あんなこと言ってたくらいだし……

「妬いてる?」

 その一言で、紫木はさっきまでの勉強モードを一瞬で捨てた。

「誰があんたなんかに妬くのよ、羽冬夜良!さっさと野球場に行け!」

 やっぱり怒った。ペンを持ったまま机まで叩いてる。インク、無事だといいけど。
 それと、さっきの音で教室に残ってた何人かがこっちを見たことに、紫木は気づいてるんだろうか。

「冗談だって。怒るなよ。」
「そういう冗談、やめて。」

 そう言って、また勉強に戻った。

「はいはい。じゃ、また明日。」
「また明日。」

 声はもう落ち着いていた。どうやら収まったらしい。
 教室を出ると、三人はもう待っていた。

「待たせたな。行くか。」

 野球場へ向かう途中、高木が言った。

「さっきのは、カップルケンカ?」

 質問そのものはいいとして、主語に妙な悪意があった。

「そう見えたか?」
「羽冬くん!昨日どうして名前を間違えたって教えてくれなかったの!?さっき高木くんに聞いてやっと気づいたの!」

 望月、その無邪気な笑顔を一生守りたい――って、危ない危ない。
 ええと、今の話は……そうそう、たぶんさっき紫木が「羽冬夜良」って叫んだから気づいたんだな。

「だって、言ったら気まずいかなって思ったし~。じゃあ飲み物一本で許してあげるよ。」
「いいよ!絶対おごる!」

 ついでに、加藤にも話を振った。

「羽冬夜良。この二人と同じのD組。そっちは?」
「加《か》藤《とう》奈《な》子《こ》。G組。」

 加藤は一度こっちを見ただけで、また前を向いた。

「……」
「……」

 え、終わり?
 さっきまで高木や望月とは普通に話してたのに。僕が空気壊したか?

 歩きながら、さっきの紫木の反応を思い出した。けど、途中で考えるのをやめた。

 さすがに反応が大きすぎる。たった二日で妬くなんてあるのか?僕は、ヒロや風みたいに、自然に女子を惹きつける人じゃない。
 だって僕は、ただの普通の人だ。見た目も能力も普通。少し軽口を叩いたくらいで、誰かに好かれるような人じゃない。実際、今まで一度もなかった。
 だったら紫木は、ただ友達として「軽薄すぎる」って注意しようとして、少し感情的になっただけなんだろう。まあ、本人も平気でナンパとか言うけど。

 他人がどう思ってるかなんて、いちいち気にしたくないし、気にしきれない。知り合ったばかりの大して重要でもない相手より、今僕はただ、自分が少しでも楽に過ごせればそれでいい。