僕らは正しい答えを見逃したようです。第一巻

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 4月4日月曜の朝、パンドラ高校の講堂。

「我がパンドラ高校は、創立五年で神奈川県内一の難関大進学率を誇る学校となり、今もそれを保っています。」

 入学式、今は校長の挨拶中だ。

「ここにいる皆さんは、各中学から集まった優秀な生徒です。皆さんは、優等生としての輝きを持っています。」
「これほど多くの星が集まれば、以前ほどまぶしく光れなくなる人もいるかもしれません。」
「ですが、校長として皆さんに伝えたいのは、今も輝く人も、そうでない人も、皆さんは神奈川屈指の優秀な生徒であり、パンドラが誇る生徒です。」

 会場に拍手が響く。もっとも、大半は周りにつられているだけだろう。
 優等生の輝き、か。僕にとっては、あってもなくてもいい。

―「ヨルには、新しい場所でちゃんとやり直して、心から笑えるようになってほしい。」

 ……よし、気を取り直そう。どこまでできるかは分からないけど、夢ちゃんの期待にはできる限り応えたい。
 それ抜きでも、高校生活には期待している。知らない顔ばかり見ていると、ツネたちといる時とは違う、生まれ変わったような気分になる。

 だってここには、僕の過去を知る人がいない。

 じゃあ、どうすればあの陰気さを抜け出せるのか。昨夜ずっと考えたが、明るい自分は想像できなかった。だから身近な人を手本にすることにした。思い浮かぶのは、いつも胡散臭く笑うヒロとツネ。二人の行動パターンを思い返してみると、要するに――

 毒舌、ツッコミ、それから女子と話すこと。

 別に難しくはない。ヒロたちといる時だってできていたし、さっきD組でも気になる可愛い子を何人か見つけたし、女子と話すのも問題ない。よし、この学校で一歩ずつ、自分だけのハーレムを築こう、羽冬夜良!

 なんてね。彼女いない歴イコール年齢の僕には、一人でも好きになってくれる子がいれば十分だ。

 ん?女子と話すのが夢ちゃんに悪い?
 いや、向こうには彼氏がいるし、僕には関係ない。そもそも僕らは別に両想いでもない。

 とにかく、羽冬夜良の高校三年間のキャラ設定は、昨夜、適当に決まった。

「校長先生、素晴らしいご挨拶をありがとうございました。続いて在校生代表、2年A組の風(かぜ)仙(せん)さん。」

 え……?
 え?

──4月1日金曜の昼・アパート──
  
 両親の車が出ていくのを見送ったあと、姉さんと僕は新居――三階の一番奥の部屋へ向かった。
 ちょうど隣のの住人も出てきて、姉さんが声をかけた。黒髪の男子で、僕と同じくらいの背格好と年齢に見えた。

「あ、こんにちは。」

 それより、挨拶した瞬間の姉さんの隠しきれない笑みが気になった。

「こんにちは。」
 黒髪の男子はそう返し、少し不思議そうな顔をした。

「君たち、引っ越してきたばかり?」
「はい。羽冬と申します。羽冬(はねふゆ)悠(ゆ)月(づき)です。こちらは弟の夜(よる)良(ら)です。」
「こんにちは。」
「風です。風仙。」

 名乗ったあと、風(かぜ)は僕を上から下まで見た。ちょっと。僕は女が好きなんだけど。

 左手に視線を止めたあと、風(かぜ)は言った。
「ブレスレットか。最近の流行?」
「どうした?おかしいか?」

 全身を見回されたうえにそんなことを聞かれ、少し癪に障った。

「いや、全然。髪の色に合ってる。」

 うっ……そのいかにもスマートな笑顔、今僕を口説いてるのか?

「若い子のちょっとした遊びですよ~」

 姉さんが気軽にそう付け加える。

「はは、お姉さんも若いですよ。」
「やだ、口がうまいのね。でも残念、私、年下は対象外なの。」
「それは残念~」

 うーん……何というか。
 高手同士、って感じか。

「君、どこの学校?」

 短いやり取りの間を置いてから、風(かぜ)は再び僕に意識を向けた。

「パンドラ高校。」
「へえ、パンドラか……」
「そっちは?」
「そのうち分かるよ。」

 もったいぶるなよ。

「こんなにきれいなお姉さんを泣かせたら罰が当たるよ。優しくしないと。」
「もう、そういう甘い言葉には弱いのよね~」

 羽冬悠月、弟の前で堂々と他の男といちゃつくのか。

 あの時の風(かぜ)には、口がうまいくせにどこか癪に障る印象を持った。

 姉さんが彼をかっこいいと思っていたからだろうか。僕ってシスコンなのか。
 え……?
 え?

────

「えーと……実は、代表をやれって言われたの、ついさっきで。だから何を話せばいいのか、僕も分かってません。」

 風(かぜ)の第一声に、会場のあちこちから笑いが起きた。

「まあ、まだ何を話すか考えてなくて。さっき校長先生が言ってた輝きを失うとか、正直、あまり実感ないんですよね。」

 少し間を置いてから続けたその言葉に、会場はまた笑いに包まれた。

「じゃあ逆に聞きたいんですけど、人ってどうやったら光るんですか?」

 不思議な魅力だった。
 言葉自体はそこまで面白くないのに、ほどよい抑揚、力みのない話し方、安定した立ち居振る舞い、聞き手の反応を気にしない自信。こういう人は、きっと学校の中心人物だろう。
 
 たぶん、ヒロそっくりの絶対的な自信と、ルールを気にしない感じが、僕に敵意を抱かせた。

 いや、正確に言えば嫉妬か。
 昔、ヒロと知り合ったばかりの頃も、ああいう華やかな存在に強く嫉妬していた。
 中学に入って、友達のために体を張るあいつの義理堅さを知り、ようやく仲良くなれた。

 だから、最初はこんな感情を抱いても、そのうち僕も、風(かぜ)の内側からにじむ格好よさを認めるんだと思う。ああいう人間は、恒星みたいに自分で光る、まぶしい存在なのだから。

 関わりが続けば、の話だけど。

「せっかくパンドラに来たんだから、みんな頭はいいでしょ。ならもうあれこれ言わない。どうせ帰ったら、『あの人ちょっと面白かったな』くらいしか覚えてないでしょ。」

 完全に会場をつかんでいた。

「人は、勉強だけで生きていくわけではありません。」

「世の中には、別の才能で成功した人はたくさんいます。」

「そして、ここにいる皆さんが持っているのは、多くの人が欲しくても手に入れられない、勉強と試験の才能です。」

「点数や順位や進学先が、人生のすべてではありません。でも、勉強ができることが、人生を少し生きやすくする手段の一つなのは確かです。」

「高校生として勉強を頑張りながら、いろんなものに触れてみてください。勉強以上の才能が見つかるかもしれません。そうなれば、試験なんてそこまで大事じゃなくなることもあります。」

「もちろん、勉強をやめろって意味ではありません。でもこれ以上言うと校長先生に呼び出されそうなので。ほら、もう睨んでる。怖いです。」

「というわけで、パンドラでの三年間を楽しんでください。ありがとうございました。」

 拍手は校長の時より大きかった。それもまあ、当然だろう。
 こんな内容が通るなんて、意外と自由な校風なんだな。
 一応、悪くないスピーチだった。

 ただ、僕にはずいぶん耳が痛かった。

 長い入学式が終わり、生徒たちはそれぞれの教室へ戻っていった。
 僕も、式の前(朝6時半)にはもう来て確保しておいた、窓際の後ろから二番目の席へ戻る。
 伝説の「ぼっち主人公席」は、正式に僕のものになった。

 教壇の上、若く見えるのに、所作は落ち着いた女性が黒板に「茂木友子」と大きく書いた。

「みなさん、こんにちは。D組担任と地理担当の茂(も)木(ぎ)友(とも)子(こ)です。友子先生って呼んでね~実は私も、みなさんと同じで今年この学校に来たばかりなんです。緊張もするし、わくわくもしますよね!では、さっそく自己紹介をして、お互いのことを知っていきましょう!」

 新しい環境でお決まりの、自己紹介の時間だ。
 友子先生は少し考え、僕の列の一番前から始めた。だからすぐ僕の番になった。

「羽冬夜良です。神高附中出身です。趣味はバスケと、漫画や小説を読むことです。よろしくお願いします。」

 何の印象にも残らない。今の僕なんてそんなものだ。
 そして、まず目を引いたのは、後ろの席のメガネの女子だった。
 長い緑髪を、右の後れ毛だけ残して高く一つに結んでいる。

「紫(ゆかり)木(き)理(り)香(か)です。将来は医者志望です。趣味は……解剖です。みなさんと仲良くできたら嬉しいです。よろしくお願いします。」

 解剖?本気か?何を?前の席の男子?
 いや、それより……

 左の袖がずれて、肩がほとんど見えている。気づいてないのか?
 いきなり女子に話しかけるチャンスだ。

「あの、紫木さん。」
「どうかしました? えっと……」

 僕の名前を思い出せないらしい。寄せた眉と結んだ唇が、本気で困っている。

「たしか……漫画が好きな……」
 お、少なくとも趣味は覚えてる。

「オタク?」

 解剖されたいのか?

「左の袖。」

 オタクかどうかで言い争うより、まず本題に戻す。

「えっ……?袖……?うそ、なにこれ!?」
「おめでとう。やっと気づいたな。」
「うわ……恥ずかしい……」

 というか、なんで誰も教えなかったんだ?
 それ以上は構わず、僕は前を向いて、すぐ忘れる次の自己紹介を聞いた。

「あの……お名前は?」

 さっき聞いたばかりの名前を、本人にこんなストレートに聞けるものなのか……?

「羽冬夜良。」

 別に気にしてない。ちょっと面白いだけだ。

「ああ、そう……たぶんナンパのつもりだったんだろうけど、ありがとう、羽冬くん。」

 ……何なんだそれ?
 自己紹介のあと役決めがあり、終わると昼休みのチャイムが鳴った。
 変な人だけど、せっかくだし昼でも誘ってみるか。
 そう思って振り向くと、入学初日だというのに、もう勉強を始めていた紫木だ。

「どうかした?」

 視線に気づいたのか、紫木は本を閉じてこちらを見た。声は、ただ純粋な疑問だった。

「一緒に――」
「理~香ちゃん~食堂行ってお昼買おー!ここの焼きそばパン超おいしいらしいよ。今日はそれ食べたいな!理香ちゃんは?」
「ちょ、真衣(まい)、そんな引っ張らないでって……」

 僕の誘いを遮ったのは、いつの間にか紫木のそばにいた、身長150センチくらいの真衣という女子だった。そして「理香ちゃん」はそのまま連れていかれた。
 中学からの知り合いか?

 ってことは僕、今ナンパに失敗したのか?哀れだな、羽冬夜良。

 大したこともしていないのに、半日で僕はもう1年D組の生徒としてここにいる実感を得ていた。

 ん?スマホに新着メッセージ。

『入学おめでと~うちのヨルも、そろそろ彼女ができる年頃だよね。できたらちゃんと紹介してね~』
 
 ん……
 
 「うちの」って?僕は羽冬で、梧(ご)原(はら)じゃないだろ。どうやら送り間違いだ。きっぱり無視して、食堂へ向かった。
 チーズビーフバーガー(学校でこんなの売るのか?)と無糖の緑茶を買い、空席で静かに昼を過ごした。