僕らは正しい答えを見逃したようです。第一巻

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 翌日、5月2日、朝八時。パンドラ高校の校門前。

 やっとゴールデンウィークを満喫できる日に、なんでこんな時間にこんな場所にいなきゃいけないんだ……。
 そうだ。話は昨日の放課後、僕があの一言を口にしたところから始まる。

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「高校入ってすぐに、君みたいな友達ができて、本当によかった。」

 その言葉を聞いた紫(ゆかり)木(き)は、しばらくぽかんと固まっていた。
 10秒くらいは止まっていたんじゃないか。

「……え!?ってことは、羽冬(はねふゆ)って私のこと好きじゃなかったの?」

「うっ……」

 いや、なんでそんなことを真正面から聞けるんだこの女は。

「羽冬が恥ずかしくて言えないだけなのかなって思ってたから、私から告白して、羽冬の気持ちを自然に受け入れてあげようと思ってたのに。」

「……あ。」

 何だその勢いだけの理屈は。
 全然筋が通ってない。

「もう、ほんと。私、こんなに大ごとにしちゃったじゃん。」

 紫木は少し頬を膨らませた。
 え、これってもしかして――

「……怒ってる?」

 紫木はゆっくり目を閉じ、ふうっと息を吐いた。

「はあ~これでやっと本当に楽になった。さっき羽冬、『やっと終わったなあ~』って言ってたけど、私、全然そんな気分じゃなかったし。」

 わざわざ僕の声と口調まで真似してきやがる。

「ふはっ……」
「え、ど、どうしたの?」

「はははははっ……!」

 三週間前、Purple Forestで紫木姉と夜中に話してからずっと背負っていた重荷が、ようやく下りた。
 その直後に紫木のものまねで笑わされるなんて、思ってもみなかった。
 だめだ。面白すぎる。腹が痛い。涙まで出そうだ。

「な、何なのよ!」

 紫木は顔を真っ赤にして口を尖らせていた。

「やっぱ君と知り合えてよかった。高校生活の笑いの八割、もう紫木が担当してる。」
「羽冬(はねふゆ)夜(よる)良(ら)!」
「はいはい、ごめんごめん。」

 落ち着いて互いの顔を見ると、また二人で吹き出してしまう。
 ん?これって、いわゆるよりを戻すってものか?いっそこの流れで本当に付き合うか。
 もちろん、冗談だ。

「ねえ、羽冬。」
「どうしたの?」
「ゴールデンウィーク、何するの?」

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「やっほー、羽冬!」
「八時集合って言い出した人が遅刻するなよ。」

 紫木は緑のUネックの半袖トップスに、ゆるめのデニムという格好だった。
 鎖骨の下まで開いた襟元は、少しかがんだだけで危ないんじゃないかと思うくらい大胆だ。

 ……まあ、これまでにそれ以上のものを見たことがあったけど。

「家が近い人は、電車で来る人に優しくするべきでしょ!」
「時間を守るのは大事だぞ。」
「一時間目まるごと寝てた人には言われたくないな~」
「じゃあ今後、毎朝電話して起こしてくれる?」
「うん~考えとく。」

 ……考えるんだ。

 そう言うと紫木は少し前へ駆け出し、僕がついてこないと気づくと振り返って文句を言い、そのまま先へ進んだ。

「早く!中間考査の範囲は全然分かってないでしょ?授業中いつも寝てるし!」

 関係を「仲のいい友達」に制限した後、紫木は前より少しだけ素直に明るくなった気がする。
 たぶん、こっちのほうが元々の姿だ。

「置いてくよ!」
「分かったよ。走りたくないんだって。速すぎる。」

 校内の図書館へ入ると、紫木は鞄の中から真新しい参考書を何冊も取り出して、向かいの席に座った僕の机へどさっと置いた。

「はい、これ。」

 図書館なので声は小さい。

「え?」
「学校の教科書なんて全然役に立たないんだ。この出版社の参考書、私ずっと使ってるの。おすすめ!」

 とりあえず数学の参考書を手に取ってぱらぱらめくる。
 ……ああ、そうか。
 紫木の細かすぎる書き込みがないから、妙に白く見えるんだ。

「これ、くれるの?」
「まさか。ちゃんと払ってもらうよ。定価で。送料はサービス。」

 ……それ、強制購入じゃないか?

「まけてくれない?」

 少し考えたあと、紫木は何か思いついたように目を上げた。

「今回の中間考査、平均90点以上取れたら、タダであげる。」
「いくらですか?今払います。」
「諦めるの早すぎるでしょ!」

 思わず声が大きくなったらしく、紫木は慌てて自分の口を両手で押さえる。
 やっぱりこういうところは変わっていない。

 パンドラ祭の準備期間中にも、各教科で小テストはいくつかあった。
 中学までの感覚で適当にやっても80点か90点はいけるだろうと思っていたけど、実際にテストの答案と点数を見て、自分の実力をとんでもなく見誤っていたと気づいた。

 その日、僕が少しでも眠そうな顔をすると、紫木は遠慮なく肩を揺さぶってきた。
 それでもだめなら、ボールペンで僕の頭を直接こつんと叩いてきた。

 いや、何でこんなに元気なんだよ。昨日あれだけ――
 ああ、そうか。彼女は昨日ほとんど運動してないんだった。

 結局、紫木が夕飯のために帰らなければならず、午後5時ごろに本日の「紫木先生による地獄の補習」は終了した。
 学校を出たあと、紫木と一緒にパンドラ商店街を抜け、日吉駅まで歩いた。

「明日も同じ時間ね!用事があるなら仕方ないけど、寝坊したいだけなら絶対許さないから!」

 どうやら、「普段はしっかり勉強して、たまに安心して友達と遊ぶ」という紫木の原則は、なぜか僕にも適用されるらしい。

 紫木が改札を抜けてホームへ消えたあと、僕はさっそく電話をかけた。

「羽冬?どうしたの?」
「明日、どこかへ遊びに行かない?」
「まだ一日しか勉強してないでしょ!すぐにサボろうなんて考えは却下!」

 あ、切っちゃった。
 どうやらこれから先、かなり長い間、妙に世話焼きな監督役が僕の勉強を見張ることになりそうだ。

 そして夜。寝る準備をしていたところで、不意にスマホが鳴った。

「うっ……」
 うっすら見覚えがある番号。

「ヨ~ル~」

 どこで覚えたんだ、その無駄に伸ばす呼び方。

「何の用ですか。」

 しばらく沈黙があったあと、紫木姉の優しい声が聞こえてきた。

「うまくいったみたいね。」
「別に、大したことはしていません。」
「そう?一応確認だけど、理香とは付き合ってないのよね?」
「自分の命を懸けるような冗談は言いません。」
「ハハハ、何それ。大げさ。」

 いや、あの時「理香と付き合うのは許さない」って言った君、間違いなく本気の殺気を出してましたけど。

「でも、今の状況がいいのも、あくまで『今』の時点では、ということでしょう?」
  
 やっぱりこの女は、鋭すぎる。

「まだ何か頼みでもあるんですか?」
「いいえ。正直、この結果はもう予想以上だ。理香が笑っていられるなら、それで十分。」
「期待に応えられて、光栄です。」
「ああ~青春っていいわねえ~」

 ……何だその感想。

「とにかく、これからも理香のことよろしくね。暇な時は飲みに来て。Purple Forestでいつでもお待ちしてるから。じゃあね~
」
 この女、本当に僕を未成年だと認識してるんだろうか。

 そう。僕は何もしなかった。ただ先延ばしにしただけだ。
 誰にも予測できない結末が、早く訪れてしまうのを防いだだけ。

 もしあの時、紫木姉の頼みがなくて、望月の忠告もなかったら、今ごろ僕と紫木の関係は、たぶんもう変質していた。
 それが良い方向に変わったのか、悪い方向に変わったのかは分からない。
 ただ、どちらに転んでも、ろくな結末にはならなかったと思う。

 紫木が僕のせいで傷つくかどうかなんて、今でもそこまで気にしていない。
 ただ、彼女を傷つけないやり方が、ちょうど僕の心の向かう先と重なっていただけだ。

 僕がやったことは、たくさんある選択肢の中から、自分がこの先も平穏に暮らせそうな道を、勝手に選んだだけだ。

 そもそも紫木が、なぜ僕が彼女を好きだと思ったのか。なぜ自分も僕を好きになるべきだと思ったのか。なぜ僕に告白しようと決意できたのか。
 最後まで、本人に聞くことはなかった。

 もしかしたら、紫木は本当に僕を好きだったのかもしれない。
 でも、僕の言葉を聞いて、最後の最後で自分を偽った可能性だってある。

 どれだけ多くの人が分析して、同じ答えを出しても、紫木の本当の気持ちは、彼女自身ですらまだ言葉にできていないのかもしれない。知っているのは、彼女の心の奥だけだ。

 僕は、紫木の本心を知ろうともしなかったし、知るつもりもなかった。
 
 今がうまくいっているなら、それで十分だ。

 僕の選んだ道が正しかったのかどうか、最後の最後まで分からないのだろう。
 あるいは、そもそも正解が明かされる日なんて来ないのかもしれない。

 それでも僕は信じている。
 無数の選択肢から、あまりにも間違ったものを一つずつ取り除いていけるなら、少なくとも僕らは正解に一歩ずつ近づいているのだと。