僕らは正しい答えを見逃したようです。第一巻

25
 4月16日、土曜の昼。1年D組。

「高木、ちょっと頼みがある。」
「高木くん、こんにちは。」

 紫(ゆかり)木(き)を連れて、高木のところへ向かった。
 高木は顔を上げ、僕の後ろに紫木がいるのを見た瞬間、何か言いかけたが、すぐ眉を寄せて飲み込んだ。

「Yo~何すればいいんだ?」

 たぶん、最初は「Yo~おカップルで俺に何の用?」とか言いかけたんだろう。

「今日の練習前に、少しバスケコートに付き合ってくれないか。僕と紫木、クラス対抗バスケの記録をやることになってさ。紫木にルールとか記録の見方を教えたいんだ。」

「Oh~そこまで言うなら付き合ってやるよ。」
「ありがとうございます、高木くん。」

 殴りたい。
 でも紫木は、高木のあの軽い口調をまったく気にしていないらしい。

「望月って、記録のやり方も知ってるっぽいよ。頼んでみたら?」

 おっ。珍しく有益な情報だ。もしかしたら、望月なら僕にも教えられるかもしれない。

 あれ?なんか急に、バスケという競技にそこまで詳しくない気がしてきたな。
 アシストって何だっけ?スリーポイントラインってどこ?
 よし、あとで望月にマンツーマン指導でもお願いするか。

「何の話していますか?」

 鞄をまとめ終えた望月が、ちょうど高木の席まで来た。
 事情を説明すると、望月もあっさり協力してくれた。

「紫木さんも一緒にご飯行きませんか?」
「えっ?私も?いいんですか?」
「もちろんです!あ、奈奈ちゃんもちょうど来ました。こっちは私たち野球部のもう一人のマネージャー、加藤さんです!」

 こうして、妙な五人組ができあがった。
 教室後ろのバスケボールを持ち、そのまま昼食へ向かう。
 加藤と望月が紫木を囲んで話している間、横を歩く高木が、指でボールを回しながら小声で聞いてきた。

「で、お前ら昨日の朝、どうだったの?マジで一緒に泊まった?」

 うっ、そうだ、彼は当日の目撃者だったな。

「誰に聞いた?」
「いや、勘だけど。」
「そんな噂、出てないよな?」
「俺の知る限りはないな~」

 それなら少し安心できる。

「まあ、いろいろあったのは事実だけど、別に何かあったわけじゃない。」
「だろうな。」
「ただ、広まると紫木が困るかもしれない。」
「Oh~安心しろ。俺、秘密を守るのが専門だ。」
「望月にも言うなよ。」
「了解了解。」

 必死に否定するより、こういう曖昧な返しのほうが高木相手にはちょうどいい。
 どうせ深く追及しない。

「望月たちってすごいよな。つい最近までほぼ他人だったのに、もうあんなに楽しそうに話してる。」

 前を歩く三人を見ながら、思わずそう口にする。

「女って、だいたいそんなもんだろう?」
「まあ、そうだな。」

 昼食を簡単に済ませ、学校へ戻り、四百メートルトラックの中央にあるバスケコートへ向かった。
 真昼なので人は少ない。

 適当なコートを選んで鞄を置くと、加藤が珍しく自分から話しかけてきた。

「時間、結構かかる?」
「まあ、少しは。でも練習前には終わるよ。」
「そっか。」

 そう言って加藤は、鞄から折りたたみ傘を取り出した。

「奏(かな)音(ね)ちゃん~紫木さんも、一緒に入る?」

 どうやら日差しを浴びたくないタイプらしい。
 野球場のベンチは午後になると西日が当たらないから、今まで気づかなかった。

 そんなに太陽が苦手で、本当にマネージャーできるか?

 待って、何だ今の。「奏音ちゃん」?

「はい。ありがとうございます、加藤さん。」
「私はいい!ちょっとバスケ触ってみたい!」

 性格差がよく分かるな。

 そうして僕と高木と望月は、軽くシュートやドリブルをしながら、コートのラインや記録表の見方を紫木に説明した。
 必要に応じて、高木や僕がスティールやブロックの動きも見せる。

 二時頃、加藤が時間を知らせてくれた。
 そこで一度解散し、僕と紫木はボールを教室へ戻し、高木たちは野球場へ向かった。

「どう?少しは分かったか?」

 良(りょう)見(けん)楼(ろう)へ戻る途中、紫木に声をかけた。

「うん……たぶんね。望月さんが記録表を説明してくれたのは分かりやすかったけど、テクニカルファウルとか、アンスポーツマンライクファウルとか、ああいうのはちょっと抽象的すぎて……」

 たしかに、そのあたりを説明していた時、紫木は途中から完全に処理落ちしていた。

「そこは僕が見るから大丈夫。」

 そう言うと、紫木は少しだけこちらに顔を向けて、安心したように笑った。

「羽冬(はねふゆ)がいてくれて助かる。もともと私を巻き込んだの、羽冬だけど。」
「おい、巻き込むはひどすぎるだろ。どうせなら僕らに分かる競技のほうがいいだろ。」
「はいはい。」

 教室へ戻ってボールを置き、僕は立ち上がって振り返った。

 その瞬間、すぐ後ろにいた紫木の近さに気づいた。
 慌てて止まったものの、もう少しで顎にぶつかるところだった。

 ……いや、君、近すぎるだろ。

「うっ……」
「ご、ごめん!大丈夫か?」
「だ、大丈夫……」

 顔をそらした紫木が目を開け、確認していた僕とちょうど目が合う。
 ……近い。

 さすがにこの距離だと、男なら鼓動が少しくらい速くなっても仕方ないだろ。
 気づけば、体は反射的にドアのほうへ逃げていた。

「このあとどうするんだ?」
「私?そろそろ帰って勉強かな。」
「真面目だな。」
「当然でしょ。いつもちゃんと勉強してるから、たまには今日みたいに安心して友達と過ごせるんだよ。」

 普段から勉強しているのは、そういう意味もあるのか。

「じゃあ、校門まで送るよ。僕は練習ないし、少しくらい遅れても平気だから。」
「え、そんなに優しいの?もしかして本気で私を口説いたい?」

 久しぶりに聞いたな、そのセリフ。

「嫌ならやめるけど。」
「ちょ、待って。分かったから、少し付き合って。」

 校門で紫木と別れたあと、ゆっくり野球場へ向かった。

 最近、一人になるとどうしても思い出す。
 紫木姉に言われた、あの頼み。
 どうすれば、紫木姉の望む「傷つけない」になるんだろう。
 そもそも、彼女の言う「傷」って何だ?

―「女の子を、『本当の傷』を残すようなことはしないでね。」

 望月なら、分かるんだろうか。

 野球場へ着いて望月と加藤から聞いた話では、平日は来ない三年の先輩たちも、土曜だけは時々顔を出すらしい。
 今日も数人来ていて、他の一、二年とは明らかに実力差があった。正直、次元が違う。

 幸い、望月先輩は来ていなかった。だから気楽に望月と話せる。

 ちょうど加藤がふらっと離れて、ベンチに僕とスマホを見ている望月だけが残った時、声をかけた。

「望月。」
「どうしたの、羽冬?」

 ん?様子が変だな。体調が悪い?
 でも、返事は元気そうだったし、たぶん大丈夫かな。

「今日の練習が終わったら、少し付き合ってくれないか。」

 望月の表情はほとんど変わらない。
 でも、何かを考えているのは伝わってくる。
 いつもの軽口と違う僕の声を、たぶん測っているのだろう。

「分かりました。」

 その口調と表情は、普段の柔らかなものとは違い、少し悲しさを帯びたものだった。